「ぐっすり寝てるな…」
夕方になり、オレはハミリヤをおぶって帰路に着いていた。
(まあよく働いてくれてたし、たまには休んでもらわねぇとな)
なるべくハミリヤを揺らさないように気をつけながら、茜色に染まる道をゆっくりと歩いていく。
*
夢を、見た。
私がまだ幼い頃の夢だ。
ある時、私は野原で財布を落としてしまい、泣きながら探していた。
お金なら無くても何とかなる。だが、あの財布にはお金の他にも大切なものが入っていたのだ。
…いくら探しても見つからず、途方に暮れていた時、
「大丈夫か?」
優しい声。見ると、心配そうな顔の少年が立っていた。歳は私と同じか、少し上くらい。何処と無く、悲しげな瞳をした少年だった事を覚えている。
彼は私の話を聞くと、土で服が汚れる事も気にしないで一緒に探してくれた。
そのうちに、彼が「あったぞ!」と叫びながら私のほうに駆け寄ってきた。手には、もう二度と見つからないと思っていた私の財布が握られていた。
「ありがとう!お兄さん!」
「もう失くすなよ」
彼はそう言って私の頭を撫でてから、
「そういえば、大切なものってなんなんだ?」
私は財布から「それ」を取り出し、彼に渡す。
「これは…」
「私のお父さんとお母さん!」
それは―一葉の写真だった。
少し古い写真だ。三歳くらいの私と、お父さんとお母さんが写っている。
「優しそうな人達だな」
「うん!」
お父さんとお母さんを褒められたのが嬉しくて、私は笑顔になった。
でも…。
「今はもういないけど…」
私の言葉に、彼は何かを察したのか黙り込んだ。
そう…この幸せの肖像は、既に過去のものなのだ。
もう二度と戻らない、大切な日々の欠片。私が、世界一幸せな女の子だった事の証だった。
彼は暫く黙った後、おもむろに言った。
「…その写真、ずっと持っていな」
そうすりゃきっと、また会える―複雑な表情で、それでも彼は私を励まそうとしてくれた。
無責任な言葉かもしれない。だけど、幼い私にとってはその言葉で十分だった。
「本当!?」
「ああ、本当だ」
…その時、五時のサイレンが響き渡った。
「あ、もう帰らなくちゃ」
「家、遠いのか?」
「えっとね…あっちをずっと真っ直ぐ行った所だよ!」
そう言うと彼は送っていくと言って、肩車をしてくれた。
高い所から見る景色は、心無しかいつもより綺麗に見えた。
「んじゃあ、行こうか!」
「うん!」
家に着くまで、私達は話をしていた。
歌を歌ったら、一緒に歌ってくれた。
笑ったら、一緒に笑ってくれた。
その時、思った。
こんな人と家族になりたいな…と。
私がいて、彼がいて、子どもがいて。
きっと幸せで楽しいだろうな…なんて、子供心にそんな事を思った。
家に着くと、おばあちゃんが待っていた。おばあちゃんは彼にお礼を言って、夜ご飯に誘ったが彼はそれを丁重に断った。
「すいません、もう母が夕飯を作っていると思うので…」
そうしてあの人はもう一度私の頭を撫でたあと、ゆっくりと帰っていった。
私はその背中が夕焼けに溶けるまで、ずっと彼に手を振っていた。
…それからずっと、私は彼の事が好きだった。
生きている間に再会する事は出来なかったけれど、また会うことができた。
それが嬉しかった。恩返しが出来る事が幸せだった。
…私は、彼を悲しませたくない。
私が消えた時、彼がどう思うのかはわからないけれど…悲しい別れはしたくない。
だから、私は…。
*
新月まで…あと、6日
*
朝目が覚めて縁側に行くと、ハミリヤが掃き掃除をしていた。
「あ、ハミリヤおはよー!」
「…おはようございます」
いつものように挨拶をしたつもりが、ハミリヤはやけに素っ気ない態度を取る。
「あ…あれ?」
なんだろう…何かしてしまったのだろうか?
オレがフリーズしている間に、ハミリヤはすたすたと歩いていってしまった。
「お、おい…」
情けない声が漏れる。自分が思うよりもこの状況がショックだったようだ。
何故ハミリヤはこんな態度をとるのだろう?少し考えて、分からなかったので無理矢理いつもの思考回路に切り替える。
(とりあえず…水でも飲むか…)
どうやら朝のうちから掃き掃除をしていたらしく、地面は大分綺麗になっていた。ハミリヤはまだ掃き掃除を続けているが、もしかしたら喉が渇いているかもしれない。そう思って声を掛けた。
「ハミリヤ、水飲むか?」
「いえ、自分で飲みますので」
やはり素っ気ない返事が返ってくる。
「お、おう、そうか…」
…本当にどうしたのだろうか?
考えてみても思い当たる節が無い。本人に聞こうとしても、何故か彼女はオレを避けているようで中々会えなかった。
そうして、ろくに話をする事も出来ず、ただ時間だけが過ぎてゆく…。
*
新月当日…。
*
その日、オレは寝不足気味でぼんやりしていた。
(二度寝したい…けど稽古があるしなぁ…)
大きい欠伸をひとつする。こんなコンディションで稽古しても無駄かもしれない…そんな事を思っていると、
「あ!無銘さん!今日の稽古は中止です!」
妖夢が険しい顔をして駆け寄ってきた。
「え、なんかあったのか?」
「ハミリヤさんがいなくなってしまって…」
「出掛けたんじゃないのか?」
オレが言うと、妖夢はハッとした表情になり、
「…もしかして何も聞いてないんですか?」
「え…」
そして、
「クッソ!何やってんだ!」
オレは人里を全力疾走しながら、ハミリヤの姿を探していた。
焦りばかりがつのり、身体が上手く動かないが無理矢理足を前に進める。
脳裏に、妖夢から聞いた「事実」がずっと浮かんで消えない。
(ハミリヤさんはもう限界です…今日の夜には消えてしまうと、幽々子様が…)
だから、オレに冷たくしていたのか…!
畜生、このままサヨナラなんて認めねぇぞ!
オレはハミリヤの名前を呼びながら、人里中を探し回った。
だが―ハミリヤはどこにも居なかった。
「クソっ!人里じゃないのか!」
悪態をつきながら、頭をフル回転させる。
(考えろ…ハミリヤが行きそうな場所…)
だが、オレは人里か白玉楼に居るハミリヤしか見た事がない。彼女が何処にいるのかなんて…分かるはずもなかった。
それからも、オレは当てもなくハミリヤを探し回った。
紅魔館、博麗神社、魔法の森、妖怪の山…兎に角片っ端から探していったが、ハミリヤはどこにもいない。
気付くと、日が落ち始めていた。
ふらふらと彷徨う。
疲れと怒りで、頭がぼんやりとしていた。
…ずっと一緒に居られると思っていたのに。
幽々子様が居て妖夢が居て、そしてハミリヤが居る…そんな日常が、いつまでも続くと思っていた。
だけど…そう思っていたのはオレだけだったのかもしれない。
ハミリヤがどんな気持ちでオレに接していたのか…それを考えると、やりきれない気持ちになる。
時間はもうない。頼む、見つかってくれ…!
その時、
『…いい場所ですね』
脳裏に、ハミリヤの声が蘇る。それと同時にひとつの場所が浮かび上がった。思考が鮮明になり、そこにいるハミリヤの姿をはっきりと思い浮かべる事が出来た。
(そうかわかったぞ!)
オレは、「その場所」へと向かった。
*
宵闇が迫る森の中、ハミリヤは一人佇んでいた。
(身体がもう…透けてきた)
もう、ダメなのだ。諦観ではなく、当然の事としてそれを認識する。今までは少し透けても戻る事が出来た。だけど…今日は新月、タイムリミットは近い。
―
…自分の気持ちを伝えられなかった事が、唯一の心残りだった。
だけどその心残り以上に―とても楽しかった。最後は冷たい態度をとってしまったけれど、それでも充分過ぎるほどの奇跡をハミリヤは体験した。
…本音を言えば、消えたくない。
だけど…
だけど、
せめてもう一度、あの人に…
「見つけた」
声。
幻聴ではない。確かに、聴こえた。
ハミリヤは振り返る。
自分の後ろ、息を切らしながら、
無銘が、そこにいた。
オレがハミリヤを見つけた時、その身体はもう透けていた。
「なんで…来ちゃったんですか」
震える声で、ハミリヤはやっとそれだけを口にする。
彼女らしくもない、冷たい言葉…最後の時を悲しいものにしたくなくて、必死に絞り出した、偽りの言葉。
それを聴いた瞬間―オレの感情は一気に沸騰した。
「なんで…勝手に行ったんだよ」
自分の声が震えるのが分かる。
「ぁ…」
驚きと悲しみが入り交じったような表情を浮かべながら、しかしハミリヤは答えない。
「…なんで、何も言ってくれなかったんだよ」
「……それは」
答えは、やはり返ってこない。
「なんで、お前は…………ッ!」
「……ごめんなさい」
オレの言葉を遮るようにして、ハミリヤは謝る。
「でも、悲しませたくなかったんです…無銘さんは優しいですから、私が消えたらきっと傷付いてしまう…」
…違う。
…優しいのは、ハミリヤだ。
一番辛くて、苦しい筈なのに。
「お前が居なくなった事を悲しめなかったら、お前の存在を否定する事になる…そんなの、オレは嫌だ」
だから、頼む。悲しませてくれ―。
みっともない言葉。だけどオレはこんな事しか言えなかった。
ハミリヤは暫く黙った後、呟くように言った。
「…覚えて、いますか?十二年前、あなたが女の子と一緒に財布を探した事を」
その言葉に、記憶の扉が軋み、開く。
「…あ、ああ。でもなんでそれを」
「…あれは、私なんです」
「そ、そうだったのか…!?」
やっぱり気付いていなかったんですねと言ってハミリヤは少し悲しそうな顔をした。
「わ、悪い…」
オレは情けない表情をしていたのだろう。それを見て、ハミリヤがクスリと笑った。いつもの様な、綺麗な笑顔だった。
「…無銘さん」
不意に、ハミリヤが言う。その表情は再び悲しそうなものへと変わっていた。その目から、静かに透明な雫が零れ落ちる。
「…私、消えたくないです!もっと色々な事をしたい!もっと沢山の人とお話したいです!もっと…もっと無銘さんと、一緒に居たいです!」
その言葉と涙は、オレの心に深く突き刺さった。
自分が膝から崩れ落ちるのが分かる。
怒りや悲しみといった様々な感情がごちゃ混ぜになり、それが溢れ出るのを必死に堪える。
「オレも…オレもこんな所でサヨナラなんて嫌だ!もっとお前と一緒に居たい!」
その言葉にハミリヤは涙を流しながら微笑み、小さな声で言った。
「無銘さん…抱きしめてください」
「…ああ」
オレは彼女の肩を抱く。
少し力を入れたら壊れてしまいそうな花車な身体。こんな小さな身体で死んでも尚、オレに逢いに来てくれたのか。
「無銘さん…暖かいです」
ハミリヤはもう体温も、身体の感覚も無い。空を掴むような感覚に自分の不甲斐なさを覚えた。
「…無銘さん」
「なんだ?」
「聞いてください」
ハミリヤは透けた手でオレの頬を撫でる。
そして、そっと呟くようにその言葉を口にした。
「私は…あなたの事が好きです」
「…はぇっ!?」
シリアスな場面なのに、素っ頓狂な声を出してしまった。
顔が赤くなるのが分かる。
マジか…どんだけ鈍感なんだよオレ…思い当たる節は沢山あったのに。
突然の告白に、オレはただただ焦るばかりだった。
それと同時に、心の何処かでやりきれない悲しみを覚える。それはどんどん大きくなり、オレの心を覆い尽くした。
涙が零れそうになる。だけど必死に堪えた。
ハミリヤの前で…涙は見せたくない。
オレはしっかりとハミリヤの目を見る。きれいな瞳に、薄い涙の膜が張っていた。
「私は…出会ったあの日からずっと、あなたの事が好きでした」
「…ああ」
「私は…あなたを好きでいられて、幸せでした」
「……ああ」
頷く事しか出来ない。
無力なオレには、それが限界だった。
「欲を言うなら…私はあなたと、家族になりたかったです」
「…だったら、こんな所で消えちゃダメだろ」
「……でも、私は満足です。最後に、自分の気持ちを伝える事が出来た…」
「ハミ…リヤ…」
「さようなら、無銘さん」
―私はあなたに会えて、幸せでした。
泣き笑いの様な表情が、
花車な身体が、
ゆっくりと薄れ、
消えて、
後には何も残らずに、
ただ、無力な少年だけがそこに居た。
少年の手には、もう何も無い。
少女の温もりも、笑顔も、全て消えてしまった。
(…また、オレは喪ったのか)
喪失感に囚われ、ぼんやりと夜空を見上げる。
月も星も何も無く、黒一色の夜空だけがそこに有った。
少年は目を閉じる。
脳裏に、少女が最後に見せた泣き笑いの様な顔が浮かび…やがて薄れて消えていった。
健気で、笑顔が眩しい、あの満月の天使は…
もう、どこにもいない。
次回、満月の天使最終話です。