幻想の果てに届きし願い   作:KKS

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五 御前試合

 屋敷の中庭。きっちりと整えられた庭木が、持ち主である周瑜の性格を表しているようにも見える。

 その中央で、向かい合っている男女がいた。息苦しい。並の人間ではそう錯覚してしまうほど、鋭敏な空気が流れている。

 

「このようなこと、本当に大丈夫なのでしょうか、姉さま」

 

「そんなに心配しなくたって平気よ、仲謀。見かけとは違って、案外やるものなのだから」

 

「天の御遣いさんって、伯符姉さまから見てもそんなに強いものなの?」

 

 孫家の三姉妹が、その対峙を遠巻きに見守っていた。

 なんといっても、一刀の相手は家中においてもずば抜けた武勇を誇る甘寧なのである。下手を打てば、大怪我をすることだってありえなくはない。生真面目な孫権は、そのような心配を抱いているのだ。

 孫策。妹の危惧を鼻先で笑い飛ばしながら、出会った時のことを思い返していた。

 力強さと素早さ。その両方を兼ね備えた、理想的な闘い方だった。手にした得物も、なるほど合理的である。斬ることよりも、叩き折るほうに重点を置いているようだった。そうであれば、刃こぼれを気にせず存分に立ち回ることが可能となる。

 

「すごく楽しかったわ、一刀との闘いは。会ったばかりなはずだっていうのに、ぴったりと呼吸が揃うような感じがしてね」

 

「あははっ。嬉しそうだね、伯符姉さま。いいなあ、シャオもそういう運命的な出会いに、憧れちゃうかも。お姉ちゃんもそう……、って思ったけど、そっちには興覇がいるもんね」

 

「ちょっと尚香、なによその含みのある言い方は……」

 

「えー? だってそうじゃないのー? ほらほら、模擬戦始まっちゃうよ。お姉ちゃんは、しっかり興覇を応援してあげなきゃね」

 

 表情をニヤけさせたまま、孫尚香は視線を対峙している二人の方へ向ける。

 どちらも、まだ武器を抜いてはいなかった。しかし、遠目ではわからないような緊張感が漂っているのだろう。殺気すら孕んだ甘寧の目が、そのことを如実に表していた。

 

「ふっ……!」

 

 先に動きを見せたのは、甘寧の方だった。愛剣を右手で逆手に持ち、速攻を仕掛けていく。相手が並の手合いであれば、確実に首を飛ばせるほどの動きである。

 対して、一刀は部屋にいたときと同じくらい、茫洋とした立ち姿のままでいた。いくら命を奪わない約束である模擬戦だとはいえ、このままでは危険だ。そう感じて、孫権は反射的に声を上げそうになってしまう。

 

「ちいっ……!」

 

 苛立ちの声。孫権が何事かを発する前に、甘寧の攻撃は一刀へと達していた。ただし、それだけなのである。

 頑強そうな白木の鞘が、すんでのところで甘寧の剣を防ぎ止めている。お前は、一体どこを見て闘っているのだ。甘寧は、思わず出かけた言葉を胸の内にしまい込んだ。

 

「ほらね、言った通りでしょ。一刀、自分から攻めたっていいのよ。かっこいいとこ、わたしに見せてちょうだい」

 

「ああ、それもいいだろう」

 

 一刀。ぼそりと呟いた。

 受け止めていた剣を、なんの気無しに払いのける。このままではまずいと思ったのか、甘寧は後方へ向けて跳躍した。孫策から、攻めてみろと言われた手前でもある。簡単には逃すまいと、一刀は地面を蹴った。

 甘寧の美しく凛々しい顔が、苦虫でも噛み潰したかのように歪んでいる。なんとか直撃はまぬがれたものの、鞘ごと振り下ろされた一撃は想像していた以上の重さがあった。腕の筋肉が軋んでいる。この状態では、長くはもたないかもしれない。甘寧の心中は、嫌な方向にざわめき始めていた。

 

「そんな……。あの興覇が、ここまで押されるなんて」

 

「ほんとに、あんまり見かけない光景かも。伯符姉さまと闘ったって、もっと競り合うもんね」

 

「ちょっと尚香、それは聞き捨てならないわよ?」

 

 じゃれ合う姉妹をよそに、戦闘は続いていく。

 なんとか押し込んでくる鞘を受け流し、甘寧は攻めの姿勢に入ろうとしている。飛び上がり、そのまま側頭部目掛けて息をもつかせず蹴りを放った。手応えがある。なにかを弾き飛ばしたような感触が、足先に生まれていた。

 

「うおっ……!? やってくれるな、北郷」

 

 甘寧にとって、状況は一層不利なものとなっていた。

 地面に、白鞘だけが転がっている。蹴りを防いだ反動によって、しっかりと嵌っていた鞘が抜け飛んだのだろう。

 姿を表した分厚い刀身が、自由の身となって甘寧に襲いかかった。

 

「ふっ、はっ、ぐう……ッ」

 

 まるで、無造作なのである。どこから繰り出されるのか、読むことのできない剣撃。大太刀の巨大さのせいで緩慢な動きにすら見えるが、それは大間違いだといえる。

 甘寧のなかで、焦燥感ばかりが募っていく。いくら相手が孫策肝いりの男だとはいっても、いまだ軟禁されている状態なのである。

 それに、これはある意味御前試合でもあるのだ。孫策だけでなく、孫権と孫尚香も固唾を呑んで対決の行方を見守っている。無様な姿だけは、なにがあっても晒してはならない。もはやその一心だけで、甘寧は闘志を持続させている。

 打ち合いが続く。防戦一方となっていたときに比べれば、少しはマシな戦況にはなっていた。しかし、打つ手がない。たまに意表を突くような動きを織り交ぜてみても、一刀の動揺を誘うことはできなかった。

 それに、体力的な問題もある。張り付いた衣服。膨らんだ双球のかたちが、くっきりと浮き出ている。太腿を流れる雫が、ぽたりと落ちて地面を濡らした。

 全身に汗をびっしょりとかいている甘寧。それとは対照的に、一刀はずっと涼やかなままで大太刀を操っていた。まるで、強さの底が見えない獣とでも闘っている気分だった。

 

「はあっ……。まだまだ、わたしはこんなものではない……。いくぞ、北郷……ッ」

 

 気力を振り絞る。いまできる限界まで速度を上昇させ、甘寧は斬撃を繰り出していった。ほんの一瞬。一刀の瞳が、見開かれたような気がしていた。

 

「興覇……ッ!」

 

 孫権が叫び声が聞こえた。甘寧の記憶は、そこでぷっつりと途切れている。

 

 

 

 

 

 目が覚めると、甘寧は自身が寝台に寝かされていることに気がついた。

 衝撃を受けたせいか、少々頭が痛んでいる。首だけを動かすと、ひとりの人物と目が合った。それは恐らく初めてのことだったが、甘寧にはそんなことを考える余裕などありはしなかったのだろう。すぐに、険のある言葉が口をついた。

 

「どうして、お前がここにいる。それに、わたしは……」

 

「お前は、俺と闘って気を失っていた。雪蓮が、俺のせいなのだからあとの面倒くらい見ろ……とな」

 

「ちっ……。どこまでも、わけのわからんやつめ……」

 

 頭の痛みは、大袈裟にするほどのものではなかった。すなわち、一刀が留めに大太刀を使わなかったということでもある。

 ひんやりとした感覚。濡らした布が、額に当てられているようだった。

 悔しさが、身体の内側で渦を巻いている。自分でも意外なほど冷静でいられているのは、完敗だったせいなのかもしれないと甘寧は思った。

 

「他の方々は、どうされている」

 

「雪蓮は、しばらく別の部屋で過ごしているといっていた。ここには、俺だけだ」

 

 余程、孫策は北郷一刀という男を信用しているのか。甘寧は、息をふっと吐き出して天井を眺めた。

 

「思春」

 

「なっ、貴様……ッ!? どこでわたしの真名を聞いたのかは知らんが、誰が貴様を認めたなどと……!」

 

「聞いたわけではなく、そう思えただけだ。お前は、思春なのだとな」

 

 これが天の御遣いの力だとでもいうのか。不思議な感覚に、甘寧は襲われていた。

 孫策のときも、そうだったという。まさか自分もそうなるとは、考えてもいなかったものだ。

 一刀と出会って、まだほんの数日である。だが、いまのように顔をよく見たことはなかったのかもしれない。

 

「そうして表情を緩めることもできるのだな、お前も」

 

「さあ。自分では、よくわからない。雪蓮にも、そう言われたことはあるが」

 

 本当に、僅かな差だ。茫洋としているのは、いつもと同じだった。注視していなければ、そう思うこともなかったはずである。

 

「そうか」

 

 悔しさとは別の感情が生まれたような気がして、甘寧はまた天井を見上げた。

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