アライさんマンション・二次創作   作:たつおか

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【 食堂 】

 怪異における『攻略難度』なるものを、俺は独自に設定していた。

 

 最も危険を示す『D』から比較的安全な『A』までの4段階にランク分けすることでマンションの怪異を数値化し、攻略者が怪異に対し最善の対処やアプローチが行えないかどうかを試していたのだ。

 

 有り体に言うならば個人やチームの『レベル』を設定することで、攻略者は己のランクよりも上の怪異に対してはより慎重に振舞えるようになり、はたまた身の程を弁えるのであるならば己の無謀を窘められる。

 

 これによって、より安全に怪異の攻略と、そして当人のレベルアップとを補助できるのがこの『攻略難度』であると俺は常々主張していた。

 が……──

 

『ハハ、なんだそれ? くだらないの』

 

 しかしながらそんな俺の主張は、空しくも相棒には通じない。鼻で笑われた挙句に『くだらない』と一蹴されて終わった。

 

 これが他人の物差しであったのならば俺も一考に値するところはあったのだろうが、こと自分の定規とあってはこちらも引き下がる訳にはいかない。

 

「ならば証明してやる!」

 

 本来は己を客観視するために考案されたものであるにもかかわらず、こうにも感情的になってしまっているのだから、今となっては笑い話も甚だしい。

 しかしながらその時の俺は、『相棒に認められたい』──そうした強い想いに駆られては行動を開始したのであった。

 

 そんな俺が、自説の証明に選んだ怪異こそが──『食堂』である。

 

 ここは消失の怪異として知られる。他者の死角が『異界』と化し、入場者を消失させるのだ。

 例えるに二人でこの場所へ入場した場合、その二人が同じ方向・対象を目視している場合には怪異は起こらない。

 しかしどちらかの一方が同調させていた視軸を外した瞬間、二人の視覚の死角となったスペースが異界化する。

 

 異界化した空間はそこに近い入場者を飲み込み、その者は消失させられる。

 ここで言う『消失』が死を意味するのか、それとも別な場所へ飛ばされるものなのかは分からない……飲み込まれた者は二度と戻っては来ないからだ。

 

 予てよりこの怪異に対しては相棒でさえもが調査に難色を示していた。

 彼女曰く『分かり切ったこと』であるからだと言う。

 

 先の『死角に飲み込まれるルール』はもはや攻略勢には周知の事実であり、この場所から得られる情報は皆無だという。

 そんな場所への来訪は自殺と同義であり、斯様に意義の無い行為で命を危険に晒す行為は『バカのすること』だとも相棒は断言した。

 

 しかしだからこそ、俺は『食堂』を攻略対象に選んだのだ。

 

 相棒の否定を肯定へと書き換えるには、彼女の価値観そのものを壊してやる他にない。

 ならば相棒が忌避したこの場所の攻略ほど、それを証明するにふさわしい場所は無いだろう。

 

 意気揚々と俺は『食堂』へと至り、そして出入り口から室内の全貌を見渡した。

 

『食堂』はマンションの一室に作られた30㎡ほどの縦長の空間である。

 客は一室の中央部より入出し、向かって右手に向かい合わせのソファとテーブルが配置されたいわゆるボックス席が数組並び、左手側にブッフェ形式の料理が配膳されたスペースが設けられている。

 

 慎重に室内へと踏み入りながら入り口にほど近い席の一室に腰かける。

 意気込んで攻略に乗り込んではみたが、いざ怪異の中心にいると思うとそれまでの倨傲は途端に鳴りを潜め、臆病にもソファーの端へ浅く座る俺の姿は自分でも分かるくらいに滑稽であった。

 

 しかしながらと自分を鼓舞しては奮い立たせる。

 

 この場所の怪異についての攻略法は完璧だ。

 何も心配することはない。再び意気込んでは興奮を身の内に呼び覚ましながら、俺は記録用のデジカメを準備しては録画の支度をする。

しかしその矢先、

 

「……ん? なッ……──!?」

 

 いつの間にかテーブルの目の前にはコップに汲まれた水が置いてあった。

 

 そのことに驚いては立ち上がり、周囲を見回す。

 客の姿は俺以外には誰も居ない。店員の姿も然りだ。ならばこの水は誰がここへ運んできたというのだろう?

ただ『水』があったという怪異とも呼べぬようなそれにもしかし、俺は哀れなほど狼狽しては周囲を見渡す。心臓は早鐘を打つかのように乱れては再度俺のモチベーションを下げていった。

 

「もしかして……俺は本当にバカなことをしてるんじゃないんだろうか?」

 

 相方の呆れ顔が脳裏に浮かんだ。思わず呟くと、今度は席に深く座り直しては額を抑える。

 

 そもそもどうして俺はこんなにムキになっていたのだろう?

 自分の調査法を否定されるということは、そんなにも癪に障る事であったのか? 

 今さらながら冷静になってくると、途端に今の自分が滑稽に思えて──同時にこの状況が恐ろしくも思えるのであった。

 

 今回の『食堂攻略』は相棒にさえ知らせてはいない。こっそり攻略しては、後ほど盛大に成果を突き付けてはその鼻を明かしてやるつもりだったからだ。

 しかしその行為は一切の『保険』を排除した行為であることにも俺はいま気付いた。

 

「どうかしていた……帰ろう。いったい何を考えてたんだ俺は……」

 

 ようやく我に返り、俺は早々にこの場を立ち去ろうと席を立つ。

 その時であった。

 

 食堂の入り口に立つ何者かの存在に気付いた。

 そこに立っていた者は、何者かのフレンズであった。

 

 種別までは判断できない。

 色合いの落ち着いた深い藍のブラウスに黒のミニスカートと、胸元には同じく黒のリボンタイが大きなアクセントとなっている。

 

 どこか眠たげな、はたまた不安げにも見えるその表情から察するに、彼女はこの場所の怪異というよりは、俺と同じくに『食堂』を訪れた客の一人であるように見受けられた。

 しかしながらこの場合、重要なのはそんな彼女の登場などではない。

 

 彼女の出現により互いの視線を交わしてしまったことの弊害……他人の死角を俺が認識してしまったことにこそある。

 それこそはこの場所におけるタブーであり、怪異の引き金となるスイッチであるからだ。

途端──俺の周囲は異界と化した。

 

「な、なんだッ!? ……これはッ?」

 

 今まで何の変哲も無くスプリングの感触を伝えていたソファの尻元がジワリと液状化した。

 同時に斯様な液体は坐臥の下半身に沁み込んでは、溶かして同化するかのようズボン下を濡らしてくる。

 

 怪異が始まった──もはや俺は『食堂』のそれに完全に嵌まり込んでいる。

 そのことに周章しては狼狽しそうになる気持ちを必死に押さえつけ、俺はかねてよりの対処法を試そうとする。

 

 万が一を想定して、俺は自分なりの対処策を用意していた。

 この怪異が他者の『死角』に反応するというのならば、その死角を無くしてやればいい。バックパックから取り出した4つ折りのプラスチック板を開くと、四角形の環状に展開させたそれを俺は頭から被る。

 

 プラスチック板の内面は鏡であった。

 内面に張り巡らされた数枚の合わせ鏡の中央で、俺は自分の視線を幾重にも反射させては鏡の中の自分(他者)の視線を拡散、同一方向性の視野の獲得しようと目論んだ。

 しかし……

 

「だ、ダメだッ……何故、だ……ッ!?」

 

 飲み込まれ続ける俺への浸食が止むことは無かった。

 完全に当てが外れた……『攻略者』が聞いて呆れる。

 もはや鼻先まで怪異に沈み込み、このまま食堂に食われんとしたその時──

 

 

『捕まるのだ!』

 

 

 何者か第三者の声が響いた。

 次いで伸ばされた右手が力強く俺の頭髪をワシ掴む。

 

 その行動に最初は相棒が駆けつけてきてくれたものかとも考えたが、その声音は明らかに相棒のものとは違う。

 ともあれ助けには違いないと必死にしがみ付く彼女の腕も、相棒のものよりもずっと華奢で柔らかかった。

 

 もしかしてこれもこの『食堂』の怪異ではないかと訝しんでいると、彼女は瞬く間に俺を引きずり上げた。

 地上に出ると同時に、長らく呼吸も止めてたことに気付いて俺は強くむせ込んでは荒い呼吸をつく。

 

『慌てることは無いのだ。自分だけの足元を見ながらゆっくりと歩くのだ』

 

 完全に地上へ戻されて肩に担がれる時に、その一瞬だけ彼女の姿を見た。

 藍のブラウスに、肩にかかる程度のショートカットと立ち上がった耳の姿は、先ほど食堂の入り口で見かけたフレンズと同じものだった。

 

「なぜ……助けて、くれる……?」

『食堂の入り口であなたと目が合ってしまったのだ。あなたをこんな目に合わせてしまったのは私の責任でもあるのだ。だから助けるのだ』

 

 俺と同じくに足元を見つめながら歩いているであろうその言葉から察するに、彼女もまた攻略勢のフレンズなのだろうか?

 自信に満ちたその声と迷いの無い一挙手一投足は、共に行動する者には得も言えぬ安堵を与えてくれる。

 

『お兄さんはこんなところで何をしていたのだ? ここの食堂は危ないのだ』

「……攻略しようと、思ったんだ。でも失敗した……対応策も考えてきてたけど、まったく通じなかった」

『さっきの頭にかぶってた鏡なのだか?』

「四方に鏡を置けば視線が増えて死角が無くなるから、怪異を抑えられるはずだったんだが……」

『上と下は?』

 

 そう尋ねられ、俺は即座にこの対処法の穴に気付く。

 

『あなたの対処法は二次元しか見てないのだ。もし完全に死角を無くそうと考えるのなら、三次元にまで考えを至らせる必要があったのだ。そしてそんなものは……──』

「無い……よな」

 

 言われて俺は力なく自嘲した。

 言われる通り4面鏡の対処法は水平方向における視覚の対処しかできない。結局は足元や頭上といった『鉛直』からの死角に飲み込まれることとなる。

 

 ならば……と、この時の俺はとある疑問に気付く。

 

「なぜ、今は平気なんだ……?」

 

 考え得る限り、怪異が始まってからの対処法は皆無と思えるこの『食堂』に対し、救出以降の俺と彼女はそれに飲み込まれることなく少しずつ歩みを進められている。

 それを訪ねながら隣を見やろうとした時、

 

『視線を足元から外しちゃダメなのだ!』

 

 鋭いその声に抑えられ、反射的に俺は再び視線を歩く足元へと戻す。

 

『この『食堂』は二人以上でいる時、他人の死角が生み出した異界に飲み込まれる怪異なのだ。ならばお互いの死角を一定方向に固定すれば、問題は無いのだ』

 

 さも大したことではないように彼女は続ける。

 

『その際には視線は足元に固定して、出来るだけ視線が拡散しないように努めるのがいいのだ。さっきのお兄さんの鏡のやり方じゃ、結局は無数の視線が拡散して死角を徒に生み出すばかりなのだ』

「そ、そんな……単純な方法で良かったのか……」

『ふふふ……穿ち過ぎたるは理性の妨げなのだ』

 

 攻略の失敗、他者に尻拭いを任せるかのごとき救出、そして自己嫌悪……俺は完璧に打ちのめされては、今の倦怠感が怪異に飲まれたものからなのか、それとも精神的なショックによるものなのかが分からない。

 

 しばしして食堂を抜けると、俺達はエレベーターの中へと帰還した。

 

 ハコに入るなり、俺はつんのめるように倒れ込んでは、壁面に背を預けて立ち上がれなくなってしまった。

 倦怠感はさらに体を重くして、ぼやける視界と幾重にも音が反響する聴覚の異常からは如実に、先の怪異による肉体への影響が見て取れた。

 

『この食堂は罠にかかったヒトやフレンズを食べてしまう怪異なのだ。私が助けたとはいえ、一度頭まで飲み込まれたお兄さんは少なからずあの食堂に『食べられて』しまったのだ』

「た……食べら、れ、う? お、俺は……死ぬの、か……?」

 

 舌がもつれる。すでに呂律も回らなくなってきている。

 

『見た感じだと欠損は見られないから、少し安静にすれば体力はすぐに回復するのだ。私が送ってあげるのだ。お兄さんはこのマンションに住んでるのだ?』

 

 もはや目の前の彼女の姿すら確認できなくなっていた。意識も朦朧とする中、辛うじて自室の番号を伝えて鍵を渡すと、やがてはゆるりと五感を失う。

 

 そんな眠りに陥らんとする最後の意識の中で……──

 

『──…イさんにお任せなのだ』

 

 俺は彼女の名前を聞いたような気がした。

 

 

■  ■  ■  ■

 

 

 

三日後──

 

 

『オラオラ、きびきび歩け!』

「な、なあ……本当にこれで行くのか?」

 

 マンション攻略に復帰した俺は、先立って歩きながら背後に続く相棒を振り返っては困惑に眉元をしかめた。

 

 俺の腰元にはコイル式による伸縮可能なハーネスが付けられており、そして背後に伸びるその末端は同じくに相棒の腰に装着されていた。

 謂わば紐で繋がった状態の自分達を顧み、俺は羞恥に耐えきれず幾度となく周囲を見渡した。……これでは犬の散歩だ。

 

『ハハハ、じごーじとく! 今後はアタシがお前の管理をするからな』

「それは分かったが……これはやり過ぎだろ?」

『これくらいしないと逃げられるからな。それにこれならもうネズミボトルも要らないな。ヒトボトル! ハハハハ!』

 

 楽し気な様子の相棒を背に俺はため息しかつけない。

 

 件の食堂における攻略失敗後、俺は自室へと運び込まれたとのことだった。

 その時にはもう完全に意識を失っており、体重も全体の1/4にも近い15kgが失われていた。

 相棒は玄関先で俺を引き取り、さらには部屋まで運んでくれたフレンズから事の詳細を聞いたとのことだった。

 

「それにしても、何のフレンズだったのか分からないのか?」

『覚えてない。それどことじゃなかった。お前すごい震えててアタシが温めたんだぞ!』

 

 俺が運び込まれた時には相棒もまた取り乱しており、俺自身も意識が無かったことから、 結局は誰が俺を助けてくれたのかは分からずじまいだった。

 そうして今後の攻略においてはその命の恩人も探すこともまた目的と決め、復帰第一日目の攻略に繰り出した──というのが、現状の俺達である。

 

「お前自身は特徴とか覚えてないのか? 『一緒に』居たんだろ?」

 

 相棒から発せられる『一緒に』のアクセントが妙に強調されているのが気にもなるが、しかし俺にはあの怪異中の記憶というものがほとんど残されてはいなかった。

 あの時『食堂』に食われたのは体重だけに留まらず、こうした記憶の一部にも及んでいたらしい。

 

「あの人に対するまともな記憶は声しか覚えてないんだ。せめて声が聞ければな……」

 

 そう話していた矢先だった。

 

『うわー! やってしまったのだー、フェネックー!』

 

 突如として響いてきたその声に、俺は思案にうなだれていた頭を機敏に上げる。

 その響きこそは間違いも無い、あの日俺を救ってくれたフレンズの物であった。

 

「この声だ! 間違いない!」

 

 ついに出会えたかと思いその方向へ視線を向けるがしかし──しばししてそれが勘違いであったことを悟る。

 

 そこには、

 

『食べていたジャーキーが犬用のおやつだったのだー! 全部食べ終わってから気付いたのだー!』

『ありゃ~。やってしまったねぇ、アライさん』

 

 アライグマとフェネックのフレンズが居た。

 攻略前に立ち寄る三階部のファミリーマート前である。

 

 確かにその声音と毛皮の雰囲気は似ているが、問題の中身がまるで違う。

 こういっては何だが……目の前にいるアライグマからは知性の欠片も見当たらない。

 

『ハハ、あいつなのか?』

「いや……違う。俺を救ってくれた人はもっと毅然としてるって言うか……賢そうな感じだった」

 

 結局は勘違いではあったが、再度の邂逅が叶わなかったことに安堵している自分もいた。

 もしもう一度会える機会があるのならば、それはやはり自分が窮地に立たされた時のような気がしていた。

 すなわち彼女と逢わない限りは俺も平穏でいられるというところだろうか?

 礼儀知らずにもそう考えては俺も自嘲するのだった。

 

 そんな俺のハーネスを突如として背後から相棒は引いた。

 突然の衝撃に驚いては振り向く俺に、

 

『ハハハ、ぐずぐずするな。早く買い物済ませて今日の探索に行くぞ!』

 

 相棒はそう言いながらハーネスを手にコンビニへと入って行こうとする。

 

「ま、待て! 店の中にまでこれ付けたまま行くのか!?」

『ハハハ、罰ゲーム! あとアタシの物だってみんなに教える』

「勘弁してくれよ……本当に」

『ハハハハ! 一緒に! ハハハハ!』

 

 もはや俺の嘆願などおかまいなしに店内へと入場していく相棒。

 仕方なく俺もその後に続きながら、ふと先のフレンズ達が居た場所を振り返る。

 

 

 もはやそこに二人の姿は無く──音も無く立ち去っていた様子に俺は、再びこのマンションに飲み込まれたかのような錯覚を思い出してしまうのだった。

 

 

 

【 終 】

 

 


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