殺せんせーがいなくなって、俺たちは沈んだ心のまま校舎の中に入った。
誰も喋ろうとせず、ゾンビのように生気のない様子で教室へと向かう。無理もない。この世から殺せんせーが消えてしまったのだから。
ここで教鞭を振るうこともない。おかしな言動でツッコませることもない。あの日々が帰ってくることは、永遠にない。
大きな喪失感を受けて、教室の扉を開ける。
あれだけの激戦を繰り広げて、校舎の外も中も綺麗に保たれていた。殺せんせーが必死に守ってくれたのだ。
そのことに気づいて、さらにそれぞれの机の上にも先生が置いていってくれたものがあるのに気づく。
二冊の本が置かれていた。
一つはアルバム。
常識的な大きさのそれをめくると、あの人がこっそり撮ったものから、最後にみんなで写ったものまで、殺せんせー特選の写真が貼られていた。
俺が写ってるものが多いことから、おそらくこれは個人個人で中身が違うアルバムなのだろう。
もう一つは殺せんせー直筆の人生アドバイス本。
これまた違う内容らしく、一人ひとりに向けた将来への助言や注意事項、メッセージなどが書かれていた。
『國枝くん。いつか私が言ったように、『貌なし』が救った人がいることも覚えておいてください。私もまた、その一人であることを忘れないでください。
一年間、私の生徒でいてくれてありがとうございます。一年間、私を教師として認めてくれてありがとうございます』
遺書ともとれるそれを見て、またみんなで泣き出したりなんかして……ついには疲れて眠ってしまった。
目覚めたころには、すでに日が昇っていた。
泣き腫らした目はまだ現実をとらえきれていないようで、少しぼんやりしている。
みんな、同じような顔をしていた。
殺せんせーが死んで、全てが終わって、まだ数時間しか経っていない。ぽっかり空いた心の穴は、一夜乗り越えたところで埋められはしなかった。
けれども俯いてばかりではいられない。少しずつ、ゆっくりと前を向く。
そうやってみんなが顔を上げるころには、どこかすっきりした表情になっていた。
落ち着いたところで、申し訳なさそうにする烏間先生が壇上に立った。
「君たちには、納得できないこともあるかもしれない。しばらくは注目されて大変と思うし……機密事項の口止めなども頼むことだろう」
世間には、殺せんせーは極悪非道の怪物と誤解されたまま。それをさらに『殺した』となれば、どういう目で見られるかは想像がつく。
嫌悪、軽蔑、好奇。そんなものを向けてくる者に対して、俺たちは黙ることを強いられるだろう。
どう言い繕っても、触手や『死神』のことは、問題しかない。
「もちろんできる限り君らを守るが……俺から先に謝らせてくれ」
「烏間先生、平気っすよ」
頭を下げる先生に、前原が軽く返す。
「俺らも上手いこと平穏に収まるよう努力するから」
「烏間先生を困らせたくないしね」
岡野も同意。それをきっかけに、みんなが心配を抱かせないように笑みを浮かべる。
E組でさんざん虐められてきたんだ。今さら外部の何も知らない人間に何か言われたところで傷なんて負わない。
それに、どうせこの事件を細かく訊いてこようとする奴らなんて、ほとんどがただ好奇心を満たしたい奴か、捻じ曲げられた事実を吹聴するような奴だろう。
そんなのにわざわざ教えてやる真実なんてない。
「その代わり、みんなの希望があるんですが」
片岡が手を挙げた。
「今日の椚ヶ丘の卒業式には出させてください。本校舎のみんなとの闘いの日々も、殺せんせーと作った大事な思い出だから」
「ああ、手配しよう。そのために俺はここにいるんだからな」
即答で、烏間先生は答える。
殺せんせーが命を賭して過ごさせてくれた一年間。その終わりに、卒業式に参加できないなんてがっかりもがっかりだからな。
そんなの、本校舎組も望んでないだろう。特に、浅野は。
残すことはなくなって、磯貝が俺たち全員に目配せする。それだけで、何をするべきかわかった。
「全員起立!」
彼の号令で、俺たちは一斉に立ち上がった。
「烏間先生、ビッチ先生。本当に色々教えていただき、ありがとうございました!」
声を揃えて、びしっと頭を下げる。
最後の最後、旅立っていく俺たちから、偉大な恩師たちへの礼。
頭を上げると、堪えるような表情の烏間先生と目が合う。泣きそうなんだ、と気づいた時には、俺にもこみ上げてくるものがあった。
学校は閉鎖されているから、卒業式は市民会館で行われることになっている。
家が近い者は制服を取りに、遠い者は親に連絡して持ってこさせようとしていた。
俺は制服も私服も『貌なし』の服も全部持ってきて、ここに来る前に森の入口にある木に引っかけてたから、それらを入れた袋を回収するだけで済んだ。
みんなを待ってる間に、名残惜しそうに教室の風景を眺めるビッチ先生に近づいた。
「まさかガキどもの面倒を、卒業まで見るとは思わなかったわ」
「目はちょっと潤んでるし、唇も震えてる。あ、足も落ち着いてないな。もうちょっとで泣くんじゃないのか」
これくらいは俺じゃなくても見抜けそうだが。
指摘されたビッチ先生は顔を赤くして俺を指差した。
「クニエダ! あんたは私のこと観察するの禁止よ! ユヅキのこと見てたらいいじゃない!」
「元から優月のことしか眼中にないが?」
「惚気んな!」
コントのようなお喋りをしていると、倉橋もやってきた。
ビッチ先生の技を継いだ弟子だし、お別れの挨拶でも言いたいのだろう……と思ったが、
「ビッチ先生、烏間先生と別れたら教えてね。慰めにいくから」
「別れないわよ! それにあんたに慰められるほど……」
「あ、私が慰めるのは烏間先生のほうだから」
「ちょっとはあたしのことを気にかけなさいよ!」
こちらも俺たちと変わらないようなやり取り。
まあ、これで最後だなんて思ってないからこその軽口だ。
そういえば、ビッチ先生のもう一人の愛弟子である矢田は……ちょうどいま、制服を取って帰ってきたところみたいだ。
気づけばほとんどが帰ってきていて、着替えも済んでいる。いつの間にか、すでに通常の登校時間になっていたようだ。
「よし、そろそろ移動しよう」
磯貝委員長が号令をかけて、ぞろぞろと動き出すみんな。
距離があるし、速めに動いておくに越したことはない。
ただ、教室を出ていくみんなとは違って、渚だけは俯いて動かずにいた。
殺せんせーをその手で消してしまった感触、後悔……あらゆる感情に、彼自身が追いついていない。
もっと上手くやれたんじゃないかと、過去に囚われているのだ。
あのレーザーを使う作戦を、烏間先生が教えてくれてたら、俺たちが知っていたら、誰かが気付いてたら変わってたかもしれない。
『地の盾』を破壊したり、『天の矛』をハッキングしたり。出来るかどうかはともかく、やることは違ったかもしれない。
だが結果はこうなった。それは良い悪いではなくて、自分たちのしたこととしてしっかり責任を持ち、受け止めなければならないことだ。
殺したことはみんなの総意。全員等しく共犯だ。
少しでも彼の心が軽くなるように、俺は話しかける。
「お前とカルマが宇宙から帰ってきた後のことを覚えているか? 殺せんせーを殺さなくて済むってわかった時のことを。それでもみんなは殺すことを諦めず、殺せんせーは暗殺を受け入れてくれた。暗殺を通して俺たちに教えてくれたことを否定しないためにも、殺せんせーは命を捧げ続けてきた。ずっと、ここで。最期の瞬間までそれは変わらなかった」
殺せんせーに生きていてほしいとは思ったが、殺すこともまた彼に報いることであることは間違いない。
だからこそ彼はどちらの結果でも受け入れる覚悟があったのだろう。だからこそ、最期まで彼は笑っていられたのだろう。
「渚は、誰よりも殺せんせーの望んでいた成長を見せたんだ。自分のやるべきことを全うした。それはみんなが認めてる」
殺したことに尊敬の念を抱きこそすれ、恨みなんてしない。
だって、渚は殺せんせーを誰よりも見て、誰よりも生かすことを考え……殺すことを考えていたのだから。
「ありがとう」
そう言って、渚もようやく動き出す。
みんなを追いかけるために、たたたっと少し早足だ。
俺は、俺だけはまだ残って、忘れ物がないかを確認する。
みんなの机の中、床、ロッカー、靴箱。何もないとわかっていながらも、もったいぶるようにゆっくりと見る。
何かあれば満足だっただろうか、それとも何もなければ安心しただろうか。
いやいや、ただちょっと、ほんの少し寂しいだけだ。
「君は行かないのか?」
移動するみんなを見送る烏間先生が、目の前まで近づいてきた。
「まだちょっと時間はありますから。ただ、本当にこれが最後だと思うと名残惜しくて」
卒業式に出れば、椚ヶ丘中学の生徒として授業を受けるためにここに来ることはなくなる。
殺せんせーやみんなと過ごした時間が、過去になる。
少しでも今を噛みしめたくて、ここを離れられない。
「大丈夫か?」
「大丈夫……なわけないでしょう」
何度か戦ったせいで、俺の身体はまだ疲労と苦痛が残ってる。ぼろぼろだ。
そのうえ、最高の恩師である殺せんせーが死んだ。俺たちを助けてくれた柱がなくなってしまった。心にできた穴はあまりにも大きく、深い。
今はまだ平気だけど、これから一生引きずるくらいの悲しさがずっと押し寄せてくるに違いない。きっと、いつかどこかでこう思う時が来るだろう。『殺せんせーがいてくれたら』と。
そして後悔する日が来るのだ。ああしていたら、こうしていたら、殺せんせーを死なせずに済んだのに、と。
この結末を変えられたはずだと嘆く日が来るのだろう。より良い結果が出せたはずだと苦しむ日が来るのだろう。
だけど、それでも……
「それでも、前に進まなきゃ」
人生は続いていく。続く限り、大切なものを理不尽に奪われていく。そのせいで悲しみ、立ち止まり、振り返る時間はあれど、ずっとそのままでいるわけにはいかない。
今はまだその場から動けていないけれど、いつかは成長していかなければならない。
「じゃなきゃ、殺せんせーを見送った意味がない」
「……君は強いな」
「あなたが俺をそう評価するなら……それはみんながいたおかげです。E組のみんなとあなたとビッチ先生と、殺せんせーと……雪村先生がいたから」
関わったあらゆる人が、そしてこの環境が俺たちを強くした。
誰かが欠けてたら、今とは違う人間になっていただろう。より良くなったか悪くなったかはわからないけど、でも俺は今の自分になれてよかったと思っている。
「困ったら……いや、困ってなくてもいつでも連絡をかけてくれ」
烏間先生は小さなメモ用紙を取り出して、さささと何かを書いて寄越してきた。
仕事用ではなくプライベート用の番号だ。公私をはっきり分ける彼にとって、この行動は珍しい。
今まで彼が俺たちを守ってくれていたのは、あくまで先生としてだ。俺たちに力の使い方を教えたのも、普久間島で指揮を執ったのも、『二代目死神』を相手にした時も。
だが、E組が死神に捕らえられてからは違った。俺たちの安全を考えつつも、意志を一番に尊重してくれた。
教師としてのポリシーを持ちながら、俺たちを見てきた一人の大人として、あるいは友人として、ここに送り出してくれた。
彼もまた、この暗殺教室で変わった一人なのだ。
殺せんせーによって、俺たちによって、俺たちと一緒に変わった。仕事が終わっても関係を断ち切ることはないくらいに。
「どれだけ強い人間でも、時には誰かに弱音を吐きたくなる時があるからな」
「烏間先生でさえ?」
「君でさえ、だ」
烏間先生は頷いて、俺の背中をぽんと叩いた。
△
しん、とした空気の中で、浅野理事長が生徒の名前を呼ぶのが繰り返される。
椚ヶ丘中学の生徒と教師以外立ち入り禁止の市民館で、一人ひとりに卒業証書が手渡されていた。
呼ばれて壇上に上がる生徒たちは、晴れやかに、あるいは泣きそうになって理事長から声をかけられる。
恐ろしいことに、全員のことを把握している彼は、それぞれに合った言葉を送っているようだった。
それはE組相手でも変わらず、嫌な顔をして下りてくる者は一人としていなかった。
「國枝響くん」
俺はすっと立ち上がる。
なんだか一歩一歩が重かった。待っている浅野理事長に近づくたびに、『終わり』が実感できてくる。
ふう、と軽く息を吐いて、まっすぐに理事長を見据えた。
「……一年前とは、まったく違う顔つきだね」
何を言われるだろうと少し構えていたが、柔らかい声で呟かれた。
「変わらないほうがおかしいでしょうよ」
あんだけの経験をしたんだ。これからの一生を左右するような、とんでもない日々を。
これで何も変わらないなんて奴がいたら、人かどうか、いや物体かどうかすら怪しい。
「それは、あなただって同じでしょう?」
いたずらっぽく理事長に言うと、ニヒルに笑って返された。この人のこんなちゃんとした笑顔は、初めて見る。
ほらな。誰だって、多かれ少なかれ、影響を受けてるんだ。
「卒業、おめでとう」
一礼して証書を受け取って、一歩下がり、再び礼。
「三年間、ありがとうございました」
△
卒業式も終わり、市民会館の出入口に差し掛かったところで、俺は驚いた。
意外にも、浅野がそこにいたのだ。
てっきりいの一番に出て行ったかと思ったが、生徒を見送っているらしい。
その彼が俺に気づき、険しい顔のまま近寄って来た。
「……ひどい顔だな」
「会って一言目がそれか」
戦いの傷だったり、泣いて腫れた目のせいか。だけど開口一番に言うセリフかね。
「今さらゆっくり話すこともないだろう」
浅野は外を指差した。
「外にはマスコミが集まっている。だが、君たちには一切近寄らせない。君たち同士や、他クラスとの挨拶の時間くらいは稼いでやろう」
踵を返して去ろうとする。その背中に、声をかけずにはいられなかった。
「浅野!」
怪訝そうな顔をして振り返る彼に、俺は言ってやった。
「だったら、お前とも中学最後の挨拶くらいさせろよ」
俺が勝手に離れて、浅野が敵視してきて、勉学体育に策略謀略を絡ませて張り合ってきた一年間。このまま微妙に固い関係で終わるのは寂しい。
浅野だって、見送られる側なんだし。なら俺が送る側でも問題はあるまい。
すっと手を差し出すと、ややあって彼は握ってくれた。
「またな、浅野。友だちとしてなら、いつでも呼んでくれ。まあ、いつでも駆けつけられるわけじゃないけど」
「ふっ、締まらないやつだな」
珍しく苦笑して、浅野は返す。そうして名残惜しそうに手に力を込めてきて、
「さよなら。いや、『また』、だな。國枝」
手を離した。
今度こそ去っていく浅野の後ろ姿を見送って、俺もようやく外に出る。
言っていた通り、マスコミがかなり騒いでいて、E組の口からなんとかして言葉を引き出そうとしている。
しかし、A組率いる本校舎組が、壁となるように隔ててくれていた。
その心の内はわからないけど、どうやら最後の最後で、助けてくれるくらいには認めてくれたらしい。
「行こう、響くん」
待ってくれていた優月が俺の手を取る。
引っ張られるがままに任せ、もみくちゃになりそうなところをなんとかすり抜けていった。
「やあやあ響くん。おっとお邪魔かな?」
マスコミの一団を抜けてすぐに話しかけてきたのは、意外にも立花だった。
昨日の今日で怪我が癒えるわけでもなく、頬には切れた傷が軽く残っている。
「あ……」
優月の顔が一瞬曇る。
話を聞く限りだと、立花は暗い話をE組にしていたようだし、苦手意識を持つのは当然だ。
だが、優月は一歩前に出た。
「立花さん、あの時はありがとう。あなたの言葉がなかったら、私は一生後悔することになってた」
ぺこり、と優月が頭を下げた。当の立花は、珍しくぽかんと口を開けて唖然としている。
「…………まさかお礼言われるなんて」
「本当に感謝してる。私が馬鹿だったって気づかせてくれたから」
これにも呆気に取られて、立花は俯いた。
「……馬鹿はどっちだったんだろうね」
蚊が鳴くような声でそんなことを呟きながら、顔に影を落とす。
「えっとじゃあ、私は先に行ったほうがいいかな」
優月は、立花が俺と話したいのを察して、手を振ってみんなの元へ進んでいく。
「なんか変なの。そんなつもりで言ったんじゃないのに」
呆れたような、むず痒いような、そんな表情をした立花はため息をついた。
それがどんな感情を持っているのか、あえて突っ込みはせずにおいておく。
「あんなにぼろぼろになったのに、よく来れたな」
「それは響くんも一緒でしょ?」
俺たちはそろって小さく笑う。ギリギリまで命を削り合った『貌なし』と『レッドライン』の会話とはとても思えない。
実際、今の俺たちはただの中学生だ。同じ中学に通っていた違うクラスの友人という関係でしかない。
「これでよかったの?」
「俺もお前も生きていて、みんなも無事。ついでに『蟷螂』も生きて投獄。まあ悪くない結末だ」
「ベストとも思えないけどね、私には。ま、敗者は大人しく引き下がるよ」
もっと突っかかってくるかと思ったが、やけにあっさり。心境の変化があったのか、それとも元からこうだったっけか。
「これからどうするの?」
「普通に生きるさ」
「普通に?」
オウム返しする彼女に、俺は頷いた。
「ああ。普通に学生生活を送って、普通に仕事に就いて、普通に暮らす」
「あの超生物について、マスコミとか事件の関係者が騒ぎ立ててくるかも」
「そうなったら警察に通報だな。他にもコネはある」
「『蟷螂』がまたやってくるかも」
「それはその時になったら考える」
「どうしようもない不幸とか、事件に巻き込まれるかも」
「みんながいる」
そう言うと、彼女はくすくすと笑った。
「変わったね」
「もう高校生になるんだ。いつまでも子どものままじゃいられない」
「それって、私が子どもってこと?」
「そう言ったつもりだが」
「あーあ、傷ついた。傷ついちゃったな―」
わざとらしく拗ねた口調。言葉とは裏腹に、表情には一切負の感情がなかった。
「お前はどうするんだ?」
「さあ? そんなの全然わかんない。本来の予定なら、響くんと一緒に死んでるはずだったから」
物騒な人生計画だな。
だが、それももう過去形だ。こうやって自棄にならずにいるってことは、多少は『レッドライン』に抗っているということだ。
これからは、少しは違う未来を目指すだろう。願わくば、それが彼女を幸せにしてくれますように。
「それじゃまた、いつかどこかでね」
「ああ」
彼女が普通を受け入れられるようになったら……その時はちゃんと友人として、これまでのことも笑い話にしてやろう。
立花が去っていくのを見送っていると、ぽんと肩が叩かれる。
今度は誰だ、と思っていたら父と母がいた。
「卒業おめでとう、響」
「可愛い彼女がいたんだな」
「あいつとはそんなんじゃない」
両親のひやかすような目に、俺は手を振って返す。
彼女は別にいるよ……なんて言ったら質問責めされそうだから、いまはよしとこう。
「来てくれたんだ」
「息子の晴れの姿だもの」
「小学校の卒業式にも、中学の入学式にも来てくれなかったのに?」
自分で言いながら、こうやって笑い話にできるのに驚いた。
あれだけショックを受けていたはずなのに、こうやって一回来てくれただけで許してしまうとは、俺も単純だ。
「これでも心配したんだぞ。色んな事が突然起きて……」
「わかってるよ」
殺せんせーのことや暗殺のこと、政府がわざと悪いように発表したせいだ。それに対して、俺はまだ何も弁明してないから必死になってたんだろう。
まあ元気な顔を見せたおかげで、その心配もずいぶん和らいだようだ。
「ありがとう。あのまま行かせてくれて」
素直な感謝が口をついて出た。
『群狼』が待ち伏せする森に突入する直前、母さんは電話口の向こうで俺を本気で留めようとした。でも最後には、俺の決心を踏みにじらないように送り出してくれた。
本当は、すぐにでも帰ってきてほしかったはずなのに。
「今でも、親として正しかったのかどうかはわからない」
「それは俺もわからないけど……感謝してるよ」
ニュースを見てちょっと考えれば、俺が危険なところへ向かおうとしているのは誰だってわかる。苦渋の末に息子をそんな地獄へ送るのは、無責任かそれとも信頼の証か。
たぶん、非難するほうが多いだろうということはなんとなくわかる。けれど、俺の言葉を聞いて、ちゃんと理解して、最後に背中を押してくれた両親には頭が上がらない。
「父さんと母さんが、俺の親で嬉しい」
嘘偽りなくそう言うと、二人とも目が潤みだした。参ったな。泣かせるために言ったんじゃないのに。
戸惑いながらも、なんとなく気恥ずかしくなって苦笑した。
「もう行くよ。みんなが待ってる」
「必ず帰ってきなさい。朝帰りは許してやろう」
「悔いのないようにね」
別に、E組のみんなと会うのがこれで最後ってわけでもない。だけど母の言いたいことはよくわかった。
この瞬間は今しかない。
殺せんせーがいなくなったことで、俺はそれを知れた。
当たり前に存在してるものが、次の一瞬ではなくなっていることがある。 だから今あるもの大切に。この時間を一生懸命に。
先生が消える最後の瞬間、光の粒子が浮かぶ光景が教えてくれたことだ。
殺せんせー、あんたが残したものが多すぎて、その影を追うばかりで、俺はまだ先に進めていない。
こんな俺を見て、怒るかな。嬉しがるかな。許してくれよ。これからはちゃんと自分の道を歩くから。
みんなはすでに進み始めてる。
俺も殺せんせーの生徒として、ここで学んだことを未来に紡いでいこう。
「おーい、響くん」
「ああ、今行くよ」
優月に急かされ、俺は落ちそうになった涙を拭ってみんなのもとへ急ぐ。
最後に、後ろを振り返る。お世話になった場所や人へ、心の中で礼をする。
仲間や恩師、許せない奴らも、今ここにいる『國枝響』を形作り、紡いでくれた人たちに感謝を込める。
國枝響の時間は、ようやく始まったばかりだ。