「いち、に、いち、に」
青空の下、グラウンドで生徒たちの声が響く。
健康的に身体を動かして、健康的な汗を流す。その手にナイフがなければ健全だ。
烏間先生の指導で、俺たち三年E組は人間に害のない対殺せんせー用ナイフで素振りを続けていた。
そう、烏間
殺せんせーと俺たち普通の人間じゃ、出来ることに差がありすぎる。分身したように見えるほど速い反復横跳びなんて、誰が出来るか。
最初はただのお役所人と思っていたが、どうもそれとはかけ離れた人物のようだ。
確かにきっちりと規則規律を重んじるところはあるが、それに縛られず柔軟に対応でき、物事の良し悪しを素早く判断している。
身体も強く、遠近問わず武器の扱い方に詳しい。教え方も上手く、難しい専門用語はなるべく使わないようにして、分かりやすく理解させようとしてくる。
それだけ出来るのは、深い経験があってのことだ。ということは相当に場数を踏んでいる歴戦の勇士だということだ。
まあ、お偉い人が現場に出てくるはずがないし、生徒を守るためにも戦い慣れた人間がここに配属されるのは当然か。
上の命令を守り、生徒の安全を保障しつつ、対象を殺す。一番つらい位置だな。
それに比べて……
「いつまで泣いてるんだよ、殺せんせー」
「だって、だって、先生も同じく汗を流したいんです!」
「だったら能力のひけらかしたがりをやめたらどうですか。一緒に汗を流したくても、対等にできるスポーツや遊びが思いつきませんよ」
「かっこいいところを見せて尊敬されたいじゃないですか! ただでさえ烏間先生にイケメンキャラの座を奪われかけているというのに……!」
ド直球で駄目な大人だ……
反復横跳びの手本だとか言って、速すぎて分身した上にあやとりまで混ぜ込んでくるのはかっこいいか?
俺たちは、しくしくと泣きながら砂を集める殺せんせーを放っておいて、ナイフ術の練習に戻る。
日差しが降り注ぐなか、単調な動きを繰り返すだけ。いまいち成長の感じられない者たちのうち、ついに
「それにしても、こんな素振り意味あんの? マッハで動く殺せんせーに当てられるとは思えないんだけど」
「基礎能力はあればあるだけ良い。土台がしっかりしていれば、それだけ作戦の幅が広がる」
もっともなことを言う烏間先生だが、しかし前原は納得せず口を尖らせた。
「ふむ、なら
その言葉を聞いて、全員の動きが止まる。
磯貝
どちらも身のこなしは悪くない。その二人は顔を見合わせ、ナイフを握りなおす。
じりじりと間合いを詰めた後、ゴム製の刃を当てるべく腕を振っていく。何度も何度も。
しかし、烏間先生はあとわずかのところでかわす。相手の動きをよく見て、動きは最小限に、体力を使わずに、体力を使わせるように。
「と、このように多少の心得があれば、素人二人のナイフ位は俺でも捌ける」
喋りながら、彼は攻撃を弾いていく。
基礎とはいうが、その基礎を極限まで鍛え上げている。彼の言う土台がきっちり積みあがってるからこそ、どんな状況にも対応できる応用力もあるのだろう。二人がフェイントをいれても即座に対応していた。
体格と運動神経に優れているとはいえ、所詮は素人の中学生。勝てるはずもなく、二人はあっさりと地面に転がされた。
「よし、順番に来るといい」
それからは、烏間先生の凄さを思い知らされるだけだった。次々と生徒を呼んではいなしていく。
今やっていることがどれだけ重要か教えるのと同時に、生徒の身体能力を測っているのだろう。
当てるくらいなら、と高をくくっていたみんなは格の違いに驚かされ、烏間先生を尊敬のまなざしで見始めていた。
「次、國枝くん」
呼ばれ、ナイフを握り、相対する。
烏間先生の目には一切の油断がなかった。これを崩すなら、相当トリッキーなことをしなければならないだろう。
そんなことを試すこともなく、適当に振り続けて時間切れ。
もともと『フードの男』であることをばれないようにするために体育では目立たないようにしている。それに、暗殺に積極的に参加する気はないのだ。むきになって、動ける奴だと認定される必要もない。体格に似合う程度の点数さえ貰えればそれでいい。
『馬鹿ではない』程度が一番目を付けられにくい。極端に下手を演じる方がかえって不自然だ。
可もなく不可もなく。それが俺の目指す認められ方だ。
「ふう……」
少し離れて、芝生の上に座る。
相手はプロ。直接触れることで何か怪しまれるかなと思ったが、そんな様子はない。
ちらりと殺せんせーのことも見たが、砂で城をつくり、出来上がったあとは茶をたてている。
暇なのか?
「へえ、面白そうなことやってるじゃん」
突然、声が頭上から聞こえてきた。制服姿の誰かが、太陽を遮って立っている。
赤い髪に鋭い眼光、飄々とした顔は俺のよく知る人物だった。
「カルマ……?」
「や、國枝。相変わらずだね」
「停学、明けるの今日だったか」
「うん。早く来たかったんだけど、生活リズムが戻らなくてねー」
その軽い物言いと雰囲気は、停学前と変わらない。
暴力沙汰を起こしてE組に落とされた生徒。
力が強い……というよりは、躊躇がないといったほうが正しい。自分の思ったことはぱっと行動できるのが、こいつの長所。
だがそれ以上に……
「やあやあ、君が赤羽くんですか。待っていましたよ」
「あんたが殺せんせー? 写真で見たけど、やっぱ生で見ると違うね。あ、俺はカルマでいいよ。よろしく」
いつの間にか寄ってきていた殺せんせーを訝しむことなく、カルマがにこりと笑いながら手を差し出す。
それに違和感を覚えたのもつかの間、驚くべきことが起きた。
応えようと伸ばされた殺せんせーの触手の先が溶け落ちたのだ。
その瞬間、カルマは袖からナイフの刃を取り出し、それを殺せんせーに……は届かなかった。
目にもとまらぬスピードで、一瞬にして間合いを空ける殺せんせー。信じられないようなものを見る目で、どろどろと溶けている自分の手を見る。
冷や汗をかいたのは、彼だけではない。この場にいるほとんどがそれを見て息を呑んだ。
「へえ~」
にやにやとして、カルマが手を見る。そこには、細かく刻まれた対殺せんせーナイフが何本も貼り付けられている。
「本当に効くんだ、これ。にしてもちょっと驚かせただけでそんなに離れるなんて……ひょっとして先生ってチョロい人?」
あからさまな挑発にぐぬぬと顔を歪ませながらも、一番危機感を覚えたのは殺せんせーだろう。
なにしろ、初ダメージを与えたのが政府でも別の国でもなく、初対面の中学生。しかもドラマティックの欠片もない方法で。
こんな手で……と言うだけなら簡単だ。
実際にはその手を思いつく頭、警戒させない手の動きと表情、それに殺気の隠し方。全てが調和していないと成功しなかった。
やはり。やはり、この教室で殺せんせーを殺すことが出来るとしたら彼なのだろう。
稀代の天才。底を見せない、この赤羽業なら。
△
「あーあ、こんな面白いことしてるなら、もっと早く来ればよかった」
帰路につきながら、俺はついてくるカルマを見やる。
あの後わかりやすく殺せんせーを挑発してすっきりしたのか、カルマは屈託のない笑顔でそう言う。
床にBB弾をばらまいたり、扉に刃を貼り付けたり……一つひとつの罠の前、誘導の仕方がいやらし……見事だった。
それよりも、だ。
停学が明ける前に殺せんせーのことを聞かされていただろうが、実際に会って、しかもその場で暗殺を実行できる度胸は他の誰にもない。
その行動力は、ともすれば無謀にもつながる。
百億円を手に入れたい気持ちがあるわけでもないのに、いやだからこそか、カルマは必要以上に挑発して隙を見出そうとする。
相手は俺たちの想像の上をいく存在だ。約束を反故にして首を絞めてこないとも限らない。
カルマはそれを知っていて、わざとそうしてる。
「問題のある行動は起こさないでくれよ」
「心配しないでいいって。こんな面白そうなこと逃がすわけにはいかないし。いま停学とかなったらもったいないじゃん」
そう言う彼の表情は純粋だ。
楽しそうなことはとことんと。単純な遊びだけならまあいいが、彼のそれには危険が伴う。何かおかしいことが起きなければいいが。まあ平穏は望めないだろうな。
そう思って、彼と別れたすぐ後……
前に椚ヶ丘生がいるのが見えた。
うわ、と思いできるだけ存在感を消す。
底辺であるE組は、他のクラスからはいじめが許されている対象だ。後ろにいるのが俺だとばれれば、なにかしら攻撃してくるだろう。変に目をつけられてやいやい言われるのは精神衛生上よろしくない。
「カルマの野郎、停学明けたってよ」
「マジかよ。ようやくだな」
「ああ、ぜってえ殺してやる」
不意に、そんな言葉が聞こえた。
その前を歩く椚ヶ丘生が、そんなことを口走っていたのだ。
どうやら俺に気づいていないらしく、さっきまでカルマがいたことも知らないのだろう。
馬鹿面さらして歩きながら、幼稚な計画をべらべらと喋っている。
殺す。
中学生ゆえの誇張表現。だがその憎しみは本物だ。
赤羽業という男はいらないところに波風をたてる男でもある。
こうやって憎まれることも多々あるが、脅しのための情報やら写真やらで反撃を防いでいる。
しかし、恨まれている数が多すぎると……それらが徒党を組んでやってくることになる。
胸のざわめきが強くなる。
夜はもうすぐそこまで来ていた。