幻想の果てに届きし願い   作:KKS

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四 孫家の人々

 周瑜が自身の屋敷に一刀を逗留させるようになってから、数日が経過していた。

 空き部屋をすぐに用意することができる程度には、大きな屋敷だった。軍事、とくに策略の面においては、孫家のなかでも周瑜が第一となる。ときには武官らを呼び寄せて会議を行うこともあるから、自然と屋敷の規模もそれなりのものとなっていたのだ。

 無用での外出は禁ずる。一刀には、それだけを申し付けてあった。孫策の話を聞く限りでは、わざわざ言い含めなくても部屋に篭もったままなのだろうな、と周瑜は思っていた。しかし、例えそうであったとしても、念を押しておくことが監視役としての仕事ともいえよう。

 一応疑りながら観察をしてみたものの、特段変わった様子は見受けられなかった。一刀は毒気がないというよりも、ただそこで生きているだけ、といったほうがよいのかもしれない。

 なにかをするわけでもなく、なにを求めてくるわけでもない。まさしく言葉通りに、一刀はじっと与えられた部屋で寝起きをしているだけだった。

 それでも、屋敷の警護は普段にも増して強化されている。万が一への備え。周瑜の招集に従って、武に覚えのある将たちが、屋敷には交代で詰めるようになっている。

 体裁的に、重臣らをこき使うわけにもいかないから、おのずと顔ぶれは若手中心のものとなった。甘寧、周泰、それに呂蒙といった具合である。

 

「なあ、雪蓮はどうしている」

 

 本当にいるのかどうかわからなくなるほど、ひっそりと暮らしている一刀だったが、日に数回はそうやって声をかけるのだ。部屋の外に誰かがいることは、気配でわかってしまうのだろう。

 

「さあな。それよりも、お前は我らの監視下にあるのだぞ。怪我をしたくなければ、そこで大人しくしているのだな」

 

 一刀の質問に、怜悧な声が返ってくる。この日の担当は、甘寧だった。

 ほとんどこうして部屋の前で見張りに立つだけではあったが、つまらない任務だとは考えていない。

 孫策の危機を救ったという、怪しげな男。敬愛している孫権の安全のためにも、しっかりとその存在を見極めておかなくてはならないだろう。そういう風に気合を入れて、甘寧はこの任に臨んでいるのだ。

 

「興覇」

 

「これは、仲謀さま。あっ、それに」

 

「へへっ、シャオもいるんだよー。興覇、お疲れ様。ずっとそうしているのって、退屈でしょう?」

 

「いいえ、決してそのようなことは。それよりも何故、仲謀さまと尚香さまは、このようなところにおいでになられたのでしょうか」

 

 廊下から歩いてきた二人の少女が、甘寧を字で呼んだ。どちらも、桃色に近い鮮やかな髪色をしている。孫策の妹である、孫権と孫尚香の二人だった。

 普段から元気溌剌といった印象の孫尚香に比べれば、孫権は大人しい性分であるといえるのかもしれない。それでも時折激することがあるのは、孫家の血筋をしっかりと引いている証でもあるのだろう。

 互いに真名を許しあった仲ではあるが、いまは側に一刀がいるという状況だ。こういった場合には、真名以外で呼び合うのが普通である。面倒な文化ともいえるが、そのくらい真名は尊重されるべきものであった。

 

「軟禁中の身とはいっても、北郷一刀が姉さまを助けてくれたことに変わりはないわ。孫家の一員として、妹として、礼くらいは述べておくべきではないかしら」

 

「そうそう。それに~、一刀がどんな男の人なのかも気になるんだもん。雪蓮姉さまがいうには、天の御遣いでもあるんでしょー?」

 

「う……。しかし、公瑾殿には面会の許可をお取りになられたのでしょうか。いまは静かにしておりますが、北郷がなにを考えているのか、正直言ってわたしには計りかねているのです」

 

 面倒事が起きないに越したことはないとはいえ、こうまでなにもないとかえって不気味にすら思えてくるのである。

 孫家の将というのは、性格的にもはっきりとしているのがほとんどであった。いまでこそ有力な部将として扱われてはいるが、甘寧も江賊として敵対していた時期があった。剣を交え、思いをぶつけ合う。そうして築いた関係は真っ直ぐなものであり、強固でもあった。

 そうした武人たちとは、どうやら北郷一刀は違うようである、というのが甘寧の感想だった。だからこそ、時間をかけて探っていく必要性がある。それまで、できうる限り主筋の姉妹を一刀から遠ざけておきたい。甘寧は、そういった意思を込めた視線を孫権に向けている。

 

「ふふっ。興覇ならばそう言ってくると思っていたから、公瑾には会うことを話してあるわ。あなたが同席するのであれば、いいと言っていたわよ」

 

「むっ……、そうでしたか……。されば、わたしもこれ以上は申しますまい。おい、北郷」

 

 扉を叩く音。甘寧が、中にいる一刀へ声をかけた。二度、三度。繰り返す。それでも、答えは返ってこなかった。

 

「ちっ、変わり者め……。入るぞ、北郷」

 

「へへっ、お邪魔しまーす」

 

「ちょっと尚香、待ちなさいってば……!」

 

 甘寧が開けた扉の隙間に、孫尚香は小柄な身体を滑り込ませていった。

 姉を助け、甘寧をも困らせているらしい天の御遣いとは、どのような男なのか。孫尚香は、高揚感を隠そうともしていない。

 

「こんにちは、天の御遣いさん。孫尚香よ、よろしくね」

 

「お前が、北郷か。わたしは孫権、字は仲謀。先日は、姉が世話になったようだな」

 

「世話……、か。俺は、護らなければならないと思えたから、雪蓮のために闘った。ただ、それだけだ」

 

 寝台に腰掛けて座る一刀は、孫権の顔も見ずにそう口にした。抑揚のない声色は、この世界に現れたときから少しも変化していない。

 その佇まいの静かさに、厳かなものでも見たように孫尚香は小さく息を呑んでいる。

 

「おい、貴様。わたしが話しているのとは、わけが違うのだぞ。仲謀さまの前でくらい、少しは礼をわきまえたらどうだ」

 

「ちょっと興覇、落ち着きなってば!?」

 

 孫権を蔑ろにされることは、他のなによりも許しがたい。甘寧というのは、そのくらい忠義に篤い将でもあった。

 しなやかな指が、剣の柄に触れている。孫尚香が、慌てて制止にかかっていた。

 

「よせ、興覇。わたしのことを思ってくれるのであれば、みだりに剣を抜こうとはするな」

 

「えー、つまんなーい。そうやって遠回りするくらいだったら、闘ってしまったほうが手っ取り早くわかり合えるかもしれないわよ?」

 

「なっ、姉さま!? いつからそこに……」

 

 扉の外から、孫策が顔だけを覗かせている。仲裁をする気など、微塵もないようであった。

 

「くすっ、内緒……。いい加減、一刀の実力を知りたいんじゃないの、興覇。強いわよ、あなたの感じている通りにね」

 

 身体の強張りを、見抜かれている。さすがの慧眼だと甘寧は驚いたが、柄に触れたときから圧力のようなものを一刀から感じていた。

 孫策を救ったというのは、恐らく誇張でもなんでもない。甘寧のなかの武人としての直感が、そう告げている。

 

「一刀も、部屋でじっとしていると身体が鈍ってしまうでしょ? 鍛錬だと思って、やってみたらどうかしら」

 

「わかった。雪蓮がそう望むのであれば、そうしよう」

 

 白鞘に納まったままの大太刀を手に取り、一刀は立ち上がった。

 その瞳は、やはり孫策だけを映している。

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