藤ノ花ヨリ仰ギ見テ【終】   作:クラトス@百合好き

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永遠の従者(前編)

「ねぇあなた、髪飾りを落としたわ」

 

 森の長命種族たるエルフが振り返るとそこには幼い少女が佇んでいました。年の頃は7、8といったところでしょうか? ここはエルフの森に少し分け入った場所で、本来であれば人間の少女が来れるはずありません。しかしどういったわけか少女は手に持った髪飾りを掲げてニコニコと笑っているのです。

 

 幼さゆえの純粋さが森の精霊の導きを感じ取ったのか? はたまた触れた髪飾りの加護か?

 

 いずれかは分かりませんがとにかく少女はそこにいるのです。小さな手の平にちょこんと髪飾りを乗せたままで。だけども彼女がちっともそれを受け取らないものだから少女は不思議そうな顔をして、首を傾げました。

 

「あなたのものではないの?」

「私のものですよ。でも…親切なお嬢さんにプレゼントしたくなってしまいました。受け取ってくれますか?」

「ええっ!? こんな美しい髪飾り、見たことないわ。本当に私が貰ってもいいの? 本当に本当? あとで返せと言われても嫌よ」

「ええ、差し上げましょう」

「やったぁ! ありがとう。えっと…。お姉様、お名前は?」

 

 髪飾りを貰った恩からか急にお姉様などと改まって呼ぶ少女の様子が面白くてエルフは笑いました。けれど困ったことにエルフの名前は人間には上手く発音出来ないのです。伝えようにもどうしたものか。少しの間思い悩んでからエルフは少女にこう告げました。

 

「森の御方と呼びなさい」

「もりの…おんかた? 変なの。ちっとも名前らしくないわ。わたしはララというの。どう? わたしの名前のほうがずっと可愛らしいでしょう?」

 

 エルフが名乗ったのは本当の名ではなく敬称のようなものですが、少女には上手く伝わらなかったらしく、親から貰った名を自慢するかのようにその場でくるりくるりと回りながら無邪気に笑います。

 

「また遊びに来るといい。この森のことは私には何でも分かるから、あなたが来たらすぐに姿を現しましょう」

「ええ。だってここの辺りとっても心地がいいんですもの。必ず、必ず来るわ」

 

 少女を森の入り口まで送ったエルフは果たしてあのララが再び来るだろうか?とぼんやり考えていました。森へ入れたのは何かの偶然で、明日になれば、魔法が解けてしまうのではないか、と。

 

 そうなればこの閉ざされた森へ入ることは叶うまい。久方ぶりの人間との会話に舞い上がったのか我ながら似つかわしくないことをしたものだ。あの髪飾りは高価な品ではないが、少々惜しいことをしたか。

 

 柔らかな木洩れ日を手で遮りながらエルフは自嘲気味に肩を竦めました。

 

 その翌日、驚いたことに少女は再び森を訪れました。プレゼントした髪飾りは糸を結び、首から下げてやってきたのです。これでは髪飾りではなく首飾りだとエルフは指摘しましたが、「大切なものだから失くさないためよ」と少女は胸を張って答えました。

 

 次の日も、そのまた次の日も少女は森へとやってきます。それからも毎日とはいかずとも通い詰めるので、エルフは不思議で仕方ありませんでした。

 

 人間にとってこの森は楽しい場所なのだろうか? 街へ行けばあの年頃の少女ならばもっと楽しいことがあるのではないか?と。

 

 あまりにも少女が熱心なのである日エルフは言いました。

 

「髪飾りのお礼であればもう充分に受け取ったよ」

 

 言外に、無理にここへ来る必要はないのだというニュアンスを込めながら…。

 

 少女は首を振って否定しました。

 

「違うわ。わたしは森の御方といるのが楽しいからここへ来ているの。森の御方はわたしが来るの…迷惑?」

「そんなことはないよララ。私も君が来てくれて嬉しいよ」

「なら、私に奉公をさせてくれませんか?」

「私に仕えたいと?」

「森の御方は高貴なお生まれなのでしょう? 私、頭はよくないけどそれくらいのことは理解できるつもりよ。雰囲気とか立ち居振る舞い、それにその宝石のような美貌も。きっと殿方が見たらみな夢中になるわ。いいえ、女性であったって」

 

 サッと頬を染めたララは重ねるように「見惚れてしまうわ」と小さな声で呟きました。

 

 そう、エルフは血筋を遡れば王女の血を引く一族に生まれた特別な者であったのです。しかし王女の跡継ぎ争いに嫌気がさして集落を離れると、ただ一人この森にて静かに過ごしておりました。本来であれば大勢いるはずの世話人さえも近くに置かず、時折━━━と言っても数百年に一度あるかないかですが、尋ねてくる旧友と会うのが唯一の慰めという有様で、それは世捨て人同然の暮らしと言えました。

 

 そんな日々を尽きることのない悠久の時の中で森の御方は過ごしておられたのです。ララがこうして毎日のように足繁く通うのは、そんなエルフに惹かれてのことでした。

 

 従者を得ようなどとは考えたこともなかったが、従者になりたいなどという言葉がまさか人間の少女の口から発せられようとは…。これには流石にエルフも驚きました。けれど少女の頭に手を乗せ、数分ほど目を閉じると、意を決します。

 

「今日も首飾りを持っているね。出しなさい」

「はい、森の御方」

「本当に私の従者になってもいいんだね?」

「どうか願いを聞いて下さりますように」

「分かった。首飾りを掲げたままでいるんだよ」

 

 覚悟を尋ねる声は凍えるような冬を連想させる冷たく澄んだトーンの旋律に凛とした厳しさを秘めていて、彼女を知らぬ者であればすぐさまに地面に頭を投げ出して平伏してしまいそうでしたが、ララにはそれが暖かい春風の如く感じられ、頭上から降り注いだのでした。

 

 こうして少女の望みを受け入れたエルフが髪飾りに祝福の言葉を囁くと、どうしたことか、髪飾りがボゥッと蛍のように瞬いたのです。そしてそれが終わると髪飾りには光る青白い文字でなにやら文字が書かれておりました。

 

「これで君は私の従者となった。髪飾りはその証となるものだ。決して失くしてはいけないよ」

「感謝致します。あの…どうお呼びすれば? 今まで通り森の御方と?」

「ああ、そうしてくれ。私の可愛い従者。君が私にとって、最初で最後の従者となるだろうね」

「光栄で御座います」

 

 ララはスカートの裾を摘まんで出来得る限り恭しく挨拶をすると、エルフは目を細め「どこでそんな仕草を覚えたんだい?」とからかいました。

 

 

 

 

 

 

 それからというもの、エルフは少女を慈しみ、また、少女はエルフに尽くしました。あの静かだった森に、少女の笑い声だけでなくエルフの声も響き渡るようになったのです。森は輝きを放ち、以前にも増して鳥や鹿といった動物が訪れ賑やかになりました。

 

 けれど時の進むのは残酷な事で御座います。少女にとっての1日は、1月は、1年は…永遠を生きるエルフにとってほんの僅かな時間でしかありません。日々を大切に過ごしていた二人ですが、少女が12歳になった頃から徐々に森の浅いところまでしか来れないようになり始めたのです。なんなく森の奥へと分け入っていたのが嘘のように不安そうに辺りを見回す時には、エルフが道標(みちしるべ)となってやると、迷子になった幼子が母を見つけた時のように少女はパァッと顔を輝かせました。

 

 少女が14歳になると、いよいよエルフの森の入り口の辺りまでしか来れなくなりました。それでもエルフが迎えに行ってその手を引いてやることで、どうにかこうにか二人の日々は続いていました。

 

 決して、ララが森の御方への忠義を失ったわけではありません。奉公を誓ったあの日から変わることなくエルフを慕い、毎日のように森に来ては「森の御方、ララが参りました」と慎ましく挨拶をするのです。全ては少女が成長し、森の精霊の導きが聞こえにくくなった所為でした。そう、あの日少女が森に分け入れたのは幼さゆえのこと。決して髪飾りの加護などではなかったのです。

 

「ああ、人間の寿命は短すぎる。こんなことならば従者にするのではなかった。楽しい日々など知らなければ良かった」

 

 エルフは少女を見送るたびに、一人嘆き悲しみました。少女の存在はいつの間にか、彼女にとってなくてはならない存在へと変わっていたのです。しかしどれだけ嘆こうとも、少女の時間は手から砂が零れ落ちるように、1日、また1日と失われていきました。少女の年齢から考えれば、森で一緒に過ごしていることすら本当に奇跡と呼べるほどで、それは偏(ひとえ)にララが森の御方へ向ける想いの純粋さゆえに許された、か細い糸の上にかろうじて立っているような、尊い1日の連続でありました。

 

 少女が美しい乙女へと成長したある日、エルフは別れを告げることに決めました。ララは16歳となっていたのです。

 

「ララ、よく聞いておくれ。私に仕えるのは今日で最後にしなさい」

 

 それを聞いた乙女は「森の御方…」と呟くと、そっと手で顔を覆い隠し、瞼を震わせました。乙女もエルフと同じように、別れの時が近付いているのを感じ取っていたのです。だからこそ敬愛する主人を困らせぬよう、何を言うでもなく静かに涙を零しつつ、その言葉を受け止めようと努力しました。ですがどうしても哀しみを抑えきれず、乙女がふらりとよろけると、こちらも我慢出来なくなって思わず両手を広げたエルフの胸元に、ひしと抱きついたので御座います。

 

「今までよく仕えてくれたね。私は君を随分と長いこと森に閉じ込めてしまった。これからは人間の世で生き、幸せになるのだよ」

「ああ、森の御方。あなたに会えたことは私にとって何物にも勝る宝物でした」

「私もだ。さぁ行きなさい」

 

 エルフに背中を押され一度は歩き出したものの、乙女はちらと後ろを振り返り掠れた声で尋ねました。

 

「やはり…もう二度とお目にかかれる日はないのでしょうか?」

「もし…もし君の命が終わろうという時になっても、それでもなお私の従者であることを心に留めておいてくれたならば、その時は君をこの森に連れて来よう」

「約束ですよ。この髪飾りに誓って私は森の御方をお待ち申し上げます」

「分かった。約束を違えはしない。だからもう…」

「さようなら! さようなら私の大切な人」

「行け…行くんだララ。森に近寄ってはいけないよ。きっと私は迷い出てしまうから」

 

 遠ざかる乙女の背中に戒めの言葉を叫ぶエルフの頬にも煌めく幾筋もの痕が残されていました。

 

 かくて別れしエルフと少女。こうも儚く無限と有限に引き裂かれようとは、出会いし頃には露程も思わぬものを━━━。

 

 

~~~後編へ続く~~~

 

 

 

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