空の居場所   作:七九曜

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002-2008/05/20-隙有らば自分語り

自分は元来物覚えの良くない方だと思う。勉強でも暗記物は苦手だし、学年全員の顔と名前を朧気乍らに覚えたのも、入学式後何度か年度が過ぎた様な時期になって漸くだ。

 

集中力も自身で制御出来無い。面白そうだと思えない事にはとことん集中出来無いし、一度集中し出すと今度は他の事が抜け落ちて仕舞う。

 

成る程、自分の頭の中は自然と興味を持った事しか殆ど残らない様に、そう言う形に出来ているらしい。

 

 

 

 

 

彼の後、何の様に専門医と話をしたのかすら良く覚えていない。相槌の代わりに、「うん」と「はい」と、時々「いえ」と答えていた位だけは朧げ乍らも憶えている。暫くはずっと少女に夢中になっていた。

 

幾らか強く身体に掛かった慣性力に揺られて、漸く上の空の思考から解放されて見れば、自分は車を運転する母親の横、助手席に何時の間にかに座っていた。

 

 

 

丁度彼の少女について彼是と話が振られてた所だった。

 

見ると前方には長い列が出来ていた。ブレーキを掛けられた車体が不満気にエンジンを蒸す。

 

終始上の空だった自分を他所に、母は付き添いのお婆ちゃんとそこそこ話をしたらしい。彼女の名前は西宮硝子だと言う事、付近の一般の小学校に通学している事、彼女は耳が聞こえない事、そして彼女が見せた動作は手話と呼ばれる物である事。

 

自分は彼女を、西宮硝子の事をもっと知りたいと思った。続きを催促する様に、食い付き良く相槌を打った。

 

だが生憎母にとっては精々が変わった娘止まりだった様で、信号が青の灯火に切り替わる迄の暇潰し程度でしかないらしい。信号待ちの長蛇列から解放されると自然と話は切り上げられた。

 

其にしても手話、か…。

 

西宮さんと関わりも当ても無い自分にとって、蜘蛛の糸の様に繋がりの弱い其すら、天啓の様に感じられた。

 

すっかり静かになった車内で小刻みに揺られ乍ら、自分は物思いに耽っていた。

 

 

 

 

 

今は五月の下旬。クラス替えは疎か、軽い交友関係の形成も済んだ時期にもなって、未だに自分の頭の中は、彼の彼女の事で一杯だった。

 

西宮さんの声を又聞きたいと思った。同時に彼女の聲を、手話を今度は理解したいと思った。

 

筆談や空書、携帯メールの様な他の方法自体には思い至りはしても、烏滸がましい動機を前には、其等で済ませたいとは思えなかった。

 

クラスでは休み時間の度、誰某が誰彼何此を好きだとか嫌いだとか、そんな話に周りは一喜一憂している。

 

其の隣で自分は相も変わらず手話の本と睨めっこをしていた。探してみれば意外な事に学校の図書室には、簡単な手話の本が何冊か置かれている。恐らくは滅多に利用者のいない其等を、以来貸出期限を目安にして交互に借り出していた。

 

周囲の級友達とでは無くて、再度会えるかも知らない彼女と話をする事ばかり夢想していた。

 

 

 

機会や必要性やらを度外視して、徒らに一つだけに熱中する、そんな何時も通りに従い、今日も自分は過ごしていた。

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