俺は相棒のことをどれくらい知っているのだろうか? ……一人、走り続けながら自問する。
事は数分前にさかのぼる──
探索中の回廊の一角でとあるフレンズと出会った。……否、それはフレンズであったモノだ。
幼子のような上背を鈍色のコートに包みこんだ姿は『オオカワウソ』のものではあったが、その中身が全くの異質であることを俺達は瞬時に悟った。
右手に錐の鉄柱を携え、そして左手には閃光の迸るバールらしきものを地に引きずりながらそれは近づいてきた。
互いの間合いが数メートルにまで迫る頃になって俺は、その異質の左手にあるモノが異形の仇花を灯した鉄塊であることに気付き、奇しくも相棒との出会いのことを思い出していた。
相棒は数週間前、異形の花々に寄生されてはこの回廊を彷徨い歩いていた。そして今、目の前に確認する異質の右手にある鉄塊には、それと全く同じ花々が発光するかの如き艶(あで)やかさで光の粉を舞わせている。
そして斯様な仇花の杖が引き摺られたその後に、杖の軌道をなぞるよう同じ花々が轍を作る様を見て取り、俺は目の前の異質とそして相方との関係を悟る。
あの日、相棒を花葬に屠った相手は間違いなくコイツであった。
そのことを俺が確認するよりも前に、既に相棒は背のバールを抜き取っては臨戦態勢へと入っている。
それを前に俺とて引き下がらずにはいられない。
「アレがお前の仇か? ……なら、一緒に戦うぞ」
そう言って策もなく前に出ては並び立つ俺を、相棒は実に不思議そうな視線で見上げた。
唇を半ばに開いては放心しているようにも見つめてくるその表情は、今日までの付き合いの中で初めて見るものであった。
「指示をくれ。抱き付いて囮くらいにはなってやる……」
双方のどちらかが生き残れば、このマンションにおいては死すらもが回復可能な症状である。
それを知るからこそ身を挺そうと覚悟を決めた俺ではあったが、
『………お前じゃ勝てない。アイツとお前とじゃ、象と蟻だ』
依然として俺の瞳に視軸を定めたまま、相棒はそう言い放った。
言葉を交わしたのはそれきりで暫しそう見つめ合った後、相棒は俺から視線を振り切り一歩前に出る。
俺を背に両肩へ力を漲らせ、前傾姿勢に戦闘体型へ移行すると──
『行け!』
もはや振り返ることなく相棒はそう言った。
そして改めて異質と対峙するや、相棒は名乗りを上げるかのよう笑い声をあげた。
極度の興奮と狂気の入り混じったその声に中てられて俺も我に返ると、後は二人に背を向けて走り出すのであった。
そうして走り続ける俺は、回廊の途中にある階段から道を反れてはただひたすらに、飛ぶかのごとくに階段を駆け下り続けた。
──俺は……アイツのことをどれくらい知っているんだろうか? アイツは、俺のことをどれくらい知っているんだろうか?
駆け続け、いつまでも俺はそんなことを考えては、今の行動の意味を己自身に問いかけ続けるのであった。
■ ■ ■ ■
エレベーターから降り、オオカワウソは疲労に重くなった体を引きずっては歩き続ける。
回廊で遭遇した異質と打ち合うこと数合──オオカワウソは為す術なく逃げ出しては辛うじてエレベーターに逃げ込んだ。
『ハァハァ……強い? ハハ、違う……全部、同んなじだ』
繰り出す己の攻撃はその全てが打ち払われていた。
突きを繰り出せば絡め取られ、薙ぎを払えば受け流され、両断しようと振り落とせばカウンターに跳ね上げられた杖が逆風の如くに前髪をかすめた。
その反撃の全ては予定調和に打ち合わせたかの如くに的確で、いつしかオオカワウソは鏡の己に向かって打ち込んでいるかのような錯覚に陥っていた。
──なぜ、悟られる? なぜ、先回られる?
戦いの最中に生じた疑惑は集中力を削ぎ、やがてそこから芽生えた疑問は闘争心を薄めた。
最後にはそれが困惑に変わった時、オオカワウソの戦意は喪失した。
もう戦えない──意欲の張りを維持できなくなるや、隙を見て逃げ出した。
その後はしばし、異質からの追走に翻弄されることとなる。
それでもどうにかエレベーターに逃げ込んでこの階まで逃げてきた。
依然として乱れた呼吸を整えられないままこの階の回廊を辿り続けていたオオカワウソは、ふと背後に何者かの気配を感じる。
振り返るそこには、
『ハ、ハハ……エレベータを使う音は、しなかったぞ?』
異質が居た。
両手に凶器を携えた前傾の立ち居で前方のオオカワウソを見据えていた。
目尻に眼球を寄せては、肩越しに異質を捉えたまま逃げ続けるオオカワウソと──そして、もはや焦る様子もなくゆっくりとそれを負い続ける異質。
しばししてついに力尽き、オオカワウソは前のめりにもんどりうつ。
それでも両手を背後については上体を斜にし、尻を引きずってなおも後退しようとするオオカワウソにやがては異質も追いつく。
感慨も無く、言葉すら掛けずに異質は両腕を振り上げると、逆手に握られた仇花の杖の切っ先をオオカワウソに定める。
そして今まさにそれを振り落とそうとしたその刹那──
『ハ……ハハハ………ハハハハ!』
オオカワウソが笑った。
そして、
『アタシ達の勝ちだ……蟻んこ!』
次の瞬間──遥か上空から飛来した強大な落下物が、無慈悲にも異質を圧し潰してしまうのだった。
■ ■ ■ ■
その一歩を大きく踏み出すと──俺は大きくため息をついた。
踵の下には、いま踏み潰した物体が靴のゴム底越しに不快な存在感を残している。
ゆっくりとその足を上げると、僅かな粘着感の後にその下で原型も無く圧死させられた異質の赤黒い残骸が窺えた。
そうして足を引き、さらにその元に視線を辿らせれば──
『ハハハハ! 助かった! ハハハハ!』
先の異質に劣らぬサイズに縮小した相棒がそこにいた。
立ち上がってはしきりと何かを訴えてはいるが、このサイズ差となっては笑い声以外ほとんど聞き取れない。
屈みこんで手を差し出すと、今までの疲労困憊だった様子が嘘のように飛び乗り、瞬く間の右腕をよじ登っては俺の耳の隣へと着ける。
そして胸いっぱいに息を吸い込み、
『ハハハハ! ハハハハ!』
俺の耳を抱きしめるや、さも嬉しそうに笑い続けるのであった。
場所は『縮小する階』の回廊である。
先刻、あの異質を前にした時の相棒の言葉──『象と蟻』のそれに、俺はこの回廊を使った撃退法を瞬時に理解した。
この階の特質として、エレベーター側から回廊へ進む者はその進度に応じて身の丈が縮むが、一方で階の中頃から階段で入場しエレベーター側へ進む場合には、縮小の現象が生じない。
ゆえに俺は階段からこの階へと至り、相棒はエレベーター側から入場しては異質と共にこの回廊を辿って我が身を縮小をさせた。
後は御覧の通りである。
等身大での対戦では歯が立たずとも、象と蟻ほどの体格差ともあれば話は別だ。ただ『踏む』だけで勝負は決する。
これこそは俺と相棒の馴れ初めに由来する作戦でもあり、もはやあのやり取りからではこの戦略しか俺には思いつかなかった。
とはいえしかし、全くの自信があったわけではない。
むしろ成功した今だからこそ安堵もしているが、作戦実行中であった時には、果たして自分が相棒に忖度出来ているものか実に不安でもあったのだ。
しかしながら無事にこの作戦を成功させた今、俺は初めて彼女を『相棒』として迎え入れられたような気がした。
そしてそれは相棒もまた同じらしく、
『ハハハハ! よくやった! ハハハハ! 相棒‼』
幾度となく笑い声をあげては、俺の耳を伸ばしたり縮めたりしては全身を使ってこの喜びを表現するのであった。
「とはいえ、お前どうやって戻るんだ? 複製階を使うんならその……死ぬしかない、のか?」
『たぶん平気。お前、仮眠室って知ってるか? そこでアタシを探せばたぶん大丈夫』
「仮眠室? じゃあそこに向かえばいいのか? 場所を教えてくれ」
『今夜はこのままでいい。やりたいこともある』
「やりたいこと?」
ざわり、と俺の不整脈が鼓動する。
嫌な予感がした。それこそはこの相棒のことを分かっているからこそに感じる悪寒でもある。
そんな不安に駆られる俺へと何故かに相棒は声を潜め、
『……このサイズなら、特大のソーセージが食えるだろ?』
そう耳打ちしてくるそのことを理解しかねて俺は首をひねる。そんな声をひそめて言うようなことであるのだろうか?
しかし徐々に俺は、彼女の言わんとしていることを理解した。
そして相棒の意図を完全に理解するや──引いた。
「……本気かお前?」
『ハハハハ! ごほーび! ハハハハ!』
そう言っては甘噛みに俺の耳を噛む相棒。
『甘噛み』とはいえ、元より切っ先の鋭い彼女の牙とあってはそれでも鋭い痛みが耳介に走る。
そんな痛みを来るべき今夜に想像して、俺は縮み上がる思いがした。
【 終 】