貌なし【完結】   作:ジマリス

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20 大番狂わせ

 まだ一回の表。杉野の活躍でこちらが三点リード。

 だが、予想よりも早く浅野理事長がやってきた。

 

 このエキシビジョンマッチは、E組を見せしめにするための行事だ。

 底辺が調子づけば、それを抑えるために彼が出てくることは想定済み。問題は何をしてくるかだ。

 

《今入った情報によりますと、野球部顧問の寺井先生は試合前から重病で……野球部員も先生が心配で野球どころじゃなかったとのこと。それを見かねた理事長先生が急遽指揮をとられるそうです!》

「なんだ、そうだったのか!」

「頑張れ、野球部!」

 

 周りが活気づき、野球部の面々にも自信が戻る。

 

 上手い。

 アナウンスされたとおり、()()()()()()にしておいて、気負っていた選手たちの緊張をリセットさせたのだ。

 落ち着かせて、相手は所詮E組だと再認識させ、観客には野球部の評価を損なわせないアピール。防戦一方で驚くだけの監督を退かせ、自分が指揮を執る。

 

 理事長はたった一の行動で、二も三も結果を生み出した。

 さらに……

 

《こ、これは何だー!?》

「なんだあれ……」

 

 五番の前原がバッターとして立つと、野球部の内野守備がどんどんと近づいてくる。

 ピッチャーと並ぶくらいの、超前進守備だ。

 

「あんな守備ありかよ!」

「審判が何も言わない限りはありだろう」

「そして審判はあっち側だ。期待はできない」

 

 こちらでも何人かが声を荒げ、竹林と俺は焦る。

 理事長の登場は早くても二回の表くらいだと思ってたのに……すぐさま場の空気を察知してしかけてきた。

 

「どうする? 作戦変更するか?」

「いや、下手に対応を変えるのは、それこそあっちの思うつぼだ」

 

 俺たちが用意してたのは、バントによる攪乱作戦のみ。

 他には何もないし、作戦を変えて無様をさらせばあちらを調子づかせて、こちらの士気が下がる。そうなれば守備にも影響してしまうだろう。

 幸い、点数はこちらが勝っている。ならばこのまま逃げ切ることを考えたほうが良い。

 

 調子を取り戻した相手ピッチャーの進藤が、さっきまでとはキレの違う球を放った。

 威圧され、前原は打ち上げてしまう。もちろん球を捕られてアウト。

 

 それからも、進藤の球は衰え知らず。

 当てられたとしても前に出てきている守備に捕られ、アウトにさせられる。

 

 もっと点を取るつもりだったが、三点リードで一回表は終了。

 

 続く一回裏。杉野が曲がり球で次々と三振を取る。

 あいつの球は何回か見せてもらったが、こちらもこちらで中学のレベルを超えている。

 野球部といえど、当てることすら至難の業だ。

 

 ちらりと相手方のベンチを見ると、浅野理事長が進藤へなにかを囁いていた。

 口の動きを見ると、進藤は言われた言葉を繰り返しているように見える。それをするたびに彼の目はぎらついていき、鋭くなっていく。

 

「なにやってんだ、あれ」

「自信を持ち直させてるんだろう。精神的にドーピングさせてるようなもんだ」

 

 スポーツは、フィジカル・技術はもちろんメンタルも影響してくる。よく言われる『心技体』だ。その教えはあらゆるものに通じる。どれが欠けていても、完璧なパフォーマンスは出せない。

 相手が油断してるところを突き、動揺を誘ってその間に勝つつもりだったが……

 

 そうこうしているうちに、杉野は三者を連続で打ち取った。

 これで一回は終了したわけだが……続く二回表、E組の攻撃は良いところなしで終わってしまう。

 

 あっという間に二回の裏。

 守備につくE組たちをあざ笑うかのように、野球部バッターは腰を低く構えた。

 

「あれは……」

「やられたな……」

 

 竹林と俺は歯を食いしばった。

 バントの構え。

 俺たちがやったことを、そっくりそのまま返してくるつもりだ。

 

 いくら杉野の球が異様に曲がろうと、スピードは少々見劣りする。

 バットに当てるだけならば、現役エリート野球部には難しい事じゃなかった。

 対して、時間の大半をバント練習に費やしていた。守備の練習、ましてバントの処理なんてやってない。

 

 野球部側が先に仕掛けてきていたなら、大人げないという声も少しは飛んできていただろうが……俺たちが口実を与えてしまった。

 

 『見本を見せてあげよう。これが本物のバントだ』

 

 そんな建前を被ったいやらしい声が聞こえてくるようだ。 

 

 なんとか一アウトをもぎとったものの、一・二塁進出を許してしまう。

 そしてここで出てくるのが……

 

《さあ、次のバッターは、お待ちかねエースの進藤くんです!》

 

 理事長によって改造された進藤だ。

 彼はバッターボックスに立って、殺意を込めてバットを握る。鋭い眼光は杉野を睨みつけ……ん? 少し感じた違和感が、俺の視線を動かす。

 もしかして……

 その違和感の正体を掴むために、ベンチから立ち上がってグラウンドの外側に立つ。

 進藤の目は、いま杉野のほうを向いてなかった。

 

「國枝くん」

 

 声がして、はっと下を向く。

 足元から殺せんせーの顔が生えていた。 

 

「うおっ」

 

 あまりにもびっくりして、思いきり蹴ってしまう。

 

「にゅやっ! いきなり何するんですか、國枝くん!」

「何するんだ、はこっちのセリフだ! まったく心臓に悪い……」

 

 小声で怒鳴り合う。

 突然黄色い球体が足元に現れたら、びっくりするだろう。

 蹴られた正面を凹ませたまま、前が見えねえ状態の殺せんせーにかまっている間に、一球目が投げられた。

 進藤が振ったバットはボールをかすり、ファール。

 

「正直に言って、事前に用意していた作戦は使い物にならなくなりました。こうなれば、点を取るのは難しいでしょう」

「ああ。今の点数のまま逃げ切るしかないが、進藤が打つ限りそれも難しいでしょうね」

「急ですが、新しい作戦を組み立てなければなりません。何かいい考えはありますか? ちなみに先生の作戦は……」

 

 そう言って殺せんせーが提案したのは、次に進藤に打順が回ってきた時、磯貝とカルマを彼の目の前に配置し、邪魔すること。

 どれだけ集中力を増させようが、所詮は中学生。バットを人に振るってしまう恐怖には勝てない。

 

「却下だ。確かに磯貝とカルマならバットを避けられるだろうが、危険が大きい」

 

 杉野の二球目は完全に捉えられ、球は外野まで運ばれてしまった。

 スリーベースヒット。これで三対二。

 

「俺に任せてくれ」

 

 

 進藤以外は、負けじと気合を入れ直した杉野の球の前に沈んだ。

 なんとか二点に抑え、三回の表。

 

 だが自信を取り戻した進藤のキレは凄まじく、バットに触れさせることすら許してくれない。

 運よく当てられたとしても、浮かしてしまって取られてしまった。

 あっという間に三連続アウト。なすすべなく攻守交替。

 

 リードは一点だけ。しかし必死に鍛えた杉野の変化球は伊達じゃない。

 たとえ野球部の正レギュラーであっても、その生き物のような動きは捉えきれない。

 一人だけバント成功を許してしまったが、あっという間にツーアウト。

 

 さて、ここからが正念場だ。

 最後の打者がバッターボックスに立つ。急場だが、理事長が仕立て上げた最強の打者。

 進藤。

 先ほどスリーベースヒットを決めた彼がさらにパワーアップさせられているなら、ホームランを打つのも難しいことじゃない。

 

 うわ、目がぎらぎらしてるし、筋肉がビキビキと震えている。

 本当に言葉だけでこんなになるのか? ガチのドーピングとかしてるんじゃないか。

 

「タイム!」

 

 俺はタイムを宣言し、グローブをひっつかんでピッチャーマウンドへ向かう。

 

「どうしたんだよ、國枝」

 

 首をかしげる杉野の前に立ち、手招きで渚も呼ぶ。

 二人が揃ったところで、念のためグローブで口元を隠す。

 完璧超人の浅野理事長のことだ。読唇術くらい出来ても不思議じゃない。

 

「杉野。投球のサインを出す。だから渚は……」

 

 俺はさらに声を潜める。

 作戦を説明し終わると、杉野と渚は文句を言うこともなく頷いた。

 

「……わかった」

 

 伝え終わると、タイム終了を宣言して、ベンチに座らずに立って腕を組む。

 杉野はこちらをじっと見て、合図を待つ。

 俺は身体で隠した指を一本立てる。杉野は頷き、ふう、と深呼吸した。

 その間に俺は進藤を見る。一瞬その視線が動いたのを見逃さなかった。

 

 杉野が振りかぶって投げる。

 真っすぐ飛んだ球は、しかし進藤がバットに力を込めた瞬間に曲がった。

 ぐんと下がった打球に、バットが食らいつく。真芯からわずかにずれたところで、球に触れた。

 十分な当たりじゃないのにも関わらず、天高くボールが浮かぶ。それはフェンスを越えて、はるか向こうに落ちていった。

 

 ファールだ。

 

 ふう、と安堵する。あと少しでホームランだった。

 だが今のでわかった。やはり、そう来たか。ならこのまま作戦通りにいくしかない。

 

 次は指を二本立てる。杉野は頷き、投球姿勢に入る。

 またしても、進藤の視線が一瞬ずれた。

 

 振ったバットは球を捉えられず、ミットに収まる。これでツーストライク。

 

 後がない進藤の額に汗が浮かんだ。

 崖っぷちに立たされる経験はしているだろうが、それは野球部相手の試合でだ。

 落ちこぼれの素人集団を相手に、しかも理事長の期待を背負ってというプレッシャーが、彼の殺意を鈍らせる。

 

 もうちょっと時間がかかると思ったが、作戦通り。

 ここだ。この三球目で仕留める。

 

 俺は指を一本立てた。

 

 これが最後の球になるだろう。バッターには絶対打てない。

 キャッチャーの渚は備えて、ミットを少しだけ下に構える。

 

 杉野が汗を拭って、真剣な目で渚を見る。

 言った通りだ。行け。

 

 ぐっと膝を上げて、振りかぶる。球が放たれた。

 進藤はそれに合わせてバットを振る。今度こそフォークを叩き潰すために、低めに。

 

 球が曲がった。わずかに()()

 もうバットは間に合わない。ぶおんと空振りした音が響き、ボールがミットに収まる。

 

「す、ストライク。スリーアウト……」

 

 審判がそう宣言した。

 つまり……

 

《ゲ……ゲームセット! なんとなんと、E組が野球部に勝ってしまったぁ!》

「よっしゃああ! 勝ちだあああ!」

 

 一斉に、E組の雄叫びが上がる。

 進藤はまだ信じられないものを見るような目でうなだれていた。いや、彼だけじゃない。この試合を観戦していた誰もが、同じ目をしている。浅野理事長でさえ、少し目を見開いていた。

 

 杉野が投げる前、進藤が理事長を見ていたのはわかっていた。指示をあおいでいたのだ。

 完璧主義の理事長が、あそこまで選手を仕上げておいて、あとは任せるなんてしない。だから、俺はわざと理事長に見えるようにサインを出した。

 野球部でもない俺を、理事長は軽視した。そのおかげで、すんなりと作戦が上手くいったってわけだ。

 進藤が自分を信じてバットを振っていたなら、結果は変わっていただろうに。

 

「やったぜ、國枝! 俺が進藤を打ち取った!」

 

 歳相応にはしゃぐ杉野に、思わず笑う。

 

「俺の作戦を信じてくれてよかった」

 

 一球目がファールになった時は冷や汗をかいたが、それが逆に良かった。

 同じ球が来るなら、今度こそ打つ、打てる、打たなければいけないという自信とプレッシャーが、進藤の視野を狭めた。

 ギリギリまで引っ張ることをせず、フォークが来ること前提で振ってしまったのだ。

 

 あれだけ野球部へ歓声を浴びせていた観客が、一様に冷めた感じでぞろぞろと去っていく。

 いい気分でハイタッチするE組と比べると、どっちが負け組かわからないな。

 

 今回MVPの杉野は進藤に近づき、跪いて視線を合わせた。

 

「杉野。お前は……強くなったな」

「はは、みんなのおかげだよ」

 

 ちらりとこちらに目を向けつつ、得意げに微笑む杉野。

 

「野球経験なんて全くないみんながさ、勝つために、俺のために頑張ってくれたんだ。木村は足が速いのを活かして、先頭打者に名乗り出た。渚は変化球練習に付き合ってくれたし、國枝は臨機応変に作戦を考えてくれた」

 

 一人ひとり指差しながら、今回活躍した面々を自慢げに紹介する。

 

「ちょっと自慢したかったんだ。お前に、俺と俺が一緒にいるみんなのこと」

 

 少し照れくさそうに頬を掻きながら、杉野はそう告げた。

 そこで何を感じたか、進藤はほんのわずかに口角を上げたあと、口を開いた。

 

 何を言ったのかまで聞くのは、さすがに野暮ってものだ。

 

 

 グラウンドの外側に設置された給水場で頭を洗い流す。火照った身体がすっと冷え、べとべとした汗が落ちていく。

 俺は大した活躍はしてないが、それはそれとして、こんないい天気の中で運動すれば汗も出る。

 

 E組が大立ち回りをやったおかげで、こうやって本校舎の設備を我が物顔で使っても文句を言う奴はいない。

 

「やあやあ響くん。なんだか久しぶりだね」

 

 俺は蛇口を閉じ、タオルで汗と水を拭う。

 話しかけてきた少女は太陽のように明るい笑顔を振りまきながら、俺を見下ろしていた。

 

立花(たちばな)じゃないか。どうした突然」

「え~、元クラスメイトと談笑したいって思っちゃダメなワケ?」

 

 そいつ……立花風子(ふうこ)は大仰に驚いてみせた。

 

 二年生まで俺と同じクラスで、今はBクラスに所属している同級生だ。

 常に楽しそうにしていて、その明るさに惹かれて友達も多い。

 可愛らしい顔に魅力を感じて告白する男子も多数。だが、誰かと付き合ったという話は聞かない。

 セミショートの黒髪を揺らして、彼女はにこりと笑った。

 

「途中から見てたよ。いやー、本当に勝っちゃうなんてね」

「ま、たまにはE組もやるってことさ」

 

 蛇口をひねって水を止め、俺は一息つく。

 

「ところで、俺と話していていいのか? 他のやつになんて言われるか……」

「あっはは、心配してくれてるんだ。でもだいじょーぶ。私がそういうの気にしないのはみんな知ってるから」

 

 立花はこういう奴だ。

 この学校のシステムを理解しておきながら、そんなのどこ吹く風。誰にでも隔てなく接する。

 

 彼女はうんうんと頷いた。

 

「E組でも楽しそうだね。学秀(がくしゅう)くんが心配してたとおりにはならなそうでなによりなにより」

「浅野が?」

「おっと、言わないでって言われてるんだった。今のなし!」

 

 なしにできるか! というツッコミは置いておこう。

 A組の天才である浅野が心配? その様子を想像しようとして、できなかった。

 何でも完璧にこなす彼が、わざわざ俺を気にかける姿なんて思い描けない。

 かと言って、立花が適当を言っているようにも見えなかった。口調は軽いが、嘘はつかない奴だ。

 

「俺としては、お前のほうが心配だよ。毎日毎日怪我だらけで来やがって」

「はしゃぎすぎかなあ。控える気はないけどね」

 

 立花は身を翻しながら自分の身体を触る。

 露出している腕や足だけでも、たくさんの痣やかさぶたがあった。

 中には何か事件に巻き込まれているような深い傷も見受けられるが、そんな事件は聞いたことがない。

 どれだけ聞いても、遊んでいただのやりたいことをやっていただけだのではぐらかされる。

 いつしか、まあそういう奴なんだろうと何も聞かなくなった。俺だって訊かれたくないことはたくさんあるし、お互い様だ。

 

「……ま、お前がいいならいいけど」

「うん、いいのだいいのだ」

「えらく上機嫌だな。いやそれはいつものことだけど、今日は特に」

「いいことがあってねー。もう元気満タンだよ!」

「いいこと?」

「わかんない? わかんないかなー」

 

 メトロノームみたいに上半身を左右に揺らす立花。

 考えてみても、ちっともわからない。そもそも彼女の最近の動向なんて知る由もないし。

 

「正解は、口の中が切れたでした!」

「いいことじゃねえし分かるわけないだろ!」

 

 アホなこと言う立花に、思いきりツッコんで呆れる。

 

「この、ここがね……」

「いい、いい。見せなくていい。何をどうしてそうなったのかは知らんけど、怪我するのはやめとけよ。傷が残ったりしたら大変だろ、女の子は特に」

「この話は一度持ち帰らせていただき、検討のうえ善処いたしますっ」

「あ、やめる気ねえなこいつ」

 

 もう諦めている。本人は満足そうだし、さんざん言っても繰り返してくるんだから。

 

「はっ、みんなを待たせてるんだった。じゃあまたね、響くん!」

「ああ」

 

 挨拶もそこそこに、立花は名の通り風のように去っていった。

 慌ただしいな、まったく……

 

「立花ちゃん来てたんだ。ちょっと話したかったのに」

 

 彼女が見えなくなるのと同時に、今度はカルマが寄ってきた。

 彼も、立花風子を知る一人だ。

 

「元気そうだった?」

「相変わらずな。頭おかしい度もそのまんま」

「あはは、國枝がそれ言う?」

「え、なに。俺、頭おかしい奴に見られてんの?」

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