貌なし【完結】   作:ジマリス

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2 火を消す煙

 パシン。

 いい音が鳴って、白球がミットに収まる。

 

「どうよ、國枝」

「……あんまり変わってない」

 

 ボールを投げた杉野友人(すぎの ともひと)は、俺からの返球を受け取ってがっくりと肩を落とした。

 

「まじかー……結構練習したのに」

 

 E組は部活動を禁じられている。成績が落ちたのだから、勉学の他にかまけるなということだ。

 それでも杉野は野球を諦めることはせず、こうやって投球練習をしている。

 普段は(なぎさ)がキャッチャー役らしいが、英語の課題があるとかなんとかで俺にお鉢が回ってきた。

 以前にも協力したことはあるし、日々努力しているのは知っているが、その時からあまり上達しているように感じないのが不思議だ。

 とはいえ、俺は野球に詳しいわけじゃない。何がどう悪いか、具体的なことは言えずじまいでいた。

 

「ところでさ、烏間さんとの面談はどうだった?」

 

 何十球も投げながら、なお続ける杉野。

 

「別に、なんてことはなかったよ。得意科目が何かとか……他愛もない話だけ」

 

 再びミットに収まったボールを投げ返す。

 

 E組と超生物の監視役として、防衛省から送られてきたぴしっとした男、烏間惟臣(ただおみ)は『面談』を行った。

 そう称しているだけで、実際は異常な状況に置かれている俺たちのメンタルケアと、細かい状況の説明。

 

 防衛省からE組に配属されているのが彼だけではないとはいえ、反骨精神盛りのうえに受験を控えてピリピリしてる中学三年を三十人近く相手にするのは骨が折れるだろう。

 俺はとにかく目立たないように、面倒をかけないようにすればいい。

 

 國枝(ひびき)。出席番号10番。得意科目は国語、苦手科目は理科。

 E組に落ちた理由は、単純に成績が落ちたから。

 

 俺はそれだけ言って、面談を終わらせた。

 事前にいくらか調べられていたようだが、俺の『もう一つの姿』に関してはばれていないようだった。

 ならば目立たず、特筆すべきこともない、ただの一中学生としての振る舞いを見せて終了させるのが一番。

 一度、『普通』の印象を与えてしまえば、深く突っ込んでくることもないだろう。あちら側としては、殺せんせーへの対処でいっぱいいっぱいなはずだ。

 

 ちなみに、『殺せんせー』というのは、あのタコ先生のことだ。

 殺せないから、殺せんせー。女子の一人である茅野(かやの)が命名して、彼も気に入り、誰も否定しなかったから定着した。

 一斉射撃だけじゃなく、練りに練られた作戦も不意打ちも効果なし。

 

 頑張っても殺せんせーの命に届かないのは、彼の能力が厄介だからだ。

 第一に挙げられるのは、彼がマッハ20で動けるということそれだけでも厄介なのに、空を飛べたり、何本もある触手で蠢いたり、そして案外隙が無い。

 これじゃ、確かにどこの誰もが手を出せない。

 こんなのが世界中を飛び回られたら殺すのは不可能だ。そう考えれば、殺せんせーの要望通りにE組の教師をさせておくことは、暗殺の成功確率を飛躍的に上げられることになる。

 

 それ以上、杉野は何も聞いてこなかった。彼も同じように簡単な質疑応答をしただけなのだろう。

 投球が百を越えたころ、今日の練習はようやく終了した。

 

「今日は付き合ってくれてサンキュな」

「これくらいなら別に。俺もいい運動になったしな」

 

 タオルで汗を拭きながら、杉野はボールを鞄に収める。

 俺も鞄を肩にかけ、空を見上げる。

 今日は何もなければいいけど。

 

「いま終わり?」

 

 少し休憩していたところに、鞄を肩にかけた渚が来た。

 潮田(しおた)渚。中性的な顔立ちに、まとめられた長い髪。普段はこいつが杉野のキャッチボール相手になっている。

 ズボンを履いているから男だと判断できるが、かつて誰かさんのイタズラでスカートを履かされていたときは、女子にしか見えなかった。

 彼は女っぽいと言われると顔が曇るため、思っていても言わんが。

 

「ごめんね、思ったよりも熱中しちゃって」

「いや、いいんだ。それよりそっちは大丈夫だったか?」

「うん、課題はばっちり。ついでにその先の範囲も教えてもらっちゃった」

 

 超生物だというのに、暗殺対象だというのに、殺せんせーは教師として毎日俺たちに勉強を教える。

 その腕は一級品だ。わかりやすくしてくれるだけじゃなく、やる気も引き出してくれる。だから、彼が時間も忘れてしまったのを責めるつもりはない。

 恐ろしいことに巻き込まれたはずなのに、俺たちE組の生活はほとんど変わらず、むしろ成績に関しての成長はめざましい。

 殺せんせーが来た時に感じた不安は、俺の中で消えつつあった。

 

 このメンツと帰るのは久々だな、とむしろ俺の気分は上がっていた。

 

 

 ……上機嫌もつかの間。嫌なものを見てしまった。

 

「ちょっとやめてください!」

「さっさとどっか行ってよ!」

 

 駅までの道を杉野と渚と一緒に歩き、買い食いでもしようかと商店街をうろついていたところだった。

 聞き覚えのある声に振り向けば、見慣れた制服が目に入る。黒髪ポニーテールとさらりとした金髪、クラスメイトである矢田桃花(やだ とうか)中村莉桜(なかむら りお)が、知らない男に腕を掴まれていた。

 ナンパ……と呼ぶには強引すぎる。連れ去ろうとしているのか。こんな明るいところで堂々とよくやるもんだ。

 辺りに困った目を向けて助けを求めるも、通行人は見て見ぬふりをする。

 

 まずいな。

 矢田は力では抵抗できないし、中村は火に油を注ぐタイプだ。このままだと、この場でどちらかがはたかれる可能性がある。

 

 俺は連れ二人に頷いて、矢田たちとその男の間に割って入った。

 

「すみません、やめてあげてください」

 

 相手の手を掴んで矢田と中村から離し、身体で遮る。

 

「ほら、困ってるみたいなんで」

 

 俺の後ろに杉野と渚が並んで入り、より男を阻害する。

 中学生に邪魔されたのが琴線に触れたようで、男の額には青筋が浮かんでいた。

 大人しく下がってくれるようならよかったが、ここで無理に抗うと面倒なことになりそうだ。

 

「うるせえ!」

 

 男が俺の肩を押す。押すというか、叩くに近い。

 しめた、と俺は思った。

 わざと避けずに、もろに受けておおげさに倒れてみせる。そのおかげで、周りの目が一斉にこっちを向いた。

 ここは誰も見てない路地裏とは違う。往来のある道なのだ。

 これだけ目撃者がいれば、さすがに止めようとしてくる者がいるかもしれない。もしかしたら通報する者も。

 さすがにそれはわかっているらしく、舌打ちを残して男は足早に去っていった。

 

「だ、大丈夫か、國枝?」

 

 杉野の手を借りて、俺は立ち上がる。

 派手に転んだが、どうやら制服に穴はあいていないようだ。少しばかり汚れてしまったが、代償としては安い。

 

「ごめんね、私たちのせいで」

「大丈夫? 怪我とかない?」

「いやいいんだ。それよりカッコ悪いところ見せたな。あー恥ずかしい」

 

 心配そうに覗き込んでくる矢田と中村に、平気だと手を振る。

 それでも近寄ってくる彼女らに対して、俺は一歩引いた。

 

「大したことない。それじゃ、俺はあっちだから」

 

 先ほどのことを恥じるように、なんでもないということを繰り返しながら後ずさり、背を向ける。

 今日やるべきことのために、他に構っている暇はなかった。

 

 

 すっかり陽は落ちて闇に染まった外は、たとえぽつりと外灯があろうとも先を見通すことを許さない。

 対象から数十メートル離れて動かずにしていれば、見つかることはないだろう。

 息をひそめ、じっとある家を観察する。昼に迷惑をかけられた、あのナンパ男の住処だ。あの後、尾行して家の場所を突き止めていたのだ。

 そいつが夜中に家を出てくるかは問題だが……

 

 辛抱強く待っていると、その家のドアから一人の男が出てくる。

 夜の暗さに紛れて、そいつを注意深く見る。彼はポケットから一本のタバコを取り出し、口にくわえた。

 慣れた手つきで点けた火が、一瞬顔を照らす。

 間違いない。あいつだ。あいつだ。おそらくまだ未成年だっていうのに、煙を吸って吐く。

 吸い終わるのを待つつもりはない。ゆっくりと、彼が俺を認識できるくらいまで近づく。

 

 黒いマスクにゴーグル、そして輪郭をばかすためのフード付きの灰色迷彩服に、相手は一瞬ぎょっとした。

 だが次第に冷静さを取り戻すにつれて、不機嫌顔になる。

 

「誰だ?」

「誰でもいい」

 

 彼からの問いに、俺はぶっきらぼうに答える。

 

「文句あんのか?」

 

 俺のことを年下とみて、彼は余裕を持ち始める。またタバコをくわえて、煙を漂わせてみせた。

 

「問題はない。お前がどこで吸おうが俺には関係ない」

「なんだよ、じゃあポイ捨てするなってお説教か?」

 

 それもどうだっていい。

 見てて気分のいいものではないが、俺にとってそんなのはささいなことだ。

 

「またお前が誰かに迷惑をかけるようなら、俺が潰す」

「はあ? どのこと言ってんのかわかんねえな。俺は俺の好きなように生きる。てめえに何ができるってんだよ」

 

 あえてぼかしたおかげで、正体がばれる様子はない。

 それに、こいつが他にも罪を犯してきたことと、これからもやめる気がないこともわかった。

 なら容赦する必要はない。やはりここでぶちのめしておくべきだ。

 

 俺の決心が固まった瞬間、ナンパ男のほうからしかけてきた。

 タバコを地面に落とし、右手を大きく引く。

 わかりやすいパンチだ。軽く避け、カウンターで顔に拳を叩き込む。

 男のにやけた笑いが、一瞬にして歪む。口を抑えて倒れ、もんどりうちだした。

 油断してる奴は簡単に崩せる。一発殴っただけでこれだ。

 煙の代わりに、男の口から血が垂れた。

 

「謝罪して、二度としないと言ったなら許してやったが……」

 

 痛みに呻きながらよろよろと立ち上がった男の脇腹を打ち、お留守な足元を払う。

 受け身も取れなかった相手はしたたかに尻を地面に打ちつけ、倒れながら叫ぶ。

 俺は男に馬乗りになり、黙らせるために一回殴る。まだ叫んでいるから、もう一度殴りつける。まだ叫ぶ、もう一度。

 口に血が溜まったせいか、悲鳴に勢いがなくなり、小さくなった。

 胸元を掴んで、顔を突き合わせる。俺の顔は隠されているけど。

 

「お前学生か? 学校はしばらく休みだな」

「ま、待ってくれ……!」

「たばこどころか、ペンも握れなくなる」

 

 

 いつも通り、始業の十分前に教室に着く。

 昨日のようなことは、このE組に来てから日常茶飯事になっているからもう慣れてきた。多少眠気を感じるが、授業には支障はない。

 教室の後ろ側の扉から入り、自分の席へ鞄を置く。

 すると、こちらに近づいてくる二つの影があった。

 

「國枝くん、昨日のは大丈夫?」

「ほんとにありがとね」

 

 矢田と中村が、わざわざこっちに来て礼をする。

 

「ああ、大したことないよ。礼なら杉野と渚にも言ってくれ」

 

 かっとなってついやりすぎたが、大した問題にはなっていなかったようだ。

 と言っても、明日明後日に報道されるかもしれない。証拠を残すようなへまはしてないから、大丈夫だとは思うが……

 まあ今はみんなが無事でよかったと思おう。あれだけ痛めつければ、あの男もそうそう悪さをしようとは思わないだろう。

 

「ありがとね、助けてくれて。見直したよ、あんたが先陣切ってくれたんだって?」

「見ないふりはできなかった。それだけ」

 

 面と向かって礼を言われるのは、なんだか照れ臭い。

 俺は頬を掻いて、席に座った。

 

「それより、他のやつには言わないでくれよ。助けようとして倒されただなんて、カッコ悪すぎるからな」

 

 俺は人差し指を口に当て、それだけ言った。

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