「鶴乃、ちゃん。どうしてここに?」
「何でって、私はここの管理人だもん!」
鶴乃ちゃんは、腕を広げて全身で歓喜を表した。芝居がかった、大袈裟な動きで歩み寄ると、見上げるようにして歪んだ笑みで俺に語りかける。
無理矢理吊り上げたような口角に、何故だか腹が立った。
「君は、そう言う顔する子じゃなかったろ」
「そうかな。おにーさんがそう思ってるだけで、こっちが本当かもよ?」
少なくとも俺が知っている彼女は、こんな顔はしなかった。由比鶴乃と言う人間は影の無い、悩みとは無縁の明るい少女だった。
それが、どうしてそんな表情をするんだ。
「おにーさんは、私が呼んだんだ」
「……何で?」
「いやぁ、行き詰まっちゃってね?アドバイザーが欲しかったの」
「何の?」
「この遊園地の。ほら、観覧車とメリーゴーランドしかないのも寂しいじゃん」
目的は分かった。いや、理解はしても納得してはいけない気がするが。だが何故俺なんだ。
くたびれて、やつれて、今日にも自殺を決行しようとした男を選んだ理由は何だ。遊園地を作るなら、他に幾らでも良い人材はいるだろう。況してや、俺は遊園地に行った事すら無いのに──
「私、知ってるよ。おにーさんが遊園地に行きたがってたの」
「……え?」
子供の頃の未練を、鶴乃ちゃんの前で話した覚えは無い。
いや、そもそも突然飛び出した俺の話に、思考が止まる。
「いつも万々歳でお父さんに愚痴ってたもんね。あんな大声だったら神浜の外まで響いちゃうよ」
「あの頃に帰りたい、自分を偽るのに疲れたって、ずっと言ってた」
間抜けな俺の表情が可笑しかったのか、クスクスと笑った鶴乃ちゃんは間髪入れずに次の事実を開示した。
「ずっと隣で聞いてたよ。昔から、ずっと」
何だ
「楽しい事でも、苦しい事でも、何でも知りたかったの」
何を言っている
「だってさあ、好きなんだもん。仕方ないじゃん」
この子は、何を言っているんだ
背伸びした橙の瞳がグッと迫る。淀んだそれが視界一杯に広がって、俺は思わず後退ろうとした。だけも意思とは裏腹に、体は微動だにしなかった。
昏い輝きから、目が離せない。
思考が纏まらない。滅茶苦茶な状況のまま、滅茶苦茶な何かが進んでいる。
俺にも、彼女にも止められない。
「分かるよ、おにーさんの苦しみ」
「は?」
分かる?
分かると言ったのか、鶴乃ちゃんは。
自分よりずっと若い、鮮やかな青春を謳歌している筈の少女が、社会の理不尽でボロ雑巾になった男の苦しみを理解出来ると言う。
誰かに逆らう事もせず、ひたすら使われ続ける男の何を理解出来ると言うんだ。
俺の傲りかもしれないが、少し考えすぎじゃないのか──?
「皆色々抱えてるって、分かってる。誰だって辛い事と戦ってるんだから、私が頑張らなくちゃ!」
「きっとおにーさんはそうやって自分を磨り減らしてきたんだよね。私もそうだよ?」
「おじいちゃんが死んじゃった時も、メルが死んじゃった時も、挫けなかった。
「笑顔で」
「笑顔で」
「笑顔で!」
腹の底から絞り出したような絶叫が、ピタリと止む。生気が抜けた表情の鶴乃ちゃんが、俺の頬に手を添える。
「でも、いいんだ。もう私も、おにーさんも頑張らなくて良いんだよ、永遠に」
「そんな訳、あるか。俺は、俺は何も分かってなかったんだぞ……!」
ヒンヤリとした鶴乃ちゃんの感触が滑り落ち、俺の右手に辿り着く。
絡めて、解いて、また絡める。
冷たい指が、探るように這い回っているのに、俺は全く動けない。いや、動かない。そうだ。俺は耳を塞いじゃいけない。
何で鶴乃ちゃんの苦悩に気付けなかったんだ。機会は幾らでもあっただろうに!
あんなに万々歳に通っていたんだぞ!行く度に顔を合わせて、その度に笑いあって、それでこの体たらくか!
あまりの不甲斐なさに腹が立つ。
──だが、今は苛立っている場合じゃない。明らかに鶴乃ちゃんの様子がおかしい。
一体彼女に、何が起こったんだ。
「質問は終わりかな?じゃあ遊園地を作ろう!」
「お、おお……引っ張るなよ。袖が伸びる」
彼女は此方の返答を待たなかった。
服を掴んだ鶴乃ちゃんに引き摺られるようにして、俺は歩きだす。思えば、こうして誰かに手を引かれるのも20年以上無かった事だ。
スーパーの棚に並んだ玩具。今思い返せば何て事はないそれに執着する俺を引っ張るお袋は、一体どんな表情をしていただろうか。笑っていたか、怒っていたか。
もうそれすら思い出せないけれど、何故だか無性に懐かしい。
気分が良いのかステップを踏み出した彼女の背中が、もう何年も会っていないお袋に重なって見えた。
温かい。
絡めたおにーさんの指から伝わる温度が、そのまま私の熱になる。
冷えた暖炉に新しい薪がくべられて、火が灯る。
それは私の拘泥。
それは私の愛情。
狂おしい程燃え上がって、私の身体を内から溶かす。
だらけるだけじゃ決して得られない、本物の熱。
そう、おにーさんがいなきゃ!
「──遊園地だって意味が無い!」
「へ?」
ありゃ、声に出ちゃったか。
でも私は万々歳の由比鶴乃でも、みかづき荘の由比鶴乃でも無い。
だからキモチを隠すなんて、今更そんな事するもんか。キレーションランドの管理人は、率先して皆の手本になる!
「私、おにーさんと遊園地を作りたい。ううん、おにーさんじゃなきゃ嫌だ!」
「……何でだ?何で俺なんだ。自殺するつもりだったんだぞ?」
「知ってる」
辛かった事も、苦しかった事もずっと前から聞いてきた。あの頃は、
私が、私だけがおにーさんの苦しみを受け止めてあげられるんだ。
「だからだよ」
「だから……?」
弱々しいおにーさんも勿論好きだよ。慰めてあげたいし、悩みを分かち合いたいって思うもん。でも私が一番見たいのは、全部のしがらみから解き放たれて、子供みたいに笑うおにーさん。
万々歳では絶対に見れなかったその姿を、1度で良いから見てみたい。
そして私だけが一人占め。想像するだけでゾクゾクしちゃう。誰も知らないおにーさんのありのままを、私だけが知っているなんて、そんなのもう──最高。
「私の使命は、誰も頑張らない遊園地を創ること!でも、私一人じゃ皆の苦しみを全部理解してあげられる訳ないよね」
「苦しみを……」
「そう、皆の苦しみを此処で癒すんだ。だから誰よりも苦しんで、誰よりも自分を偽った助っ人が欲しかったの」
嘘だ。
いや、全く嘘を言っている訳じゃないけど、一番の理由は秘めたまま。
自分の心は偽らないけど、物事には順番がある。
だから今は「その時」じゃない。
「そう言う事だったのか……」
「手伝って、くれるよね?」
おにーさんは、無意識に誰かに必要とされたがってる。子供の頃に何かがあったからなのか、或いは別の理由があるからなのかは分からない。
だけど、そのせいでおにーさんはたくさん背負い込んじゃう。他人の苦痛も、仕事も、人1人の肩には余る物を背負っているのに、それに気づきもしない。
自縄自縛なんて可哀想。
私がおにーさんを縛る縄を、解いてあげなきゃ。
大東区のおにーさんに夢中って、専らのウワサ。