夏休みに入ったというのに、E組は変わらず登校している。
殺せんせーの特別講義もあるし、夏合宿の大規模作戦に向けて、各々が暗殺の腕を磨いておく必要があるからだ。
ただし、そのどちらも強制参加ではない。来たいやつが来たい日に来れる……のだが、ほとんどが毎日顔を見せる。
それがわかるということは、もちろん俺も毎日登校しているのだ。暗殺の訓練はしていないが、作戦の立案にかなりの時間がかかる。
なにせ全員が協力しての、知らない土地での暗殺だ。実行部隊も交えての作戦会議は難航していた。一歩ずつ一歩ずつ詰めていくしかないのだ。
加えて、懸念事項はまだある。
期末テストの勉強中は、みんな忙しくて外に出てる暇がなかった。だから俺もそう遅くまで街を見張る必要はなかった。
解放された今は違う。
三村や岡島は夜の校舎で好き勝手するし、時間ギリギリまでカラオケなりゲーセンを楽しむ奴もいるし、目が足りない。
それに、堀部のこともある。
ずっと実験台にされてるわけでもないだろうと、その姿を捉えるために毎日探しているが、見つからない。
手がかりすらないのだ。律にも調べてもらっているが、堀部イトナという名前だけではあまりにも情報が少ない。
「はあ……」
「大丈夫ですか、國枝さん?」
教室から外に出て、日差しを受けながらグラウンドを見る。射撃やナイフの特訓をする者、息抜きに遊ぶのもいる中で、俺だけは木陰に身を下ろして休んでいた。
漏れてしまったため息を聞かれ、スマホから律が話しかけてくる。
「ああ。ただ、ちょっと疲れただけだ」
心身共に休まる時間が少ない。
それでも気を張るのはやめられない。急な襲撃も想定して構えるしかないのだ。
深く息を吐いて、スマホを地面に置く。
「あれのことは? あの……『レッドライン』のことは」
『レッドライン』というのは、堀部が初めてE組に顔を見せた夜に出会った謎の人物だ。
赤い線の入ったレインスーツを着ていたそいつは、俺よりも前に街を徘徊しては人に危害を加えていたらしい。
ニュースでは、いまこの『レッドライン』と『貌なし』、そしてもう一人『蟷螂』と呼ばれる犯罪者が世間を賑わせていた。
といっても『蟷螂』は今年度に入ってから姿を見せず、『レッドライン』も俺と対峙して以降は現れなくなったらしい。
「いえ、どの監視カメラをハッキングしてもいません。警察にも通報はいっていないようです」
「そうか」
よかった、と言っていいだろう。
『貌なし』が邪魔したことで諦めたか、なんにしろ二度と現れなければそれで万々歳。俺の苦労も減る。
「そのぶん、國枝さんが……『貌なし』がマークされています。気を付けてくださいね」
「ああ、わかってる」
夏休みに入ってからは特に、警察がうろうろしているのを見かける。
『貌なし』一式は鞄に入れてあるから、検査されない限りはバレることはない。
警察は『貌なし』を中学生とは思ってないから、俺が見咎められることは一切なかった。
「その……」
「なんだ?」
「本当に、続けるつもりですか? やめるつもりはありませんか? 私にしてくれたように、堀部イトナさんのことも気にしているのはわかっていますが、私は國枝さんのことが心配です。ずっと休みなしじゃないですか」
「それについては何度も話し合っただろ。やめるのは無理だ」
修学旅行の誘拐騒ぎやプールでの堀部襲撃を筆頭に、危険が多すぎる。
殺せんせーを暗殺できていない以上、さらなる脅威が押し寄せてくる可能性は多分にある。
そんな時に必要なのは『貌なし』だ。一人で素早く、何にも縛られることのない存在が必要なのだ。
「俺のことは心配いらない。律はみんなを見張っててくれ。どこでどんな相手が来るかわからないんだから」
「……はい」
納得させて、会話を打ち切る。何度も言い合ってきて、結局はこの結果に落ちつく。
一人が犠牲になるか多数が傷つくか。そう考えればどちらを選ぶべきかは小学生にだってわかる。
なにもかもが解決する代替案が出ない限りは続けるしかないのだ。
それに動きっぱなしってわけでもない。
こうやって暗殺の訓練に励んでいる時は、やる気のない素振りを見せてさぼっているわけだし。
そうやって休憩しながら、辺りを見渡してみる。目当ての人物はいない。
「今日も来てないか……」
一学期が終了してから、カルマを見ていない。
別に行方不明というわけではない。ただたんに学校に来ていないだけだ。
連絡をすれば返してくれるし、アドバイスを求めれば応えてくれる。だがどうもずっと家にいるみたいだ。
「カルマくんのことが心配ですか?」
いつの間にか横に並んでいた殺せんせーが言う。
「いいや。負けてそのまま折れるような奴じゃないよ、あいつは」
期末テストではいいとこなしだったが、それで終わるわけがない。
引きこもっているのだって、凹んでいるのではなく、勉強漬けになっているからだろう。
今回の夏合宿作戦のメインから外してくれと言うくらいには本気だ。
「次こそは全員50位以内を目指せそうですねえ」
暗殺訓練に励む生徒を満足げに眺めながら、彼はうんうん頷く。
本当に喜んでいるような目だ。あくまで人間基準だが。
「どうしてそこまでE組のためにしようとするんですか?」
最初に聞いておくべきだったことを質問する。
「不可解だ。教師になっていることもそうだし、殺されることそのものを望んでるわけでもなさそうだし、あんたは一体何のためにここに来たんだ?」
今ではすっかり馴染んでいるから忘れそうだが、こいつの出自も目的も不明なのだ。
音速を超えて飛べる生物が、一つの中学校の教員に収まっている意味がわからない。
すると、やはり彼は不気味に笑った。
「ヌルフフフ。殺せたら教えてあげますよ」
「殺したら聞けないだろうが」
つまり、教える気はないということか。
だろうな。言うつもりがあるなら、今までチャンスはいくらでもあった。それでもひた隠すのはそれなりの理由があって、公にしたくないからだ。
「それよりも……君のことを聞かせてください」
彼は声を落とした。
「本当はもっと速く動けることができて、もっと強いはずでしょう?」
「どうしてそう思う」
「教師というのは、ちゃんと生徒のことを見ているものですよ」
表情は変えず、顔だけ近づけて確信めいた声色で言う。
「筋肉のつきや姿勢は良く、ただしぎこちない体捌きが不思議です。まるで手加減をしているみたいに」
「不思議ですか? 鍛えてはいますが、あくまで力仕事を任されてもいいように、ですよ」
「そんな言葉では騙されません。烏間先生も気づいています。何かあるのだろうと探りはしませんでしたが……」
「いまさらになって訊こうと?」
「いえ。ただ少し提案をしたいだけです」
実力を隠している理由は置いておくらしい。
自分は隠しているのに、俺に訊くのはフェアじゃないと感じたのだろう。
「君がよく動けると知っていたら、みんなの立てる作戦に幅が広がるかもしれませんよ」
「俺がいなくても変わりませんよ」
「いえいえ。一人いるだけで、物事は変わります。君が思っているよりもずっとね」
「良くも悪くも、だろ。悪くなるくらいなら……」
「いいえ。君がいれば、きっとこのクラスは良くなります」
殺せんせーは否定ばかりで返してくる。俺のことを認めてくれているという意味なら肯定と言ったほうが正しいが。
「中間テスト、律さんのことや、プールの事件、球技大会……他にも、君が助けとなったことはたくさんあります。私だけでなく、烏間先生も君のことは大いに評価してますよ」
大いに評価……か。
そんなものに対して、俺は少しの感動も覚えなかった。
俺が褒められたところで迫りくる脅威は去ってくれるか? いいや、恐怖はそんなこと関係なく、音もなくやってくる。
「どうも、ありがとうございます」
なんの感情もこもっていない言葉を、俺は返した。