<司>「あちい〜……なんて暑さだ……」
朝食を済ませた俺は、食後の運動がてら城内を散歩していた。午後から街の
しかし、さわやかな朝の空気はどこにもない。むわっとした熱気が辺りに充満している。
<司>「喉が渇いた……」
朝食の時、あまり水を飲まなかった俺は喉の渇きを感じていた。そのため近くにある井戸を探している。
<司>「確かこの辺りだったな……」
渡り廊下を抜けて庭園に出てみると、林の向こうから水を撒くような大きな音が聞こえた。
<司>「あそこか」
俺は音がした方向へと向かい、林の中を進むとそこに井戸があった。しかしその近くで妙な光景を目にして硬直する。
<司>「…………はっ?」
<華侖>「はー、気持ちいいっす♪」
そこには井戸の水で水浴びをする
<司>「うあっ!?」
<華侖>「おおおっ、司っち!? どうしたっすか! そんなにおっきい声出して……」
俺が驚いて大きな声を上げると、華侖は俺に気付いて視線を向けた。
<司>「い、いや……こっちの台詞だ。な、なんで裸なんだ!」
<華侖>「え? 水浴びしてるからに決まってるっす。司っちは服を着て、水浴びをするっすか?」
華侖は不思議そうな表情で質問を返してくる。
<司>「そういうことじゃない!」
真っ昼間の庭園で、一糸まとわぬ裸体を堂々とさらしながら、水浴びをしている最中だった。
俺は見ないように視界を手で覆う。女の子の裸は目に毒だ。
<華侖>「あははっ、司っち。なんだかおかしいっすよ?」
<司>「いや、これが普通の反応だから……」
井戸があってもこんなところで裸になるのは絶対に有り得ない。
<司>「大体なんで素っ裸なんだ!」
<華侖>「はいっす、水浴びしてるっすから」
<司>「いやそれは分かってる。なんで水浴びしてるんだってことも含めて……」
華侖は堂々と答えるが、俺が言っていることを理解していない様子だ。
<華侖>「今日は暑いからっす」
<司>「い、いや……水浴びがしたいなら、風呂とか部屋でしろよ」
<華侖>「この時間、お風呂は掃除してるっすよ? それに部屋だと……」
そう言ってる途中で再び水捌きの音がする。恐らく井戸にある桶で頭から水を被っているのだろう。
<華侖>「ひゃー、気持ちいいっす♪ ほら、部屋だったら、こんな風に頭からザバーンと水を被れないっす」
<司>「いや、手拭いで濡らして体を拭けばいいだろ。とにかく早く服を着ろ! こんなところ誰かに見られたら———」
<華侖>「……?」
俺は必死に華侖に服を着るように促すが、彼女は分かってもらえない。
<華侖>「司っち、もしかして自分が水浴びしたいっすか?」
<司>「え?」
<華侖>「あははっ、代わってほしかったっすね? いいすよー、だったら司っちも一緒に水浴びするっす♪」
<司>「なんでそうなる!?」
華侖はとんでもない勘違いをし、全裸で俺に駆け寄ってきた。
<華侖>「ほら、脱がせてあげるっす」
<司>「お、おい!?」
濡れた体で飛び付いてきて、俺の上着を脱がそうとする。
<司>「ま、待ってくれ華侖……!」
<華侖>「いいから裸になるっす!」
<司>「だから待ってくれって!!」
俺は必死に抵抗していると、背後から低い声が聞こえた。
<???>「姉さん……」
<司>「……!」
<華侖>「ふぇ?」
この声には聞き覚えがある。華侖もピタリと動きを止め、俺と共に恐る恐る振り向く。
<柳琳>「ふふふふ……司さんも……何をされているのでしょうか……?」
<華侖>「あっ、
そこには気迫のある笑顔で俺たちを見つめている柳琳が立っていた。
<柳琳>「ふふふふふ……うふふふふ、ふふふふ……」
<司>「ま、待ってくれ柳琳! これは誤解だ!」
全裸の姉と脱がされている俺を見れば誤解されてもしょうがない。俺は誤解を解こうとする。
<柳琳>「はい、もちろん誤解でしょうね……ふふふふふ、うふふ、ふふふふふ……」
<司>「絶対分かってないだろっ!!」
<司>「……本当に誤解だからな?」
<柳琳>「大丈夫です。そもそも誤解をしていませんので」
俺は何度も
<柳琳>「姉さんが水浴びしているところに偶然通りがかったら……無理矢理、姉さんが司さんも誘って脱がせようとしてたんでしょう?」
<司>「ああ、そういうことだ……」
説明するまでもなく、柳琳はすぐに状況を理解してくれた。その割にあの笑顔は、ものすごく怖かった。
とりあえず俺たちは衣服を正して、庭園にある
<華侖>「はー、さっぱりしたっす♪」
騒ぎの本人は反省していない様子で服を着て戻ってきた。
<柳琳>「姉さん、何度も言ってるでしょう? いくら暑いからって、あんな場所で水浴びしちゃ駄目。部屋ですればいいじゃないの」
<華侖>「部屋でやると、びちゃびちゃになるっすよ?」
柳琳は姉である
<柳琳>「手拭いを濡らして身体を拭くとか、やり方はあるでしょう?」
<華侖>「そんなの水浴びじゃないっす。やっぱり頭からザッパーンと、桶で水を浴びないとっ」
<柳琳>「それでも———」
<華侖>「もー、何が駄目っすかー?」
華侖は柳琳の言っていることを全く聞き入れようとしない。
<柳琳>「何度も何度も言ってるでしょ? 姉さんは曹家の一員なの。その姉さんが真っ昼間にお城の庭で裸になって……もしもそんな姿を兵たちに見られたらどうするの?」
柳琳は負けじと穏やかな口調でこんこんと説教をする。
<柳琳>「姉さんの恥は一族の恥、曹家の恥でもあるのよ? 華琳さまのお名前にまで傷がついてしまうわ」
<華侖>「……?」
しかし華侖はまるでピンときていない。まあ、本人が脱ぎたがりな性格だから分かってもらうのは難しい。
<華侖>「そうだ、司っち!」
<司>「ん?」
<華侖>「天の世界では、水浴びはどうしてるっすか?」
柳琳の説教に飽きたのか、俺に話を振ってきた。
<司>「水浴びか? まあ、俺の住んでた世界とそんに変わらないぞ」
<華侖>「ご飯はどうっすか?」
<司>「え……? ご飯?」
話があっちこっちに飛ぶ。水浴びでサッパリしたから、今度はお腹が空いたのだろう。
<柳琳>「それは私も興味ありますね。天の世界では、どのような食事をされていたのですか?」
柳琳も興味を持ったようで華侖に続いて俺に聞いてきた。
<司>「んー、そうだな……」
元いた世界ではほとんど洋食を食べていたからな。話すとややこしくなるから違うのを話すか。
<司>「俺が食べてたのは和食かな。魚や野菜が中心のあっさりした料理だ」
和食は子供の頃はよく食べていたが、高校生になって以降はほとんど食べていない。けれど偶に母さんが作ってくれた味噌汁は美味かったな。
<華侖>「あたしも魚は大好きっす」
<柳琳>「どんな味付けなのでしょう?」
<司>「主食は米で、汁物は味噌汁かな。おかずは醤油を使って……あ、味噌は知ってる?」
味噌は確かこの時代に無かったような……。
<華侖>「みそ? しょーゆ?」
<柳琳>「い、いえ、存じません」
<司>「味噌はまだこの世界にないかな。いや……ここでは
<柳琳>「なるほど……」
醤は俺がこの世界で生活してから何度か聞いた言葉だった。
<司>「魚は普通に塩焼きで、後は野菜の煮物だな」
<柳琳>「はー……」
<華侖>「司っちは物知りっすねー」
柳琳と華侖はそれぞれに感心した表情を浮かべる。
<司>「いやいや、俺のいた世界じゃ誰でも知ってる常識を喋ってるだけさ」
<柳琳>「いえ、勉強になります。やはり司さんも故郷の味が懐かしくなったりするものでしょうか?」
<司>「時々かな」
中華はこの世界に来る前から何度も食べ慣れているから、偶に恋しくなる時はある。
<柳琳>「そうですか……あの、もしよろしければ、天の世界の食事について、もっと詳しく教えていただけないでしょうか?」
<司>「ああ、いいぞ」
◇
午前中は曹姉妹と話し込んで、昼食も三人で食べた。
<司>「ふぅー……こればかりは仕方ないか」
俺は桶の水で手拭いを濡らして体の汗を拭ってる。
昼食後は街の
夕方になるまで警備隊の仕事をし、現在に至る。
<司>「今日は暑かった……俺の世界がどれだけ恵まれていたのか実感するよ」
風呂まで我慢出来なくて、部屋の中で水浴びだ。華侖の気持ちも分かる。
チマチマ拭いてないで、井戸でザバーンと頭から水を被りたくなる。
<司>「そうだ、現像した写真をよく見てなかったな」
俺は水浴びを終わらせ、今日まで撮った写真を確かめる。
この世界に来てから一度も現像しなかったので、昨日はこの世界で撮ったものを全て写真に収めていた。
<司>「……こんなものか」
現像した写真には、華琳と
この世界に来てから仕事ばかりで写真を撮る時間が少なかった。腕は落ちていないが、可もなく不可もない出来前だった。
すると部屋の扉からノックをする音が聞こえた。
<司>「ん、はい」
<柳琳>「私です」
<司>「柳琳?」
<柳琳>「入ってもよろしいですか?」
<司>「いいぞ」
水浴び中だったら少し待たせるが、現像した写真を確認しているだけだから俺は返事をする。
<柳琳>「失礼します……」
入室してきた柳琳は、両手にお盆を持っていた。それに目を向けると、俺は驚いた。
<司>「柳琳、それ……」
<柳琳>「はい。司さん、夕食はまだですよね?」
お盆には料理の器が並んでいて、とても懐かしい匂いが漂ってくる。
<司>「あ、ああ……そろそろ行こうかと思ってたけど、もしかして……」
<柳琳>「はい。ちょうど良かったです。もし……よろしければ、召し上がっていただきたくて……」
白米にワカメの味噌汁、根菜の煮に焼き魚……間違いない、和食だ。
<司>「もしかして、作ったのか?」
<柳琳>「ふふ、上手に出来たか自信はありませんけど、司さんのお話を聞いて、私なりに作ってみました」
そう言って柳琳は机に料理の器を並べる。
<司>「おお……」
俺は並べられた料理を覗き込むと無意識に感激の声を上げた。見るだけで美味しそうだ。
<柳琳>「……いかがでしょう?」
<司>「食べていいか?」
<柳琳>「は、はい、もちろん……!」
<司>「い、いただきます……!」
俺はすぐに席へ着いて、箸を手に取る。それからは夢中で柳琳の作ってくれた料理を口に運んでいく。
<司>「美味い! 味も完璧……いや、究極だ!」
<柳琳>「良かった……」
<司>「あの話だけで作るなんて……」
<柳琳>「はい。司さんがお話ししてくれたしょーゆやみそは
<司>「そっか……」
味噌汁を口にすると懐かしくなる……。味噌汁のしょっぱさ、焼き魚の器にある大根おろしの苦味、煮物の甘辛さ……間違いなく和食だ。
<司>「もぐ、もぐ……美味い……」
美味いのは確かだが、俺は心の底から温かくなるのを感じる。
<司>「柳琳。ありがとう、俺のために…………ごちそうさま」
<柳琳>「ふふふ、そこまで喜んでいただけるなんて、私の方が光栄です」
器にあるものを残さず平らげ、箸を置いて柳琳に向かって手を合わせる。
<司>「でも、どうしてなんだ? 俺のためにこんなことまでしてくれて……」
<柳琳>「司さんはお客様です。私も曹家の一員として、おもてなしをするのは当然のことですから」
<司>「そっか……ありがとな、柳琳」
<柳琳>「いえ……」
俺は重ねてお礼を言うと、柳琳は照れ臭そうに頬を染めた。
<司>「それにしても、あの話だけで作れるなんて……柳琳はよく料理をするのか?」
<柳琳>「そうですね。料理人はいますけれど、私自身もよく作ります」
まあ、ここまで和食を再現出来るならそりゃしてるか。
<司>「そうか。お姫様だから料理なんてしない印象だった」
<柳琳>「いいえ、やはり曹家の人間として、私も料理くらい出来なければ」
<司>「そんなものなのか? 華侖や
<柳琳>「あはは……まあ、人それぞれですから」
なるほど、あの二人はしないんだな。
それは置いといて、柳琳はいつも自分が『曹家の人間』という部分を意識しているみたいだ。
しかもそれに、ものすごく高いハードルを設定している傾向がある。
立派とは思うが、そのことに気を張り過ぎているかもしれない。少し心配に感じた。
<華侖>「司っちー!」
柳琳のことを心配していると、部屋の扉が強烈な勢いで開いて華侖が入ってきた。
<司>「っ!?」
<柳琳>「ね、姉さん。もっと静かに扉を開けて。それに誰かの部屋を訪ねる時は、まずは廊下で声を掛けてからじゃないと……」
<華侖>「あっ、柳琳もいたっすか」
<柳琳>「姉さん、聞いてる?」
<華侖>「うん、聞いてるっす。鎗輔っち、晩御飯、持ってきてあげたっすよー!」
華侖は両手にお盆を持っていた。そしてそのお盆から、何やら得体の知らない匂いが漂ってくる。
<柳琳>「それ……どうしたの?」
<華侖>「これは司っちの故郷の味っす! あたしが自分で作ったっす!」
<柳琳>「ええええ? 姉さんが料理を?」
<柳琳>「そうっすよ? あれ? 鎗輔っち、もしかして晩御飯、もう食べた後っすか?」
華侖が机の食器に気付いた。というか、華侖は料理しなかったと聞いていたが……。
<柳琳>「まさか姉さんも作ってくるなんて……」
<華侖>「え?」
<柳琳>「私も作ったの。お部屋にお持ちして、今さっき、食べていただいたばかりなのよ」
<華侖>「あっ、そうだったっすか」
華侖が料理をする姿は想像できないが、せっかく作ってくれたのなら有り難くいただくとしよう。
<司>「ありがとな、華侖。いただくよ」
<華侖>「はい! どうぞっす!」
俺は感謝しながら華侖の料理を受け取った。
<柳琳>「ふふふ、姉さんも私と同じことを考えていたのね……」
柳琳も嬉しそうだ。似てないと思っていたがやっぱり姉妹なんだな。
<華侖>「同じこと?」
<柳琳>「だって、和食を作ってみたんでしょう?」
<華侖>「そうっすよ。司っちが喜ぶと思ったっす」
<司>「ああ、すごく嬉しいよ」
<華侖>「へへー」
姉妹で同じおもてなしをしてくれるなんて、胸がいっぱいだ。
<柳琳>「作り方、難しくなかった?」
<華侖>「そんなの簡単っす。醤に似てるのを使うって聞いたっすから、醤と厨房にあるのを片っ端から放り込んでみたっす!」
<司>「へ?」
華侖の言葉を聞いた俺は恐る恐るお盆の容器を覗き込んだ。俺はその中身を見て思わず驚いた。
<柳琳>「片っ端から? ……っっっ!?」
柳琳も料理を覗き込んで顔を強張らせる。
<司>「なあ、確認するが……華侖って、今まで料理したことってあるのか?」
<柳琳>「多分一度も……」
<華侖>「初めてにしては上手くできたっすねー」
華侖は自信満々のようだが、ご飯や味噌汁、焼き魚はとにかく黒い。恐らく全部に醤を使ったに違いない。
<柳琳>「司さん、お腹いっぱいなんじゃ……?」
柳琳は姉が傷付かないように、俺を止めようとする。
<司>「…………」
正直食べる気が失せてきた。しかし、せっかくの好意を無駄にはできない。
<司>「ま、まあ……とりあえず食べてみようかな」
俺は覚悟を決めて、真っ黒なペーストを箸で摘んで口に運ぶ。
<司>「むぐ…………ッッッ!!!!!?」
<柳琳>「司さん!?」
<司>(か、辛ぃぃぃ!! しょっぱい!! 辛い! しょっぱいっ!!)
予想通りの味だった。とにかく辛い、しょっぱいのみで食材の味がまるでしない。
それでもどうにか耐えながら、完食を目指して箸を進める。
<司>「む……ぐ……むぐ……」
<華侖>「ふふー、美味しいっすか? 司っち」
<司>「あ、ああ……お、美味しいぞ」
<華侖>「あー、司っち! 懐かしくて、涙が溢れてるっす!」
この涙は別の意味で流れているけどな。
翌日、俺は盛大に腹を下して寝台で横になって一日を過ごしていた。
次回は香風編です。お楽しみください。