「そーやって適当に散らばっとけ!」
寺坂の言う通りに従って、他のみんなは訝し気に寺坂を見つつ、やる気なく立っている。殺せんせーがしつこいから来ただけなのだ。
そしてその殺せんせーはプールの傍で彼と相対する。
念のため、俺は水から少し離れてみんなを見守っていた。
「あれ、國枝」
「カルマ、また遅れてきたのか」
俺と同じく、この暗殺に参加しないカルマがようやく来た。彼も一応状況を見に来たのだろう。
「どう、様子は?」
「今から始まる。上手くいくとは思えないけどな」
「ほんとに暗殺する気ないよね、國枝って」
「殺す意思があったとしても、寺坂の作戦でやれるとは到底思わないな。無駄なものに力を使う気はない」
「寺坂が上手くいかないってのは同意見」
水が弱点だと知ったのはつい最近だが、どれだけ浴びせればいいのかはわからない。
殺せんせーを相手に、一瞬で大量の水を浴びせる。または浸からせ続けるなんて作戦は思いつかなかった。
ちょっとでも隙を与えれば、すぐに安全地帯に逃げ込まれるだろう。
カルマもそうだから、水を使った暗殺については保留状態なのだ。
そもそも、今の時点では戦略も戦術もまったく見られない。
今回の主役である寺坂でさえ、誰かに操られているように意志の強さが感じられない。
「ふーん。じゃ、適当に泳がない?」
「いや、いいよ。ほんと、カナヅチレベルで泳げないから」
そんなことはないのだが、例によって断る俺。
もうすぐ寺坂の暗殺が始まるというのに、カルマはそちらを向きもせずに俺に近づいてきた。
「まあまあ、ちょっと浸かるくらいいいじゃん。苦手は克服しないとね」
「嫌だって言って……力強いなお前! 破ける破ける!」
「なんだったら完全耐圧防水スーツ貸したげるからさ」
「何のために持ってんだよ!」
などとじゃれあっていると……
ドガン!
突然爆発音が鳴り響く。
衝撃波が俺たちの身体を押し、地面に倒れさせる。
鼓膜が破れそうで、腹の底から轟くような振動が遅れて襲ってくる。倒れたまま、反射的に耳に手を当て、頭がきーんと鳴るのが収まるまでそのままになった。
自分の無事を確認し、急いで振り向くと……
「なんだこれ……」
俺とカルマは同時に同じことを口走った。
殺せんせーの作ったプールは影も形もなく、崩壊していた。
それだけじゃない。容赦ない激流が上流から流れてきている。
なんてこった。
何がなんだかわからないが、最悪なことが起こったのだけは確かだ。
水に、生徒たちが流されていっている。
岩に手を伸ばして、掴めたとしても激しい流れがそれを許さない。あっさりと身体を運んでしまう。
このままでは溺れてしまうのも時間の問題。
もっと悪いのはその先だ。下へは五メートルか、もっとか。ここよりもごつごつとした岩場が待っている。
流されるまま、受け身の取れないまま打ち付けられてしまったら、大けが、気絶。打ち所が悪ければ……死が待っている。
じっとしているつもりはない。何がどうなってこうなったのかは脇に置く。細かい状況確認は後だ。
考えるよりも先に俺の足はぱっと動き、水に飲み込まれないように流れに並走しながら、近い者の腕をぐいっと引っ張って陸に揚げる。
不破と木村を助けたところで、その脇に何人かが打ち上げられる。
顔を上げると、岩の上に立っている殺せんせーが、触手を使って生徒たちを掬っていた。俺の目にも完全に捉えきれるスピードで、だ。
触手を鋭く動かしてしまったら、生徒たちの身体にダメージを与えることになってしまうからだ。
音速に耐えられるほど、人間の身体は強くない。
このまま任せるだけにはできない。
殺せんせーの触手はどんどんと水を吸収して大きくなっていっている。このままでは力がなくなり、誰かを取りこぼしてしまう。
今も、一番でかくなった触手に気を失った吉田をぶら下げている。陸まで持っていく力がないのだろう。
激流から顔を出す岩を伝って、最短ルートで殺せんせーの近くへと向かう。
「殺せんせー!」
「お願いします、國枝くん!」
水を吸ってしまって力が出ない彼の腕から放り出された吉田を、足を滑らせないように受け取っておぶる。そしてすぐさま氾濫の影響を受けない陸へ下ろす。
口元に耳を当てると、まずいことが判明した。息をしていない。
岩が当たったとかのショックか、それとも水を飲んでしまったのか?
どっちでもいい。なににしろ、いまここでやるべきは……
俺は吉田の胸に右手を当て、左手を重ねる。心臓マッサージだ。
「頼む……頼む!」
懇願しながら、圧迫を続ける。一、二、三、四……肋骨を折るくらいの気持ちで、強く、強く。
正常なら、つまり意識が失われていないなら痛がるところだろう。だが少しも表情が変わらない彼を見て、焦りだす。
「くそっ、頼むよ。頼む……吉田、吉田ァ!」
「っ! げほっ、がはっ!」
祈りが通じたのか、吉田が盛大に咳き込みながら水を吐き出す。
「吉田、大丈夫か!?」
「あ? いったい何が……」
まだ苦し気に咳をしながら、吉田はあたりを見回す。現状が理解できていないようだ。
その気持ちはわかる。
どうしてこうなったかは、俺にもまだわかっていないからだ。
……いや、察しがついた。
震える寺坂が、青白い顔で眺めている。唖然と口が開いていた。
「ち、違う……こんなはずじゃ……俺はただ……」
どうやったにせよ、寺坂がこの事態を引き起こしたに違いない。
近づく俺を、彼は懇願するような目で見た。
「シロにやれって言われたんだ。あいつを殺せるからって……だけどこんなことになるなんて……」
「やれって言われたから、その通りやっただけか。どんな作戦かもわからずに」
「お、俺は悪くないよな? こんなことになったのはシロが……」
そんな戯言を最後まで聞く気はない。
俺は彼の首をひねって、なんとか助かったみんなへ目を向けさせる。
突然の事から急に助けられて、まだ何に巻き込まれたのか実感が湧いてないのがほとんどだ。
「いいか、みんな死ぬところだったんだぞ。みんなだ! お前のせいで、誰かが死ぬところだった!」
まだむせこんでいる吉田を見て、寺坂の震えがいっそう激しくなった。
俺が来てなければ、彼の心臓は止まっていたかもしれない。
「何も考えずに何かやろうなんて、そんな無責任なことするな!」
「お、俺……どうしたら……」
「それくらい自分で考えろ!」
荒げた声に、彼のびくりと身体が震える。胸ぐらを掴んで、鼻先に顔を近づけた。
「國枝、そんな奴に構ってる暇ないよ」
カルマの言葉を受けて、寺坂を弾き飛ばす勢いで退ける。
そうだ。寺坂に怒っている時間はない。そんなことよりも、まだ助かっていないのがいる。
怒りを絶望を抱えながらも、周りへ目を向ける。
流されそうになった生徒のほとんどは殺せんせーに打ち上げられているようで、なんとか無事に陸へ上がっている。
カルマが一人ひとりの傷度合いを診てくれているのを見て、俺は殺せんせーのほうへ向き直った。
いつもの三倍までに膨らんだ触手に、一人しがみついている。
渚だ。
近くの岩に飛び移ろうにも、触手は足場にするには柔らかすぎるし、不安定。
殺せんせーが投げようにも、その力は奪われているのだろう。彼の顔は冷や汗と水しぶきで液体まみれになり、渚の顔は青くなっていく。
「カルマ、みんなを頼む」
返事を聞かずに、俺はもう一度同じルートで殺せんせーに迫った。
水はまだまだ流れてくる。収まるまで待つ頃には、殺せんせーも渚も下に叩きつけられているだろう。
「殺せんせー、渚を投げてくれ」
「ええっ!?」
今の殺せんせーは、頼りにするには力が足りない。先ほど吉田を投げた時のようにうまくいかない。
たぶん、そのことを、抱えられている渚が一番よくわかっているのだろう。
ぶんぶんと首を横に振りながら触手に捕まる力を強める。
「それは……できません。今の私では、そちらまで渚くんを投げることは……」
「信じてくれ」
彼が言い終わる前に、俺が言い切る。
「必ず受け止める。だから、やってくれ」
こんな命がかかった場で、たった一人、俺なんかを信じてくれなんて難しいのはわかってる。
だけど、どうか、今だけは……
「……渚くん、いいですか?」
「う、うん。怖いけど、お願い」
まだ震えているものの、渚は意を決して俺を見る。
安心しかけた心を引き締める。信じてくれたはいいが、それはまだスタートラインだ。
絶対に彼を受け止めなければ、意味がない。
殺せんせーの腕は力なく揺れ、ゆっくり、ゆっくりとその弧が大きくなる。
「今だ!」
「今です!」
俺と殺せんせーが叫び、渚が手を離す。
一瞬ふわりと浮いた渚の身体が、重力に従って落ちてくる。
「うわあ!」
その時、俺の背筋が凍りついた。
微妙に届かない。いや届くが、ふんばれるか?
岩場の端っこギリギリまで足をもっていき、許せる限界まで身体を外へ。
衝撃に備えて、全身に力を込める。
「わっ」
なんとか、渚の身体は俺の腕に収まった。
渚の身体は軽いが、しかし今の無理な体勢では落としてしまいそうになる。
腰と足が悲鳴をあげるが、歯を食いしばって黙らせる。落としてたまるか、と気力で持ち上げる。
彼の体重が軽いおかげで、ギリギリのところでバランスを保つことが出来た。
お互い顔を見合わせ、ほっと一息つく。
その瞬間、何かが俺と殺せんせーの間、激流の中へ落下した。
どん、と空気が振動し、遅れて巻き上げられた水が俺たちにかかる。その勢いは安心していた俺たちを押し、足場に身体を横たわらせた。
なんとか無事を確認して、殺せんせーへ目を向ける。
見えたのは、落ちてきた何かが、殺せんせーを崖の底へ突き落すところだった。
助かった……とは思わない。
一瞬だったが、確かに見えた。以前にも見たことのある小柄な体に、二本の触手。
堀部イトナ。
リベンジに燃える暗殺者が、唐突にやってきたのだ。