幻想の果てに届きし願い   作:KKS

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三 それは吉兆か

 孫策は帰城すると、ひとまず自身の屋敷へと向かった。そうすることが当然であるかのように、一刀も追従している。無骨な白鞘に収められた大太刀が、行き交う民衆の目を引いていた。

 何食わぬ顔で城門を通ってきたから、孫策が帰ったことは臣下たちにもすぐに伝わったようである。とりわけ、一番の友である周瑜の来訪は早かった。しかも、誰が見ても不機嫌なことがわかるくらいに、顔をしかめている。

 

「伯符、いままでどこをほっつき歩いていた。それに……、その男はなんだ?」

 

 煙のようにいなくなった孫策のことを、ずっと探し回っていたのだろう。

 美丈夫。まさしく、周瑜はそういった表現が似合う女だった。上背があるだけに、伸びた黒髪が美しく映えている。よく引き締まった肉体は出る部分がしっかりと出ており、当代一流の武人である孫策と並んでも、まったく引けを取らない存在感を放っていた。

 

「そんなにカリカリしてると皺が増えるわよ、公瑾。紹介するわね、こっちは北郷一刀。偶然……、なのかしら。とにかく、わたしの命を救ってくれた男よ」

 

「お前の命、とは聞き捨てならないな。それに伯符、その北郷とかいう男、わたしは簡単に信用するべきではないと思うが。危害はないと見せかけ、お前を害する機を狙っている可能性すらあるかもしれないのだぞ」

 

 周瑜の切れ長な目が、一刀のことを捉えている。眼光が、一層鋭さを増していった。

 親友であり、仰ぐべき主君でもある孫策。その命が、あろうことか脅かされたのである。臣として迂闊な行動は咎めるべきではあったが、それとこれとは問題が別である。内心、自らの手で襲撃を企てた者たちの腹わたを引きずり出してやりたい、くらいのことは考えているのかもしれない。

 

「誰にどう思われようが、俺は雪蓮を護ることさえできればいい。それ以外のことは、なにも望まない」

 

「なっ……。伯符、こんなどこの馬の骨ともわからないような男に、真名を預けたというのか」

 

「ちょっとは冷静になりなさい、公瑾。現に、わたしは生きて帰ってくることができたのだから、それが全てなのではないかしら。確かにあなたの言うように、一刀はそんじょそこらの男ではないわよ。ただし、わたしは心強い味方になってくれると感じているけどね」

 

 普段とは、まるで立場が逆転してしまっている。自分を諌めるとき、周瑜はこのような気持ちになっているのだろうか、と孫策は思った。

 周瑜に厳しい言葉をぶつけられても、一刀はぴくりとも表情を動かさなかった。頼もしいと同時に、なんとなく悲しくもある。孫策は、続けて周瑜に言い聞かせるようにして語った。

 

「この一刀はね、預ける前からわたしの真名を呼んでいたのよ。というより、雪蓮というのが真名だということすら知らなかったみたい。この事実を、あなたはどう考えるのかしら、公瑾」

 

「真名を知らない、だと? 北郷、お前はどこの生まれだ。よもや、海の外から流れ着いたとでもいうのか」

 

「わからない、なにも。雪蓮を護ることと、闘うこと。他に覚えているのは、北郷一刀という名前くらいだ」

 

 釣り上がっていた周瑜の眉が、段々と下へ降りていっている。平静さの戻った瞳には、一刀の姿が写っていた。

 

「天の御遣い。あなただって、話くらいは聞いたことがあるでしょう、公瑾。わたしは、一刀がそうなんじゃないか、って思うの。母様が導いてくれた出会い、っていうのはさすがに大袈裟すぎるかしらね」

 

「なにを言い出すかと思えば、そのような昔話を……。それに、お前だって文台さまの話しを鼻で笑っていたではないか、伯符。いまさら、天の御遣いなどと……」

 

 己のことを観察している周瑜のことを、一刀はぼんやりと見つめ返していた。

 その様子が茫洋としているが故に、超然としているようにすら見えてくる。それでいて、雪蓮という存在にだけは異常なほどにこだわりを見せるというのだから、おかしな話しだった。

 部屋の柱に背を預け、腕のなかに大太刀を抱いている。自分が、天の御遣いなのかどうか。そのことには、一刀は微塵も興味が湧かないようだった。

 

「天下に打って出ようとしている孫家のもとに、平和を呼ぶ天の御遣いが現れた。これは、吉兆といえるのではないかしら、公瑾」

 

「むう、そういうつもりか、伯符。お前も、少しは考えるようになった。まだまだ、当主らしいとはいえないがな」

 

 周瑜の言には、多分に戯れが含まれている。気のおけない親友同士であるからこそ、できる物言いなのである。そのあたりの塩梅は、孫策もよくわかっていた。

 実際のところ、一刀が天の御遣いであるかどうかは、どうでもいいことではあった。

 孫策の窮地を救った北郷一刀こそ、実は天の御遣いだったのである。そういうことにしてしまえるだけの力を、孫家は揚州で有している。周瑜を筆頭とした軍師たちの手にかかれば、真実と虚構を織り交ぜて、まことしやかに世間へと浸透させていくこともそう難しくはないだろう。

 現在、将来的に最大の敵になるであろう曹操の目は、北に向いている。河北を制覇している袁紹との闘いに備えて、慌ただしく軍の再編が行われているという情報も間諜からもたらされていた。

 曹操と袁紹では、将器に決定的な差があった。とはいえ、兵力と食料でいえば、冀州より北を制している袁紹にかなり分があるといってもいいくらいなのだ。

 その間隙を縫って、孫策たちは動き出すつもりをしている。

 大陸の南部。揚州から西に向かえば、そこには劉表が州牧をつとめる荊州があった。荊州には、孫堅を討った仇敵である黄祖が収めている土地だってあるのだ。黄祖を討ち、荊州を奪取して初めて、天下に覇を唱える資格を得ることができると孫策は考えていた。

 

「だから、一刀とここで一緒に暮らしてもいいでしょ? 一刀ったら、ほんとになにも知らないのだもの。ひとりにしておいたら、食べることだってしないんじゃないかしら」

 

 城までの道中で、一刀は孫策からいくつかの質問を投げかけられていた。

 どうやって、ここまで来たのか。なにか、好きなものはあるのか。そのどれにも、明瞭な答えが返ってくることはなかった。

 

「いや、やはりそれには賛同しかねるな。僅かにでも疑いがある以上、北郷をお前と住まわせるわけにはいかん。お前だって、そのくらいのことは理解できるはずだ」

 

「ぶーぶー。だったら、誰が一刀の面倒を見るっていうのよ。あっ、だめよ? 牢に監禁するだなんて言い出しても、わたしが許さないんだから」

 

「まったく、急に子供っぽくなりおって……。嫌疑が晴れるまでの間、北郷のことはわたしが預かろう。仮にも、友人に助太刀をしてくれた男だ。さすがのわたしも、くさい飯を食わそうなどとは思わんさ。北郷、お前もそれでよいな」

 

 不思議な男だ、と周瑜も思うようになってきていた。

 側にいることが、当たり前のような感覚。ただ、軍師である以上、孫策のように直感で物事を決めるべきではない。周瑜には、そうやっていままで孫家の帷幕を支えてきたという自負もあった。

 

「俺は、なんだって構わない。ただ、雪蓮になにかあったときは勝手にさせてもらう。それだけだ」

 

「ねっ、これだもの。苦労したって知らないわよ、公瑾」

 

 孫策は、砕けた笑みを浮かべた。

 自分のことは、なるようになればいい。そのくらいにしか、思っていないのだろう。一刀は、同居人となる周瑜のことを一瞥しただけだった。

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