思い返せば、殺せんせー含め、烏間先生もビッチ先生も律もこのクラスによく馴染んだものである。
それぞれが、普通は俺たちと出会いもしない人種。なのにE組はすぐに受け入れて、相手もまたここに染められるように変わった。
特に殺し屋であるビッチ先生なんかは、本当のちゃんとした教師のように英語を教えてくれる。授業内容は過激ではあるが。
暗殺も諦めていないが、なんだかんだ俺たちにしっかり向き合ってくれている。
英語の授業を受けている時に、ふとそんなことを思った。
そういえば、二十歳なんだよなあ。
以前彼女のプロフィールを見たことがあるが、それはもう壮絶なものだった。
彼女の色香と非情さは殺しに必要なのと同時に、生きていくのに大事な武器なのだろう。
それを若い時から身に着けるのは、健全な成長と言えるのだろうか。
ゆっくりと上がる必要のある階段を何段も飛ばしてしまったら、途中にあるものを取りこぼしてしまう。
ビッチ先生から時折見られる子どもっぽさは、精神の成長を逃してしまったからこそではないのか。
だが、どうすることもできない。
誰かが殺せんせーを殺したとして、その後はビッチ先生も元の世界に戻る。俺たちの住んでいるところとはまったくの別世界だ。
そこまでは誰も手が伸ばせないだろう。ビッチ先生は教師から殺し屋に戻る。
などと考えながらぼーっと外を眺めていると、怪しさ満点な男を見つけた。
黒いコートに身を包んだ、五十か六十そこらの男性。
獲物を狙う猛禽類のように鋭い目つき。最初にビッチ先生を見た時のようなどす黒い雰囲気。
新しい教師兼殺し屋か? だが教師役には見えない。
危険な奴は勘弁してほしいぞ……
△
今日最後の授業を終え、俺はすぐに職員室に向かった。
あの黒服の男が誰かを突き止めるためである。
俺たちの前には現れなかったが、校舎に入ってくるのは見えていた。
例によって、烏間先生なら何か知っているだろう。
がらり、と扉を開ける。
いつものようにPCを触っている……かと思ったが、烏間先生とビッチ先生は神妙な顔つきをしていた。
「教室から覗いてたのは、君か」
急に横から声をかけられて、思わず後ずさる。
冷や汗を感じながら、そちらに視線を向けると、件の男がいた。
まったく気配を感じなかったぞ。何者なんだ?
「反応は少し遅いが、動きは中学生にしては悪くない」
彼は俺のことを、上から下まで見定めるように視線を動かす。
敵意はないとして、俺はバクバク言っている鼓動を落ち着かせた。
「だ、誰なんですか?」
「む、そうだな。自己紹介が先か。私はロヴロ。殺し屋屋と呼ばれている」
「殺し屋……屋?」
「殺し屋の斡旋業者と思ってくれたらいい。日本政府は殺し屋との繋がりはないからな。今では大事なパイプだ」
訝しむ俺に、烏間先生が補足した。
そうか。ビッチ先生や修学旅行のスナイパーをどこから仕入れてきてるのかと疑問に思ったことはあるが、彼の紹介ということか。
黒い手袋をはめたまま手を伸ばしてくるロヴロさんに応じて、握手する。
「あなたも先生としてここに?」
「いや、私は引退した身だ。ここに来たのは、そこの出来損ないの様子を見に来ただけだが……どうやらすっかり牙を抜かれたらしいな」
ロヴロさんがちらりとビッチ先生を見ると、彼女はびくりと身体を震わせて目を伏せた。
「ターゲットを殺すこともできず、教師という役に甘んじている。正体のばれたお前では、この仕事の遂行は不可能だ」
言われた本人は言い返すこともせず、しゅんとなった。
ビッチ先生の暗殺スタイルは、相手を油断させて近づき、隙をついて一撃を食らわせるというもの。
殺し屋だとばれてしまえば、前提から覆されて警戒される。マッハで動く生物相手には、彼女の刃は届かない。
「……よく知ってるみたいですね? 察するに、あなたがビッ……イリーナ先生を育てて、紹介したみたいですが」
「そうだ。だからこそ、こいつに出来ることと出来ないことがわかっている」
「だから出来ないと決めつけてるわけですか」
最後の言葉は、いつの間にか俺とロヴロさんの間に割って入ってきた殺せんせーだ。
こいつは、いきなり現れるしかできないのか。
「にゅ……露骨に嫌な顔をしないでください、國枝くん」
「いや、あんたが出てくると話がややこしくなりそうで……」
『中間テストで全員50位以内に入ること』という無茶ぶりは今も覚えている。
そういう、全力以上でやらないと出来ないことを平気で言ってくるのだ、こいつは。
「こほん。とにかく、適材適所という言葉があります」
「そう。イリーナにとっては……」
「こここそが、彼女にとっての適所です」
△
翌日の昼休憩。
弁当を食べ終わった俺は、外の木陰で涼みつつ、各々が身体を動かしているのをなんとなしに眺める。
「……つまり、烏間先生に対殺せんせーナイフを一度当てたほうが勝ち……と」
「ええ。これなら対等でしょう?」
「対等……ねえ」
ビッチ先生とロヴロさんの勝負ルールを説明されて、平等だとは思っても対等だとは感じなかった。
気配を悟られずにそこにいることができるロヴロさんと、手の内がバレているビッチ先生。
とてもフェアな勝負とは思えない。
「君の見立てでは、どちらが勝つと思いますか? やはりロヴ……」
「無理だ」
ビッチ先生が不利だと理解しつつも、俺は即答した。
烏間先生は見た目以上に戦闘に長けている。何に警戒し、どこに目を配らせる必要があるかを熟知している。
そんな相手に、暗殺しますよと宣言してからやるのは自殺行為に等しい。返り討ちにされて終わりだ。
考えをぱっと出してしまって、俺はしまったと思う。
「いや、まあ、なんとなく、ロヴロさんは烏間先生には勝てないかなって」
「その言い方の割には、即答でしたねえ」
「ビッチ先生贔屓なだけですよ。それよりも……」
「それよりも?」
「なんで、そんなふざけた格好なんだ」
我慢の限界だった。
殺せんせーはほっかむりを被って、しかも服装は忍者服という、間違った泥棒スタイル。
「こ、これはですね、少しでも雰囲気を出そうと……」
「あんたが雰囲気出す必要なくないか?」
戦っているのは、烏間先生、ビッチ先生、ロヴロさんの三人。こいつは行く末を見守るだけだろう。
手出しも邪魔も不可。
俺たち生徒と同じように、そわそわとしながら見守るしかない。
打ち切られた会話を続けることはせず、殺せんせーは木から木へと移動し、徐々に烏間先生へ近づいていった。
ビッチ先生が動き始めようとしていた。その結果が気になったのだろう。
勝負自体は今日一日中。つまり朝から開始されているわけだが、ビッチ先生が木陰から烏間先生を狙っているのを見ると、どうやらまだ決着はついていないらしい。
「君はなかなか面白い逸材だな」
びくりと俺の身体が跳ねる。
振り返れば、木の後ろからロヴロさんが出てきた。本当に神出鬼没だな、この人。
昨日はロヴロさんと殺せんせーに驚かされて、今日もまたこの人に驚かされた。
元殺し屋に背後を取られる気持ちを考えてほしい。心臓をわしづかみにされるような感覚になってしまう。
……寿命足りるかな。
「驚かすのはやめてください」
「くくく、すまない。君の実力を測ってみたくてね」
いたずらっぽく笑うロヴロさん。俺は笑えなかった。
「なんのことか、わかりかねますが」
「隠さなくていい。そのためにわざわざここで声をかけたんだからな」
彼はまるで影から這い出てくるかのように、ぬるりと俺の横に立つ。
「イリーナには、隙を見出す術を教えている。私が教えた技術だ。それをかわし続けているそうじゃないか」
授業中の公開ディープキスのことだ。
嫌々言いながらみんなが避けられないのは、ロヴロさんの言う通り、ビッチ先生が一瞬の隙をついてきてるから。
対して俺は逃げ続けている。そのことを、彼は不審に思っていた。
「一介の中学生がそれをできるとは、興味をそそられる。聞かせてくれないか。もちろん誰にも言わない」
……別に彼を信じるわけではないが、プロがそう言う以上は口を開かないだろう。そしてプロだからこそ、ごまかしも通用しない。
監視カメラの『貌なし』の映像と実際の俺の動きから、律は俺が『貌なし』だと見抜いたが、それと似たようなことを彼はやったのだ。
自身の殺し屋としての経験と、殺し屋を育ててきた手腕によって、俺が普通とは違う人間だと認識した……ということだ。
「……目が良いんですよ」
「目?」
「視力の話じゃなくて、例えばそう……あなたは左手が折れてる。痛みを我慢できるように訓練しているんでしょうが、腕は少し震えて、顔に少し力が入ってる」
なるほど、とロヴロさんは頷く。目が良いとはそういうことか、と。
「行動には必ず予兆がある。君は相手の表情や筋肉の動きを読み取ることができると、そういうことだな?」
「ええ、まあ」
瞬時に理解してみせたロヴロさんは、やはり面白そうに口角を上げる。
「ふむ、面白いな。実に役に立つ能力だ」
と言いながら、彼は納得していないように顎に手を当てた。
「解せないのは、それを活かしていないことだ。その能力を使えば、あの殺せんせーとやらの弱点の一つや二つは簡単に見つけられるだろう」
「他の奴に任せてます。それに、俺は別に奴を殺そうだなんて思ってませんし」
「何故だ?」
「何故って……」
俺は呆れた。
どいつもこいつも殺すということに関してハードルが低いな。
「むしろ嬉々として命を奪おうとするほうが異常でしょう。俺たちは巻き込まれただけだ。誰かを殺すためにE組にいるんじゃない」
「それが地球を破壊しようとしている存在でも?」
「俺にはできない」
するしないではなく、できない。
地球を救った英雄になったとして、あんな人間らしいのを殺してぐっすり寝られるほど俺は強くない。
「っていうか、なんで骨折ってんですか」
「カラスマに挑んで、このザマだ」
「はあ……」
元殺し屋というからには策を弄したのだろう。だが、烏間先生はプロを破り、そして勝負を続けられないくらいの傷も負わせた。
滅茶苦茶強い人だから、それくらいはやってのけるだろうと思っていたが……
「引き分けに終わりそうだ。私はこの通りだし、イリーナにカラスマをどうこうできるとは思えん」
「そうですか?」
「君も私の話を聞いていただろう。アレが得意なのは色仕掛けであって、素性がばれてしまっては銃の扱えるガキにすぎない」
「採点が厳しめなのは、教え子だからですか?」
「……そうかもしれんな。私のもとで腕を磨いておきながら、あの体たらくとは……」
やれやれ、といった様子の彼に、俺は思わずくすくすと笑いが漏れてしまう。
「なにがおかしい?」
「いえ、まるで親子みたいだなと思いまして。あなたの目に『期待』が映っているのは、俺の見間違いでしょうか」
ロヴロさんからは、怒りや失望も感じられるが、それ以上に……なんというか、心配しているような感情が見えたのだ。
冷徹に見えるその表情の下で、確かに愛情があるのがわかった。ならそのまま期待するといい。
ビッチ先生は、もうあなたの知っているような教え子ではない。
彼女は烏間先生に近づくと、するりと上着を脱ぐ。
ロヴロさんはため息をついた。
「見えるだろう。あいつにはあれしか出来ん」
「そうでしょうね。最初はそれしかない」
ビッチ先生はすり寄るようにして、なにやら烏間先生に囁いている。
あれ自体は単なる色仕掛け。烏間先生にはまったく効かない技だ。
そもそも烏間先生に効く技はあるのだろうか。
隙はなく、技術も一級品、さらに単純に身体が強い。そんな彼を出し抜くには、ほんのわずかな気の緩みを探し出すしかない。
だがこちらの初動が違えば、つまり最初にビッチ先生が怪しい動きをすれば警戒度は増す。
しかし、始めの動きがそれまでのものと一緒なら、ビッチ先生を知っているからこそ、多少は油断はするだろう。
こいつにはハニートラップしかできない。それだと勝てない。そう思い込んでしまう。
「そこだ」
思わず呟いてしまった。
その瞬間、烏間先生の足が取られ、仰向けになってしまう。
捨てた上着を目くらましとして利用した、ワイヤートラップだ。
服の中にワイヤーを仕込み、木を支点として引っ張る。烏間先生の足元に捨てられた上着は彼の足を巻き込んで、油断していたところを転倒させられる。
E組の生徒がやるような、それまでビッチ先生が全く見せなかった技術。
倒れた烏間先生に馬乗りになり、ビッチ先生がナイフを振り下ろす。
タイミングは完璧。誰もが決まったと思った。
だが、その刃は届かなかった。ギリギリのところで、烏間先生がビッチ先生の腕を掴んだのだ。
腕力じゃもちろん敵わない。上に乗ってるという姿勢的な有利はあるが、それでも徐々に押し返されていく。
普通なら文句なしの罠も、わずかに届かない。
「ねえ、ヤりたいの。ダメ?」
懇願するような、必死にも聞こえる声。
単純に色仕掛けするときの猫なで声とは違う、本気が混じった声をビッチ先生は出す。
そこから少しの間、膠着状態が続いたかと思うと……最後には烏間先生が根負けして、手を離す。ぷにょんと、刃が彼の胸に触れた。
つまり……
「ビッチ先生が勝ったぁ!」
倉橋がわっと手を挙げる。その後に続いて、他のみんなも歓喜の声を上げた。
俺も内心喜びつつ、勝利を祝う。
「あれは、あなたの教えた技術ですか?」
「いや……」
「あの人は、ただ先生をしてたわけじゃない。こういう罠も必要だと思って、密かに練習してたんですよ」
面食らうロヴロさんに説明する。
強気で、自分は手を汚さない。そんな彼女が毎日毎日ジャージを着て泥まみれになりながらも励んでいたことを、俺は知っている。
足りないものを補おうとして、ここにいるために成長しようとして、毎日成長し続けた。
その成果がまさか、殺せんせー相手じゃなく、ここでお披露目されるとは思っていなかったが。
「誰だって、どこにいても成長できる。あなたの下じゃなくてもね」
「ふむ、見誤ったようだな。私もまだまだだ」
とか言って、にやりと笑っている。
おいおい、あれだけビッチ先生に期待してないみたいな言葉を投げておいて、成長を喜んでるじゃないか。
そう、成長だ。
彼女のひたむきな努力の姿勢は、俺たちに刺激を与える。この人とならともに進んでいけると確信を持たせてくれる。
殺せんせーの言った通り、ここが、E組が彼女の適所なのだ。