こんだけチート選べたらガチの異世界だと思うじゃん!? 作:哀しみの向こうにあった謎の隕石
茜色に染まった夕日が、地平線の彼方へと沈んだ。
冷蔵庫の中身で簡単に作った夕食を食べて、後はもうお風呂に入って寝るだけになった。
昨夜は気が動転していて寝落ちしたため、この身体になってからは初めてのお風呂である。
自分自身のものとはいえ、外見上は何処からどう見てもれっきとした少女の身体だ。
なんとも言えない気不味さを独り感じつつも、意を決してズボンの紐に手を掛けた。
長い裾に足を取られないように気をつけてズボンを下ろし、次に上着へと取り掛かる。
左腕を入れて、右腕を入れて、最後に肩のところに手を掛けてシュポンと。
さて、最後の関門としてパンツが残った。
女性は下半身に履く下着のことをパンツとは言わないようだが、己の腰のところにあるこの下着は、紛れもなくパンツ。それもカボチャパンツであった。
簡素な布で作られたカボチャパンツ、いわゆるドロワーズなどと呼ばれる物である。
腰の前で蝶結びに留められたパンツの紐を、スルスルと引っ張る。
布が落ちる乾いた音と共に、秘めていた部分が露になってしまった。
「……」
唾液を飲み込む小さな音が喉から伝わる。
思わず自身の身体に対して欲情してしまいそうになり、慌てて頭を振って掻き消した。
こんな様のままでは今後の生活に支障が出てしまいそうだから、などと無理矢理に思考を逸らす。
ゆっくりと深呼吸をして、お風呂場のひんやりとした床へと一歩足を踏み入れた。
プラスチックの冷たさを足裏に感じる。
ペタペタと床を歩いて、浴槽の中に入り、カーテンを引いた。
いつもより少し位置が高いように感じる蛇口のハンドルをゆっくりと回すと、頭上から冷水が降りかかってきた。
「ひゃんっ?!」
驚きの余りに口から変な声が漏れ出てしまった。
慌てながらハンドルをキュッと捻ると、冷水の雨が止む。
「っしょっと。
こうなると結構高いな……」
高い方の留め具に引っ掛けていたシャワーヘッドを背伸びで掴み取って、今度は足元に構えて蛇口を開放する。
冷たい水は給湯器に温められて、徐々に温水へと変わっていった。
温かなシャワーを頭から被る。
すると長い髪が濡れて、肌に張り付いてしまった。
男だった頃には短髪だったために今まで感じたことのなかった不思議な感覚に、口の端から小さく笑いが零れる。
水に濡れて真っ直ぐになり顔を隠すようになっていた前髪を横に流して、洗面台の鏡を覗いてみると薄墨色の髪がぺったりと張り付いていて、まさに濡れねずみ然といった様子だ。
シャンプーを泡立てて揉み込んでみると、今度は泡のベールを被ったみたいになった。
後ろで纏めてポニーテール、二つに分けてツインテール、などと髪型で七変化を楽しんでみたりする。
わしゃわしゃと泡を立てながら暫く遊んでから、泡をお湯で濯いで水気を切る。
それから身体を洗うために髪を纏めようとして、ヘアゴムどころか紐の一本も持っていないことに気が付いた。
代用品として使えそうな物も何一つ無い。
仕方がないので、取り敢えずは『念動力』で浮かせておくことにする。
次に洗うのは身体だ。
ボディソープの泡が出てくるポンプを数回押し込んで、手のひらに泡を乗せる。
きめ細かな泡が手のひらを覆い隠してゆくのを見て、現代の技術の凄さに改めて感心した。
ほんの10年くらい前には、こんなにしっかりとした泡がボトルから直接出てくるなんて想像も出来なかった。
小学校の手洗い用の液体石鹸の容器からは水っぽい泡が出ていたが、精々がそれくらいだ。
手に乗せた泡をふわふわと揺らして、身体に擦り付ける。
すると泡は柔らかく伸びて、肌を包むように身体を覆っていった。
少女の柔肌を傷つけないように、円を描いて洗う。
そうして身体を洗っていると、なんだかくすぐったく感じてきた。
流石は誕生して間もない新品の身体と言うべきか、その感覚器官の鋭さは目を見張るほどのもので、ボディソープの泡で肌を撫でる感覚が、さわさわと事細かに伝わってくる。
ほんの小さな手の動きが、そのまま肌へと伝わってくすぐったさを生じさせる。
泡越しに肌を撫でる手の感覚が何となく落ち着かなくて、小さな身体を時折変な風に捩らせつつも、やっとのことで身体を洗い終えた。
「やっと終わった……。
感覚系の
慣れるまでは使わないでおくか」
シャワーで泡を洗い流した後、蛇口を切り替えてお湯を溜め始める。
低い水面を脚で叩きつつ待つこと暫く、体勢に気をつければ肩が埋まるくらいにお湯が溜まったところで蛇口を捻った。
「ふぅ……。
やっぱり風呂はいいな」
小さくなったためだろう、少し広く感じる浴槽に脚を伸ばして寛ぐ。
ちょっと口笛を吹いてみると、高い音が浴室中に響いた。
あんまりやると近所迷惑なので此処でやめておく。
お湯が身体をじんわりと温めてゆくのを感じながら視線をぼやけさせる。
お風呂の水面が揺れているのが見えた。
「いち、に、さん、し、…… 」
肩までお湯に浸かって、数を数え上げてゆく。
「三十七、三十八、三十九……」
水面に小さな波を打たせながら、ゆっくりとしたペースで数字を読み上げる。
お風呂のお湯が持つ適度な温度が心地よい。
「九十八、九十九、……ひゃく!」
数え終わると同時に水面を大きく揺らして立ち上がった。
手を組んで、腕を大きく伸ばして、それからストンと脱力する。
これで入浴は終わりだ。
バスタオルを取って身体についた水滴を拭き取り、浴槽の外に出る。
水が滴らないくらいになったら、今度はタオルを頭に被って髪を拭く。
しかし、ある程度の水滴を拭き取ることはできたものの、髪はまだしっとりと濡れていて、髪を乾かし切れていないのがわかった。
バスタオルで挟み込むようにしてみても、依然として髪はしっとりしている。
我が家にドライヤーは無いので、これ以上はどうしようも無い。
とはいえこのまま寝るのはなんとなく嫌だ。
悩んだ末に大家さんに借りに行くことにした。
シャツとパンツの上からパーカーを纏って、玄関のサンダルを引っ掛けて外に出る。
夜風が冷たかった。
「夜は結構冷えるな」
冷たい風が吹き付けるのを感じながら隣の扉の前に行って、チャイムのボタンを押す。
ピンポーン、というお馴染みの音声が響いて、大家さんが出てきた。
「えと、あの、夜分遅くに失礼します!」
「あらあら、昨日の子ね。
こんな夜中にどうかしたの?
寒いから冷えちゃうわよ、ほら入って入って」
外は寒いから、と部屋の中に招かれた。
大家さんに急かされるままに、玄関へと入ってしまう。
部屋の中は綺麗に整っていた。
「その、拓也……お兄ちゃんのところに泊まりに来たんですけど、ドライヤーを忘れちゃって……。
ドライヤーを、貸してくれませんか……?」
自らの姪を装って、大家さんにドライヤーを借りられないかと聞いてみる。
少々後ろめたさはあるが、本当のことを話す訳にはいかない。
「あらそうだったのね!
いいわよ、貸してあげる。
もう、鈴木君もこんなに可愛い子が泊まりに来てるのなら教えてくれればいいのに……」
「いや、えっと……」
「ちょっと待っててね。
今持ってくるわ!」
そうしてそのまま大家さんは家の奥の方に入って行ってしまった。
遠ざかった足音が、また同じ感覚で近づいてくる。
大家さんがドライヤーを持ってきてくれた。
「一人じゃちょっと大変だろうし、私が乾かしてあげましょうか?」
「えと……はい、よろしくお願いします」
「ええ、私に任せて!」
コンセントが刺さり、ドライヤーから空気が震える音が響き始める。
大家さんの為すがまま、ドライヤーの温風を感じながらぼんやりとしていた。
暖められた風が髪に吹き付けられて、余計な水分を奪い去っていく。
大家さんに髪を乾かしてもらう感覚は、なんだか心地よかった。
「はい、出来たわよ!」
「ありがとうございます、綺麗に乾きました!」
「ふふ、そうね。
それじゃあ鈴木君のところに戻るの?」
「はい!」
大家さんが壁からコンセントを引き抜く。
「ありがとうございました。
それじゃあまた!」
「ええ、夜は寒いからちゃんと布団を被って寝るのよ?」
「はい!」
大家さんの部屋を後にして、自分の部屋へと戻って行った。
ほんの少しの距離をサンダルでペタペタと歩く。
ガチャリ、とドアの鍵を締める。
ドアを背にして寄り掛かって、小さく溜息を洩らした。
「なんとなく罪悪感があるな……」
嘘はよくないから。
そう呟いて、今後はなるべく本当のことを言えるようにしようと心に決めた。
パーカーからスウェットに着替えて、布団に入る。
大家さんに言われた通りに布団を被って寝た。
電気を消した真っ暗な部屋が、何となく落ち着かなかった。