事の始まりはマップの整理からだった。
俺と相棒はそれぞれにマンションのマッピングをしている。
しかしながら互いのそれを交換し合った時に、相手の地図や記録が読めないということが多々あった。
そもそもこの『マップの認識』というものが、俺達は根本からして違うのだ。
相棒(オオカワウソ)にとってのマップとは、いわば『記憶の引き出し』である。
主要となるマンションの展開図は常に脳内に広がっていて、細部の確認の為に記憶を引き出す把手こそがマップなのだ。
ゆえに彼女を始めとするオオカワウソの地図や記録はひどく曖昧で大雑把なものとなる。
そんな記憶を前提につけられた記録は支離滅裂に情報が書き殴られているようにしか捉えられず、結局俺は執筆者の真意をそこに見出すことが出来ない。
一方で俺のような『人』のマップは、『記憶の迷路』なのだと彼女は言う。
詳細に階の情報を書き出していく従来の記録法は、彼女達にとってはいたずらに記憶を混乱させるだけの、情報の羅列でしかない。
例えるに『林檎』は誰しもが知っているが、俺の記録はわざわざその林檎の色や味、匂いといった周知の情報を書き込んでいるのだという。
それらに別な事実があるのかと思って読み進めていくと、結局は自分の良く知る『林檎』の情報しか記録されておらず、そうした持って回った情報に翻弄されているうちに真意を見失うというのだ。
そういった記録の共有と同期をさせるために俺達が考えた方法は、このマンションの立体模型を作り出すというものであった。
模型とは言ってもそれは、段ボール内の空間を同じくボール紙で仕切る程度の簡単なものである。
一日の探索を終えて帰ってくると、俺達はそこの模型に調査の終了した部屋を作り出してはメモや写真といった情報を付加していく。
このやり方は実に上手くいった。
先に述べた相棒の思考にも、そして俺のマッピング法にも合致した。
また自分達の手で立体物を作るという行為は、マンション攻略の業余としてはこの上ない趣味とも言えた。
意外なことは相棒がこの趣味に没頭し、暇さえあればボール紙を捩じってはその部屋部屋に家具や什器といった小物まで作成していることであった。
階の攻略が進むごとに、模型も蕎麦の井桁のように積み上がっていく。
そうして俺達の仮想マンションも4階層にまで達した頃──その異変は起きた。
ある時、いつになく模型のディティールがリアルなことに俺は気付く。
外回りの通路を形作る立ち上がり壁の外壁が、得も言えぬコンクリートの質感をそこに醸し出していたからであった。
相棒の凝り性もエスカレートするばかりで、最近では塗装の為の道具も取り寄せてはこの仮想マンションの制作にあたっていた。
「それでもしかし……」
その度を越えた完成度を俺は訝しがらずにはいられない。
ふと一階層を外し改めてその中の回廊や室内の様子を観察する。
いま俯瞰しているそこは俺と相棒の住む二階部分の模型である。
勝手知ったる我が家の作り込みは、他の階とは比較にならないほどに緻密だ。見下ろす一室の様子は椅子の配置から、さらにはこの模型が置かれているテーブルに至るまで精密で、さながら自分が巨人にでもなった錯覚を覚えさえるほどであった。
『ハハハ、何見てるの?』
しばし眺めていると背後から近づいてきた相棒もまた隣に並んではこの部屋を見下ろした。
「これ、お前が作ったのか?」
『うん。作った。ヒマ見つけては作ってる』
「こんなにリアルに?」
言われて再び見下ろす相棒の顔に、見る間に不信が広がっていく。どうやら気付いたらしい。
『こんなに上手に作ってない。なんかおかしい。お前がやったのか?』
「いや、俺は何もしてないよ。なんか気味が悪いなコレ」
そしてこの模型が異変であるということの決定的瞬間はその時に訪れた。
ふと腰掛けようと傍らのイスを引き寄せたその時──同じくにイスが動いた。模型の中のイスがである。
「ッ………」
『ハハハ……』
その瞬間を目の当たりにした俺達は、ただ言葉を失ってはその模型を見下ろすことしかできなかった。
こともあうか俺達は、このマンションと連動する箱庭を作り出してしまっていたのだった。
どのような力が影響しているのかは分からない。
しかし日々の探索で細かにディティールを整理し、そして怪異の詳細を事細かに付加していくうちに──この仮想模型はもう一つの『マンション』として成長を始めていた。
『ハハ……ハハハハ! すごい! ハハハハ!』
それが徐々に確信へと変わる中、突如として相棒が声を上げた。
笑い声の調子からも彼女の興奮が如実にうかがえた。
『もっと作ろう! もっともっといっぱい調べて、このマンションを完成させよう!』
「お、おい……」
『ハハハハ! もしかしたら自分でも作れるんじゃないか? 今のマンションよりももっともっとたーのしー階とか……──』
「ダメだ!」
調子よく吟じられていた相棒の長広舌は、一際強い俺の声に遮られて口噤まされた。
興奮から両腕を振り上げていた姿勢のまま硬直しては怪訝な視線だけを俺に投げかけてくる。
一方で俺もまたらしくもない感情の昂りに据わりの悪さを感じながら、
「こういうのは、良くないと思う」
稚拙な言葉と想いで相棒を説得する。
「このままこれを作り続けたとして、いつかこのマンションにフレンズや攻略勢が現れたらどうするつもりだ?」
恐れていたのはそれだった。
『場』が生れれば、いつかはそこに『住人』も生じるのは必然の理だ。その時に俺達は、この箱庭の『神』たる務めが執り行えるのか──その責任が持てるのか。
そして何よりも──
「上手くは言えないが……もし俺達が訳も分からない誰かに作り出された存在だとしたら、嫌だろう?」
『……。嫌だ!』
相棒もそのことに頷いてくれる。
俺達は誰かの為や、誰かの責任の果てに生まれてきたわけではない。
ただ自分の為にこそ存在しているのだ。それこそは、こんな頓狂なマンションの攻略に命をかけている俺達の存在理由それでもあった。
『おい、そっち持て。このマンションの端っこ』
相棒も自分の中で何やら割り切ったのか、件の模型の端を持つように言って来る。
訳も分からず言われる通りにその一端を両手で掴むや、相棒もまた同じくにその反対に手を掛ける。
ついで次の瞬間──
『ハハ!』
大きく息を吐き出すよう短く笑うと同時、一思いに模型を強く引いた。
オオカワウソの膂力に晒されて、マンション模型は脆くも引きちぎられる。
さらに相棒は残る階層の模型もまた両手に抱えて引きちぎるや、声高に笑いながら足蹴にし、存分に破壊してしまうのであった。
『ハハハハ! ゴミくず! ハハハハ!』
5分と持たずに元のボール紙の残骸と化したそれを前に得意げに鼻を鳴らす相棒。やはり創作よりも破壊活動の方が性に合っているようである。
「これでいい……。じゃあ、片付けてメシにするか」
『メシ! メシ! ソーセージ食べよう!』
ゴミ袋を取りに部屋を出ていく相棒の背を見送りながら、俺はもう一度足元の残骸に目を落とす。
あの時はああも言ったが、今になっては少し惜しかったような気もしてくる。
相棒の言う通り従来には無いこのマンションの、新たな部屋や機能も創り出せたのではないか──そんなことを考えた時に、俺はあることに気付く。
それはこのマンションに凝縮された様々な現象や万象の理由──もしかしたらこのマンションや、そして俺達は何者かによって創られた存在ではないのか?
それこそが統一性も無く散りばめられた怪異や仕掛けの理由なのだとしたら、そして理由もなくそこの攻略に挑む俺達なのだとしたら……──。
しばしして、俺は考えることを止めた。
詮無いことではあるし、第一そんなことは有り得ない。有ろうはずもない。
それでもしかし……俺は背後の上方にこの一室を見下ろす目があるような気がして、
振り返る気にはなれなかった。
【 終 】