参加企画にて集まりましたキャラクターを纏めてSSに仕立ててみました。
今回はタイトル通りのプロローグとなり、今後キャラ別のエピソードとエピローグを順次発表していく予定となっております。
ご参加いただきました皆様には本当にありがとうございました。
多少の設定変更はどうかご愛嬌としてお許しください。
朝4時起床──フィリア・ホワイトは物音を立てぬよう玄関から外へ出、しばし左右に伸びる通路の彼方を交互に見やった。
通路の立ち上がり壁から望む5月の明け方には、まだ空の極みが薄藍色に滲み始める程度の光量しかない。今も身の回りを照らす明かりと言えば、通路の天井に等間隔で配された蛍光灯のおぼろげな光だけである。
しかしながら僅かに陽の気配が滲み始めたそんな空間も『夜』とは言い難い。さりとて『朝』にも程遠いその、『境界』ともいうべき瞬間をフィリアは心地良く感じた。
このマンションを拠点にしてから、時折り自分がヒトかフレンズか分からなくなる瞬間がフィリアにはあった。
あるいはそのどちらでも無いのかもしれない……もしかしたら自分はとうの昔にここの怪異に飲み込まれていて、既にいずれでもない存在にされてしまっているのではないか、と思うことがあるのだ。
それこそがこの、朝とも夜ともつかない空間に安堵を感じる理由なのかもしれないとフィリアは明け方に思うのである。
しかしそんな束の間の思索は突如として破られる。
僅かに通路に響き渡ったか細い金属音にフィリアの思考は現実へと戻された。
右から響いてきたそれへ視線を向ければ──三部屋先のドアがゆっくりと開いていく様子が伺えた。スチール製ドアの蝶番が鳴る音であったのだ。
見守り続ける視界にはやがて、人型に凝り固まった闇が音も無く歩み出してくる様が窺えた。
まさに『漆黒』としか形容の出来ぬその肉塊は、夜の残滓が漂うこの薄暗がりの中でさえ、闇に溶けることなく黒の輪郭をしっかりと保っている。
怪異だ──しかしながらその漆黒の中、星の如くにきらめく粒子が浮きつ沈みつしている姿を見るたびにフィリアはそれを美しいと思った。
いつか自分がこのマンションの怪異に取り込まれ、人ならざる存在に身を窶すのであるのだとしても……いま視線の先にいるあの美しさを手に入れられるのならば、それも一興であろうとさえフィリアは思う。
しばしして、
『……んん? やあぁ……フィリアさぁん』
見つめていた怪異が正面(こちら)を向いた。
その全貌が目に入るなり、フィリアも我に返る。
視線の先にて、緩慢に朝の挨拶をしてくる先の怪異──それこそは左半身のほとんどが怪異化した元フレンズの成れの果てであった。
『おはよう。あぁなたは、いつも朝が早いねぇ』
「──おはよう、ハカウソさん。アナタだって負けてないじゃない」
玄関に鍵をかけ、それを袈裟懸けのポーチにしまいながら歩み寄ってくる先の半怪異──ハカウソの挨拶に、フィリアも打ち解けた様子で返事をした。
彼女ハカウソは怪異化した元フレンズだ。
フィリア自身がこのマンションに居を構えるようになって数年になるが、ハカウソはその時にはもうあの部屋にいた。
半怪異ということもあり、当初は警戒して観察をしていたフィリアではあったが、しばししてその誤解も解けた。今では定期的に晩酌を酌み交わす飲み仲間ですらある。
半怪異・ハカウソの身の上はそれなりに複雑なものである。
とある呑みの席で、ハカウソは元オオカワウソの攻略勢であると自身を語った。ボトル役であったのだという。
ある時、彼女の所属していたチームが全滅の憂き目に会い、その時に瀕死の重傷を負ったハカウソは折好くも──否、悪くもかもしれないが、ともあれその時の怪異と同化して今の肉体を手に入れた。
その影響からか肉体は本来にはありえない成長を遂げて、彼女を成人の見た目に違わぬ姿へと変貌させた。
左半身の怪異に生体部分はほとんど見られないが、それでも怪異そのものが人型の輪郭を保っていることから、全体的には元のフレンズに近いシルエットを保っている。
しかし何よりも奇異であるのは彼女の顔だ。
肉体同様、頭部においても怪異は元の容貌を模してくれてはいるが、その左目にだけは洞の如くに無機質な眼窩が穿たれていた。そこの奥底で眼球と思しき役目の何かが赤黒く光を発している姿は、フィリアでさえ身の毛がよだつほどである。
そして斯様な瞳はフィリアに留まらず、見る者全てを畏怖させることから、平素のハカウソはそこを眼帯において覆い隠している次第であった。
「もうお店に行くの? 仕込みにしては少し早いんじゃない」
尋ねてくるフィリアにハカウソも緩く満面の笑みを返す。
こう見えてハカウソは一店一城の主だ。ここから数階上にある区画の一角でラーメン屋を営んでいる。
昼と夕の食事時にのみ開店させる彼女の日課は、朝の8時に仕込みへ向かうのがルーティンではあるが、今日はそれより4時間も早いことになる。
そんなフィリアからの疑問に対し、
『バザールさね。今日は出店するんだよ』
小さく鼻を鳴らすハカウソの答えにフィリアも納得する。
同時に自分もまた今日は出店を控えていることを思い出して、フィリアも小さくため息をついた。
「そう言えば私もそうだったわ。準備しなきゃいけないのは同じね」
『フィリアさぁんは、何を売るつもりなんだい?』
共にエレベーターまでの距離を歩きだしながら二人は会話をする。フィリアはまだ居住階から降りるつもりは無いが、このハカウソを見送るがてら少し話などしたくなったのだ。
「そうね、また探索用のアイテム類になるかしら? 温度感知機能付きの赤外線スコープや、長距離通信と同時会話機能に加えて特定のチャンネルと秘話通知の切り替えが可能な小型インカムあたりが今回の目玉よ」
『キシシシ、怪異(うち)には何が何やらさっぱりだあ』
「ふふ……なんせ『仕入れ先』が優秀だからね」
取り留めも無い会話を続けながら歩いていると──ふいに数部屋先のドアが僅かに平面から身を起こした。
それを察知し、二人は同時に足を止める。
2階の浅層で居住階とはいえ、此処に何の怪異も無いとは言い切れない。それこそはハカウソの存在こそがまさにだ。
ゆえにこのマンションの住人たる二人は、いかなる些細な変化でさえも見逃さない。
今までの和気藹々とした空気へ瞬時に緊張感を漲らせると、二人は徐々に開きつつあるドアの様子を見守った。
やがて180度に開き切り、すっかり壁面と水平になったドアの先──玄関の間口から出てきたのは、
「ふあぁ~……あ、おはよーございますー」
窮屈そうにそこから身を屈めて出てきた巨漢の大男が一人──否、その姿たるや『巨漢』などという人間の尺度などでは形容し難い。
身長274cm・体重220kgの体躯は盛り上がった筋肉が角ばるほどに筋骨隆々で、前頭骨が高く盛り上がったスキンヘッドの容貌と併せるに、今の登場も巨大な岩が転がり出てきたような印象を思わせた。
彼・ティラノ・ティランこと通称・テティは、歴とした『人間』である。──にも拘らず先に述べた規格外の体躯に加え、そんな肉体を縦縞の一般的なパジャマで包みこんだ装いが、逆にこの男の異様性を際立たせているのだった。
「なんだ、テティだったのね。おはよう、今お目覚めかしら?」
『キャハハぁ……相変わらず化け物だねぇ。おはよう♪』
怪異(?)の正体を見極めて安堵するや、二人も打ち解けた様子で挨拶を返す。
「はい、おはようございます。お二人とも早いですねぇ? ハカウソさんも仕込みには早過ぎるんじゃないんですか?」
直立してしまっては完全に頭が天井へ付いてしまうがゆえ身を屈めるテティの挨拶に、ハカウソとフィリアはその一時顔を見合わせ、やがては打ち合わせたように微笑んでみせた。
「みんな同じ挨拶をするのね」
『キャハハ、考えること同じぃ』
「何がですか、いったい?」
「それじゃテティ、アナタの早起きの理由を当てて見せましょうか? ──今日のバザールの為の仕込みね?」
「ッ、すごい! なぜ分かったのですか?」
これまた想像通りのテティの返答に今度は二人、声を上げて笑った。
この、ある程度の怪異ならば膂力で捻じ伏せてしまいそうな剛健の本職はその実──繊細な意匠を得意とするパティシエであったりする。
怪異攻略を主とする攻略勢や、怪異の発見と体験を愉しもうという探求者が集まるこのマンションにおいて、斯様な経歴のテティはことさら奇異な存在と言えた。
そんな彼の目的こそは、この場所における菓子店経営で一旗揚げようというものである。
斯様な目的であるというのならば外の世界でも用は事足りると疑問に思うだろうが、ことテティに関してはその頑強すぎる肉体が世間から拒まれることとなった。
根は優しく、礼儀正しければ人当りだって悪くはないテティであっても、やはり正方形に近い筋肉の巨塊が職を求めるには、あまりに世界は狭量すぎた。
人間性やはたまた菓子作りにおける技術の全てはその見た目による差別と偏見よって否定され、彼は社会からは爪弾きとされたのである。
……とはいえ事実、こじんまりと内装を纏める傾向の菓子業界においては、そこの調理場にテティが収まらないという理由もあるのだが。
斯様にして、おおよそ『一般的』ではないテティが導き出した結論は、己の巨体が苦にならぬ環境において経営をしようということに帰結した。
その結果、彼が選び出した職場こそがこのマンションであり、そしてテティがここに存在する理由であった。
実際のところ数多いコンテストでの受賞歴がある彼の腕前は折り紙付きで、一時期テティの作るスイーツに嵌るがあまり体重の増えたフィリアなどは、そんな自分の意志薄弱を怪異のせいにしたほどである。
そして同時に、3メートルに届かんばかりの大巨漢が8センチ四方のタルトに一つまみのハーブを添える姿を想像すると、そのギャップにいつも吹き出してしまう。
フィリアはこのテティの作り出す芸術的な菓子と、そして彼のギャップも含めた人間性を愛してやまなかった。
「それではハカウソさんも今回は出店なさるのですね?」
『今回だけじゃあないよ。ここ数年は毎回出てるよぉ。テティくぅんは初めてかい?』
「はい、もっと多くのお客さんに店の存在を知っていただければと思って」
テティとハカウソの会話を傍で聞きながら、彼の店が周知の存在になってしまうことにフィリアは一抹の心惜しさを感じずにはいられない。
今現在、彼の店へ足繁くに通うのは自分を含めて数名の客達だけである。いわば常連のみで回っている状態の店に新参の客がなだれ込むようなことになれば、今後自分がテティの菓子にありつけなくなる。
ただでさえ彼の作る『果実(エリクサー)のミニパイ』は、今の状況であっても買えない時があるのだ。不特定多数との争奪戦を考えると、想像しただけでフィリアなどは落胆と脱力を覚えずにはいられなかった。
「せっかくだし私もハカウソさんの出勤を見送りますよ」
いつの間にかにテティもまた一行に加わって歩き出す。
「居住階とはいえ、何があるか分かりませんからね」
『縁起でも無いことを言うんじゃないよぉ。これから出掛けようって人にさ』
「そうよ、テティ。そんなこと言ってると本当に何か出るわよ?」
互いの軽口に揃って笑いを漏らしたその時であった。
3人の行く先──床からほどない高さに何やら不定形な影が一つ。
「あ………」
『……ほぅら、言わんこっちゃない』
まだ夜の明けきらぬ不明瞭な前方に確認できた影──それは子供が蹲っているとも思える大きさの物。そしてそのすぐ傍らにももう一体、地に広がる液状の物体が一つ窺えた。
遠目に確認するそれは怪異以外の何物でもない。
しかしながら、それを確認した三人の動きには一切の無駄も迷いも無かった。
無言のうちにまずはテティが前衛に立つ。次いで右後方半歩の位置にハカウソが控え、そこからさらに数歩後ろの後方にフィリアが備えた。
布陣の意図は、耐久力と突破力に優れるテティが最前列で敵の前に立つ。これには後方二人のガードを務めると同時に、我が身を呈して怪異を留める役割がある。
初手にてテティが撃破出来るならば良し。反撃を受けても物理的な攻撃であればテティはまず沈まない。
しかしそれが精神攻撃であった場合には、その後ろに控えるハカウソとフィリアの出番となる。
怪異を一身に受けたテティをハカウソがもろともに討つ。フィリアはさらにそれを見守り、状況によっては『逃げる』のだ。
複製階や仮眠室を使用した蘇生が望めるこのマンションにおいて、死は『消滅』ではない。
死体の回収が望めれば復活は可能であり、それを考えた時に重要となるのは状況を見定めたうえで離脱する者の退路を確保することにある。
今回の場合はほぼ丸腰の3人の中において、もっとも戦闘への貢献が望めないフィリアが殿(しんがり)を務めることになった。
このマンションにおいてチームを組むことに、特出した能力は必要ない。
互いがそれぞれの役割を瞬時に判断することこそが重要であり、数年の『探索者』としての経験を積んでいる3人は即席ながらもこの瞬間、まさに最高のチームとして機能していた。
──精神攻撃が無ければ良いのだけれど……
ハカウソとテティの後ろ姿を見守りながら、フィリアは唯一の装備品であった精神防御効果のイヤリングを無意識に指先で弄ぶ。
斯様に緊張の張り詰めた中で対峙していた3人と怪異ではあったが──しばしして、前衛のテティが構えを解く。
フィリアは用心深くその様子を見守りながら依然として集中を途切らせない。
やがてはハカウソもまた警戒を解くと、一歩前進してテティの隣に並んだ。どうやら先の物体を揃って見下ろしているらしい。
そして、
「あぁ~……とんだ怪異ですよ、これ」
テティはこちらへ首だけ振り返らせると、鼻を鳴らしてはフィリアへと伝えた。
それを確認してようやくフィリアもまた二人の元に合流する。
そこから見下ろす先には──なるほど、『とんだ怪異』が居たものだとフィリアもまた納得する。
まずは蹲る影の正体それこそは──
『おはよう テティ ハカウソ フィリア』
そこに居た物は、フィリアの膝頭に届くかどうかというほどの楕円形の物体。
天を突くように立った大きな両耳と、先細りの太い尻尾──全身を毛皮に包みん込んだ一連の容姿からは何かの動物を連想もさせるが、実際のそれは『生物』とは最も程遠い存在である。
その異様さゆえに、一部の攻略勢や探索者の間では名の知れた存在であり、かくいうこの場のメンバー達もまた『それ』のことは知っていた。
それの名を──
「ボスですよ、フィリアさん」
テティはそう呼んだ。
かの『ボス』は動物型のロボットである。誰が何の目的で作ったのかは知れないが、このボスが居るということはもう一人の存在もまた忘れてはならない。
『ってぇことは……一緒に居るのは、ギンコかい?』
「えぇ。アーサーも一緒ですね」
ボスの隣でうつ伏せに倒れている男女の姿──男はヒトで、女はフレンズである。
『ギンコ』と紹介された彼女はギンギツネのフレンズだ。足を揃えて伸ばし、同じくに指先を伸ばした両手を腿の両脇に付けては身を流線形にしてうつ伏せに倒れていた。
「二人に何があったのボス?」
抱き起すテティの傍らに寄り添いながら、フィリアは眠るようなギンコの寝顔に一瞥くれる。
従来のギンギツネにしては手足が長くその顔も大人びている。全体的に成長してる感がある印象は、フレンズであることも含めハカウソに雰囲気が似ていた。
しかしながら彼女がフレンズらしからぬ印象を周囲に与えるのは、そんな見た目の大人びた様子だけではない。
いつの時も白衣に身を包み、丸渕の眼鏡を耳に掛けたギンコは、オオカワウソ達と並び立って同業者の注目を集める攻略勢であった。
『ギンコと アーサーと一緒に マンションに 潜っていたよ。新しい開発の為の 材料を 取りに行ったんだ』
右腕にギンコの背をもたらせて介抱するテティの傍らに歩み進んできたボスが、彼女達がここに倒れていた顛末を説明する。
その正式名称を『ラッキービースト』という先のロボットはこのギンコのパートナーだ。
マスコット然とした見た目の愛らしさとは裏腹に、独自の方法で電子設備にアクセスしてはエレベーターや各種照明の点灯をコントロールするなど、なかなかの性能である。
「それってアタシの注文品かしら?」
『そうだよ フィリア 君から発注された 温度感知機能付き赤外線スコープ の材料を取りに 重力鳥の 巣に行ったんだ』
『重力鳥とは豪気だねぇ。無事に戻ってこれただけでも儲けものさね』
そうこう話しているとテティの腕の中で当のギンコがうめきを漏らした。
取り囲む一同がそれぞれに呼び掛けて目覚めを促すと──やがてギンコはうっすらと瞼を開いては覚醒した。
『ここはぁ……わたし、戻ってこれたの?』
「そうよ、二階の居住階よ。私の注文品の材料を取りに行ってくれたんだって? なんか悪いわね……」
気遣わし気に尋ねてくるフィリアに一瞥くれると、ギンコは己の白衣のポケットに手を入れて中身をまさぐる。
やがてはそこから抜き出した拳を開き、色とりどりの原色を散りばめたガラスの如き破片を数片取り出すと、
『重力鳥のコアの欠片……これで望みの物を作ってあげられるわよ! フィリア!』
「あ、ありがとう……」
いま一度それを握りしめては満足げにフィリアを見上げるギンコ。
その心配になるほどの拘り様にフィリアは申し訳ないやら心配やらで何とも不安な気持ちにさせられる。
このギンコは、己を『別世界から来た』と主張するフレンズである。
彼女もまたある時、突如としてこのマンションに発生した。
そんな彼女がここへ訪れて間もない頃に色々と世話をしたのがフィリアと、そして周囲の仲間達である。
元より面倒見の良い性格でもあったフィリアはそれからの数か月間、ギンコを自分の部屋で寝起きさせ、さらには皆へ紹介してはマンション攻略や探索のイロハを教えたのであった。
もっとも学究の徒を自称するギンコもまた吸収が早かった。
数度の探索で怪異のいくつかを解明し、独自の攻略法を編み出すや、それに因んだ研究の実験と称し、『老化と退行の階』の特性を上手く利用しては幼かった自身の年齢を10歳前後成長させることにも成功した。
これによりここを訪れた時には10代半ばと思しかった見た目のギンコは、今や20代の成長した肉体を手に入れたのである。
一連の怪異を分析した知能の高さはもとより、それの利用に際し自らの体を実験台にしてしまう度胸は、本来臆病なはずのギンギツネには見られない特性であり、同時に彼女の才能でもあった。
『いま何時!?』
誰ともなく唐突に尋ねてくるギンコに気圧されては場の一同が顔を会わせる中、ボスが4時半であることを告げる。
『4時半!? バザールまであと5時間くらいしかないじゃない!』
「あー……ギンコ? 別に無理しなくてもいいわよ。インコムの方は貰ってるから、今回はそれだけで……──」
『早く作らなきゃ! でもそれには頭をハッキリさせたいわ! アーサー、起きてちょうだい! あなたのコーヒーが必要よ!』
天才ゆえの弊害ではあるのだろうが、一度自分の世界に入り込むと周囲が見えなくなるのはギンコの長所でもあり短所でもあった。
今もそれは健在で、つい先ほどまでマンションに潜っていたであろう彼女の体調を案じるフィリアなどの声は微塵もギンコの耳には入っていかない。
彼女の興味は今、依然足元で昏倒し続けるくせ毛の探索者へと向いている。
チェックのシャツにスラックスという装いはなんら変哲も無いものではあったが、彼の持つ異様性はその背に背負われたコーヒーメーカーにこそある。
コの字の構台の中央にガラス製のサーバーが設置された一般的なコーヒーメーカーではあるのだが──背負う当人がうつ伏せに寝ていることでサーバー内のコーヒーも注ぎ口に向かって水平になっているというのに、一向にそこから液体が漏れる出す様子が見られなかった。
『アーサー、起きなさい! コーヒーを飲ませるのよ! 早く!』
「ギンコ 優しくしなきゃ ダメだよ」
ついには業を煮やし、彼の襟首に両手を掛けて引き起こすやその寝ぼけ眼の両頬へ往復ビンタをお見舞いするギンコ。一連のエキセントリックな言動とボスの制止を眺めていると、完成されたコントを目撃しているような感すらある。
「……ねぇボス? なんかギンコ、いつもよりテンション高くない?」
『疲労回復の気付け薬に アーサーからもらった コーヒーサプリを飲んだら こうなったんだ』
やがてはギンコに襟元を吊るし上げられたまま──
「……んむ? んん……朝になったのかな? ヒヒッ」
件のコーヒー青年であるアーサー・ロバート・グッドウィンは覚醒を果たした。
引き攣るように笑いながらメガネのブリッジを人差し指で持ち上げるとズレを直す。右のレンズにひび割れが走っているが、これは先のギンコによる気付けによって生じたものではない。
もう随分と前に出来たキズではあるが、それでもアーサーはこの眼鏡を変えようとはしなかった。
斯様な無頓着さは容姿にも表れており、皮脂や埃にまみれ頭髪同士が癒着しては膨張した扇さながらの荒れた頭髪などは、最後に彼がいつ風呂に入ったものやら想像することもできない。
「コーヒーが飲みたいのかなァ!? しかしインスタントや缶コーヒーなんて絶対にいけないよぉ? あんなの、コーヒーの名をかたった泥水だからね! そもそもコーヒーの定義とは──」
『いいから早く出して!』
覚醒直後、フレンズに襟首をつかまれてコーヒーの強要を受けているというにも拘らず、まるでそんな状況は意に介さずコーヒーの講義を始めようとする振る舞いは、身内の贔屓目を差し引いても『狂人』以外の何物でもない。
痩せぎすの浮浪者然とした容貌に加えてこの言動とあっては、まず初見の人間は警戒をしそして極力、彼と関係を持つことを拒絶しようとする。
しかしながら今二人を取り囲む一同は、
『あぁ、いいねぇ……ずいぶん苦労したようだから、さぞ美味いぞぉ』
「えぇ、私も寝起きなのでちょうどいい。アーサーさん、私達の分もありますか?」
ハカウソとテティなどは拒否するどころか、身を乗り出してはギンコの相伴にあやかろうとアーサーに尋ねる。
「もちろんだよ! そして何よりもコーヒーをいかに美味く味わうかにはカップもまた重要だよね! 一日の始まりともなる朝には目の覚めるような青が相応しい! ならば今この瞬間の珠玉の一杯を彩るカップは『セーブル』! これしかなぁい‼」
一方のアーサーは叫ぶようにカップの講釈も始めながら、一同にチラリと視線を走らせると場にいる人数分のカップを5セット、手持ちの紙袋の中から取り出して並べた。
どう見ても紙袋の大きさに対してこれだけのカップが収納されていたようには思えないが、それでもアーサーは毎度、コーヒーに関する道具の類をここから取り出した。
おそらくはマンションで拾得したであろう怪異を含んだアイテムの一つではあるが、何故かその紙袋はアーサーにとてもマッチしているように思えた。
待機する人数全員のカップと受け皿を渡すと、アーサーはそこへ背負うコーヒーメーカーから取り外したサーバーのコーヒーを注いで回る。
平素日頃から落ち着きなく頭を振り乱し焦点も定まらないアーサーだが、このコーヒーを継ぐ瞬間にだけは、厳粛とすら思えるほど慎重な振る舞いを見せた。
「早くちょうだい! ………──もうちょっと! 口きりいっぱいまで!」
「ヒヒッ、欲しけりゃおかわりあげるよ! まずは全員に注いでからね! ヒヒ!」
ギンコの催促を受け流しながら時計回りに注いで回り、最後にはフィリアのカップに豊潤な琥珀色の液体を並々と満たした。
目下のコーヒーを見下ろし、味わう前にまずはカップを鼻先へ寄せて香りを楽しむ。
焙煎された苦みの香りの中に僅かながら柑橘系の残り香が感じられる。一本、芯の通った輪郭の強いその香りは確かに、朝の覚醒を促す一杯にはうってつけの様に思える。
存分に鼻腔へその香りを充満させると、一同は最初の一口目をすすった。
香りの深さに負けないコクと苦みは深煎りにローストされた豆の成させる技だ。
しかしながらその味わいが単純に豆を焦がした程度の小手先ではないことは、コーヒーが舌先から徐々に舌全体を流れていくにつれてハッキリとしていく。
ファーストインパクトとなる深い苦みが舌先に感じられると同時に、口中にはほのかな酸味もまた広がる。それらが喉を通り抜ける過程で舌の根元で収束されると、全ての味わいは混然となって深いコクの後味を残す。
苦みのコクと淡い酸味の味わいはまさに『目覚めの一杯』として申し分の無いそれと言えた。
「あ~……今日のは特別に美味いなあ。ってことは、さぞ苦労なされたんじゃないんですか、お二人とも?」
その巨大な手の中とあってはまさに豆粒ほどとなった小さなカップを大事そうに抱えながら、テティは改めてギンコとアーサーの二人を見た。
視線の先ではまだその問いかけに気付いていないアーサーの実に満足げで穏やかな表情が、彼の一杯を堪能する一同を見守っている。
その表情と雰囲気こそは在りし日のアーサーだ。
彼とて端から狂人であったわけではない。そうなるに至る理由が、このマンションにあった……そしてその一部始終を知るテティは、つい居た堪れなくなってはアーサーに向けていた視線を再びコーヒーカップへと戻した。
一方で、
『大変なんてもんじゃなかったわ。もう少しで重力鳥のエサになるところだったんだから』
珠玉の一杯を飲み終えてすっかり平常心に戻ったギンコがそれに応える。
『巣からこっそりコアの破片だけを取っていくつもりが見つかっちゃって……危うく食べられかけたの』
「でも、今ここに居るってことはあの鳥から逃げ切れたってことでしょう? 一体どうやって……」
『まあ、アーサーのおかげかしら? あの鳥にね、コーヒーをご馳走してくれたのよ。アーサーが』
思わぬ怪鳥の攻略法に一同の目がアーサーに集中する。
「ヒヒッ♪ このマンションの怪異も捨てたもんじゃないよね。僕のコーヒーが分かるんだからさ! ヒヒッ!」
このマンションには攻略が絶対に不可能とされるものがいくつかあり、今しがた二人の話題に上がった『重力鳥』などはまさにそれの一例であった。
そもそもの重力鳥には、物理的な干渉を受け付けないという特性がある。
すなわちはどのような武器で攻撃しようとも、全ては肉体を透化してすり抜けてしまうのだ。
『そうか……『食べ物』はカウントされないのか』
ハカウソの呟きに、一同も目から鱗が落ちる思いで嘆息した。
『とはいってもそれに気付いたのは最後の最後だったけれどね。一晩中追いかけられて、エレベータ前で追いつかれた時にアーサーがコーヒーを一杯、鳥にかけたの。そしたら動きが止まって重力すら戻っちゃって』
その隙をつきエレベーターに戻った二人は這う這うの体で帰還──やがてはこの居住階に辿り着くなり倒れては、そのまま朝を迎えたという訳であった。
「それにしてもアイツ、味わってる様子だったよ!? こりゃいつか、改めてご馳走しに行かきゃね、ギンコ!」
『あなた一人で行ってちょうだい……』
しばしして全員がコーヒーを飲み終えるのを確認すると、アーサーはカップとソーサを回収しては雑に紙袋に回収していく。──にも拘らず、紙袋は一切の膨らみを孕むことも無ければ、陶器が接触する物音も一つとして起こらなかった。
『ごちそう様。朝からアーサーさんのコーヒー飲めるとはツイてたよ。──それじゃあ、後でまたバザールで会おうよ。みんなもぜひ食べに来ておくれ』
ほどなくしてハカウソはエレベーターの前に立つと、箱を呼び寄せては一同に振り返った。
「ありがとうございます。よろしかったらみんなも僕の店まで来てくださいよ。今日は新作も発表予定です。こちらもみんなの分を取り置きしておきますよ」
テティが応え、
「あら、二人ともご馳走してくれるのかしら? 悪いわねぇ」
『キャハハぁ、なに言ってんのさ? もちろん金は貰うよ~?』
「身内だからこそ、取るものは取りませんと」
フィリアの軽口に笑うと、ハカウソは到着したエレベーターに乗り込み扉を閉めた。
彼女を見送り通路を戻ると、その途中でテティもまたバザールでの再会を約束して自室へと戻る。
「さて、わたしはもうひと頑張りかな? 完成したらあなたのスペースまで届けるわね、フィリア」
『ギンコ その前に お風呂に入って 何か食べて 少し寝ないと ダメだよ』
ギンコもボスも道すがらにある自室のドア前に立つと別れを告げる。
「さて! 僕も準備しなきゃね! 今日は新作のコーヒーサプリも売るよ! ──じゃあフィリア、バザールで会おうね! 来てくれればコーヒー売るよ!」
「やっぱり奢ってはくれないのね……」
「ヒヒ! 身内だからこそ取るもの取るのさ! ヒヒッ!」
ついにはアーサーも自室に戻ると──最後にはフィリア一人が残された。
ただ一人で帰路を辿るとらしくも無く寂しさを覚えた。
しかしそんな束の間のセンチメンタルを慰めるよう──
「あ………」
通路から望む空には夜明けの陽光が眩く通路へと差し込んだ。
美しいと思った。同時にそんな『朝』の認識は、フィリアに今日が始まることを何よりも明確に伝える。
アーサーのコーヒーの作用か、不思議と肉体と心に活力が充実するのを感じた。
「はぁ……──さて、私も準備しようかな」
暫しその光景を眺めた後、両手を掲げて一伸びしフィリアもまた自室へと戻っていく。
今日は待ちに待ったバザール──それぞれのイベントが始まろうとしていた。
【 続 】