空の居場所   作:七九曜

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006-2008/06/02-何か嫌そうじゃないか…

婆ちゃんに言われた橋には、既に先客が餌遣りをしていた。彼女、西宮硝子は此方に気付く様子も無く、以前に見た時より疲れた表情を浮かべている。気儘に泳ぐ鯉達を視線で追い駆けている様だった。

えっ、此は…(困惑)。

まさか偶然に出会すとも思えない。

若しかして婆ちゃん、西宮さんに餌遣り頼んだの忘れて、自分にも依頼したのだろうか。

まあ、機会には変わりない訳で、ふいにする気は無い。

 

 

とは言え馬鹿な自分でも、行成聲を掛けるのは躊躇われた。幸い手元には餌が握られている。待てば其の内自然と話し掛ける切掛でも掴めるかと、取り敢えずは当初の目的通りに餌遣りをしつつ、様子を窺うに留める事にした。

普段餌遣りに訪れる人は珍しくないのか、隣に立っても彼女は一瞥すらしなかった。

手隙を誤魔化す様に、餌のパン屑を一摘み水面に落とす。釣られた何匹かが進路を変えて足下に寄ってくる。高が少しの餌に依って、人間に比べたら矮小とは言え、生命の意思を捻じ曲げた事実に、初々しい快感が湧く。妙なこそばゆさを満たそうと、今度は意図を持って餌を投げていく。

澄んだ川の中では、余っ程の入れ食い状態だったのか、水面に広がる波紋に次々と引き寄せられ、次第に自分の眼下には一大集団が出来上がった。

近所の兄ちゃん好みの表現を借りるなら、ハーレムと言えなくもない。まあ牡牝の知れない畜生の鯉だけど、一人胸の内で設定を盛り込む分には構うまい。西宮さんからの餌に集っていた集団からも尻軽な何匹かが加わって来ていた。其の所為で何か寝取りをしたみたいな変な気分になる。鯉相手だけど。

彼女等?を追い駆けている中で目に留めたらしく、西宮さんの目線が何時の間にか此方を捉えていた。耳が聞こえないらしい彼女に対し、先ずは視界的に疎通を図るのが無難であろうと軽く手を振り、此方に害意が無い事を伝える。

 

 

西宮さんは少し驚いた表情をして、でも其は直ぐに愛想笑いで塗り潰された。

能面の様な生気を感じさせない其の表情を、自分は嫌だと思った。だから其の仮面に罅でも入れて遣ろうと、少し悪戯をする事にした。

 

『キ、ミ、ノ、コ、イ、タ、チ、ネ、ト、ッ、テ、ヤ、ッ、タ、ゼ』

君の鯉達、寝取って、やったぜ(感無量)。

軽く鯉達に視線を投げ、其から満面の笑みを彼女に向ける。

流石に鯉みたいな頻度の低そうな一般名詞や、寝取るみたいな高等な専門的過ぎる単語は知らないので、代わりに指文字で伝える。

仮名四十八文字に対応した指文字は、通常人名を始めとする、多くの固有名詞等に使われるらしいが、まあ手話初心者だし多少はね?彼女にも無事伝わったみたいだし、平気平気(適当)。

 

 

彼女は再び驚いた顔をしたかと思うと、今度はムッとした表情を覗かせた。案外負けず嫌いらしい。膨らませた頰も可っ愛いと自分が惚けている内に、般若と化した少女は、慣れた手付きで餌を撒き、瞬く間に鯉達の統率に掛かる。一日の長の為せる迫真の妙技の前に、自分の抵抗虚しく、寝取った連中は疎か、密かに正室と決めていた鯉迄籠絡されてしまっていた。嗚呼酷い!

世間の巷で嘯かれる様な寝取られ快感何て、何処にも無かったんだよ(実体験)。

其でも、其の後此方に向けたドヤ顔は、生き生きとしていて可愛かった(小並感)。だから、哲学三信が一つ、仕方ないね♂の許容の心で受け止める事にした。

 

 

『今日は。自分、田中律蓮』

『今日は、私は西宮硝子です』

すっかり打ち解けた、もとい打ちのめされた所で、互いに自己紹介をする。勿論自分は彼女の名前を知ってはいるが、相手もそうとは限らない。

手話で対話が成立出来た事に、先程の仕打ちも大事な事を伝えるのも忘れて、糠喜びに浸りたくなる。サルゥでも出来る簡単な挨拶だと分かってはいても、二ヶ月間に渡る成果だと思えば頬を緩めずにはいられない。典型的な会話だけで発露した、興奮冷めやらぬ感情を抑えて、有耶無耶になってしまった以前の病院での事を改めて謝罪する。

『以前、病院、自分、過失。御免なさい』

何の事だよ?とか、誰だよ?とか、覚えていない趣旨の事を言われたら、暫く立ち直れない気がする。中々人の名前や顔を覚えらない事は母から散々注意されてきたが、其の真意を漸く身を以て実感出来た気がした。

抑々其以前に、手話初心者らしく意味不明如何云う意味?と返されないかを先ずは心配す可きだろうか。

 

『大丈夫大丈夫、気にしないで』

如何やら杞憂に済んだ様で良かった。

結構文法とか無視した、知っている単語を並べただけの出っ鱈目な手話だったが、無事伝わった事にホッとする。

『蓮君、手話出来るの?』

矢っ張り気になるらしい。大抵の人は出来無いもんね。後、蓮君呼び、何か擽ったい。

『自分、手話、勉強。ベ、ン、キ、ョ、ウ、チ、ュ、ウ』

少し戯けた表情も添えて返すと、西宮さん、思わずと言った様子で笑って見せた。

『如何して手話を勉強しているの?』

彼女からの問い掛けに、思わず握りしめた掌に汗が滲んだ。自分の本心を伝えたら、何の様な顔をされるかと思うと、心が騒ついた。だから自分は、普通の陳腐な言葉で誤魔化した。

 

 

『自分、貴女、一緒、会話、したい、から』

貴女と話が、したかったんだよ(純情)。

 

『自分、貴女、友達、大丈夫、か?』

自分も友達に入れてくれよ~(マジキチ1000%)。

 

多少のもどかしさと幾らかの達成感を感じるも、文字に起こせば高が二言程度でしかない。仮に少しばかりの単語と気持ちとが有れば、伝えられる言葉に過ぎない。

 

 

だから、目を見開くと言った西宮さんの反応の理由が、自分は瞬時には理解出来無かった。

西宮さんの頰を二筋涙が伝った。少し遅れて涙に気が付いた西宮さんは、慌てて目を擦る。

其の様子に、慌てんなよ慌てんなよと自分も慌ていた。

西宮さんが何を思って泣いたのかは、馬鹿な自分には分からない。精々が推測の域、仮定の域を抜け出せない。其でも、涙を流す以上は相応に傷付いたからである事は疑い様が無い。況して相手は女の子、平然としてはいられなかった。

 

 

じ、自分が悪いってのか…?自分は…自分は悪くねえぞ。だって婆ちゃんが西宮さんと引き合わせたんだ…そうだ、婆ちゃんが此処に行けって!

友達になりたい言ったら、西宮さんが泣き出す何て思わなかった。婆ちゃんも何も言わなかっただろっ!(責任転嫁)

自分は悪くねぇっ!自分は悪くねぇっ!

 

にしても、西宮さん。

……

……

………うん。そうか、泣く程自分と友達になるのが嫌なのか(絶望)。

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