休み明けの朝の教室はとある映画の話題で持ちきりとなっていた。まずその映画を見たかどうかという質問から始まり、続いて良かったシーンについて感想を述べ合うなど、みなが楽しそうに話をする姿があちらこちらで見受けられたのである。教室全体を包むその浮かれようはあたかもお祭りのようでさえあった。
そんな喧騒など自分には関係ないとでも言いたげに、梨花が授業の予習でもしようかとカバンから教材を取り出したその時…。
「ごきげんよう梨花さん」
「あ、冬子さん。ごきげんよう」
親友とも呼べる冬子に声を掛けられた梨花が教材をカバンに残したまま振り返ると、冬子は少々興奮した面持ちで他のクラスメイト同様に例の映画の話題を切り出した。
「ねぇねぇ梨花さん。梨花さんはあの映画御覧になって? わたくしとても感動してしまいましたの」
「えっ…? ええ、私もつい先日見に行きましたわ」
「まぁ! それならお話しできますわね」
花が咲いたようにパァッと笑顔を浮かべ嬉し気に話す冬子とは対照的に梨花は些か気の進まぬ表情を浮かべていた。なぜかと言えばそれはもちろん、梨花にとってその映画があまり琴線に触れなかったというのが大きな要因で…。
女学校を舞台にした少女同士の交流を描いた作品で、我が校に住まう一部の映画好きの方々は公開前から目を付けていたとのことだが、二人の少女が互いに友情では言い表せぬ感情を抱く描写が、なんとも美しく可憐であると評判になり、世間一般の売れ行きとは別として、この女学校においては一大ムーブメントなるものを巻き起こしていたのである。
しかし…。
(友情以上の感情だなんて。そんなのありえませんわ。たとえば私と冬子さんがそのような関係になるかしら? みなさん流されやすいんですから)
それほど流行になっているのなら、と意気込んで見に行った梨花の反応はこのように冷めたもので、冬子であれば自分と同じように批判的なレビューを行うやも、それどころか世俗的であるとしてばっさりと斬り捨てて見ることさえないのでは?と考えていたせいか、冬子がこんな風にはしゃいで話題を振って来るのは正直意外ですらあった。
内心では(まさかあの冬子さんまで…)と思いつつも、親友が楽しそうに話しているのを邪険にするような真似が出来ようはずもなく、そこは上流のお家に生まれ育った淑やかさを武器に、梨花は放課後まで冬子やクラスメイトとの映画歓談をこなしたのである。
そしてその帰り道。いつものように冬子と二人きりで道を歩いていると、冬子が突然「梨花さん、今度の休みの日、お時間ありまして?」と恥ずかし気に尋ねてきたので、梨花は気になってその理由を尋ねると、
「もしよろしければ二人でお出掛けしようかと思いまして。その…映画みたいにあちこちを巡って、
と言うので、梨花は少し考えてから「冬子さんがそう仰るのでしたら」と返事をすると冬子は桜色に染まった頬に手を当てながら喜んだ。
「まぁ! まぁまぁ! OKを頂けるとは思っていませんでしたの。梨花さんはクールなところがおありですから断られてしまうのではないかと、わたくし切り出すのが怖くて仕方なかったんですよ」
もちろん梨花としては映画の影響を受けて『デート』なるものに興味が沸いたというわけではないのだが、それは別にしてもここのところの忙しさでなかなか二人でお出掛けというものから遠ざかっていたのを思い出したのである。
「それでは今度のお休みは梨花さんと
(冬子さんのお言葉を借りるようですけど、きっと冬子さんとのお出掛けなら楽しいですし、それにこんなに喜んでいただけるなら私も嬉しいですわ)
梨花の横を歩く冬子は、その帰り道の間中「デート。デートですわ」としきりに呟いていました。
(少々早く着き過ぎたでしょうか? 冬子さんを待たせてはいけないと思ったのですが…)
待ち合わせ場所である駅の広場のベンチに腰掛けた梨花は、辺りをキョロキョロと見回しつつ腕時計を確認した。休みということもあって人通りは多く、繁華街へ向かって歩いていく人影の中には腕を組んで歩くカップルの姿も見える。自分の認識が間違っていなければ、まさしくあれはデートということになるのであろう。
(もう少しラフな格好の方が良かったかもしれませんね)
勉強がてらにぼんやりと眺めながらふとそういった考えが浮かんで自分の服を見直すと、今日の梨花のコーディネイトは母親に選んでもらったシックなワンピースを使用人にピシッと着せてもらったもので、友人とのお出掛けには少しばかり堅苦しいようにも思えた。その証拠に広場のベンチには不釣り合いな姿の御令嬢に、通行人たちは不思議そうな視線を投げかけて通り過ぎていく。幸い近くに交番があったおかげで変な男たちに声を掛けられずに済んだのは梨花にとっては喜ぶべき事であった。
しばらくそうしてベンチでお行儀よくしていると、遠くの方から「梨花さ~ん」と呼ぶ声がしてそちらを見てみれば、白のブラウスに淡い緑のカーディガンを羽織った冬子がこちらへと走って来る姿が。
「ごめんなさい、お待たせしてしまって」
「いいえ冬子さん。まだ待ち合わせ10分前よ。私が早く到着してしまっただけですわ」
「梨花さん腕時計をしてらっしゃるのね。装いもとても素敵ですし、もしかしたら殿方に声を掛けられたのではなくて?」
僅かに弾ませた息を整えながら、冬子は冗談めかしてそう言っては「ふふふ」と笑った。
「冬子さんこそ可愛らしい装いですわ。お洋服の色がウェーブの掛かった髪によくお似合いですこと」
「そう言って下さると一生懸命選んだ甲斐が有りますわ。梨花さんとのデートだと思って気合を入れましたの。少しでも綺麗な方が良いかと思いまして。それで昨日のうちに選んでおいたのですけど、いざ出掛けるという段階になったらまた迷ってしまって。それでつい時間がぎりぎりに…」
「まぁ、そうでしたの」
冬子がそんなにも真剣に今日のお出掛けに臨んでいたとは露とも知らず、ただ親の勧めに従って着せ替え人形のように着せられただけの自分を梨花は少々恥ずかしく思ってしまった。こんなことなら自分もそうすれば良かった、と。
「では参りましょうか梨花さん」
「ええ。でもどちらに?」
「ふふふ。映画を参考にコースを決めてみましたの。喜んでいただけるかは分かりませんがどうぞお付き合い下さいな」
「凄いですわ冬子さん」
思わず胸の前で手を合わせた梨花は感じ入るように「本当に…」と付け加えた。洋服といい、デートのコースといい、自分だけでなく相手を喜ばせようという意気込みが伝わってきて、心のどこか奥底で(デートなんて…)と冷めた感情を抱いていた事を申し訳なく思ったのである。
「さぁ、お手を。映画でもそうしていましたでしょう? だからわたくしたちも」
冬子の考えたデートコースはウインドウショッピングに始まり、美術鑑賞、レストランで昼食をした後は公園を散策とお嬢様らしいとても上品なもので、行き先自体はいつものお出掛けとそう変わらないものではあったが、手を繋ぐという行為一つでそれらが普段とはまるで違ったもののように感じられた。
「あっ! 梨花さん、あそこを御覧になって。ソフトクリームのお店が有りますわ」
「本当ですわね。せっかくですから買っていきましょうか」
「ええ! それがいいですわ。梨花さんはどの味がよろしいかしら? わたくし買ってまいりますわ」
そう言ってお財布を取り出した冬子は今にも駆けだしそうな勢いであった。
「冬子さんに使いっぱしりをさせるわけには…」
「もう、梨花さんったら。そういう意味ではありませんわ。よく殿方が女性にそうするでしょう? あれをしてみたいんですの。ですから梨花さんは近くのベンチで座って待っていて下さいね」
なるほど、と思った梨花の目の前で、今まさに冬子の言ったような事をカップルが行っているのが目に映った。ならばと冬子にプレーンな味のものを頼んだ梨花が指示通りにベンチに座ってその帰りを待っていると、ほどなくして両手にソフトクリームを持った冬子が戻ってきた。大事なそれを落とさぬよう
「あら? 冬子さんはチョコレート味ですのね」
「別の味にしたらお互いのを食べ比べ出来るのではと」
「それは妙案ですわ」
キラキラとした目で頷き合い、どちらともなしに目の前のソフトクリームを舐め始めた二人は「美味しい」と言葉を交わすと夢中で甘いデザートに舌鼓を打った。あっという間に3分の1ほど食べたあたりでいよいよ交換をすることにし、梨花は「それでは失礼して」と冬子に断りを入れてからスプーンをチョコレート味のソフトクリームに突き刺そうとした瞬間、冬子に止められてしまう。
「お待ちになって梨花さん」
「えっと…食べ比べをするのではなくて?」
「それはそうですけども…。デートなのですからスプーンを使うのではなく直接の方が…その…
「直接…ですか?」
「ええ」
「
「ええ、かぷっと」
冬子の驚くべき発言により、つい先程まで冬子の舌が触れていたソフトクリームを前に梨花は逡巡するはめになってしまった。相手である冬子が良いと言っているのだから問題はないのだが、お嬢様である梨花にとっては人前でそうするのは勇気のいる行為であった。「で、では…」と呟き意を決した梨花がチョコ味のソフトクリームを僅かに口に含むと、口の中いっぱいに濃厚な味わいが広がってゆく。
しかし梨花の関心は残念ながらその味についてではなく、今しがた自分が口を付けたソフトクリームへと。両の眼が釘付けとなりしそれには、ぽっかりと小さなクレーターが空いていたのである。自分が冬子のものを食べたという証が残されたようで梨花にはそれが気恥ずかしく感じられたのだが、一方の冬子はこれまた嬉しそうに目を輝かせクレーターを眺めて笑った。
「次はわたくしの番ですわね」
緩やかな曲線を描く髪が汚れぬようにと髪を手で押さえつつ、冬子が梨花のソフトクリームにかぶりつく。すると先程と同様に梨花のソフトクリームにもお揃いのクレーターが出来上がった。
「お味はいかがですか冬子さん?」
「ん~。やはりプレーンなものも美味しいですわ」
表面上はそう問いかけつつも梨花の関心はやはり味ではなくそのクレーターへと注がれて…。
(どうしましょう。冬子さんがお食べになった部分に、また私が口を付けてもよいのでしょうか?)
再び熟慮を求められた梨花が様子を窺うようにチラリと冬子の方を覗くと、不意に冬子と目が合った。冬子は冬子で梨花から視線を外してしばしの間自分のソフトクリームに刻まれたクレーターを見つめると、「えいっ」という声が聞こえてきそうな勢いで、梨花の付けたクレーターをなぞるように可愛らしい舌をちろりと這わせたのである。
その瞬間、梨花のふっくらとした唇からは「あっ…」という呟きが漏れ、それに少し遅れて、梨花は自分でも気付かぬうちに唾液を飲み込んでいた。見られていた事に気付いた冬子が抗議の眼差しを向けながら「嫌だわ梨花さんったら。わたくし恥ずかしいですわ」と頬を染めたものだから、梨花は思わず「ごめんなさい冬子さん」と謝罪をすると共に、パッと顔を背けたのである。
そのようにしたのは恥じらいからだけだろうか?と梨花が胸の内に尋ねれば、手に伝わりし胸の高鳴り。ただ一つそれこそが答えであった。
自らに起こり得た変化に戸惑いつつ梨花がソフトクリームに舌を伸ばすと、お返しとばかりにじぃっと冬子に見つめられ、梨花は自分でも耳の先まで赤くなっていくのを感じつつ2度、3度と舌でクリームを掬った。
「まぁ梨花さんたら。お耳まで真っ赤ですわ。ふふふ、クールな梨花さんにも弱点はありましたのね」
「どうかお許しになって冬子さん。本当に…恥ずかしいんですの」
なおもじぃっと見つめられ梨花がとうとう降参すると、冬子は悪戯っぽい笑みを浮かべ梨花にお願いをした。
「あの~梨花さん。よろしければもう一口プレーンを頂いてもよろしいでしょうか?」
「こちらの味、お気に召しましたの?」
「ええ。それと…」
「それと?」
「両方を一度に口に含んで食べたら、より一層美味しいのではないかと思ったのです」
「確かにそれは試してみる価値があるかもしれませんわ。片方の味だけでも美味しいんですもの。きっと冬子さんの予想は当たっていますわ」
賛同した梨花が自分の分を差し出すと、冬子はまず自分のチョコ味を口に含んでから、再び梨花のソフトクリームへと口を付けた。少し食べづらそうに「んっ…」と漏れた吐息と共に冬子の唇が離れると、梨花のソフトクリームには冬子のチョコ味のクリームが混ざり合い、艶やかなコントラストが描き出されていた。
「ご、ごめんなさい梨花さん。わたくしったら。順番を逆にすれば良かったのに…」
「謝らないでくださいな。それよりお味はいかがでしたの?」
「ええ、味の方はとても素晴らしかったですわ」
「なら私も」
梨花もまた自分の味を口に含んでから冬子のチョコ味に口を付けたものだから、冬子のソフトクリームも白と茶のマーブル模様で彩られた。
「まぁ! 梨花さんたらわざとですのね」
「ふふふ。気付かれてしまいましたか?」
本当は気恥ずかしさで味なんてよく分からなかったものの、ひとしきり冬子と笑い合うと、梨花はふと真面目な表情をして冬子に話し掛けた。
「今日は誘って下さってありがとう。私、とても楽しかったですわ」
「そんな…。お礼を言うのはわたくしの方ですわ。梨花さんが来て下さらなかったら、きっと一人でいつも通りの休日を過ごしていましたもの」
「いいえ、そうではなくて…。実は私、あの映画あまり好みではなかったんですの。女の子同士での…その…気持ちとか…よく分からなくて。でもクラスの皆さんが楽しそうにお話になるでしょう? それに冬子さんまで。だからお話を合わせていましたの」
「まぁ、ごめんなさい梨花さん。わたくし、てっきり梨花さんもあの映画に感動したのかと思って、それで」
「そんな顔をしないで冬子さん。私が言いたいのは…えっと………。こうして冬子さんと街を歩いたり、ソフトクリームを食べたりして、少しだけですけれどあの映画の事が分かったような気がしましたの。ほんの…ほんの少しだけ」
「梨花さん…」
「なんだか告白のようでドキドキしてしまいました」
照れ隠しにポッと朱に染め上がった顔へパタパタと風を送った梨花は、白と茶の境界線がすっかり溶けたソフトクリームに口を付けると、冬子も同様に自分のものを口に運び、二人は食べ終わるまで無言で黙々と口を動かしたのです。
そして…。陽が落ちた街を駅に向かって言葉少なに歩く梨花の手の先には、冬子の手がしっかりと繋がれていました。何を言うでもなく歩く最中(さなか)冬子に手を握られてそのままに、梨花はそっとそれを握り返し歩いてきたのです。
「もう…駅に着いてしまいましたね」
「そうですわね。冬子さんは家の方がお迎えに来るのでしょう?」
「ええ、迎えの車を出すとお父様が仰っていました」
ベンチに腰掛け駅へと吸い込まれていく人々をぼんやりと見つめながら、二人はポツリポツリと言葉を交わしていました。繋いだ手は人から見えぬように二人の身体の間にそっと忍び込ませていたので、夕方の風に吹かれても温もりが失われるようなことはなく、いつまでも温かいそれは、二人の心のようでもありました。
「あの…あのね梨花さん。もし、もし梨花さんがよろしければ…また…わたくしと━━━」
「━━━冬子さん」
「は、はいっ」
「冬子さんさえよろしければ…今度…私と
「えっ?」
「今見たら違う感想を抱くのではないかと思っておりますの。今の…私なら。ですからその…言い方を変えればこれは…えっと、私から冬子さんへの
消え入りそうな声で梨花がそう誘うと、夕暮れの広場に冬子の「まぁ! まぁ!」という喜びの声が、大きく、大きく響き渡ったのでした。