「どうかしら? お父様、お母様」
「まぁ…素敵だわララ。これならきっと素敵な殿方の目に留まるでしょう。ねぇあなた」
「そうだな」
森に出掛けてばかりで碌に友人も作らずにいた愛娘が、どうしたことか急に森へ行くことをやめただけでなく、おしゃれをし、その美しい顔を彩る様子に、娘の行く末を心配していた両親は大いに喜びました。それこそ何かに取り憑かれたかのように森へと通い詰めていたわけですから当然ではありましたが、ララはこれほどまでに両親を苦悩させていたのかと、少々悔い改めもしたのです。
さて、年頃の美しい娘、それに加えて森の御方と過ごしていたおかげか、どことなく気品に満ち溢れた優雅な振る舞いを身につけた乙女ともなればあちこちから婚姻の話が来てもおかしくはないのですが…。「これもやはり森通いのせいだろうか」と肩を落とす両親。ララの元に持ち掛けられた縁談はあまり多くはなかったのです。
そんな中で目を引いたのは近くに住む同じ年頃の青年ジョンでした。親の代から知り合いであったこともあり、ジョンはララについてよく知っておりました。森に通っていることはもちろんのこと、透き通るような純粋な心の持ち主であることも。決して悪い少女ではないことを知っていて、幼い頃から密かに想いを寄せていたのであります。性格も穏やかで優しく伴侶とするにはこういった男の方が良かろうと、ララの両親はジョンを勧めることにいたしました。
ララも当然ジョンについては知っていましたので、話はとんとん拍子に進み、ほどなく結婚へと至ったのです。
村を挙げての結婚式が盛大に行われ、みなからの祝福を受けつつ、二人は夫婦となりました。
やがて二人の間には娘が生まれました。それから少し年を挟んで今度は息子が。結局ララは3男2女の子宝に恵まれ、両親の手助けはあったものの毎日が大忙し。上の子に行儀が悪いと叱ったすぐ後で、一番下の子に乳をやり、次はみんなの分の食事作り。目の回るような日々でしたが、優しい夫の気遣いもあり、辛くはありませんでした。
一番上の娘が物心ついた頃、母親にこう尋ねます。
「ママが胸から下げてるのはなあに? 髪飾り? ママはいつもそれを大事そうに持ってるのね」
そう、ララの胸元には
ただ…そのことをそのまま伝えるわけにもいきません。両親や夫であるジョンに説明した時と同様に「とても大切な品なの。命と同じくらい大切な…」と優しく説きましたが、何事も知りたい盛りの娘は納得してくれず、なおも追及します。
「それってどれくらい? パパや私たちよりも大切なの?」
子供ゆえの純粋さでしょうか? 思わず返事に詰まったララは「あまりママを困らせないで頂戴。みんなの方が大切よ」と答えるほかありませんでした。
それから子供たちは成長し、とうとう嫁に行った一番上の娘に子供が生まれました。ララはおばあちゃんとなったのです。ジョンと共に祝いに訪れた二人の喜びようは大変なものでありました。その後も息子夫婦、さらにその下の子供たちと孫の誕生が続き、ララたちの家系図は、それは見事な大樹の如き賑やかさに。ララの幸せに包まれた人生でありました。もちろんその胸元に髪飾りが輝いていたことは、説明するまでもないでしょう。
そして月日が流れ、夫であるジョンも亡くなった頃、時の流れはまたしても老婆となったララに試練を与えたのです。それはそれは残酷な試練で御座いました。
木が枯れていくようにすっかりと痩せ細り、その命を終えようとしていたララは、一日中ぼうっとベッドの上で過ごすことが多くなっていました。記憶も覚束なくなり、物を置いた場所を忘れたりすることもしばしば…。でもそれだけならまだ良かったのです。救いがあったのです。
何よりも残酷なことは、あの森の御方との思い出が薄れていくことでした。髪飾りを握りしめ、必死に思い出そうとしますが、上手くいきません。どれだけ念じようともぼんやりとした姿しか━━━それはあたかも森に立ち込める霧に包まれたシルエットのような姿しか浮かんでこないのです。日に日に薄れていく記憶に怖れを抱く日々。ついにララは、自分がどうして髪飾りを大切にしているのかさえも忘れてしまいました。
ふと手を広げると、そこには髪飾りがあるのです。しかし誰から貰ったのか、何の意味があるのか、分からないのです。それでも老婆は髪飾りを手放そうとはしませんでした。子供の時と変わらずにそっと握りしめ、愛おしそうに頬ずりしては首にそれをぶら下げます。それから何かを追い求めるように森を眺め…眠りにつきました。
いよいよ最後が近付いてきたと感じ取った家族たちは、ララの家に集い最後を看取ろうとします。
ある晩のことでした。月が普段よりも大きく見える不思議な夜。森の方がザアァッとざわめいたかと思うと、ララの家の前に一人の尋ね人がやって来たのです。華奢な身体つきをしていて顔が見えないようにフードを深く被っていました。
「ララに会わせていただけませんか? 私は彼女の古くからの知り合いです」
家族たちは首を傾げました。フードを外したその姿はどう見ても20歳かそこら。とても老婆の知り合いとは思えません。最初は悪ふざけか何かと考えた家族たちですが、その女性があまりにも熱心に頼むものだから、根負けして会わせることにいたしました。
「お嬢さん…どうぞ。ただ、お婆様は少し記憶が覚束なくてね。あんたの事が分からなくても許しておくれよ。ほら、そこのベッドだ」
男に案内されベッドの脇に立った女性━━━エルフは呼びかけます。
「私にとっては短い間だったが、君にとっては長い…それはそれは長い間だったろうね。あの日の約束のために私は来たよ」
身体を起こす際に首から下げられた髪飾りが揺れたのを見て、エルフは目を細めました。懐かしいものを見た時のような、それか思いがけぬ幸運が訪れた時のような、何とも言い表せない表情を浮かべながら。
「さぁ返事を聞かせておくれ」
「あっ…えっと…私…」
老婆はエルフが誰か分からぬようで、しきりに頭を掻きむしりますが、なかなか言葉が出てきません。案内をした男がため息をつき「悪いねお嬢さん」とエルフを部屋から出そうとしたその時…。
「まっ…待っておくれ。少し…少しだけ、この人を…そのままに」
驚く男でしたが「まぁお婆様がそう言うんなら」と部屋を離れることにしました。
「髪…飾り。森で…拾って…それで、それで…」
エルフは老婆を優しい目で見つめこそすれ、ヒントの類は一切言おうとしないのです。ララが自らの意志で示すこと、そうでなくては約束が果たされたとは言えない、そう考えてのことでした。エルフとて本心では言いたかったはずです。「お前は私の従者だよ」と。けれどそれは出来ないのです。エルフに出来るのはただ待つことだけ…。
真っ暗闇の中で老婆が記憶の糸を手繰り寄せようとすると、か細い糸は僅かも引かぬうちにプツッと途切れてしまいました。諦めずにもう一度引きますが再びあっさりと切れてしまいます。なにせ辺りは真っ暗なものですから、注意深く目を凝らさないと、糸の端さえ見つかりません。地面に手を伸ばしようやく見つけた糸の端。見るからに頼りなさそうなそれを老婆は無言で引くのです。
途切れた糸を繋ぐのは、あの時と━━━出会った8歳の頃と何一つ変わらぬエルフの姿でした。見上げた先に映る金色の髪。宝石のような美貌。凛とした張りのある声。全てあの時のまま。ほんの僅かに引いては途切れ、途切れれば繋ぎ、また引いて…。そうして幾度も幾度も糸を紡ぎながら老婆は必死に手繰り寄せたのです。糸の先に結ばれた光を取り戻すために。
やがて………。
「森の…御方。森の御方! ああ、私はどうして忘れていたのでしょう。あの輝くような日々。いつも私の隣にはあなたがいた。あれほど呼んだ名。出会った時のまま…美しいあなたの顔。ずっと…ずっと…想っておりましたのに…」
しゃがれた声でゆっくりとではありましたが、老婆は懐かしいその名を口にしました。後から続く言葉は徐々に張りを持ち始め、まるでいくらか若返ったようにも聞こえます。
ララは心の内であの頃に戻っていたのです。
踏みしめる落ち葉の音。踏んだ枝の折れる乾いた音。雨が降った次の日の湿った土や木の匂い。紅葉した葉の色。雪が降る寒い日に木々に出来たつららの風景。春も、夏も、秋も、冬も。一年中を過ごした森の景色が色鮮やかに思い起こされ、その双眸からは自然と涙が零れ落ちました。
「ララ。君は何者だ?」
「私は従者で御座います。
「君は何を望む?」
「あの日の続きを…。あなた様の傍に…」
老婆は皺だらけの手を━━━枯れ木の枝のように細った手をそっとエルフに差し出しました。エルフはその手を取り「分かった」とだけ呟くと老婆を抱きかかえ部屋を出て行こうとしますが、当然家族たちは反対します。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。どこへ━━━」
「━━━森へ行くのです。どうか私の最後の頼みと思って許して頂戴。娘よ、息子よ、孫よ。我儘を許して…」
老婆が自らそう言っても家族たちは次々と口を開きます。
「お母様」「おばあちゃま、森へ行くの?」「待ってください。どうか考え直して」「なぜだい母さん」
掛けられる言葉は引き留めようとするものばかり。年寄りを迷惑だからとどこかへやろうとする者など一人もおりません。みなララが慈しみを持って育てた子であり孫。誰しもがララを慕っているのです。老婆はそんな家族たち一人一人に声を掛け説得をしました。壮年の男も、何人もの子を産んだ女も、老婆の前では一人の子供へと立ち返り声を上げて泣きました。みなが納得し、ようやく家を出たエルフと老婆の後を、それでも心配だからと家族総出で森の方へと付き添っていきます。そして二人が森へ分け入ると、少し進んだのみであるにもかかわらず、二人の姿はスゥッと消え、姿が見えなくなりました。
その中でたった一人だけ━━━最も年下の孫でララの血を濃く受け継いだ少女だけが森へと飛び込んだのです。もちろん他の者にはすぐにその姿は見えなくなりました。神隠しにでもあったかのように、ある程度奥まで入ると忽然と姿が消えるのです。
「おばあちゃま。おばあちゃま!」
「おお、ライラ。お前はおばあちゃんによく似ているねぇ。まさか森に入れるなんて」
「ねぇ私も連れていって。やっぱりおばあちゃまと一緒がいいの」
じゃれるようにエルフの周りを跳ねる少女は、在りし日のララにそっくりで、純粋な目で二人を見上げては笑いました。
「ライラ。連れていってはあげられないけど良いものをあげよう。手を出してごらん」
「はいっ! おばあちゃま」
視線を送りエルフと頷き合った老婆は、胸に下げた髪飾りを取り外すと、そっと少女の手に置いてあげたのです。
「わぁ! これっていつもおばあちゃまが大切にしてた髪飾り! これを私にくれるの?」
「これを私だと思って大事にしておくれ。パパやママの言うことをよく聞くんだよ。いいね?」
「はい、おばあちゃま」
「さぁ、もうお帰り。来た道を辿って帰りなさい。ああ、そうだ。良い子だライラ。歩くのが上手だねぇ。私も幼い頃はああやって森を歩けたものだ。それこそ目を瞑っていたって…」
幼い孫の背を見つめ、老婆は涙ぐみました。
「では帰ろうか、森の家へ。二人で過ごしたあの家に」
「ええ、森の御方。最後のその時まで…あなたにお仕えします」
それは森の精霊が見せた幻影か。エルフの手に抱かれたララの姿は8歳の少女の姿で御座いました…。
エルフに仕えた少女ララ。彼女のお墓は今日も木洩れ日に照らされ静かに佇んでします。エルフの家のすぐ傍で、森の御方に寄り添うように。その墓碑にはこう刻まれておりました。
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