貌なし【完結】   作:ジマリス

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102 エピローグ

 その後の話をしよう。

 

 あの超生物のことは、もちろん大事件になった。

 だが詳細なところは伏せられたままで、ニュースやネットの世界で飛び交うのは、公開されている情報からの憶測しかない。

 真実は隠されたままで、そうなると都市伝説と同じく、やがては風化し、ひっそりとマニアの間で論議される程度になっていった。

 本当のことを知っていながら、しかも超生物に教鞭をとらせていた浅野理事長はその職を辞することになったが、あの人ならどこでもやっていけるだろう。

 

 さて、俺たちE組はどうなったかというと、もう高校三年生。

 大体のやつは進路が決まっていて、残りは遊ぶなり技術を磨くなり、思い思いの過ごし方をしている。

 一部はすでに忙しく動き回っているようで、高校卒業後だけでなく、大学卒業してからの先が決まっているのもいる。

 もう来年になれば、全員が一度に集まることなんてできなくなるだろう。

 

「國枝、遅えぞ。お前が全員集めたくせに」

「不破ちゃんも。この中で一番学校に近いのに」

 

 優月と一緒に来た俺が最後みたいで、校舎にはすでにE組全員が集まっていた。

 事前に言っておいたとおり、みんなそれぞれの高校の制服を着ている。

 そうなると当然、デザインや色がそれぞれ違うのが三十人近く揃うわけで。元々同じ中学だったなんて、言われなければわからない。

 

「ごめんごめん。えーと……全員揃ってるな。律は?」

「はい。ここにいます」

 

 俺のスマホから声がする。三年前から順当に成長したような姿の律がそこに映っている。

 卒業した後、彼女は住処を移した。あんな狭苦しい箱じゃなく、広大に広がる電子の海へ。

 そこで日々、色々なことを吸収し、成長していっている。ちょっと呼びかければすぐ来てくれるのは変わらない。

 

「さて、始めるか」

 

 元E組の生徒は定期的に校舎周り(山含む)を掃除している。

 

 百億円の賞金を利用してこの土地を買ったのだ。当時は何かに利用する算段なんてこれっぽっちもなかったけど、反対する者はいなかった。

 殺せんせーの、雪村先生の、烏間先生やビッチ先生の、あるいは俺たちの帰ってくる場所として残しておきたかったのだ。

 かつて超生物が教師をしていたこの場所。有名となっているこの場所に物が捨てられることが多いのが悩みだった。

 

 時々遊びつつふざけつつ、俺たちはここを綺麗にしていく。

 風化していく校舎を補強することも忘れない。机も椅子も教壇も、あの頃のままずっと残してある。

 

「ところで、國枝は何をしたいのか決まったのか?」

 

 千葉の問いかけに、いいやと答える。

 暗殺教室を通じて、ほとんどの者が将来の夢を決めていた。だけど俺はいまいちまだ未来が見えない。

 

 武道系の部活だったり、またまた芸術系だったり、いろいろと体験入部はしてみたものの、これといって心が躍るようなものには出会えていなかった。

 

 今は、たまにロヴロさんからスカウトを受けたり、烏間先生が俺を鍛えに来たりしている程度。

 烏間先生、ビッチ先生との子どもが男の子じゃなかったからって、俺を鍛え上げるのはやめてほしい。

 

『あと十年もすれば、対等に戦えるかもな』

 

 そんなわけないだろ。

 偉くなったくせにまだ最前線で戦う人間と、俺とを比べないでほしい。まったく、ビッチ先生といい、あの夫婦は辞め時ってものをわかってないんだから。

 

「ところで不破ちゃん。國枝とはどうなの?」

「どこまでいったの?」

「もうプロポーズされた?」

「ええと……」

 

 いつの間にか女子たちが優月を囲んで質問責めしている。付き合った次の日みたいだ。なんだか懐かしいな。

 あのときと違うのは……

 

「でね、そこで響くんは言ったんだ。『お前の全部が欲しい』って。で、私の肩を抱き寄せて……!」

 

 なんか優月がノリノリなことである。

 

「ほんとにそんなこと言ったの?」

 

 ああほら、カルマが食いついてきた。

 

「ああ、まあな。優月が理想のシチュエーションがあるからって、遊びというか、演技というか」

「もうそういうプレイじゃん、それ」

「プレイ言うな!」

 

 健全な遊びだっての。 

 

「でも、響くんやたらモテるからちょっと心配……」

「大丈夫だよ。たまに國枝と遊ぶけど、こいつ不破ちゃんのことしか話さないくらいだから」

「おまっ、バカ!」

 

 カルマが暴露する。

 黙っておいてくれって言ったのに……まあ、こいつに話した俺が悪いか。

 

「へえ。へえぇ~~、ふ~ん」

 

 男女ともににやにやとして俺を見てくる。

 うわあ、こんなことで懐かしさを感じたくなかったなあ。

 

「もう、響くんったら! 響くんったら!」

 

 優月が照れ隠しにバシンバシンと俺の背中を叩いてくる。

 そもそも俺はお前が言うほどモテんから、そんな心配しなくてもいいだろうに。

 

「出たよ、バカップル」

「火を点けたのもお前らだし、油注いだのもお前らだからな!」

 

 囃し立ててくるのをしっしと散らす。

 話に花を咲かせるのも結構だが、今は掃除が第一優先。決して、話を逸らしたかったわけではない……決して。

 

 

 抜けそうな床を補強し終わり、一息つく。窓から優しく涼しい風が流れ込んできた。

 ふと、教壇があった場所へ目が向く。そこに誰も立っていないことを少し残念に思う。

 もう三年経ったっていうのに、いまだに殺せんせーの存在は大きい。

 

 殺せんせーがいなくなったことで失ったものは多い。それを失われたままにしておけば、本当の意味で消えてしまう。

 だから俺たちは後へ伝えていく。教わった技術で、言葉で、心で、殺せんせーがここにいたことを少しでも多くの人に刻んでいく。

 結局、殺せんせーの思いを継いで生きていく限り、俺たちはあの人を殺せないわけだ。その意味で殺そうとするやつなんて、元E組には一人もいないし。

 

 託されたものを繋いでいき続ける人生は、誰かに教えることも多々あるだろうけど、同時に勉強の連続でもある。

 この暗殺教室で始まった授業はまだ終わりを告げず、場所と時間が変わっても続いていく。

 殺せんせーの声は、まだ心の中で響いている。

 

 

 校舎の内外を綺麗にして、久しぶりに机に座る。

 みんな懐かしがっているのか、言葉を発する者はいない。

 こうしていると、殺せんせーがやってきて授業を始めそうな雰囲気だ。

 

 しばらくして、中村がこっちを振り向いた。

 

「國枝、あんたが代表してなんか喋ってよ。せっかく集まったんだしさ」

「俺がそういうの苦手だって知ってるだろ」

「けどお前が適任だろ。今日みんなを集めたのも國枝だし」

 

 磯貝も振り返ってくる。

 

 高校入学からなんだかんだ忙しくて、全員が集まるのは難しかったが、せめて制服姿を見せておきたいと思ったのだ。

 これから全員が揃うのはもっと難しくなる。

 殺せんせーが育てた俺たちの成長した姿を、俺たち互いに、殺せんせーに、雪村先生に見せたかった。

 

 だが俺がこの場で話すのが適任かと言われれば……俺は渚を見る。何かしら反論してくれることを期待したが、彼は頷くだけだった。

 ふう、と俺はため息をつく。

 暗殺教室の首席様に任せられたとあっては仕方ない。

 俺は立ち上がって、教壇に向かう。

 

 黒板がスクリーンのようになって、ここで過ごした景色が思い出される。

 苦しかったことも楽しかったことも、痛かったことも嬉しかったことも、走馬灯のように記憶を駆け抜けて、広がっていく。

 早送りで再生された記憶が今に追いついて……俺はみんなのほうへ向く。あの時から成長したみんなと顔を合わせる。

 

 こんなことになるとは思っていなかったから、言うことを考えていたわけじゃない。

 だけど、頭の中には言いたいことが山ほど浮かんで……

 

 そっと、俺は口を開いた。

 

「殺せんせーは死ぬまで俺たちのことを考えてくれていた。アルバムを作ってくれたり、人生のアドバイスを書き連ねてくれたり、最期は俺たちを守ってくれて、俺たちのために殺させてくれた」

 

 殺せんせーが、触手生物と化した『二代目死神』と戦った時のことを思い出して、目頭が熱くなる。

 

「あの日、最後の夜だけじゃない。ずっと、ずっと、殺せんせーは命の意味を示し続けていた。命の大切さ、その重さと価値を教えてくれた。俺たちに何が出来るのか、どうしたらいいか、どうあるべきか、最後の最後、消えた後にも教えてくれた」

 

 勉強だけじゃない。

 この世の理不尽に対する立ち向かい方を、弱者なりの戦い方を、強者が持つべき精神を、清濁織り交ぜて見せてくれた。

 俺たちが誰かに何かを享受されるだけの存在じゃなく、与えることも可能だと気づかせてくれた。

 

「言葉で、表情で、行動で、作品で、仕事で、想いを伝えられると教えてくれた」

 

 殺されたら終わり。道半ばで指導が終わってしまうという恐怖と争いながら、たくさんの色で人生を輝かせてくれた。

 

 殺せんせーは雪村先生から受け継いで、俺たちは殺せんせーから受け継いで……

 

「今度は俺たちの番だ」

 

 俺たちも、きっと誰かの糧になるのだろう。

 ここで培った諦めない心、立ち向かう勇気……『健全な殺意』は、人から人へ受け継がれていく。

 殺せんせーがそうしてくれたように。

 

 

 綺麗になった校舎を前に、目を閉じてからどれくらい経っただろうか。

 ここでこうしていると、あの時のことが鮮明に思い出される。

 もう三年前だというのに、それだけ密度が濃く、苦しく、楽しかったということだろう。

 

「響くん、みんなもう行くって」

「ああ」

 

 優月に言われて返事をしても、俺はまだその場から動く気はなかった。

 察して、彼女は俺の隣に並ぶ。

 

 ここに来るたび、三年前の記憶が鮮明に思い出される。

 あの時の言葉や殴った感触、傷ついた身体の痛みさえ昨日のことのように浮かぶ。

 たった一年間。されど、その密度は俺の人生史上、一番濃いものだ。その記憶は、脳だけでなく身体や心に刻み込まれている。

 

「殺せんせーに、どうして教師になることを一瞬で決められたのか、聞いたことがある」

 

 まだ俺が将来へのビジョンを明確に見ることが出来なかったとき、進路相談で俺は聞いた。『死神』としての過去を持ちながら、あっさりと違う道へ踏み出すことのできた理由を。

 

「そしたら、殺せんせーはこう言った」

 

『確かに、決断は一瞬でした。たとえこの触手を手に入れなくても、教師になることはぱっと決めていたでしょう。決断というのはね、國枝くん。過去の積み重ねから学んだことを活かして選択肢を選ぶことなんですよ。死神として人を殺してきたこと、教え子に裏切られたこと、そして雪村先生に出会えたこと。そのどれもが欠けていたら、私はこの道を選んでいなかったかもしれません』

 

 人が物事を決めるときには、リスクリターン、感情、許容量、力量など様々なことを考える。だが出した結論に背中を押し、支えるのは人生を折り重ねた自分自身の経験と自信。

 もし『死神』のままなら、教師になることはあっても、生徒と本気で向き合うことはしなかっただろうと殺せんせーは語った。

 それでも変わることが出来たのは、雪村先生に出会ったから。それまでにはなかった愛情を知ったから。教師……いや、人としての在り方を、教わったから。

 

「最近はそんなことばっか考える。受験も終わって、みんなが将来のことを決めていく中で、俺は過去にしたことを悔やんで前を見ることができなかった。もう少し、いい道を選べたんじゃないかってな」

 

 そこまでの心情の吐露は、いままで殺せんせーにしかしていなかった。

 

「殺せんせーはこうも言った。『貌なし』に傷つけられた人はたくさんいる。けれど、『貌なし』にならなければ助けられなかった人もいる。だから俺がやったことをすべて間違いだと思うのはやめなさい。物事は、自分が意味があると思えてようやく意味を成す。過去の俺の行いに意味があったと信じて、それを活かせるようにしなさいってな」

 

 『貌なし』になるのは、なにもかも間違いだったと思っていた俺にとって、その言葉は衝撃的だった。

 

「もとから、みんなは感謝してたよ」

「でも、時々考える。俺がやったことは、単なるお節介や邪魔でしかなかったんじゃないかって。修学旅行のときも普久間島でのことも、みんなが捕まったときも、先生たちがなんとかしてくれたかもしれない」

「そんなのわかんないじゃん。結局は響くんが助けてくれたんだし」

「そう、そうなんだよ。たぶん殺せんせーはそれが言いたかったんだ。現実は、俺が動いて間一髪でどうにかなった。過程はどうあれ、みんな無事で終わらせることができた。俺がいなくて同じ結果になったとしても、俺がやったことは無駄じゃなかったはずだ」

 

 否定と肯定。先生たちはいつも両極の場から俺たちを見ていてくれた。傾いたほうへ転ばないように。時には優しく、時には厳しく、愛情は山盛りで。

 自分たちの経験から学んだ失敗と成功を伝えて、俺たちが後悔しない道を選べるようにしてくれた。

 結果として出来上がったのが、今の國枝響だ。

 ここまでの全部が……『貌なし』として生きてきたのも含めて、全部が俺を形作ってる。

 

「だから、たぶん、これでよかったんだ。間違った選択だらけだったけど、俺の人生は間違いじゃない」

 

 今はそう言い切ることが出来る。

 俺がいたから、E組のみんなを守ることが出来た。E組のみんながいたから、俺は助けられてきた。

 そこに希望を見出さないのは、あまりにも自己陶酔が過ぎる。俺は悲劇のヒーローでも、傷つけるだけの悪魔でもなく、一人の人間なのだから。

 

 たどり着いた答えに、殺せんせーや雪村先生は満点をくれるだろうか。いや、おそらく点数はつけてくれないだろう。

 それが正解かどうかは、もっと先の未来の自分や他の人が決めてくれる。どうしても先生たちに聞きたければ、何十年も後で、天の上で再会したときにでも聞けばいい。

 だから今は、今だけは、その志が正しいと信じて生きるだけだ。

 

「これで前に進める?」

「まあな。けど、これからまた間違えるかも。それを正してくれる人がそばにいてほしい」

「私はこれからも響くんと一緒にいるよ。離れる気なんてない」

 

 優月は腕を絡めて、肩に顔を乗っけてくる。

 

「ずっとそばにいるから、安心して」

 

 柔らかい手を擦り合わせ、腕時計のひんやりした感触に心地よさを覚える。

 

 最初は、俺はずっと一人で生きていくんだろうと思っていた。

 それは絶対に覆らない俺の運命なんだと、勝手に決めつけていた。

 なのにいつの間にか周りに人が集い、一人ではないと気づき、一人では生きることができないほどに寂しさを自覚した。

 弱くなったんじゃない。世界の理不尽に対して、人を頼るという術を手に入れたのだ。

 

 世界も人も、時間とともに変わっていく。

 孤独だと思っていた人間にも、すぐそこに愛し合える人間がいる。

 

 殺せんせー、あんたは雪村先生に会えただろうか。雪村先生と触れ合えるぬくもりを味わえているだろうか。

 その暖かさは、いま俺が感じているものとどれほど似ているだろうか。

 

 ふと目頭が熱くなって見上げる。まだ昼だというのに、雲一つない空には月が浮かんでいた。

 三年という歳月をかけて、砕けた状態から、少しずつよく知った球体へと形を戻していく月。いつかはあれも、再び真ん丸に戻ることだろう。

 

 俺には、それが笑った顔に見えた。

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