幻想の果てに届きし願い   作:KKS

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一 遅れてきた天の御遣い

 天よりの御遣い流星に乗って来りて、あまねく天下に平穏をもたらす。

 そういうお伽噺のようなことを、生前の母から聞いたことがあった。なぜ、いまになってそのようなことを思い出したのだろうか。愛馬の背に揺られながら、孫策はふっと笑った。

 くだらない疑問をぶつけられる親友も、いまは傍にいない。普段外出となれば数人の供回りがつくものだが、今日はそうではなかった。

 思い立ったが吉日。そういう言葉があるのかどうかは知らなかったが、孫策はひとり城を飛び出したのである。

 向かったのは、墓参のため。この機会を逃しては、報告に訪れることも難しくなるかもしれない。そう思ったときには、すでに身体が駆け出していた。

 在りし日には、江東の虎とも呼ばれて恐れられた孫堅。あの母がいまも健在であれば、孫家は漢を二分するくらいの勢力を得ていたのではないか。そういうことを、時々考えてしまう。

 

「あなたが礎となって築いた孫家は、きっと天下を平定するわ。だから、見ていてね母様」

 

 風雨にさらされていくらか傷んだ墓石に、そう話しかけてきた。

 母が死してより、袁術には散々苦しめられてきた。血を流して獲得した土地を奪われ、走狗となって働くことを余儀なくされたのである。

 ひたすらに耐え続ける期間は息苦しくて仕方がなかったが、臣下や揚州の民のためと思えば凌ぐことができた。

 孫策の胸中にあったのは、それだけではない。母がやり残したこと。天下統一をいつか成し遂げるためにも、自分は生き永らえなくてはならない。盟友である周瑜にも励まされ、なんとか袁術の無茶な支配に耐えることができた。

 先年。準備を整えた孫策たちは、横暴な主家に対して反逆の狼煙をあげた。気ままに振る舞える戦場というのは、やはり心地がよかった。戦が庶人にとって災いでしかないことくらい知っているが、湧き立つ血を抑えることなどできようはずもない。孫家の当主の証である剣を振るい、敵の血を浴びる。得も言われぬ歓喜によって、全身が震えたことは記憶に新しい。

 自分は、闘いの中でしか生きられない人間なのかもしれない、と自嘲することもある。

 しかしそれは、先代以前から脈々と受け継がれてきた、武人としての血が騒いでいるということでもあるのだ。それだけに、そう感じることを、孫策は誇りに思うことにしている。

 真っ赤に染まった孫策を見て、配下の誰もが孫家の復活を信じた。

 軍勢を奪還し、故郷を取り戻すことができた。そしてなにより、武門としての誇りを再び手にすることができた。

 天下に、打って出る。孫家の意思は、ひとつに纏まっていた。

 

「あら、あれって……」

 

 夕刻に近づいた空に、一筋の光が見えたような気がした。ぱっとつき、ぱっと消えていく。それは、ひとの一生にも似ているのかもしれない。なんとなく、孫策にはそんな風に思えてならなかった。

 自分も、いつかは消えゆくときが来るのだろう。後には、頼もしい妹たちがいる。それでも、天下を賭けての戦は自分の仕事ものだ、と意気込んではいるのだ。

 

「ふふっ。わたしらしくもないって、冥琳に笑われてしまうかも。決めた、今夜は絶対一緒に寝てもらうんだから」

 

 楽しげな独り言。風にのって、辺りに散らばっていく。数人の男たちが、その進路で息を潜めていた。

 じんわりと広がる不穏な雰囲気を、孫策は感じ取ることができないでいる。鎮撫の済んでいる領内、ということもあるのだろう。

 数人の内のひとりが、弓に矢を番えている。引き絞る。岩場の陰からではあったが、確実に当てる自信があった。標的は、のんびりと馬上から景色を眺めているのである。

 息を吸う。さらに弦を引き絞り、男は弓を放つ体勢に入ろうとしていた。世界に異変が起きたのは、その瞬間だった。

 

「これは、なんだというのだ」

 

 男の後方で、眩いほどの光が発せられている。

 光の球。そう、表現するべきなのだろうか。だが、それに構っている暇もなかった。孫策に気づかれてしまっては、なにもかもが台無となってしまう。

 わけのわからない存在は恐ろしかったが、ひとまず自分の仕事をこなすしかない。男は、もう一度狙いの的を絞ろうとした。

 

「死ね、孫策」

 

「おい、そこのお前」

 

 明らかに、声が聞こえた。若い、男のような声だった。

 自分が、呼ばれている。そうするべきではないとわかっていながらも、男は後ろを振り向いてしまった。

 

「あっ」

 

 振り向いたそばから、鳩尾になにかを突き立てられてしまう。白い、鞘のようなものか。その衝撃があまりにも強かったせいで、男は息苦しそうに呻き声をあげた。

 立っていたのは、想像していた通りの若い男だった。後背に光の残滓を背負っているせいで、顔まではよく見ることができなかった。

 さらに、白い鞘のようなものが腹に押し付けられる。抵抗しようと、男は両手でそれを必死になって掴んだ。

 

「しばらく、そうしていろ。これだけ長いと、抜くだけでも手間だ」

 

「なっ、なにを……」

 

 白鞘から、鈍色に光る刀身が抜けていく。長さにして、六尺(約一メートル五十センチ)を越えるほどだった。先端に鋭さはあったが、全体としては分厚く、まるで鈍器のような印象を受ける。鍔はなく、柄の部分も鞘と同じく白木である。

 辺りの空気が、凍りついていくように錯覚してしまう。若い男は、見るからに重そうな大太刀を片手で容易く水平に構えていた。

 木製の柄がある槍などと比べて、大太刀はそのほとんどが鉄である。そのことを考慮すれば、若い男の膂力が尋常のものではないことがすぐにわかる。

 そのくせ、殺気はあまり感じられないのである。自分の立っている空間のあまりの異様さに、襲撃者の男は情けなく身体を引きつらせた。

 

「ひっ……」

 

 男が発することのできた言葉は、それだけだった。ぶんっ、という重たげな音を立てながら、大太刀の中心が男の首を捉えたのだ。分厚い刀身。めり込み、首の骨を砕いた。

 息絶えた男が、空を向いて地に倒れ込んだ。それによって、土埃が舞っている。

 

「雪蓮」

 

 若い男が、口の中で小さく呟いた。大太刀の柄は、右手で固く握られている。

 死体には一瞥もくれず、若い男は孫策のもとへと駆け出した。

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