貌なし【完結】   作:ジマリス

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100 暗殺と不殺の絆

 戦いは終わり、風がそよぐ音さえも聞こえるほど静まり返っていた。

 

 寺坂に引っ張られながら、殺せんせーのもとへ向かう。

 彼もギリギリだったようで、今までに見たことがないくらい疲弊しきっていた。

 

「殺せんせー……」

 

 無事を確認したくて、呼ぶ。

 力を使い果たしてしまっているのはわかっているが、それでも卒業の一言が欲しい。

 そのために俺は……

 

 パシン!

 

 乾いた音が響く。

 殺せんせーに叩かれたと気づいた時には、じんじんと頬が熱くなっていた。

 

「無謀と勇気は違います。君がした行動は、教師として、大人として、看過できません」

 

 わかってる。怒られて当然だ。ごめん、ごめんなさい。

 それでも身体が動いた。動いてしまった。命の大切さをさんざん教えられたのに、消費するようなまねをしてしまった。

 だから俺に反論する資格はない。こうやって叩かれるのも当然のことだ。

 

 殺せんせーは手を伸ばしてきた。少しだけ、びくりと反応してしまう。

 

「ですが、ありがとうございます」

 

 また叩かれるかと思ったが、予想外なことに、暖かさが全身を包んでいる。

 殺せんせーの手が、俺を柔らかく抱きとめていた。

 そうして安心させながら、目に見えないほどの極細の触手が俺の中に入ってくる。全身を侵そうとする触手細胞は、あっという間に取り除かれた。

 息をしているだけでもしんどいはずなのに、繊細に、丁寧に、慎重に。そのおかげで、なんの痛みもなく俺の身体は元に戻った。

 

 その技術は、暗殺とは真逆のスキル。生のためのスキルだ。

 雪村先生が死んでしまった時には出来なかったこと。

 悔やんで嘆いて、いの一番に磨いたスキルなのだろう。

 

 ああ、やっぱりこの人は、俺たちの先生なんだ。俺たちの大事な人なんだ。

 そう思うと、涙が溢れてきてぼろぼろと流れる。

 

「助けられなくてごめん。あんたを生かすって決めたのに……」

「いいえ、君に助けられました。國枝くんがいてくれて、いつも助けてくれました。君自身を責めないでください」

 

 違う、と言いそうになる。でも殺せんせーの言葉を否定したくなくて、拳を握る。

 

 聞かなきゃいけない。

 この言葉が最後の授業なんだ。意志を継ぎたいと思うなら、この一年間を無駄にしたくないのなら、彼の言うことを受け止めるべきだ。

 

「君はこう言いましたね。『殺せんせーが先生で良かった』と。その言葉のおかげで、私は胸を張って自分のことを教師だと思えるようになりました。教師であることを嬉しく感じ、君が生徒で良かったと感じています」

「殺せんせー……」

「私に『教師』を教えてくれて、本当にありがとうございます」

 

 彼は最後の力を振り絞って、俺の頭を撫でる。

 そこで、殺せんせーの限界が来た。その場にどさりと倒れ、仰向けのまま寝ころんでいる。

 

「殺せんせー!」

 

 みんなが殺到する。

 

「みなさん。暗殺者が瀕死の標的を逃がしてどうしますか」

 

 当の殺せんせーはいつもの顔で、笑みを浮かべたままだ。

 

「わかりませんか? 殺し時ですよ」

 

 そう言われて、押し黙る。

 

 生かしたい。だがこの状況じゃ無理だ。

 あともう少しでレーザーは放たれる。殺せんせーは逃げられず、消えてしまう。

 ここに来る前に、そんなことは分かっていた。計画は止められない。

 ならどうするべきか。殺せんせーに会えたいま、E組は何をするべきか。

 

 決まっている。

 みんなは誓ったはずだ。卒業まで、殺せんせーを全力で殺しにいくと。

 

 だったら今ここでトドメを刺さなければいけない。

 じゃないと、この一年間が全て茶番になってしまう。殺せんせーの教育に目を背けることになる。

 

 何も言わずとも、俺以外のみんなは力の入っていない触手を押さえる。

 全員で掴めば動きを封じられる、というのは殺せんせー自身から教えてもらった弱点だ。

 これでもう逃がすことはない。

 

 問題は……

 

「最後は……誰が?」

 

 片岡が言う。

 トドメをさすのは一人だけ。それに相応しいのは……

 

「渚」

 

 呼ぶと、その小さな身体が反応する。

 この暗殺教室で一番の優等生は、対先生用ナイフを手に持ちながら、俺を見た。

 

「國枝くん。僕は……君が一番相応しいと思う」

 

 俺は頭を振った。

 

「……結局最後まで、殺せんせーを殺す気はなかった。どんな力を持ってても、どんな立場でも、相手がどんなやつだろうと人を殺さない。それがこの暗殺教室に対しての、俺の答えだ」

 

 殺せんせーを憎んだこともある。真正面から怒ったこともあるし、信頼しなくなった時期もある。

 でも手は出さなかった。

 そんな俺は、この中で一番殺すのに相応しくない。

 

「正直、お前たちの誰かがこの人を殺すことにも抵抗がある。それでも、殺せんせーにとどめをさすのが恩返しになるなら止めない。暗殺を通じて学んできたお前たちが考えて、お前たちがやるべきだと思ったのなら、俺はそれを間違いだとは言えない」

 

 さんざん不殺を説いてきてこんなことを言うのは、自分でもおかしいと思う。

 だけど、この一年間、命を賭して様々なことを教えてくれた殺せんせーに報いる方法が、他にあるだろうか。

 

「俺は、お前がやるのが一番だと思う」

 

 渚にナイフを渡す。

 殺すために弱点を見つけ、生かすために必死でカルマと戦い、その生きざまに感化され教師を目指そうとする渚にこそ、最後の一撃は相応しい。

 E組全員がそれを認めていた。あのカルマでさえ、余計なことは言わずに触手に跨っている。

 

「わかった。でも条件がひとつ。國枝くんも殺せんせーを押さえて」

 

 渚は殺せんせーに馬乗りになる。

 

「僕が殺すところを、ちゃんと見守ってほしいんだ」

 

 俺はしばらく躊躇して……余っている触手に手を添えた。

 

「さて、準備が出来たようですね。一人ひとりにお別れの言葉を言っていたら、二十四時間あっても足りません。細かいことは教室に残したアドバイスブックに書いてきたので、長い会話は不要です」

 

 だろうな、と苦笑する。

 

「その代わり、最後に出欠を取ります。一人ひとり先生の目を見て、大きな返事をしてください」

 

 こくりと頷き、心の準備をする。

 いよいよ最後。殺せんせーが俺たちの名前を呼ぶ、最後の機会だ。

 そのことを噛みしめて、ぎゅっと引き締めて……

 

「……っとその前に、先生方に挨拶しておかなくては」

 

 おい。

 気合を入れていただけに、ずっこけそうになる。最後まで段取りの悪いやつめ。

 

 殺せんせーは傍らで見守るビッチ先生と烏間先生に目を向けた。

 

「イリーナ先生、参加しなくていいんですか? 賞金獲得のチャンスなのに」

「私はもう十分もらった。ガキどもからも、あんたからも、たくさんの絆と経験を」

 

 首を横に振って、ビッチ先生は深く息を漏らす。

 

「この暗殺は……あんたとガキどもの絆だわ」

 

 ふ、とビッチ先生も殺せんせーも柔らかく微笑む。

 今度は烏間先生に目を向けた。

 

「そして烏間先生。あなたこそが生徒たちをこんなに成長させてくれた。これからも、彼らの相談に乗ってあげてください」

「……ああ。お前には散々苦労させられたが、この一年は一生忘れることはない」

 

 仕事に私情を挟むことがほとんどなかった烏間先生が、泣く一歩手前の表情をした。

 泣かないように奥歯を噛みしめ、しかし唇は小さく震えている。瞳はうっすらと潤んでいて、少し押せばぽろりと涙が落ちそうだった。

 

「さよならだ。殺せんせー」

 

 名前を呼ばれて、殺せんせーは満足そうに頷いた。

 これで本当に、殺せんせーの心残りはなくなった。自分がいなくなって崩れるものはないと確信した。

 

 俺は必死で涙をこらえた。

 無理に笑顔を作ることもできないけど、泣き顔だけは見せたくない。殺せんせーが最後に見る俺の顔なんだから。

 

「では、出欠を取ります」

 

 カルマから順に名前が順番に呼ばれていく。

 磯貝、岡島、岡野、奥田、片岡、茅野、神崎、木村……

 

「國枝くん」

「……はい」

 

 呼ばれ、少しためらって、俺は返事した。

 応じてしまえば、すぐにでも殺せんせーがいなくなってしまう気がした。でも、そうしないといけないのだ。

 E組の生徒だから返事しなければならない。殺せんせーを見送る。そのためにここにいると知らせるために返事しなければならない。

 

 やがて全員の点呼が終わり、その時が来る。

 渚がナイフを握り直し、集中しようとする。狙うは心臓。そこを突けば一撃で終わらせることが出来る。

 そう、終わるんだ。殺せんせーと生かすことはもう不可能。他の誰かに殺られるくらいなら、自らの手で殺す。

 それが殺せんせーへの礼儀だ。この教室でたくさんのことを教えてくれた彼への恩返しだ。

 ここで命を断ち切ることこそが、殺せんせーとE組の最後の授業だ。

 

 わかっていても、やはり身体が震えてしまう。

 俺だけじゃなく、みんなが、特に渚ががくがくと震え、振り下ろそうとしている先が定まらない。

 

 そんなんじゃ無理だ。外してしまうのがオチ。

 そうは思っても、かけるべき言葉が見つからない。

 殺してしまうということ、その行為、伝うであろう感触、

 その全てに恐怖して、どうしても慄いてしまうことがわかるから、誰も何も言えない。

 

「そんな気持ちで殺してはいけません」

 

 殺せんせーは、渚の首へ一本の触手で触れた。余計な力が抜けて、渚の震えが止まる。

 

「落ち着いて、笑顔で」

 

 ……やっぱり、あんたは最高の先生だよ。

 殺される最期の時まで、E組のことを想ってくれるなんて。

 

 悔いは残るだろう。引きずりもするだろう。

 だけど、この時のことを誇りに思えるように、彼を殺そうとしたこの一年間が間違いじゃなかったと思えるように、殺せんせーは生徒に勇気を与えた。

 

 俺と殺せんせーに唯一の繋がりがあるように、暗殺を通じてでしか見えない絆もある。

 それが少しだけ、羨ましく思えた。

 

「さようなら、殺せんせー」

「はい、さようなら」

 

 狙いを外さないように、しっかり標的を見据えて、ナイフを振り下ろす。

 その一撃は先生を殺すための刃で、一年間の全てが詰まった刃で、俺たちの想いが凝縮された刃。

 殺せんせーは一ミリたりとも動かずに、最期まで笑顔のまま、それを受け止めた。

 

 身体に突き刺さり、心臓へと到達し、命を断つ。

 

 ぱっと、光の粒が舞った。

 殺せんせーの身体が消え、散ったエネルギーが輝く粒子となって空に浮かぶ。

 目の前で星が瞬いているような、花火のように激しくもあり、雪のように柔らかくもあり、それでいて暖かい。

 儚くて、寂しいはずなのに……ああ、ああ、なんて綺麗なんだろうか。

 魂が反射する様は、こんなにも美しい。

 

 永遠に見惚れていたくても、やがて光は散り、消え、空に融けていく。

 

 その瞬間、みんながわっと泣き出す。

 押さえていた身体がなくなってしまったことを実感して、殺せんせーがいなくなってしまったことを理解して、堰を切ったように感情が流れる。

 

 俺も泣いた。泣き続けた。

 我慢することも忘れて、流れるがままに全部流す。

 

 殺せんせーの服とネクタイだけが、そこに残っていた。

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