空の居場所   作:七九曜

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013-2008/06/10-仲良しで居たかった

如何して自分は天使でも精霊でもなく人間として生まれたのだろうか。物心付く頃に母親の聴かせた絵空事は、未熟な幼心の殻を擦り抜け、核心深くに巣食い、以来見える世界を不幸にした。

事有る毎に、土の子として生まれた事に、囚われ、悲嘆し、空想へと逃げた。人間の垣間見せる不完全さを、自分は受け入れられなかった。潔癖で在ろうとすればする程、如何に自身が汚れているのかを思い知らされた。若し煙無き火の子として生まれられたのならば、四苦や五情にも惑う事無く、安らかに清らかに生きられたのだと考える度、他人も自分も生来の出来損ないなのだと感じずにはいられなかった。

 

 

彼の日、金曜日に確かに自分が抱いた感覚は、然し未だに大凡の形すら掴めず、気持ちの晴れない鬱屈した状態が続いていた。

季節はすっかり梅雨入りを果たしたのか、先週末に始まった積雨は、週を跨いで尚も未だ絶え間無く雨音を奏でている。雨粒は見渡す限りの彼方此方で銘々好き勝手に跳ね回っていた。

頭上を満遍なく覆う雲からは、どんよりとした薄暗い光と勢いを乗せた雨粒ばっかりが降り注ぐ。力無く首を垂らす草花に、其等は慈恵からは到底掛け離れている様で、そんな中で身を震わせては水滴を弾き飛ばす木々枝葉の有り様は、自分には一入色艶やかに浮世離れして見えた。

 

 

先日以来彼女との距離感と言う物を自分はすっかり測りかねている其が若し単純な物理的概念なら恐らくは何も考えずに居られたのだろう目紛しく移ろう車外の風景に比較規則的な車体の振動と滞りの無い電車の進行任せの現状同様何れ体感に基づいて判断を下せる気がした然し実際には然う簡単ではない心理的概念なのだと仮定して其の癖何を基準として良いのかすら見当も付かずにいた肝心の互いの気持ちの立ち位置も向かう方向も馬鹿な自分には分からない動もすれば寧ろ自分は道を踏み外して未だに乖離を続けている様な気さえして何か都合良く不安を解消してくれる物を求めては結局は何度も外の景色へと目を向けた伽藍堂な車内淡々と木霊する電車の揺れの単調な繰り返しには懸命に自分を何かを伝え諭そうとしている様な意思すら覚え然し所詮一方通行の物が此方の問答に解を示す訳も無くなら其は有って無い様な物だと意識から外した気紛れに深く座席に靠れて見ても硬い背凭れの感触以上に得られる物は無かった

 

改札を潜り、電車に揺られる間も、自分は先の金曜日の出来事へと物思いに耽っていた。

何れ三日以上進展も見せない問答に鳧を着けるには、数分程度の猶予は増え田所で些末な物でしかなかったらしい。速度を緩め始めた電車は、自分を差し置き、間も無く目的地に到着する旨を淡々と知らせた。

 

電車が構内へと滑り込み、ゆっくりと速度を落とす中,弛緩気味に席を立った自分は窓越しに、改札の奥に佇む硝子を認めた。

「硝子?」

未だ完全には停車のしていない中、直ぐに彼女の姿は陰に隠れて仕舞う。其でも見間違いでない確信が自分には有った。

何故此処に彼女が居るのかと言った疑問は、瞬時に波の様に押し寄せて、自分の頭を一杯一杯にする。一心に塗り潰された意識では、其迄抱えていた問答すらも、手の付け様さえも無い纏まりに欠いた断片と化していた。

窓に薄らと映る自分は酷く間抜けな表情をしていた。

 

 

改札に近付くに従って、再び駅舎の陰から硝子の姿が現れた。

改めて見れば彼女はランドセルを背負ってはおらず、握る傘にしても子供用とは思えない背丈不相応の大き目の物だった。其処からは如何やら放課後、一度駅とは反対方向の家に態々戻って迄、歓迎の意思を示してくれている様に思えてならない。

改札を抜けた辺りで、此方に気が付いた硝子と目が合った。彼女は手にした傘を改めて抱き抱える様に持ち直して、頻りに何度も御辞儀をする。左手首に巻かれた黄色のフィタが緩慢に揺れて見せた。

 

『フ、ィ、タ。傘。嬉しい』

彼女へと感謝を告げる,今此の瞬間ばっかりは余っ計な事に振り回されずに、自然体で居られている気がした。

 

 

『…なら、良かったです』

其も、彼女が遅れて反応を見せる、僅かな間を挟んだ後には、すっかり事情は一転していた。

雨音のみが響く中、困惑の色が見え隠れする表情が此方へと向けられる。其を見て自分は只、嗚呼又、何か不用意な発言をしたのだとだけ理解出来た。

 

当然、自分形に原因に考えを巡らせてはみた。

例えば、フィタと言う言葉が金曜日の出来事を想起させる引鉄となり、将又、傘と言う言葉が今後も同様の好意を期待している様に聞こえたのかも知れない。然し乍ら其ならば、何故彼女は態々フィタを括り付けて、態々駅迄来て、態々大き目の傘を手にしているのかと、間髪挟まずに浮かぶ又別の疑問に因って行き詰まりを覚えた。

或いは其等行動の一切が気紛れの類にすら思えて、然し其では先の表情に説明が着かない事に思い至る。馬鹿な自分が回答を求めて幾ら考えてみても、たらたら堂々巡りを繰り返すだけで、抜け出せる気はしなかった。

何れにしても自分が失言した事は間違い無い。其だけは判然分かんだね。

 

若しくは先の金曜日の出来事について一言も言及しなかった自分に対して、彼女形の蟠りが有るのかも知れない。確かに友達として本来ならば、其こそ表情の原因云々以前に、今からでも一度向き合う必要が有る様な気がした。一方で其は、口下手の自分が触れれば徒らに傷を抉り返すだけで、御互いに不幸ばっかりを齎すに違いないと言う、何処迄も臆病な言い訳塗れの直感が口を噤ませる。

打ち明けずにいたのは他にも有った。彼女が手にする傘にしても、実際には自分は必要としていなかった。只、今現在自分の手元に在る、鞄の内に忍ばせた折畳傘を提示すれば済む話だった。其も硝子の好意を無碍にする行為なのかも知れないと都合良く考えては、結局宙ぶらりんな位置に右手を留めるのが漸とだった。

 

 

『蓮君、如何したの?』

すっかり押し黙っていた自分は、硝子の言葉にハッとさせられる。彼女へと向き合っている積もりでいて,結局自分ばっかりを鑑みている自身に気が付くと、早々に取り繕いたい後ろめたさに襲われた。

突然に上手い言い回しを思い付く筈もなく、尚も続く此の気不味い間を埋める何か適当な言葉を探しては、喉元迄込み上げ乍らも吐き出せない様なもどかしさに焦れていた。見えない糸口を手繰り寄せたい気の現れか、或いは回らない頭の分を補う様に、気付くと何度と腕を空回りさせていた。

 

 

言う迄も無く、出そうと思えばノートでも傘でも直ぐに取り出せる状態だった。然し自分は其を行わなかった.

正直に伝え、其の結果として彼女がどんな態度を取るのか、馬鹿な自分には想像も着かず、結局は有耶無耶にする事を選んでいた。

 

『雨、だから。家、場所(から)、駅、場所(迄)、来る、大変、終了(過去形)。然う?』

違わず胸中を伝えるのが怖くて吐いた誤魔化しに、得心したと見せざるを得ない彼女の反応が、容赦無く自分を抉る。

下り坂を惰性に任せ転がる心地に、明確に鋭敏に自分は絶望に侵食された。

 

『ううん。私が早く会いたかっただけだから』

『本当?有難う』

既に御互い、他に言い様等は,屹度残されていないのだろう。

其の原因なのだと言う自覚が、ちっくりと胸を刺した。

本当嫌だね。

矢っ張り自分は『御免ね』が言えなかった。

 

 

気持ち逸らした視線を戻した先で、ふと目と目が合う。

途端現れた僅かな口元の変化に、とっくんと心臓が跳ねた。自分の意に沿わぬ感覚が金曜日の醜態を彷彿とさせる。

 

ひょっとしたら未だ自分は変な儘なのだろうか?

 

……

………

否違う。

変じゃない。

今の気持ちは、変じゃない。

今の自分は変じゃない!

 

 

屹度今は只彼女の表情に当てられて胸が高鳴っているだけなのだから、だから屹度、此は正常な内なのだと性急に結論付ける。

 

屹度彼の日は二人共疲れていた所為に違いないのだから。だから屹度、彼れは偶発の域を出ない不具合の類だと深く考えずに片付ける事にした。

 

其等が仮初の杜撰な方便でしかないと薄らと自覚して、其でも友達と言う関係を維持する事に比べれば、些末な問題だと感じた。だからもう余っ計な事は忘れて仕舞おうと努める。

 

 

同じ傘の下を一緒に歩けるだけで、贈物を大事そうにしてくれるだけで、一言二言話が出来るだけで、仮令其等一切が心伴わなず形ばっかりなのだとしても、然う違わず自分は幸せを感じる事が出来ただろう。そんな、漠然と抱く友達像と大差の無い中に幸福を見出せる自分は、未だ友達として可笑しくはないのだと実感出来て、今は只其が嬉しかった。

何度目とも知れずに彷徨わせた視線の先、水溜りに映る自分は、ぎこちなくも笑みを返す事が出来ていた。

 

彼の日、頭を擡げた感覚は矢っ張り何かの気の狂いなのだろう。相変わらず自分は此の儘の関係で充分幸福が得られるのだと安心した。只自分が胡乱な記憶に蓋をして、折畳傘を鞄に押し込み、然うして噯気にも出さずに居れば、其だけで今暫く此の平穏は保たれ、好意に靠れて居られる気がした。

 

元より日の望めぬ空を,彼女の広げた傘がすっぽりと覆い隠す.

硝子が進むに任せ乍ら、言葉も無く、大き目の傘の下を二人雨の降る街を歩く。此の仕合わせが、何時迄も続けば良いと思った。

 

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