最期の旅路の果てに 作:夕闇
日が照らす日中、馴染みのあった大部屋の天蓋付きのベッドにて目覚めた。今は無き自室が夢であることを教えてくれる。しかも、着ている衣類がシーツの白い色から血を啜って変色した黒紫色のワンピースなのだから尚更に、現実と異なる場所だと教えてくれた。
戦いに明け暮れた日々の中、見なくなって久しい夢見だ。私はセンチメンタルな気分でベッドから抜け出す。靴もないので素足で廊下へ踊り出る。
豪邸に相応しい長々とした廊下に、かくれんぼで遊べるほどの幾多の部屋。そこらに飾られた棚などを横切り、物々に触れ、寂しさを覚えては気の向くままに歩みを進める。
そうして、大広間に辿り着くと目の前に現れた人物にふわふわと酩酊した夢心地は吹き飛んだ。
クイーンがいる。私が殺した姿と何ら変わらぬ、病院の検査服の格好でのクイーンがそこにいた。
――殺すわ
感情が底冷えし、反射的にクイーンを殺そうと体が反応する。生身であろうが構わない。呆けた顔のあの女の首を即座に圧し折るのだ。
血武器のロスタイムを嫌い、クイーンが行動を起こす前に相手の懐に入った私は、この女の顔を掴み、勢いを利用して捻り折った。太く硬い物の折れる鈍い音が大広間に響く。確かな手ごたえがこの手に伝わる。
けれども、同時に自身の首からもクイーンと同様の音が自身の体から鳴る。何故?と疑問を思う間もなく、私は意識が暗転した。
次に目覚めるとクイーンが私を組み敷いていた。意味がわからない。体に力を込めて抜け出そうとするも、相手の力と拮抗する。
『恐い、恐い、恐いっ! 暴走してないから! ちゃんとお喋りできるから! すぐに殺そうとするのはやめて!!』
「…………えっ?」
涙目で必死に訴える彼女に、今度は私が呆ける番だった。
あれから落ち着きを取り戻した私は向かい合い彼女に説明を求めた。
曰く、この世界は私の心の中。精神世界だということ。姿も本来の私自身となっており、指摘され鏡を見せられてようやく気づいた。
曰く、彼女の暴走は也を潜めたが記憶はないこと。私の攻撃が原因で記憶の大部分を破壊されたらしい。
曰く、彼女の身体の一部が私の身体に寄生していること。それにより蘇ったが本来の私の姿は変質し、彼女と成ったようだ。
「で、いつ頃私の中から出ていくの? 暴走聖女様」
『あ、優しい人だって思ってくれるんだね』
人の嫌味を無視して、なぜピンポイントで聞こえのいい部分だけ拾い上げ、喜ぶのか。
「……記憶が破壊されて人格まで変化したのかしら? 聞いた話では献身的で落ち着きのある女性と聞いていたのだけれど」
幾たびも殺したせいか頭でも緩くなったのだろうか、そういえば雰囲気も幼い気もする。
『昔の私は知らないよ。今のわたしはあなたの記憶の大半でできているんだから』
「えぇ、待って待って、流石にそれは……暴走していた原因とか多少覚えていることがあるのではないかしら?」
『あなたの記憶にあったおじさんから知ったんだよ』
「あーね、もういいわ、この話はやめましょう」
手を軽く叩いて会話を切る。追求したって話してくれそうにもないのだし。
私が話を切るほどの嫌な相手は、その道の権威があり、それなりの情報を得ている者ではあった。が、人を実験動物へと企む男のことはあまり思い出したくない。プライドと貞操を捧げるか、戦争に身を投じるか。私は後者を選んだ。
形骸した家名でも多少の威厳を示せたのに通用しない相手に狙われるとは難儀なことである。口は災いの元、種の超越に共感したことが失敗だった。
同じ女性ゆえに気持ちがわかるのか、彼女は同じ話をそれ以上口にすることはなかった。
しかし困ったことに、彼女の言葉を素直に受け取るならば情報はないない尽くしだ。ここへ辿り着いた過程すら判明しなかったのだから。
「ねぇ、貴女。現実にあった白い巨木や貴女の身体について知っていることがあるなら教えて欲しいのだけれど」
『クルス』
「クルス?」
『私の名前』
「ああ、名前は覚えていたのね。了解よ、クルス」
クルスはうんと言って嬉しそうに笑う。クルスは自身の名前を教えるだけで満足しなかったらしく、私の名前を要求する。
『ねぇ、あなたのお名前は?』
「名前、名前ね。いいわよ、私の名前は――名前は…………名前は…………?」
不味い。名前が浮かばない。吸血鬼は死ぬ度に記憶が欠落する。ついには自分の名前すら失ってしまったか。よくよく思考を巡らせば家名すらも思い出せなかった。
拠点に帰還したなら、こういったときの為の日記に記録していたのだが、何処ともわからない場所にいるとなってはどうしようもない。
『やっぱり思い出せないんだね』
「……そうね、不本意だけれど」
『いい名前があるよ!』
そんな、新鮮な野菜が入ったよ。的な感覚で言われても少しも嬉しくないのだけれど。
『イオとか「駄目よ」……むー!』
何故だかわからないが、仮名であっても私が名乗ってよいものではない気もする。あと、頬を膨れさせた面もよして欲しい。似合わないと言わないが、彼女は決して子供ではないのだから。
その後は、レダ、キュレーネ、テーベ、テミストとギリシアで登場するの建造物や都市、人物名称が挙がった。よほどギリシア神話が好きなのだろう。
『エリザベート』
「血の伯爵夫人ね。血の湯浴みやアイアンメイデンが有名よね」
『カーミラ』
「物書きが創作した吸血鬼ね。……ちょっと気になるかも。そうね、言いやすく、Rを取ってしまいましょうか」
『カーミウ?』
「違う違う、牛っぽい響きにしてどうするのよ。スペルも間違ってるし、人の胸を見て言わないで」
身体的特徴いじりは時として戦争になるのだし。少なくとも彼女に悪意はなさそうだが。
『なら、カミラ?』
「全くもう……仮名だし、それでお願い。神話の呼称は嫌いでないけれど、自分の通名とするには少々抵抗があるのよね」
『……』
「……?」
クルスが黙り熟考する。何かに思いを巡らしているようで、記憶に引っかかることでもあったのだろうか。
『カミラ』
「ええ」
『カミラカミラカミラ』
「何? 一体なんなのよ?」
『ナイショ』
何なのだろう、この大人のなりをした子供は。全く訳がわからない。きっと私は憤慨してもいいはずだ。しかし、会話にならなくなるので自重する。それと、クルスが浮きだっているのが見て取れた。彼女は目の前の女に容赦なく殺害されたことを忘れてないだろうか。献身的な彼女のイメージがガラガラと音を立てて崩れていく。
ともあれ、終始機嫌のいいクルスと話し合いを進め、私はこの日からカミラと名乗って生きることとなった。