その日は映画を観ようということになった。
きっかけはとあるアニメの話題で盛り上がったことに始まる。
少し前──かねてより登録していた動画配信サービスのとあるコンテンツに、俺と相棒は共にして嵌まり込んだ。
荒廃した世界の中において死に場所を求め旅をする姉妹達のその物語は、一見して単純な筋書きの中にも様々な考察を捗らせる要素が断片的に散りばめられており、俺達は話数を追うごとに互いの解釈を物語に当てはめては語り合うことに熱中していった。
やがては一連のシリーズを視聴し終える頃にはすっかり一端の評論家かぶれとして出来上がっており、その知的好奇心の矛先が新たなジャンル開拓の探求に向かうことは自然の成り行きと言えた。
以降は古今の名作を始めとして手当たり次第に、それこそアクション・サスペンス・ドキュメンタリー、さらにはエログロホラーのB級とも取られかねない作品に至るまで、ジャンルの垣根も無しに俺達は貪るように視聴した。
ついには巨大なスクリーンと整えられた音響の元で作品を愉しみたいという原初の欲求に帰結し、攻略勢の性か俺達はこのマンションの『シアター』へと至る運びになった訳である。
『ハハハ! なあ、何観る!? SFか? コメディか? アニメでもいいぞ!』
「ふふふ……今の俺達ならどんな作品も楽しめる自信があるな」
自称『映画通』をこじらせた俺達の増上慢はこの時頂点に達しており、むしろ求めるものは巷間を席巻している話題作などではなく、一般人には理解できない・あるいは興味の持てない偏執的な映画を欲するようになっていた。
そう言った意味では、このマンションのシアターほどふさわしい場所は無い。
事実このシアターにおいては、世間一般的に流通されているような作品が上映されているのを見た事はなかった。
とはいえ俺も足しげくにこの場所へ通っていたわけではなく、むしろ映画鑑賞という目的であれば、此処の利用は今回が初めてである。
過去に数度、マンション探索の一環としてシアターのロビーまで足を踏み入れことはあったが、その時は上映中の作品を告知する壁掛けのパネルを確認する程度であった。
一方で相棒はというとオオカワウソチーム時代に一度この場所を訪れたことがあるらしい。
『なんか面白かった。アクションだったと思う。怪獣とオオカワウソが戦うヤツ!』
とはいえ、その説明からB級感は否めない。
それゆえに俺達の『クソ映画に対する歪んだ期待』は否が応にも高まるのであった。
エレベーターを呼び出し、いざ箱の中に乗り込もうとしたその時、俺は財布を忘れていることに気付く。
「いかん。これじゃポップコーンとドリンクが買えん。先に行っててくれ、後から追いつく」
『おう、早くしろよ!』
先に乗り込んだ相棒に伝えると、俺達は一旦別れそれぞれにシアターへと向かうことにする。
帰宅して財布を回収すると、再びエレベーターを呼び戻しては俺も劇場に急いだ。
エレベーターのスライドドアが開くと、もう目の前がシアターのロビーだ。降りてすぐに、先に到着していた相棒が上映中を知らせる各劇場のポスターを見上げている姿が見えた。
場には相棒一人しかいなかった。
19時という時間帯ではあったが、平日の夜などはこんなものだろう。俺は相棒に声を掛けると、隣だってポスターを見上げる。
「どうだ? 面白そうなのはあるか?」
『うーん………』
この日、壁に掛けられていた作品は4つ──
・『 裏切りの獣よ北へ飛べ 』 ──
黒一色の背景の中、おそらくは駆け出しているだろう流線形の獣のシルエットが4つ。
先頭の一匹は白く抜き取られており、残る3匹は赤く塗りつぶされては先の一匹の跡を追う構図となっている。
印象としてはアクション映画を思わせた。
・『 肉を焼く水 』 ──
こちらは赤い背景の中にショートカットの少女と思わしきシルエットが抜き取られており、頭に向かう上半分は目も醒めるような青であるのに対して、胸元から下に向かっては徐々に色彩が赤黒くグラデーションしては色を沈下させている。
おそらくはホラー寄りのサスペンスやミステリーと言ったところか。
・『 北で君と逢う 』
三枚目になると一転して色調が軽く明るくなった。
並び立つ、ヒトとフレンズの後ろ姿を映した1枚で、男女と思しきその二人は青空の下で荒野に立っている。背負うバックパックや装備の類でヒト側の容姿は判別しにくいが、隣に立つフレンズは灰のコートに身を包んだオオカワウソのようだ。
内容は悲哀の恋愛モノとも取れなくはないが、その後ろ姿があまりにも相棒に似ていて、俺はこの映画に興味を持った。
「どうだ、決まったか? 俺はこれが……──」
ふと隣に視線を移し相棒を見やると、彼女は俺の声も聞こえないといった真剣な様子で前方を見上げている。
どうやら4作目のポスターを見つめているらしい。
いつにないその表情に『どのようなものか?』と俺も視線を向けると、そこにあったものはアニメ作品の映画であった。
・『人神間(トカザマ)』 ──
薄紅色の暖色を背景に、楕円形に丸っぽい出足をつけた簡素なデザインの動物が二匹で抱き合っている。
一匹はこちらに背を向けて、一方でもう一匹はこちらを見つめている構図なのだが……僅かに眉をひそめたその表情はどこか浮かない。
一見したならば幼児向けのアニメ作品と思しきデザインであるにも関わらず、なぜがこの作品に俺は言いようのない不安を覚えていた。
しかし相棒は、
『……これが観たい。これがいい!』
呟くように応え我に返ったかと思うと、よじ登るように俺の胸にすがっては立てた人差し指の右手でその映画を指した。
その様子には哀願してくるような、いつにないしおらしさが感じられ、そのギャップに戸惑っては思わず俺も頷いてしまう。
とはいえ、今日の鑑賞は何でも良かったということもまた思い出して俺も自分を納得させる。
ならば相棒の望む物を観せてやろうと、俺達はそれぞれにポップコーンとドリンクを購入し、ロビーからホワイエへと至ろうとしたその時──俺は左手の壁面に走り書きされたとある一文に目を止めた。
[ DON‘T WATCH ALONE! (一人では観るな) ]
これは何かの演出であろうか?
通常のマンション攻略においては攻略勢同士が警告を他者に促す為、こうした走り書きを壁や什器に施すことがある──それがこんな設備の整えられた場所に書き殴られた違和感に、その一瞬俺も攻略勢としての感覚を取り戻していた。
しかしそれも一瞬のことで、
『おーい、早くしろー! 始まるぞー!』
ホワイエの先から駆けられる相棒の声に俺も現実に戻される。
さして意味はあるまいとこの時は片づけることにした。今は映画を楽しみたいという欲求の方が勝ってる。
やがては俺も相棒の後に続いて入場するとシアター内の席に落ち着いた。
劇場内の観客は俺達二人だけの様子で、しかも座るなりに照明が落とされては幕間の企業広告が始まる。このマンションの入居者を募集するものだった。
次いで先付予告として、先ほど俺が候補に挙げていた『北で君と出会う』の映像が流される。
その映像を目の当たりにしてその一瞬、俺は小さな驚きを覚えた。
ヒロインと思しき少女が相棒にそっくりであったからだ。否、そのままに相棒と言っても過言ではない。
断片的にそのヒロインが様々な場所を探索する姿がサブリミナル的に連続して表示されるのではあるが、その最後にヒロインとは違うもう一人の登場人物が数瞬だけカメラの端に写る。
それこそは──紛れもない『俺』であった。
この時になって俺は初めてホワイエの入り口にあった落書きと、突き詰めてはこの場所が『マンション』の一角であったことを思い出す。
一階エントランスより上はどこに居ようとも常に怪異が付きまとう。それは居住階であるはずの二階ですら例外ではないのだ。
ましてやそこよりもさらに上階となる此処が怪異の及ばぬ場所であろうなどと、どうして俺は思ってしまったのか。
一切の装備も無しに普段着でこの場所に至ってしまった己の迂闊を悔やんでは立ち上がりかけた時──本編の上映が始まった。
『座って………!』
その瞬間、制する相棒の声に合わせてまるで見えない手に両肩を押さえつけられたかのよう、俺は落ちるが如くに席へと座らされる。
一方で隣の相棒はというと、まだタイトルすら表示されない序盤であるというのに既に尋常ならざる集中力でスクリーンを注視している。
同時に俺もまた体の自由が上手く利かなくなっていることに気付く。
しまった──と思った。すでに捕食者の口の中に入ってしまった。
どうにかして体の自由を取り戻せないか躍起になっていると、目の前のスクリーンにはあのポスターに描かれていたキャラクターが登場する。
色鉛筆を思わせる淡いタッチのもと、輪郭が太く描き出されたキャラクターは愛らしいの一言に尽きた。
物語はオスと思しき一匹が、とあるメスに助けられるところから始まる。
その後はオスもまたメスの窮地を救ったことから、二匹は意気投合して一緒に暮らし始めるのだ。
共に山野を駆けて苦楽を共にするうちに二匹の距離はどんどんと縮まっていく。
途中には二匹が性的関係を持ったかもしれないと匂わせるシーンもあり、その一見子供向けなデザインとのギャップも相成っては、いつしか俺もこの非常事態にも拘わらずに没頭していった。
同時にある事にも気づく。
この映画は──俺達の物語だ。
否、この映画だけに留まらない。
これ以外の三作もまた強く俺と相棒のことを意識した内容であったのではないだろうか?
「………いや、違う……この映画館は、『俺達』の物語じゃない……!」
他の映画のポスターの内容を思い出すうちに、やがてはこれら映画の全てが隣にいる『相棒だけ』を題材にしていた作品群であったことに気付く。
同時にこのシアターへ至る時にホワイエで見た『DON‘T WATCH ALONE!』の警告も思い出す。
ここで言う『一人』とは、ロビーに至るところから既に始まっていたのだ。
奇しくも今日、俺が財布を忘れたことにより相棒は『一人』でこのシアターへ入ってしまった。怪異(シアター)はそんな一人きりの得物を狩り取るべくに、相棒の深層心理に侵食する作品を胎内に作り出した。
唯一の誤算は遅れてきた『俺』という、催眠が及ばない異物が混入してしまったことだが、しょせんはヒト一人程度ならば力技で抑え込もうと結論付けたようだ。
「くそッ……ヤバいぞ、目を覚ませ……!」
辛うじてスクリーンから顔を背けては警告をするも、隣にて映画に没頭する相棒には既にそんな俺の声すら遠い。
それでもさらにもがき続け、どうにか体の自由を取り戻そうと躍起になっていると、少しずつだが四肢の自由が戻っていく感覚が肉体に蘇ってくる。
要は目の前の映像を観ないように、そして音声を聞かないようにすればこの拘束は緩むらしい。
それが分かり、震える右腕を相棒の目の前にかざしては視聴の邪魔をしようとするも、それに合わせて相棒も視点を変えてしまい、一向に俺の思惑は上手くいかない。
もはや目の前に立つくらいではないと相棒の視界を妨げられないと判断した俺は、持てる力を振り絞って最後の手段に出る。
辛うじて立ち上がるや──倒れ込むようにして、座る相棒の上に全体で覆いかぶさった。
『ッ!? 見えない……見えない!』
当然の如くにどうにか俺を振り切っては再びスクリーンへ瞳を戻そうとする相棒にさらに俺もしがみ付く。
ここが正念場だ。俺は彼女の両耳を塞ぐように頭を掻い繰ると、スクリーンの代わりに俺の目に焦点が集中するよう顔を接着させた。
鼻先同士が強く押し付け合ったがもはや気になど掛けてはいられない。もがく相棒を体格に任せて押さえつけては映画から守っているとやがて……
『……──ん? な、なんだ? 何してる!?』
相棒の瞳にも理性の光が戻った。
それを確認すると俺は僅かに鼻先を離し、
「わ、罠だ……このシアター自体が怪異だったんだよ! 早く逃げろ……肉体か精神かは分からんが、このままここに居ると俺達は何かを食われるぞ……!」
『ハハハ……て、撤退!』
正気を取り戻した相棒もまた立ち上がろうとするが、そこは俺同様に体の自由が利かなくなっている様子で、結果俺達は這いずりながらシアターの出口へと進んだ。
その最中、背後からは──
[ 逃げル、な……! ]
映画の中のキャラクターが俺達に向かって言葉を投げかける。
[ 席、ニ、戻れ……! ]
目が眩むほどに画面を明滅させ、音響の限りにくぐもった声を幾重にも重ねては俺達を引き戻そうとする。
そんな爆音と閃光が入り混じる戦場さながらのシアターを匍匐前進で俺達は脱出する──痺れる体に鞭を打ち、遅々としながらもシアターを出ると、俺達は依然として這いつくばったままホワイエを抜け、ついにはロビーまで戻ってくる。
そこに表示された上映中を知らせるポスターは一様に、
・逃げるな!
・戻れ!
・映画の続きを観ろ!
・シアターに沈め……!
もはやこのシアターが一個の生物であるかのよう、それを使って俺達を引き留めようと躍起になっている。
それすらも振り切ってエレベーターに辿り着くと、俺は壁面にしがみつくように体を起こしては上下の境も無くただ呼び出しのボタンを叩く。
そうして開くエレベーターのハコに相棒を押し込むと、俺もまたその中になだれ込んでは扉を閉めた。
閉じゆく扉の隙間越しに見るシアターは、床から天井に至るまで赤黒い瘴気に覆われていた。
「はぁはぁはぁ、はぁ………ッ」
『はぁはぁ……ハハ……ハハハ……はぁ~……』
しばし箱の中で互いに寄り添っては支えったまま、俺達は優に五分はそうして喘ぎ続けていた。
やがて……──
『ハハハ……映画に、負けないなコレ……』
「……続編は、カンベン願いたいけどな」
掛けられる相棒の言葉に応えては、互いに力なく笑い合う。
それでも俺は、これが映画なら最後に大オチが控えていると訝しんで、スタッフロールが終わるまでは観客は誰も立ち上がらないのだろうな──と、そんな穿ったことを考えては、さらに自嘲するのであった。
【 終 】