ベランダで煙草を吸いながら俺はあることを思った。もうすぐ七夕だと……。
「今年の七夕は千聖の所で過ごすか。しかし、願い事が浮かばんな」
七夕といえば願い事だ。短冊に書く願い事、表面上では普通の願い事だが、本当の願い事は心の中で願うもの。そもそも俺の願い事は千聖には言えない、知られたらマズい。
とりあえず願い事は置いておくか。煙草を灰皿に押し付けて消し、部屋に戻る。アールとグレイを飼い始めてから、俺は部屋で煙草を吸わなくなった。ハムスターのいる部屋で煙草は厳禁だ。禁煙も考えないと駄目だな。
「千聖の願い事が気になるが、聞かない方ががいいな」
俺は願い事が浮かばないと言った。だが、本当はあるんだ。その願い事は叶えていいものなのか、その願い事は俺と″あいつ″にとって良いものなのか。考えれば考える程気持ち悪くなる。吐き気がする。
この願い事が叶うとどうなる?地獄に落ちるか、全てが変わるか?そんなことは誰にも分からない。
――俺にも……″あいつ″にも……。
「灰皿洗わないと駄目だな。あと、アールとグレイに餌をやらないと……」
止めよう、今は止めるんだ。ここであのことを考えていたら吐いちまう。明日も仕事なんだ、授業中に何かあったらマズい。餌をあげたら寝よう。
――七夕の事は千聖と話せばいいんだ。
▼▼▼▼
一日の仕事を終え、私と彩ちゃんは控室に入った。彩ちゃんは控え室に入った途端、椅子に座って机に突っ伏した。今日の仕事はグラビア撮影だったから、疲れるのも無理はないわね。
「そういえば千聖ちゃん、七夕の日はどうするの?」
「どうするって、何のことかしら?」
「何のことって……二ノ宮先生だよ。先生と一緒に過ごすのかってことだよ」
「今年は私の家で七夕を迎えるって千秋が話したから、既に決まってるわ」
私が彩ちゃんに話すと、彼女は口元を緩ませてニヤニヤし始めた。彩ちゃん、楽しんでるわね。私と千秋の恋を応援するって言ってるけど、本当かしら?
千秋が私の家で七夕を過ごすと言ったのはさっきの昼休憩だ。それもメールで送ってくるという。私は嬉しさのあまり、すぐ決めた。千秋からはわかった、ありがとうって返事を返すのはいいけど、顔文字を付けるのはどうかと思う。顔文字付きの返事を見た時は吹いちゃったわ。
「すぐ決めるなんて、千聖ちゃん二ノ宮先生好きなんだね」
「ええ、好きよ。一緒に過ごすって来たらすぐ決めるのは当然よ」
「私やパスパレの皆がいても名前で呼ぶんだね」
「今更隠しても仕方ないわよ。変な気を遣わなくて済むから、むしろ楽よ」
千秋のことを隠さなくなってから気が楽になった。余計な気を遣わずに済むし、気まずいということも無い。それどころか、雰囲気が明るくなっている。
スタッフの人からも明るくなりましたねと言われたり、ドラマや映画で共演した人からも凛々しくなったや変わったねと言われることが多くなった。恋は人を変えるというのは本当なのね。
「そろそろ時間ね。じゃあ彩ちゃん、先に上がるわね」
「うん、お疲れ様。千聖ちゃん、バイバイ」
「バイバイ、また明日ね」
私と彩ちゃんは手を振りながら別れた。外はまだ明るい、千秋に迎えを頼まなくても大丈夫ね。
家に着いた後、私は夕飯とお風呂を済ませた。お母さんとお父さんには七夕の日に千秋が来ることは伝えたけど、あの反応は引いた。千秋君と結婚しないのとか、早く二人の子供が見たいなんて言われるし、妹からは告白しないと取られちゃうよまで言われた。
「あんなに言われるなんて……
七夕のことはさっきメールで話し合ったからいいかしら。電話しようと思ったけど、今日はやめよう。
明日も仕事何だから、早めに寝よう。仕事が終わったら千秋が来るんだ。それで短冊に願い事を書いて、お願いをして、それから……。
▼▼▼▼
七夕当日、俺は早めに千聖の家に向かうことにした。千聖の親御さんには言ってないが、その時は説明するか。
「アール、グレイ。留守番頼んだぞ、行ってきます」
鍵を掛け、時間を確認する。9時か、まだ早いかもしれないが、仕事を終えた千聖を迎えたいんだ。俺は仕事は休みでも、千聖は仕事はある。働いた奴を労ってやりたい。俺はそれをしたいがために早めに出掛けることにした。
車で行ってもいいが、今日は歩きで行こう。運動しておかないと体が鈍っちまう。鈍ったら千聖から弛んでると言われ、ストレッチ三昧の日々に変わる。それをされたら耐えられないな。
「着いたのはいいが……千聖いないよな?」
「千聖ならお仕事ですよ?」
「っ!?その声は……楓さんですね?」
「はい、千聖の母の楓ですよ」
千聖の家に着くと、後ろから女性に声を掛けられた。千聖の母、白鷺楓さんだ。俺がここに来ることを知っているということは、伝えたということか。
しかし楓さん、昔と変わらないな。千聖の家庭教師をしていた時と比べてると少し年を取ったか?
「千秋君、今酷い事を考えてなかったかしら?」
「い、いえ!何も考えてません!」
「そう?聞かないことにしておくけど、年を取ったな、なんて考えない方がいいわよ?」
バレてるじゃねえかよ。心を読まれてるみたいで怖いな。歳のことは考えない方がいい、このままだと命が危ない。俺は楓さんの歳を考えないようにした。
「俺がここに来ることは千聖から聞いたんですか?」
「いいえ、千聖が笑顔で千秋君がこっちに来るって言ってたわ」
「そうでしたか。千聖が楽しそうにしているなら何よりです」
「さぁ、上がって!千聖はお昼には戻ってくるから、迎えてあげてね」
俺は楓さんに言われ、千聖の家に上がった。久しぶりだ、千聖の家に来るのは2年ぶりか。あの時は千聖が中学3年だったか。俺があいつの家庭教師をしていた時期だ。まだ教師になる前だったか、懐かしいな。
昔のことを懐かしんでいると、胸がズキズキしてきた。またか、思い出してはいけないのに、思い出してしまう。あの後悔を……あの地獄を……。
「ここであのことを思い出しても……どうしようもないのにな」
――やめよう、今日は大事な日だ。今日は千聖と七夕を迎えるって決めたんだ。
▼▼▼▼
午前の仕事を終え、私は早足で自宅へ向かった。今日は千秋と七夕を過ごす、どんな1日になるのか、千秋はどんなお願いをするのか、考えているとスキップしてしまう。私らしくないわね。
「ただいま」
「
ーー私は動揺した。何でここに千秋が……何で……。
「何でフランス語?」
「すまない、千聖を驚かせようと思ったのだが……失敗か?」
「失敗以前に引いたわよ。普通におかえりって言えばいいでしょ?」
「では改めて、おかえり千聖」
「ただいま千秋」
千秋からおかえりって言われるなんて、久しぶりだわ。でも、千秋がこんな早くに来てることは想定外ね。彼からどうして早く来たのかを聞くと、私におかえりと言って労いたかった、とのことだった。千秋らしいわね。
時間はあっという間に過ぎた。時間は夕方になり、私と千秋は縁側で隣り合って話をした。妹が来年で受験生になることや舞台のオーディションを受けることも話した。
千秋とこうして話をする時間が私は好きだ。彼と隣でいられるということが幸福だ。告白はしたいけれど、関係が壊れそうで怖い。断られたら彼の隣に立てなくなるんじゃないのかと思ってしまう。
「千秋、願い事は何にしたの?」
「願い事?それは教えられないな」
「教えられない?どうしてなの?」
「願い事は教えたら叶わないだろ。だから教えない」
彼からも願い事は何だ、と聞かれた。私も教えないことにした。理由は彼と同じだ。教えたら駄目でしょ、と私は彼の言葉を借りて言い返した。
私達は笑い合った。願い事を教えないっていうだけなのに、どこが可笑しかったのだろう。そんなことも分からずに笑い合った。彼には言わないけれど、私の願い事は決まっている。
――千秋に告白出来るように、好きと言えますように……。
▼▼▼▼
千聖と別れ、俺は帰路に着いた。千聖は願い事を教えなかった。俺も同じく教えなかった。教えたら叶わなくなるということは昔ながらかもしれないが、俺は今でも信じている。
千聖の隣にいると昔のことを思い出す。3年前のことを……。
「千聖……俺は……」
口に出したい、この誰もいない場所で言いたい。言ってしまったらどうなるのだろう、言ってしまったら楽になるのだろうか。それは誰にも分からない。
ーーもし叶うのなら、"あいつ″にある言葉を伝えたい。
願いは言わなければ叶う