なんとなく、嫌な空気が漂っているのには気づいていた。
よどんだ空気の発生元は寺坂。
暗殺や勉強含め、この教室で一番やる気のない人物だ。
同じ寺坂組でも、放課後の講習を受けている村松や、バイク趣味の合う吉田は少しずつ殺せんせーと距離を近づけていっている。
だが彼だけは変わらない。
百億円を手に入れられたらいいなと考えながら、本気で殺ろうとせず。この教室に嫌気がさしながら抜け出す努力もせず、を続けている。
変わってしまったこのクラスが面白くないのだろう。
小学生のころには喧嘩も強く、そこそこ頭の良かった彼だが、この学校の教育スピードにはついていけず、暴力では学力の低下は避けられない。
E組になって、同じ落ちこぼれの集団にいれると思ったのに、殺せんせーが来てからはみんな努力するようになってA組をも抜かそうとしている。
そうやって頑張ろうとする周りの環境が、彼にはとても居心地悪く感じるのだ。
△
「メチャメチャじゃねーか」
唖然とした口調で、前原が言った。
プールができた翌日、岡島が慌てて教室に入ってきて俺たちを呼んできた。急いで行くと、プールは酷く荒らされていた。
チェアもスタート台も、殺せんせーが手作りしたものはことごとく壊され、しかもごみ袋の中をそのままぶちまけたようにプールが汚されている。
犯人は目に見えている。
にやにやと笑みを浮かべている寺坂を見れば、観察眼が鋭くなくても誰だってわかる。
「あーあー、こりゃ大変だ」
「ま、いーんじゃね。プールとかめんどいし」
村松と吉田はそう言っているが、やってしまったことの重さが心に残っているようだ。
俺たちとは視線を合わせようとせず、無理に作っている笑顔は引きつっている。
罪悪感の表れ。
心の中では、悪いことをしたと恥じているのだ。
だが寺坂はすっきりしたような、ざまあみろというような表情。
その目は渚に向けられた。
「ンだよ渚。何見てんだよ。まさか、俺らが犯人とか疑ってんのか? くだらねーぞ」
「くだらないのはどっちだ」
渚の胸ぐらを掴もうとした手を、逆に掴んでやる。
寺坂の腕をひねり上げるのは簡単だが、どうにかして抑えた。
いつもは暴力に対して暴力で解決しているが、今回はそうはいかない。彼だって、俺の大切な仲間なのだ。
かといって、怒りがないわけではない。
「こそこそ隠れて悪事を働いて、不満を直接言わないのはくだらなくないのか?」
図星だったみたいで、動揺した気持ちを隠すために睨んでくる。俺も目を逸らす気はない。
二人の間にピリついた空気が流れる。
あわや一触即発……となったとき、一本の触手が伸びてきた。
「やめてください。犯人探しなんて時間と手間の無駄です。しなくていい」
そう言って殺せんせーが俺の手をゆっくり離させる。
そして、あっという間に、本当にあっという間に全て直した。
壊された椅子は前より頑丈に、浮かんでいたゴミはちゃんと分別されてゴミ袋の中へ。
「はい、これで元通り。いつも通り遊んでください」
一秒にも満たない時間で全てを無駄にされ、寺坂は眉間にしわを寄せる。
何を言っても負け惜しみになってしまうと感じたのか、舌打ちして踵を返していった。
△
昼休み。
殺せんせーが直してくれたプールサイドで涼みながら、俺と渚と杉野、さらにカルマは昼飯を食っていた。
今は食べ終わって、校舎に戻る途中。
「寺坂の様子が変?」
森の陰から抜けて日差しに照らされ、校舎が視界に入ってきたころ、杉野の言葉に渚が頷く。
「元々あの三人は勉強も暗殺にも積極的じゃなかったけど、特に寺坂くんは苛立ってる。村松くんと吉田くんは……そうでもないみたいだけど」
「放っときゃいいんじゃね。どうせ何かやっても、俺らでもなんとかできるだろうし」
「殺していい教室なんて、楽しまないほうがもったいないとは思うけどね~。ね、國枝」
「話振ってくるな」
今は寺坂の話で、殺す殺さないの話は別だ。
「だって、國枝だって暗殺に積極的じゃない組じゃん。なんか聞いてないの?」
「殺す気がないあいつらと、殺さない意志を持ってる俺とじゃ立場が違う」
暗殺はしなくとも、俺は殺せんせーとは(表面上は)仲良くできてるし、教えも乞うている。
無駄に敵意をばらまいて、無駄に壁を作るやつとは違う。
「ま、どこまでいっても今のあいつじゃ何もできないと思うけどね」
「同感だ。だが……」
俺の言葉は遮られた。
教室に着いて扉を開けた瞬間、プシューと煙が舞ったからだ。
「なんだこれ!?」
「殺虫剤!?」
いま到着した俺たちより、教室にいたみんなのほうがパニくっている。
教室の中が白い煙で充満する。窓を開けていたおかげで、すぐに風が連れ去ってくれたが……何人かはげほげほと咳き込んでいた。
床に缶が転がっていて、そこから煙が噴射したみたいだ。犯人は……
「寺坂くん! やんちゃするにも限度が……」
「触るんじゃねーよ、モンスター」
肩に触れた殺せんせーの触手を、寺坂は弾く。
「気持ち悪ぃんだよ。テメーも、モンスターに操られて仲良しこよしやってるテメーらも」
嫌悪感丸出しの顔のまま、寺坂はずかずかと教室を出ていった。
「何があったんだ?」
しばらく時間が経ってようやく頭が冷静になる。
「俺が殺せんせーとバイクの話で盛り上がっていたらいきなり……」
「あのバカ……」
吉田が言ったことで確信を持てた。
寺坂の我慢の限界が来たのだ。一緒にいた者たちも、今の明るいE組に染まってしまって……それがひどく腹立たしいのだ。
「寺坂追いかけるの?」
「やめとけって。放っといたらいいんだよ」
カルマと杉野はそう言うが、出来ない。だって寺坂の表情に、嫉妬が混じっていたから。
本当は、このクラスに馴染みたいんじゃないのか。だが努力するみんなを見て、その眩さに目を逸らしてしまっているだけなんじゃないのか。
俺も教室を出て、すぐさま寺坂を追いかける。
走って逃げるようなことはせず、校舎を出てすぐのところに彼はいた。
「おい寺坂」
声をかけると、彼の足が止まった。
「何かやるつもりなら、みんなに話して協力を頼むべきだ。生半可な作戦じゃ……」
「協力? やだね。誰があんな奴らとつるむかよ」
舌打ちして文句を言いつつ、彼はこちらに顔を向けない。
「努力なんてしなくてもいいのが良かったのによ。あいつのせいで全員やる気出してるのが気に食わねえ。てめえだって最初は殺す気ねえとか言ってたくせに、今じゃお友達と作戦立ててるじゃねえか」
寺坂はそのまま、止まることなく去っていった。
△
「寺坂来ないな……」
「あの様子だと、もう来ないんじゃない?」
翌日の昼休み。カルマたちと机を囲んで弁当を食う。
午前の授業に、寺坂はまったく姿を見せなかった。
何かしてるのか、何もしていないのか。どちらにしても心配だ。
昨日の夜に街をパトロールしても見つからなかった。だが家には帰っていないようだったし……
「ところで……どうして涙流してるんですか」
俺は隣でともに食事をする殺せんせー。
その顔からだらだらと液が流れている。
「鼻なので鼻水です」
「ややこしい……」
「どうも昨日から体の調子がおかしくてですねえ。夏カゼでしょうか」
「カゼひくのか?」
てか鼻水かよ汚いな。どおりで粘っこいわけだ。あーあ、メロンパンに落ちて……うわあ……ちょっと近寄らないでもらえますか。
そんな他愛のない話をしていると、急に教室の扉が開く。表れたのは、なんだかやけに冷静な寺坂だった。
「おお、寺坂くん! 今日はもう来ないかと心配していましたよ!」
瞬時に寺坂に駆け寄り、鼻水……今度は涙もか? いやわからん。とにかく粘液をだだ漏れにする殺せんせー。
垂れてる垂れてる。寺坂の顔にこれでもかってくらいトッピングされてる。
「昨日一日考えましたが、やはり本人と話すべきです。悩みがあるなら相談してください」
寺坂はねっとりした粘液を殺せんせーの服で拭いて、勝利を確信したような目をした。
「おいタコ。そろそろ本気でぶっ殺してやんよ。放課後プールに来い。てめーらも手伝え! 俺がこいつを水の中に落としてやるよ」
言うだけ言って、笑い声を発しながら、寺坂はまた姿を消した。
昨日の今日で反省はしていないみたいだ。そんな態度は吉田と村松さえも呆れさせた。
「もう無理。ついていけねーよ」
「俺も」
まああんだけ勝手なこと言われたら手伝う気も起きないな。
他のみんなも口々に、今回はパスだと告げる。まあみんなが行かないなら俺も……いや、寺坂が何をするかわからない。俺だけは行って、様子を見るべきだろう。
「みんな行きましょうよお」
怨念のような声を轟かせながら、殺せんせーはさらに粘液を流す。
それは教室の床中に漏れだし、俺たちが逃げられないように足を固められる。
「うわあ、敵キャラみたいな能力だね」
カルマはなんでそんなに冷静なの?
「せっかく寺坂くんが殺る気になったのです。みんなで一緒に暗殺して、気持ちよく仲直りしましょう」
「粘液引っ込めろ!」
「メシ時に汚いもの教室にばらまくな!」