マンション攻略をする者、そしてそこに住む者達にとって『バザール』は格別の楽しみだ。
そしてその『バザール』もまた、このマンションの怪異の一つである。
件のバザールは年に数回ほど行われるが、それがいつ行われるのかは誰も知らない。
その催しを知らせる情報はどこにも存在しないというのに、いざバザールが近づくと、俺達は当然の如くにそれを『思い出す』のだ。
かくいう俺も一週間前に今回のバザールを思い出してからというもの、今日の日を指折り数えて待ち続けてきた。
怪異はバザールが行われる『会場』にも表れる。
毎回バザールは一階部分のエントランスにて行われるのだが、通常は入場口から内部階段に至る突き当りまでが見渡せる程度のエントランスが、その日は数百人が押し掛けてもなおパンクすることの無いキャパシティをそこに作り出す。
このことについては一度でもバザールに参加したことのある者は、誰しもが疑問に持つことである。
そして次回の参加の折には『その秘密を解明してやろう』と躍起になるのだが──いざバザールの場へ飛び込むと、途端にそんなことはどうでもよくなってしまう。
会場に集まった物品や食料品を見て回る楽しさに心を囚われ、いつしかそんな怪異(バザール)の解明などはどうでもよくなってしまうのだ。
斯様なバザールは、攻略勢や内外のフレンズ達によって執り行われる。
それぞれがマンション内で発見した成果や食料、はたまた料理の腕に自信のある者はそれを提供する屋台などを展開させるなどして、それぞれに出店をするのだ。
責任者や運営者などはいないが、不思議と問題は起こらない。多少の小競り合いなどは生じても、それが深刻な問題にまで発展することもまず無い。
そもそも揉めていた当人達もが、最後はそれぞれに納得して場が収まってしまう。
このマンションの攻略に挑むようになって、俺には3回目のバザールだった。
今回も出店(でみせ)を持たない『一般勢』としての参加ではあるが、いつか『出品側』の参加もしてみたいと思っている。
そんなバザールの朝──相方は今回の参加を決めかねては、いつまでも部屋の中を右往左往していた。
断片的に聞き取った話からその理由を想像するに、どうやら会いたくない相手がバザールにはいるらしい。
そしてその相手については俺にも凡その予想がついていた──
オオカワウソ達である。
そもそもが彼女達オオカワウソは3人一組を基本としたチームでマンション攻略に挑む。
同じ顔つきが並ぶことからおそらくは複製階を利用し、『自分』を量産しては攻略に挑んでいるであろうことが窺えた。
俺自身も相方と共にマンションへ潜る身としては、この『仲間』の存在は無くてはならぬものである。
そしてそれが、攻略の指針がぶれない同じ志の仲間であったとしたらこれ以上に心強く、そして効率の良いものはないだろう。
それだけに一度でもチームから外れてしまったオオカワウソは、自己喪失に苦しむこととなる。
新たなチームは既に『自分』ではない──そもそもは三位一体という『個』から切り離された時点で、既に自分は従来の『オオカワウソ』ではなくなっているのだから。
そうなってしまうと今の自分とは何者なのかと考え込むようになる。
そんな状態の時に再び『自分』と向き合う事となるオオカワウソチームとの遭遇は、傍から見る俺が考えただけでも面倒な問題のように思えた。
「どうする? 行かないのか?」
『うぅ………』
「じゃあ、今回は留守番してろ。なんかお土産持ってきてやるから」
眉元を複雑に盛り上がらせては苦悶に瞼を閉じる相棒をよそに俺は出掛ける準備をする。
そうして玄関を出て数歩も歩かないうちに……
『行くよぉ! おいてくなぁ!』
相棒は激しく玄関ドアを開け放っては走り寄ると、タックルよろしくに俺の腰へと飛びついてくるのであった。
■ ■ ■ ■
エレベーターの扉が開くなり──喧騒や人熟(ひといき)れといった、圧倒的な人数による空気の圧が俺達の体を叩いた。
鼻孔に入り込んでくる空気には一嗅ぎしたならば不快ともととりかねない様々なヒトやフレンズの体臭とともに、これまた多種多様な料理の匂いが入り混じったものが充満しているのだが──それこそが『バザールに帰ってきた』という実感を呼び起こさせては、徐々に俺達を昂らせていく。
『ハハハ! ハハハハ! 行こう! 早く! ハハハ! バザール! バザール‼』
事実、相棒などは先ほどまでの落ち込んだ様子が嘘のよう、興奮も露わに俺の手を引いては人混みの中へ入って行こうとする。
『なんだアレ!? ハハハ! 美味そう! アレ! たーのしー‼ ハハハハ!』
「分かった! 分かったからもうちょっと力を緩めてくれ」
エレベーターを降りてからも、皮膚を突き破らんばかりに爪を立てては俺の手を引く相棒は、倒れんばかりに前のめりになって人混みに頭を突っ込んでいる。
しばし俺達は時間を忘れてバザールを見て回った。
今年は例年以上に出店が多く、実に多種多様でもあった。
とあるフレンズの出店が興味深く、随分の時間を俺達はそこで費やした。
曰く『精神汚染を回復させる苔』や『持ち主に加護を与える異形の抜け殻』が興味深く、それら商品について語る含蓄に富んだ彼女の説明は、純粋な怪異の解明と解釈という観点からも非常に参考となる話であった。
しかしながらその効果が約束された商品はどれもが高額で、結局は冷かしに終わってしまったのが申し訳ない……。
もっとも向こうとしてもそれに気分を害した様子はなさそうで、最後は引き攣るような甲高い笑い声で俺達を送ってくれた。
『クンクン! ハハハ! いい匂い! ハハハハ! あのラーメン‼』
しばし歩いていると相棒は高く鼻を立てては何か食べ物の匂いをかぎ取る。
見れば行き先の一角にラーメン屋の屋台が出ていて、俺自身もそこからの香りを一嗅ぎするや立ちどころに食欲を刺激されては胃が鳴った。
「ちょうどいいな。昼はあそこで済ませるか」
『ラーメン! ラーメン‼ ハハハハ!』
匂いからも分かる通りに店は盛況で、注文からラーメンが到着するまでしばしの時間を要した。
もっともその間にこれから回る出店のルートを確認したり、最低限は済ませておかなければならない買い物の打ち合わせなどをしていると、待ち時間などはすぐに過ぎ去った。
到着したラーメンは期待を裏切らぬ濃厚な仕上がりで、各テーブルやカウンターに置いてある高菜で味に変化を持たせられるのが楽しい。
相棒に至っては自分の席の前にある高菜を全て食べてしまったが、店主のフレンズはそれを笑顔で許してくれた。
『美味かった! あの草が美味かった!』
「高菜だろ? でも確かに美味かったな。このラーメン屋、今回だけじゃなくてこの近所にも来てくれたらいいのにな」
『いいのにな! ハハハハ! いい高菜‼ ハハハハ‼』
その後はさらにエントランス内を数周し、その間に買い食いや数少ない知り合いと遭遇しては情報交換などすると──俺達のバザールも一区切りがついた。
今回の戦利品はネズミボトル用に調教された適応ネズミを5匹と未開拓階の情報をまとめたガイドマップが数通、次シーズンの衣料を数着とさらには相棒用に新しいバールが一本──コレが今回の猟果であった。
■ ■ ■ ■
午前中に出かけたはずが、気付けばもう日がとっぷりと暮れている。バザールの時はいつもこんな感じだ。
居住階に着き、部屋までの通路を歩きながら俺は隣の相棒を横目で見下ろす。相棒はいつの間にか買ったであろう赤い林檎を取り出してはその一口で半分以上食べた。
さらに咀嚼しながらそれを俺に渡し、残りを食べるように勧める。
礼を言って一口頬張る林檎はなんとも不思議な味がした。
酸味・甘み・食感……そのどれもが知っているもののはずなのに、まるで初めて食べたような感覚が脳髄に突き抜ける。
果たしてこれは俺の知る『林檎』であるのだろうか?
あのバザールで売られてたと言うことはこのマンションで収穫された物であり、果たしてそれが正常な林檎であるのかどうかも実際のところ怪しい。
『美味いか? 『エリクサー』って言うんだぞソレ? ハハハ』
交互に林檎を交換し合って食べ続けていると、自然と俺は彼女のことを考え始めていた。
今日は偶々オオカワウソ達と会うことは無かったが、今後攻略を続けていけばいつか必ず俺達は彼女達と遭遇することになるだろう。
その時の相棒のことを考えると胸が締め付けられた……今朝の、らしくもなく苦悩しては落ち込んでいた姿もまた重なって、なおさらに俺はやるせなくなる。
そして俺は無意識のうちに、
「もうオオカワウソ達のことなんて考えるなよ」
そんなことを相棒に言った。
前振りすらなかった突然の話題に、相棒は林檎に歯を立てたままキョトンと俺を見上げる。
一方で勝手に溢れ出した俺の想いも止まらない。
「もうお前は俺の相棒なんだ。そのことに胸を張ってほしい。俺もお前と出会て良かったって思ってるし、お前のパートナーだってことも嬉しく思ってる」
『ハハ………?』
「お前がしょげてると俺だって辛いし、もし不安な時は俺を頼れ。お前よりもずっと弱い俺だけど、全力で守ってやる」
『…………』
「っていうか、俺にはお前が必要なんだ。もうお前無しじゃ生きられない。だからどこにも行かないでくれ。いつまでも俺の相棒でいてくれ」
いつしか立ち止まり、互いに向き合いながら俺は今日までの感謝と、そしてこれからの願いを相棒に伝えた。
口下手で語彙も貧相ならば、なんとも稚拙な伝え方ではあったが、それでも言いたいことは言えた。
そんなことに自己満足してると、やがて相棒は思いもよらない言葉を返してきた。
『……それってさ、プロポーズ?』
言われてその一瞬、俺は思わず放心する。
相棒が何を言っているのかが分からなかった。
俺はこれからも一緒にマンション攻略を頑張っていこうと言葉を掛けていたはずなのに、どうしてそんな返事が相棒から返ってくるのか?
しかしいざ冷静になり、俺は今しがた自分が口走った台詞の数々を思い出す。
──お前と出会えてよかった
──お前のパートナーで嬉しい
──不安な時は俺を頼れ
──全力で守ってやる
──お前が必要だ
──どこにもいかないでくれ
そして──
『もうお前無しじゃ生きられないー?』
俺の心を読んだように見上げてくる相棒の目が──これ以上になく輝いては、イタズラ心を抑えきれない笑みをそこに満たす。
『アタシからはどんな質問が聞きたい? 毎朝みそ汁を作ろうか? 子供は何人欲しい? ご飯にする? お風呂にする? それとも、ア・タ・シ?』
嬉しそうな……貌だ。
そして俺は気付く。
俺は──とんでもないことをしてしまった。
言い訳ではないが、あの林檎を食べた時から何やら心身共に解放されたような気分になってしまったのだ。
しかし冷静さを取り戻した今となっては、もはや相棒の顔をまともに見てはいられない。否、一秒でも一緒にいられない。
斯様な羞恥心に顔はもとより、全身の内側から火が噴き上げるかのようですらある。
そしてついに肉体と精神に限界を迎えた俺は──
「う………ッうわぁぁぁぁああああああああああああぁぁぁ‼」
相棒を置き去りに走り出していた。
『あ、待てコイツ! ハハハハ!』
同時に相棒もまたそんな俺の後を追って地を蹴った。
あとはもう力尽きて相棒に捕らえられるまで──俺は夕闇のマンションをどこまでも走り続けるのであった。
【 終 】