「よー國枝、身体の調子はどう?」
「すっかり元通り……とはいかないけど、平気だよ」
昼休みのチャイムが鳴ると、吉田は空いている右隣に弁当を置いて、机をくっつけてくる。
まだ包帯は取れないけど、堀部から受けた傷はほとんど塞がっていた。ちょっと痛みを感じる程度だ。
制服もすぐに殺せんせーが縫ってくれて、扇風機のように触手をマッハで回して乾燥させ、さらにしわを伸ばしてくれたらしい。
新品よりも綺麗になって返ってきた。やりすぎ。
「ちゃんと礼を言ってなかったと思ってな。まじで助かったよ。命の恩人だ」
大げさだよ、とは言えなかった。
特に吉田はかなり危険な状態だった。水を飲んで、心臓も止まってた。運よく生きているが、後遺症が残っていても不思議じゃなかったのだ。
けれども、たぶんシロは生徒を殺す気はなかったように見える。
殺せんせーを極度に怒らせることに、少しの恐怖が垣間見えていた。
だが油断はできない。死んだら仕方がないというふうなことも考えているだろうから。エスカレートしていけば、誰かが本当に死んでしまうかもしれない。
俺も気を引き締めていかないと。
「ところで……人工呼吸とかしてねえよな?」
「するか。ああいう場合じゃ、心臓マッサージに集中したほうがいいんだよ」
というのは漫画の知識だが。人工呼吸は器具がないと菌の感染とかあってやばいらしいし。
「思い返してみれば、凄かったよな」
「うんうん、助けてもらった身からしても、かっこよかったよ。実際にぱっと出来る人はすごいと思う」
木村と不破も混じってくる。
え、なんなの。褒め殺す気なの?
かっこよかったと言われて嬉しいが、あの時はがむしゃらにやってた記憶しかない。
しどろもどろになっていると、さらに原と村松も寄ってきた。
「イトナくんと戦ってたときもかっこよかったよ。触手避けたりしてて」
「あ、あれはほら、あいつの動きがにぶくなってたからな」
「触手を掴んで水に落とすときとか、すっげえ流れるような動きだったよな」
「あれだな。火事場の馬鹿力ってやつだな、きっと」
まずいぞ。大半には実際に見られてないが、そうか、この二人は俺が見える位置にいたのか。
「イトナを殴ったときなんかも……」
「ほらほら、喋ってばっかじゃなくて、飯食って午後に備えよう。テストはもうすぐなんだから」
ぱんぱんと手を叩いて解散を促す。しかし、ぞろぞろと集まってきていたみんなは、散ることなく俺の机に自分の昼食を置き始めた。
俺を中心に、輪が出来上がり、当の本人を置いてまた話が進む。
ああ、すっごい視線を感じる。カルマ絶対こっち見てる……
照れつつ、怖がりつつ、縮こまりながら箸を動かすしかなかった。
少しでも矛先を逸らせないかと、教卓で菓子パンを広げる殺せんせーに目を向ける。
「で、今回のテストの目標はどうしますか?」
「ヌルフフフ。もちろん目標はありますよ。ご褒美も添えてね」
にやにやと笑いながら、殺せんせーはメロンパンを一つ頬張る。
「ご褒美?」
「これです」
そう言って、彼は食べかすのついた触手を一本にゅるにゅると動かした。
「目標は五教科トップを取ること。それと総合トップを取った者には、触手一本破壊する権利を与えましょう」
「つまり、六本破壊のチャンスがあるってこと……?」
「色々試してみた結果、触手一本無くなることで先生が失う運動能力はざっと……20%!」
「じゃあ、もし六本も奪えれば……」
「殺せんせーに残るのは、おおよそわずか26%だ」
俺は答えた。
最高速度はマッハ20といえども、初速はもっと遅い。それに、触手の本数が減れば、それだけ対応できる幅が狭まるということだ。
殺せる確率は、飛躍的に上がるに違いない。
「チャンスの大きさが分かりましたね。先生を殺せるかどうか、そして百億を手に入れられるかどうかは君たち次第です。」
△
「A組と対決することになったぁ!?」
次の朝、俺たちは頭を下げる数人に驚きの声を上げた。
どうやら図書館の使用権の話から、飛んで各教科対決が決まったらしい。
国数理社英の五教科、それぞれの点数で競い、より高い点数を取ったほうの勝ち。
つまり最悪でも三教科でトップを取れればいいという話だが……
「相手はA組なんだよな?」
「ご、ごめん。勝手に決めちゃって」
茅野が素直に謝る。
神崎もいつつそういうことになったということは、売り言葉に買い言葉の応酬だったんだろうなあ。
本校舎の生徒の権利は、E組のそれより優先されるという決まり事から発展したことは容易に想像できた。
三教科勝てばいいというが、それが非常に難しい。
A組は本校舎の中でもエリートのみがいるクラスだし、五教科それぞれにエキスパートが存在し、さらにそれ以上の完璧超人がいる。
浅野学秀。
あの理事長の息子であり、同年代では右に出る者がいないほど、全ての能力において突出した生徒だ。
正直、暗殺よりも厳しい戦いになるやも。
「……勝負方法はわかった。で?」
「で?」
「負けたらどうなるんだ?」
「勝った側の言う命令に従う、一つだけ」
一つだけ……なら大丈夫か? と思いつつも、あいつのことだしなあ。ルールの穴をすり抜けて滅茶苦茶なこと言ってきそう。
ぐぬぬ。頭を抱える。すでに決まったことだ。A組がこれを覆すとは思えない。
「そう悩むことはありませんよ」
いつの間にか後ろに立っていた殺せんせーが、ぽんと肩に手を置いてくる。
「A組に勝てるだけの実力を、すでに君たちは身につけています」
中間テストの時と同じような自信のある表情だ。
「テストの点数で競い合う。じつに結構! 健全な殺し合いではありませんか。逆にこちらの力を見せつけてやりましょう。中間のリベンジです!」
そうだ。もともと中間テストのお返しをするつもりだったのだ。
なら、特典がついてくるほうがもらえるものが増えるぶん、得。
殺せんせーの号令もあって、俺たちのやる気はがぜん上がった。
目指すは勝利。A組をフルボッコにするくらいの大差をつけたいものだ。
△
「ふむふむ、いいですねえ。苦手と言っていた理科も、安定して平均以上が取れるようになってきましたね」
「どうも。殺せんせーがしっかり教えてくれるおかげですよ」
本校舎にいた時は、基本のところは一度言えば理解できるだろうと言わんばかりにぱっぱと進んでしまったから、そこでちょっと躓いてしまった。
しかし殺せんせーは基本がいかに大切かを教えてくれて、なおかつわかりやすいように具体例を出し、実際に物を見せてくれながら授業を行っている。
おかげで授業に遅れるということはなくなった。
「ところで、お腹のほうはもう大丈夫ですか?」
「だいたいは」
俺は腹をぽんぽんと叩く。
堀部の触手で線を入れられた腹。ほとんど塞がって、もう少しで傷痕も目立たなくなるだろう。
「あの時は、君にすっかり助けられましたねえ。おかげでみんな無事です」
「堀部はあんたに執着してたからな。不意をつきやすかった。それにカルマの作戦が良かったしね」
「その前から、君の動きは素晴らしかった」
その前? 俺がそう言う前に、殺せんせーは言葉を続けた。
「プールが決壊してすぐ、國枝くんは動いてくれました。あれがなければ、何人かもっと大変な目に遭っていたかもしれません」
「かも、ね」
そうは言いつつ、たぶん誰かが死ぬようなことはなかっただろうと思う。
シロは元々から俺たちを殺す気はなかったのだ。生徒は、生きているからこその人質。殺せんせーがギリギリで助けられるように計算していたのだ。
だからと言って目の前の友達を見捨てられるわけないし、あの時は頭に血が上っていたから無理をしたけれど。
「國枝くん、君は……」
「おっと、もうこんな時間か。悪いけど、今日はもう帰らなきゃ」
これ以上話をするのは避けたい。詮索されてもボロを出さないつもりではあったが、何気に鋭い殺せんせーのことだから気を付けないと。
時計を見るそぶりを見せて、俺は立ち上がった。
「ありがとう、殺せんせー。また明日」
「……ええ、また明日」
△
靴を履き替え、校舎の外に出る。
まだ暗くなるには早い時間で、訓練をしている生徒だっていた。そいつらに別れの挨拶を告げ、帰路につく。
本校舎なんて見向きもせず、山道を下り、道を歩く。
E組の中で学校から家へ一番近いのは不破だが、俺はそれに次いで近い。電車を使う渚やカルマたちと違って、すぐついてしまう。
それが少し嫌だった。
あまり家にはいたくない。まあ、どうせ暗くなれば『貌なし』になって外に出るのだが。
「待て、國枝」
家が見えてきたころ、呼ぶ声に振り向く。
そこには、俺と同じ制服の男子が一人立っていた。無駄のない均整の取れた身体に、知性を感じさせる意志の強い目。
「A組のエリート様が俺に何の用だ、浅野」
俺はぶっきらぼうにそう答える。
彼は浅野学秀。
特進クラスであるA組の中でも突出した能力の持ち主。文武両道を極めた、誰もが認めるエリート。
先の中間テストどころか、過去に遡っても学年一位を取り続けている頂点の人間だ。
あの理事長の息子でもあり……俺の元クラスメイト。
「A組とE組が五教科で争うことになったのは聞いたな?」
「ああ。それが?」
「そこで、僕はE組の秘密を暴く」
適当にあしらうつもりだったが、その一言でようやく目を合わせた。合わせてしまった。
「どうもきなくさい噂が聞こえてね。人より大きい黄色いタコ、そいつが巨乳の女性にちょっかいを出したとかコンビニスウィーツを買い占めたとか……どうやらその噂が出始めたころと、理事長の様子が妙におかしくなった時期が同じようでね。何か関係があると踏んだんだ」
殺せんせーの馬鹿野郎……
彼の意地汚さと巨乳好きのせいで、一般人に目をつけられているじゃないか。
いくらマッハ以上で動けるとはいえ、見える時は見えるし、聞こえる時は聞こえるんだから。
俺が内心呆れていると、浅野は俺を指差した。
「それに、君のことも気になる」
「俺?」
「君がE組に落ちるきっかけとなった二年生最後の期末テスト。たしかにそれまでよりガクンと点数は下がっていた。が、あまりにも酷い急降下のしかただ。得意の国語でさえ、90点台から赤点以下になっている」
俺は顔をしかめた。
椚ヶ丘中学は各人のテストの点数が公開される。ほとんどは自分や友達の点数を気にしたりするが……浅野が俺のを調べるとは。
「担任が、何かの間違いだと理事長に言ったそうじゃないか。だが君は頑なに特別措置の追試も受けずに、むしろE組に落としてくれと言った……と聞いている」
「何の問題があるんだ。成績が落ちたらE組になる。それが椚ヶ丘のルールだろ。追試を蹴ったのは、どうせ本校舎に残ってもついていけなくなるから。ただそれだけの話だ」
「本当か?」
「何が言いたい」
「本当はA組でも上の方になれるのに、わざとE組になったんじゃないのか?」
浅野は非常に頭が良い。それにやたらと鋭い。これに関しては、今のところカルマより上だ。
しかし……
「証拠はあるのか、そう言えるだけの証拠が?」
鼻で笑って、俺は強気に出た。
もし確固たる証拠を掴んでいたとしたら、彼ならこんな曖昧な言い方はしない。疑問形もなしで、ずばっと決めてくる言い方になる。
そうしてこないってことは、彼の中でも確信はないのだ。
「ないんだろ」
「……だが、君の口から言わせてみせる。テストに勝ち、命令してやるさ」
それを言うためだけに目の前に現れたのか?
試験前だってのに、ずいぶんと余裕らしい。こっちは誰もがやる気に満ちてるってのに。
そんな宣言にはなんの意味もない。これ以上聞く耳はないと、俺は彼の横を通り過ぎる。
「勝手にしろ」
すれ違いざま、俺は言い捨てた。