堀部イトナ、シロ、そして赤い線の入ったレインスーツの人物。その正体を掴むことができず、俺の気分は下がるばかりだった。
進展がないせいで焦る気持ちが膨らむ。
さらに、俺たちの前にはもう一つイベントがある。
「野球……ですか」
殺せんせーが眉間にしわを寄せた。
椚ヶ丘中学のイベントは、つまりE組を見せしめにするための行事である。
テストもそうだったし、修学旅行だって、学校から受けられる恩恵の違いを見せつけられる。
もうすぐそこまで迫っている球技大会だって、もちろんその一部だ。
話を聞いて、ふむふむと顎……顎? をさする殺せんせーはいつの間にかユニフォームに着替えていた。
帽子には『いその』と書かれている。誰もお前を誘ってない。
「そ。まあ俺たちは大会に参加できなくて、エキシビジョンマッチをやるだけなんだけどな」
「男子は野球、女子はバスケ。それぞれの部の選抜メンバー対E組でやらされるんだ。盛り上げるため……とか言いつつ、E組をぼっこぼこにして笑いものにしようって、いつもの話だよ」
「結果は見えてるけどな。うちは部活動もエリート級だし」
いくら俺たちが鍛えているとはいえ、それは暗殺に特化した鍛え方だ。
スポーツのそれとはまったく違うし、経験の差もある。簡単に勝てるとは夢にも思っていない。
「まあでも、いい試合していい具合に盛り下げてくるよ。ね、みんな」
片岡の言葉に、女子みんなが声を上げる。
リーダーシップある彼女がへんに気負わず引っ張ることで、女子一同やる気を出してくれている。あっちに関しては心配することはないだろう。
むしろ、気に掛けるべきは我々男子チームだ。
委員長である磯貝も負けず劣らずの人望。だが、肝心の野球経験者である杉野が、なんだか俯き気味なのだ。
「野球なら頼れるのは杉野だけど、何か勝つ秘策とかねーの?」
そんな前原の質問に、杉野はふるふると頭を振った。
「無理だよ。最低でも三年間野球してきたあいつらと、ほとんどが野球未経験の俺ら。勝つどころか勝負にならねー。それにさ、かなり強いんだ、うちの野球部」
言われなくても知っている。
全国で見てもトップクラスの実力をもつ野球部。特に、今年三年生のピッチャーである
あまりにも強い剛速球を投げ、それ一本で公式戦を戦い抜く様は有名だ。
そして、その進藤はE組に落ちていないどころかA組。勉強でもトップクラスの人材だ。
文武両道という言葉が相応しい。相手する俺たちは、スポーツでも勉強でも下の下。天と地ほどの差がある。
「
俺は杉野の言葉に続けた。
「そんな理由で諦められるなら、今も練習したりなんてしない」
部活動が認められないといって野球を辞めるでもなく、市のスポーツチームに加入したことを知っている。それの練習がないときは、放課後に何時間も特訓していることも。
勉強だけでも大変なのに、野球に対する向上心はそれ以上。
そんな彼が、実力が足りないだろうからなあなあで済まそうだなんて考えるはずがない。
「やってやろうよ。いい試合でやめる気はないよ、俺は。勝って、本校舎の面目丸潰しにしてやろうよ」
カルマも乗ってくる。
いつの間にか、男子全員が杉野の周りに集まっていた。
この間の堀部イトナ襲撃から、みんなはますますやる気を固めている。
他の誰でもない、自分たちが殺せんせーにとどめを刺すために、もっと強くなろうとしていた。
「お前ら、どうしてそこまで……」
「決まってるだろ」
みんなが崇高な目的のために一つになっていた。
その目的とはもちろん、みんなで団結して……
本校舎組へ嫌がらせしてやる。
△
「ピッチャーはもちろん杉野だな」
放課後、練習をするために残った男子たちは異論なく頷いた。
残念なことに寺坂組は不参加だが、それでも人数は十分だ。
「相手をどれくらい抑えられるかは杉野にかかってる」
「プレッシャーかかるなぁ。一人で練習してる俺が、野球部に勝てるとは思えないけど……」
落ち込む杉野だが、俺はそう思わない。
彼がこの学校で通用しなかったのはストレートにこだわっていたからで、殺せんせーが諭したいまでは、恐ろしいほどに曲がる変化球を身に着けているからだ。
何度か捕ったことがあるから言えるが、あのレベルだと中学生では打つことが出来ないだろう。
「で、どういう練習する? 打つだけじゃなくて、ボールを捕る練習もしないと……」
「いいや、どっちも練習する必要があるのは数人。野球経験者と運動神経良い組は攻撃・守備どっちにも出てもらうけど、他はどっちかに割り振る」
「攻撃と守備で人を入れ替えるってことか」
これはE組に与えられたハンデだ。もちろんそんな程度で勝てるわけがない。
野球部と戦わせるうえで公平に見せるための特殊ルール。なら、俺たちはそれを最大限に使わせてもらう。
「勝つにはそれくらい極端にいかないとね。じゃあ誰がどのポジションにつくか決めようか」
△
カルマが主導となって、各々のポジションを決めたあと、俺と竹林は本校舎に偵察に来ていた。
偵察兼記録係となって選手枠から外れる作戦は予想よりも上手くいってくれた。
無理やり選手にさせられたとしても、野球をやる程度じゃ、何も悟られはしないだろうけどな。
「速いな」
「140キロは出てる。中学生のレベルじゃないよ」
カメラを構える竹林が頷く。
相手側のピッチャー、進藤は剛速球のストレートを持ち味とする選手だ。
殺せんせーの助言を受け、変化球を極めつつある杉野とは正反対の投手。
俺たちが観察してもどうにもならないと高をくくっているのだろう、グラウンドに入っていても文句を言われることなく、むしろ見せつけてくる。
対策できるものならしてみるといいと、時折野球部員たちがこちらを見てにやにやと笑ってきた。
いまさらそんなのに屈辱を覚えるほどじゃない。
見せてくれるのならしっかり見せてもらおう。
△
球技大会当日は、雲一つない晴天に恵まれた。
次々とクラス対抗で野球が行われ、最終的にはA組が勝った……というのはどうでもよくて。
「よし、目にもの見せてやろうぜ」
グラウンドに集まり、杉野が号令をかける。
E組をめっためたにするためのエキシビジョンマッチ。その目論見を潰してやろうじゃないか。
と、気合を入れた直後、周りから歓声が上がる。振り返ると、野球部が姿を現したところだった。
「やだやだ。殺気立ってるねえ」
「野球部としちゃ、全校生徒にいいとこ見せる機会だからな」
クラス対抗の大会には、野球部は参加できない。だからこそのこのエキシビジョンマッチ。
もちろん、野球部は全員レギュラーメンバー。E組相手には冗談でも負けるわけにはいかないから、一切の手加減なし。
「そーいや殺監督どこだ? 指揮するんじゃねーのかよ」
「あそこだよ。烏間先生に目立つなって言われてるから」
渚が指差した先には、ボールがいくつか転がっていた。その中で、ちょいちょい色を変えるものが一つ。あれが殺せんせーだ。
転がっている他の球と同じ大きさに見えるが、実際はもっと遠くにいるのだろう。ばれないように遠近法で小さく見せているのだ。
「ちゃんと見ないとわからないレベルだな。あれでそうやって指令下してくるんだ?」
「顔色とかでサイン出すんだって」
渚は小さいノートを取り出した。表が書かれていて、それで殺せんせーの顔色からサインを読み取るらしい。
こんな大勢の前で姿を見せるわけにはいかないからな。
さて、早速試合開始の合図が鳴る。
先攻はこちら。
野球部が守備につくと、観客が再び沸く。これからの公開処刑を、いまかいまかと待ち望んでいるのだ。
大会でいいところがなかったクラスも、E組の無様な姿を見て溜飲を下げたいのだ。
「観客含め、全員が敵か」
「いつものことだろ。俺たちはいつもの通りやるだけだ」
竹林と俺はベンチに座って、相手の様子を見る。
余裕あり、油断もあり。どうせE組は何もできないと警戒の気配はなかった。
《E組一番サード、木村君》
アナウンスされ、木村が立ち上がる。その顔には緊張があるが、ガチガチってほどじゃない。
「作戦通りに行くぞ。木村、一番最初のお前に懸かってる」
「プレッシャーかかるなぁ。ま、ちゃんとやってくるよ」
にっと笑って、彼はバッターボックスにつく。
二度素振りして、バットを構えた。
相手のピッチャーはもちろん進藤。
真剣な顔を覗かせて、最初の一投目を投げた。
手から放たれた球が、レーザーのように線を描いてキャッチャーのミットに収まる。
木村は動かず、ただ見送るだけだった。
「竹林。今のどれくらいだ?」
「136km/h。練習の時と同じくらいだね」
「速いな」
練習時と一切変わらないフォーム、軌道、スピード。それが出来るってことは、それくらい練習量を重ねてきたということだ。
「だが予想通りだ」
さっき木村は動けなかったんじゃない。動かなかったんだ。
練習通りに当てられるか、それを見極めるために。
二球目。
さっきと全く同じ投球フォームで、進藤が投げた。
球はまたしても恐ろしい速さで、キャッチャーのミットに吸い込まれるように……
カン。
球が転がり、木村が走り出す。
バントだ。
まさかバットに当てられるとは思っていなかった野球部の動きが、一秒遅れる。
それで十分。一秒余裕があれば、E組で一番の俊足である木村は悠々と一塁に行ける。
「舐めてかかってきた罰だ」
バントに対して、適切な守備をするのは難しい。とくに中学生チームなら、それ用の守備練習をするなんてことは珍しい。
そしてこちらのコーチをしたのは殺せんせー。
あっちの投手よりも速い球を投げ、あっちの誰よりも素早く守備行動ができる、殺せんせーだ。
そちらの練習を受けた生徒曰く、300km/hの剛速球を、恥ずかしい隠し事を囁かれながら投げられたという。
そんな猛烈なことをされれば、体感的には140km/hは遅く感じるだろう。さらに、こちらは当てればいいバント。もちろん技術が必要だが、振るよりかはまだ当てられる。
「一発目が一番重要だ。ここで心を揺らせれば、時間が経つごとに焦りが生まれる。今なら、練習よりも当てるのは簡単だぞ、渚」
「うん、任せて」
一球目から球を捉えられたショックからか、相手の投手はまたしても馬鹿正直にストレートを投げる。
二番打者である渚が、サードの方へ強く転がした。
やたらと前に出ていた守備の足元をすり抜け、球は転がっていく。進塁成功。続く磯貝も。
さあ、ここで満を持して登場するのは杉野。
自信満々にバットを構える彼に対して、相手のピッチャーは目に見えて動揺していた。
杉野はバントの姿勢を取る。
「ここで上手くいけば、一点取れるな」
「それで野球部の動揺はさらに大きくなるだろうから、もっとやりやすくなるはずだ」
前原と菅谷がにやにやと笑う。
ああ、ここで野球部の自信をへし折る。
進藤は落ち着こうとして、球を強く握る。そして、一度深呼吸して、投げた。
コースとスピードが甘い。力の入りすぎだ。
この瞬間、杉野がバットに添えていた手に、グリップを握らせた。
野球部に膝をつかせる。それには、バントして一点取る程度で済ます気はなかった。
杉野には一言伝えてある。
『自信があるなら、思いっきり振ってこい』
その指示の通り、彼のバットは完璧に芯を捉えた。
球は進藤の遥か上を抜け、ぐんぐんと伸びていく。
バントを警戒して前のめりになっていた外野の反応が遅れ、高くバウンドした球を捕ったときにはもう遅い。
塁に陣取っていた選手は次々とホームに帰ってきて、杉野も三塁まで進むことに成功していた。
「よっしゃ、初回三点リード!」
戻ってきた三人が、こちらで待っていた男子たちに迎えられる。
功労者である杉野も三塁から親指を立てていた。
野球部たちは目に見えてしょんぼりとしており、戦意喪失していた。
馬鹿にしていたE組から一気に三点取られたのだ。ショックも桁違い。
「さすが殺せんせーの作戦。このまま……」
ぞくり。
一瞬にして、フィールドの温度が変わったのがわかった。
よく見知ったスーツの男が、あちら側のコーチに何かを囁く。すると、コーチは泡を吹いて倒れてしまった。
来たな、厄介なのが。
「ここからは、私が指揮を執ろう」
浅野理事長が、そう言って不敵な笑みを浮かべた。