体育は、生徒と先生側が希望して、担当は殺せんせーじゃない。
受け持つのは烏間先生。
まともな体育の授業を受けられないはずのE組は、しかし彼の指導によって確実に中学生レベルを超えていた。
今日は二人組で彼にナイフを当てられるか、という試み。
竹林と組んだ俺は平均的な、可もなく不可もなくな動きをする。
当然、烏間先生に簡単にいなされて終了。加点はなく、通知表には3がつけられることだろう。
番が終わり、少し離れて座る。
他の者たちの動きは、最初よりも格段に良くなっていた。
二人でならナイフを当てられるくらいになった磯貝・前原とか、軽快に舞うような動きで翻弄する岡野とか、教科書通りの綺麗な動きを見せる片岡とか。カルマも相変わらずゆらりとしていながら鋭いナイフ捌き。
成長を感じてか、烏間先生の頬が緩む。
その頬に、冷や汗が伝った。
彼は焦った顔で振り向きざまに誰かを弾く。バチンと音がして倒れた渚だったが、なんとか受け身を取った。
「だ、大丈夫か!?」
烏間先生が駆け寄る。渚は体操服についたジャージを払って立ち上がった。
「おーい、転んだのか、渚」
「どんくさいんだから」
「あはは……」
クラスメイトたちはそう言うが、今の動きは鳥肌ものだった。
渚は烏間先生の後ろを簡単にとってみせた。素早いとか、策を弄してとかじゃない。まるで、普通に話しかけるようにゆっくりと……見ている俺も何も感じなかった程度には、殺気がなかった。
気づけばそこにいたのだ。対処があと一瞬遅れていたら、ナイフの先がかするどころじゃない。完全に当てられていただろう。
それに気づいているのは、烏間先生本人くらいだったが。
ああいうのを、何度か経験したことがある。
渚は時々、知らないうちにそばに寄ってたりするのだ。
存在感がないのか、それとも気配なく忍び寄る術を持っているのか……
視界の端に何かが映った。
そちらを向くと、いくつか荷物を持っている大男がこちらに来ていた。
持っているのは大きな袋に段ボール箱。それらをみんなの前で下ろして、快闊な表情で手を挙げた。
「やっ! 俺の名前は
挨拶もそこそこに、鷹岡先生とやらは笑顔で袋を広げる。
その中に入っていたのは有名な高級菓子のようで、女子たちは驚き手を叩いた。
「補佐?」
「ああ。体育は烏間じゃなく、俺が受け持つ。さあさあ、食べてくれ」
豪快な笑顔を浮かべ、鷹岡さんは次々と袋を開けていく。
急な人事異動にはさほど驚かず、みんなは新しく現れた先生の動きを見守る。
「いいんですか、こんな高いの?」
「モノで釣ってるなんて思わないでくれよ。お前らと早く仲良くなりたいんだ。それには……みんなで囲んでメシ食うのが一番だろ」
どかっと座り、彼は手を広げた。
彼自身甘いものが大好きらしく、筋肉量は素晴らしいものの、腹が出ている。
「同僚なのに、烏間先生とずいぶん違うスね」
「なんか近所の父ちゃんみたいですよ」
「ははは、いいじゃねーか父ちゃんで。同じ教室にいるからには、俺たち家族みたいなもんだろ?」
屈託のない笑顔に、みんなの警戒が緩む。土産の力も相まって、新しい先生と菓子の周りにはすぐに集まりができた。
「ほら、お前もどうだ?」
「……ええ」
頷きながら、恐る恐る近づく。取って食おうなんて気配や仕草は見られないが、新顔には気を付けないと。
最近でも堀部イトナが襲来したくらいだし。
「おいおい、そんな警戒することないだろ? せっかく仲良くしようとしてるんだから」
「そうですね。殺し屋続きで神経が尖っていたようです。すみません」
「ははは、いいってことよ!」
豪快に笑う鷹岡先生に表面上は従うが、警戒は解かない。
どうにもこの男はうさんくさいのだ。
張り付けられた笑顔の下に、下卑た本性が透けて見える。
俺の見立てが全て間違っていたらいいが、残念なことに目には自信がある。
こいつは、信用に値する人間じゃない。
△
「防衛省……特務部、鷹岡明?」
例のごとく、烏間先生に資料をいただき、目を通す。
経歴は立派なもので、烏間先生と同じエリート部隊に所属していたらしい。特に教官になってからはすさまじく、彼のもとで育った部下たちは若くして多くの功績を残しているようだ。
「ああ、空挺部隊にいた時の同期だ。君にはどう映る?」
職員室の窓から外を見る。
グラウンドでは、生徒たちと球技に励む鷹岡先生の姿があった。
つかみはばっちり。みんなが彼に懐くようになっていた。
烏間先生は腕を組んで、俺をちらりと見た。
修学旅行から帰ってきてから、目をつけられているような気がする。
「嫌なものしか感じませんね。あの言葉だって、本心で言ってるわけじゃない」
「あの言葉?」
「あの、家族って言葉ですよ」
嘘ではない。だが本当でもない。
家族みたいだとは思っているだろう。だが、おそらくそれは『替えのきく』家族だ。
まあ、血のつながっていない関係だから、そう思い思わされるのも不思議じゃない。
「それに……あなたを敵視してる。心当たりは……って聞くまでもありませんね」
鷹岡先生も優秀だったそうだが、烏間先生は同期の中でも飛びぬけて成績が良かった。
多少妬みの感情を持っていてもおかしくはない。
「まあ別に嫉妬心が悪いってわけじゃありません。それで奮起して、良いように育ててくれたら万歳ですし」
見る限り、表はまともな人間を装っている。それをずっと続けてくれれば被害はない。
どんな企みがあろうとも、俺たちがまったくの無事で済むなら何も心配することはないのだ。
「……打ち解けるのが早いな、鷹岡は」
比較されたように感じたのか、烏間先生はそう呟いた。
「あいつもイリーナも君たちとは仲が良い。本来住む世界が違うのに、違和感なく混ざってみせている。だが俺は……」
先生としての在り方に悩む烏間先生。
この教室で過ごす間に、プロとして線引きしていた彼が揺らいでいる。でも、鷹岡先生が悪い人じゃないなら、負担を分けられるくらいに考えたほうがいいんじゃないだろうか。
△
「鷹岡先生、面白いよな」
「ああ、かるーく接してくれるし、さっきも自己紹介だけじゃなくて遊びに付き合ってくれたしな」
鷹岡先生とのちょっとした交流を終え、男女ともに彼を支持する声が上がった。
みんなの意見は否定できない。
烏間先生はプロとして、先生と生徒の一線を引いているため、誘いに乗ってこないし、不愛想。
雑談だってたまーに付き合ってくれる程度だ。
それに比べて鷹岡先生はどうだろう。
仲良くなるためにお菓子を土産にして、それを隠さずに言っている。
普通に見れば、フレンドリーな良い先生。リミットがある暗殺をしなければならないという緊張を緩和してくれる存在だ。
だが俺としては、体育は引き続き烏間先生に担当願いたい。
これまでの信頼と実績があるし、変に踏み込んでこない。なにより、あの人が俺たちを見る目は、真剣な教師のものだ。
鷹岡先生に感じる不気味な感覚が、彼には一切ないのだ。
しかしなぁ……やはり、一中学生が少し怪訝に感じたところで、何が変わるでもないだろう。
もし問題がある人だったとしても、ビッチ先生や律のように変わってくれることもある。
さて、昼休みを越えて次の授業は、早速鷹岡先生主導による体育だ。
本日二回目の運動授業だが、彼を見極めるため、そして彼が俺たちを見極めるための特別措置らしい。
「訓練内容も一新されて、E組の時間割も新しくなった。これを配ってくれ」
一人に一枚、鷹岡先生はプリントを手渡してきた。
「なんだこれ……」
配られた紙を見て、俺たちは驚愕する。
それは時間割だった。だがその内容は明らかにおかしい。毎日三時間目までしか授業がなく、四時間目からは訓練のみ。それが十時間目……21時まで続いている。土曜日も一時間目以外は全て訓練と書いてあった。
いくらなんでもこれは……
「いやいやこれは無理ですって! 俺たち受験生ですよ!?」
前原の抗議が飛ぶ。
その通りだ。こんな時間割……ガチの訓練になってしまうじゃないか。
一年間これで殺せんせーを殺れたとして、それ以外を捨ててしまうことになる。第二の刃は形成されない。
鷹岡先生はこちらに近寄り……前原に手を伸ばした。
俺はとっさに前原の肩を掴んで後ろに寄せ、彼の手を届かなくさせる。さらに鷹岡先生の足を抑え、蹴りの初動を封じた。
「やりすぎですよ」
いま、この男は前原の頭を掴んで腹に蹴りを食らわせるところだった。
痛みと恐怖で黙らせようとしたのだ。
「……っ!」
俺を捉えようとしたビンタを、一歩下がって避ける。
鷹岡は少しの抵抗も反論も許さないつもりだ。
「やりすぎ? これは躾だ。俺たちは家族で、父ちゃんに逆らう子どもはいない」
自分勝手な論理を展開し、彼は続ける。
「『無理だ』とか、『やれない』は聞かないぞ。『やる』んだ。俺がしっかり育ててやるから」
ここまで予感が的中したのは初めてだ。
鷹岡明。こいつは俺たちの先生なんかじゃない。
俺たちの敵だ。