貌なし【完結】   作:ジマリス

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34 潜入

 ホテルの裏側にある崖をぱっぱと登る。

 普段から訓練されているE組にとっては、こんなのは障害にもならない。ビッチ先生はそういうわけにもいかないから、烏間先生におぶられて上に着いたが。

 ドレス姿の彼女は戦闘要員にはならないな。まあ最初からそっちでは期待してない。しかし彼女の能力はこの潜入任務において誰よりも優れているから、ちゃんとついてきてくれてよかった。

 

「警備がいないな」

「扉は電子ロック、それに監視カメラもあるしな。ここに人員を割くのはもったいない。普通の人間が相手ならな」

 

 烏間先生はビッチ先生を下ろして、先導を切る。

 

「この電子ロックは私の命令で開けられます。監視カメラもみなさんが映らないように細工しておきました」

 

 崖を上がってすぐの扉もこの通り、律がいればなんともない。

 

「ですが、内部のシステムは多系統に分かれており、そのすべてを掌握することはできません」

「律に頼りっきりってわけにはいかないか」

 

 ここからは俺たちの能力が頼りだ。

 あちら側だって、厳重な警備を敷いてるに違いない。もともと殺せんせーを相手どろうとしていたくらいだからな。

 

「烏間先生。ここが、事前に注意を促せる最後の場所かもしれません。ブリーフィングをお願いします」

「ああ。律、マップを表示してくれ」

 

 従って、律は各々の端末に内部構造を表示した。

 円柱形の建物の上に、それより一回り小さい円柱形が乗っかっているような構造だ。

 上下それぞれ五階……合計で十階。それに、屋上はヘリポート。

 

「私たちはエレベータを使用できません。フロントが渡す各階ごとの専用ICキーが必要だからです。したがって階段を上るしかないのですが……」

 

 上階へ一気に上がれる造りにはなっていなくて、階段がばらばらに配置されてる。いくつか廊下や広間を通らなければいけない。

 つまり、それほど人と会う機会が多くなり、危険も増える。

 

「テレビ局みたいな構造だな。テロリストに占拠されにくいよう、複雑な設計になってるらしい」

 

 千葉が説明する。

 なるほど。占拠されづらく、警備しやすく、セキュリティも万全。悪さしたい奴らが集まるわけだ。

 

「國枝さん……」

 

 律が心配そうに俺を見る。

 今回、ここに来る時に肩掛けポーチを着けてきていた。その中にはマスクにゴーグル、フード付きの灰色迷彩服。『貌なし』の装備だ。

 どうしてもという時には、俺が矢面に立つしかない。

 

「行くぞ、時間がない。状況に応じて指示を出すから見逃すな」

 

 烏間先生がドアに手をかけ、音もなくすっと進んでいく。続いて、俺たちも迅速かつ慎重に歩を進める。

 

 さて、裏口通路を抜ける前に、一番厳しい場所が待っていた。

 一階ロビーには、多数の人間がいる。ホテルスタッフだけでなく、警備や客。

 奥に見えるピアノの近くの大階段へ向かうのは論外として、今いるところのすぐそばの非常階段を目指すべきだろう。そこから三階まで行ける。

 だが、そこまで行くだけでも人目に晒される。少しだけでも見られたらアウトだ。

 警備に見つかればそれ以上の人数で来るだろうし、犯人にも知らされる。だが、こっちは十人以上いるんだ。見つけられやすい。

 

 いや……ここをどうにかできる人間が一人だけいる。

 

「何よ、普通に通ればいいじゃない」

 

 さも問題はないというように、ビッチ先生が言った。

 

「状況判断もできねーのかよ、ビッチ先生!?」

「あんな大人数の中をどうやって……」

「いや、ビッチ先生が正しい」

 

 小声でツッコむ菅谷や木村を抑えて、俺は先生に頷く。

 

「任せますよ、ビッチ先生」

「任せなさい」

 

 すっと、彼女が表に出る。

 同時に頬を少し赤くして頭を軽く揺らしている。足取りもちょっと怪しい。もちろんこれは演技だが、今こうやって見ていてもシラフとは思えないほど。

 そのビッチ先生が、ホテルスタッフの一人にぶつかる。

 

「あっ、ごめんなさい。部屋のお酒で悪酔いしちゃって」

「あ、お、お気になさらず」

 

 ぶつかられた男はたじたじとした。

 

 普段は軽く見られがちで忘れそうだが、ビッチ先生は殺せんせー暗殺任務に斡旋されるほどの実力の持ち主なのだ。

 こと色仕掛けにおいて、彼女の右に出る者はいない。

 視線誘導の方法を熟知し、必要な技術を必要以上に会得している彼女に目を奪われないはずがなく、その場にいる男どもは顔をだらしなく緩ませた。

 

「来週そこでピアノを弾かせていただく者よ。早入りして観光してたの」

 

 上手い。 

 ピアノは非常階段から最も遠い。そこに視線が集中すれば、俺たちは無事に上へ行ける。

 

「酔い覚ましついでに、ピアノの調律をチェックしておきたいの。ちょっとだけ弾かせてもらってもいいかしら?」

 

 ビッチ先生がおねだりすると首を横に振れない。

 滑らかな動きと手つきで、彼女はピアノを弾き始めた。

 素人が聴いても、プロレベルの腕前だとわかる。

 それに、ビッチ先生は自分の魅力を最大限に魅せるように全身を使っていた。

 男だけでなく、女も目線が釘付けになり、俺たちでさえ一瞬使命を忘れかけるほどだった。

 

 ビッチ先生が少しだけ演奏を止め、他に見えないよう指を動かした。

 『行け』の合図。

 周りを見ると、その場の全員の目がビッチ先生に向いていた。

 

 流石はロヴロさんに斡旋された、世界で一番のハニートラップの達人。

 俺たちは難なく過ぎることが出来た。

 

 

 非常階段を上って三階に到着。ここは広間を横切る必要がある。

 

「さて、君たちに普段着で来させたのは理由がある。入口の厳しいチェックさえ抜けてしまえば、ここからは客のフリができるのだ」

「客ゥ? 悪いやつらが泊まるようなホテルなんでしょ? 中学生の団体客なんているんスか?」

「聞いた限りでは結構いる。芸能人や金持ち連中のボンボン達だ」

 

 この話自体は、この島に来る前にある程度調べていた。

 ようは悪い遊びをやってるガキも集まってるってことだ。俺たちはそいつらの一人であるようなフリをすれば通り抜けられる。

 

「見るな」

 

 ちらちらと、すれ違いざまに他の客を見るみんなを小声で叱る。

 

「こっちもあっちも余計なトラブルは避けたいんだ。干渉しなかったら、向かってくることもない」

「う、うん。だけど、これなら最上階まですんなり行けそうだね」

 

 どうだろうか。一階の時点でビッチ先生がいなかったら抜けられたかどうか怪しい。

 実のところ、彼女がこの潜入の鍵だった。

 こういうところにいても不思議でなく、男を魅了でき、人を惑わすことができるビッチ先生が一番戦力になる……はずだった。

 そのビッチ先生がいなくなって、俺たちの選択肢は大幅に下がった。

 

「ヘッ、楽勝じゃねーか。時間ねーんだからさっさと進もうぜ」

 

 そんなことを考えず、寺坂と吉田が歩速を上げる。

 だが……

 

「寺坂! 吉田!」

「そいつ危ない!」

 

 俺と不破が同時に叫ぶ。

 こちらに向かってくる一人の男が異様な雰囲気を纏っていたからだ。

 

 風のように素早く烏間先生が動く。

 

 すぐには止まれず、走りに近いスピードの二人。向こうの男にぶつかりそうな距離になった瞬間……その男が小さなスプレーを取り出し、噴射した。

 生徒を守るために前に出た烏間先生は避けられず、噴き出た煙を少し吸い込んでしまう。

 俺はとっさに近くにあった花瓶を手に取り、それを投げて男の手に当てる。スプレーをこぼした男は即座に一歩引いて、ガスと烏間先生から距離をとった。

 

 あの男……帽子をかぶって、インナーをマスク代わりにして鼻と口を保護している。

 明らかに敵だ。

 不破も同じく気づいていたようだ。

 

「何故わかった? 殺気を見せず、すれ違いざまに殺る。俺の十八番だったんだがな、オカッパちゃん」

 

 『危ない』と明言した不破に対して、煙使いが始めて口を開く。

 

「だっておじさん。ホテルで最初にサービスドリンク配ってた人でしょ?」

「ってことは、こいつがウイルスをみんなに仕込んだ張本人か」

「……断定するには証拠が弱いぜ。ドリンクじゃなくても、ウイルスを盛る機会はたくさんあるだろ」

 

 いいや。彼がそうであることは、もうわかっている。

 俺は前に出ず、得意げに人差し指を立てる不破に説明を任せた。

 

「みんなが感染したのは飲食物に入ったウイルスから。竹林君はそう言ってた。クラス全員が同じものを口にしたのは、あのドリンクと船上でのディナーだけ。けど、ディナーを食べずに映像編集をしてた三村君と岡島君も感染したことから、感染源は昼間のドリンクに絞られる」

 

 今度はびしっと、立てた指を相手に向けた。

 

「したがって、犯人はあなたよ、おじさん君!」

「くっくっく……わかったところで、もう遅い」

 

 見抜かれたことをなんのディスアドバンテージにも感じていない。

 

 烏間先生は膝を床につけたまま立ち上がれず、頭も揺れている。

 先ほどの煙の影響であることは疑いようがない。

 

「毒物つかいですか……しかも実用性に優れている」

 

 殺せんせーの関心に、男はにやりと笑った。

 

「俺特性の室内用麻酔ガスだ。一瞬吸えば象すらオトすし、外気に触れればすぐ分解して証拠も残らん」

「そんなものを作れるってことは、ウイルスもあんたが?」

「さあね。ただ、お前たちに取引の意志がないことはよくわかった。交渉決裂。ボスに報告するとするか」

 

 男は踵を返す。が、逃がすか。

 俺たちは即座に動いて、そこらにある花瓶やら机やら椅子やらを武器にして立ちふさがる。

 

 中学生が統率の取れた動きをしたことが予想外のようで、男の動きが止まった。

 

「敵と遭遇した場合、即座に退路を塞ぎ、連絡を絶つ。指示は全て済ませてある」

 

 そう言ったのは、今にも倒れそうだった烏間先生だ。

 

「お前は我々を見た瞬間に、攻撃せずに報告に帰るべきだったな」

 

 烏間先生がぱっと跳躍する。

 男はポケットに手を突っ込むが、遅い。

 ガスを食らっても光のように速く、正確な脚が伸びる。

 

 首を刈り取るような、強烈無比な一撃が男の顔面を捉える。

 それだけで十分だ。

 歯が一本吹っ飛び、男は倒れた。

 

 それを確認して、着地した烏間先生も糸が切れたようにがくりと崩れ落ちそうになる。

 

「烏間先生!」

 

 彼が倒れる前に、俺はとっさに身体を支える。

 体は俺に預けられ、足はがくがく震えていた。これほどまでに弱っている彼を見るのは初めてだ。

 

「……くそ」

 

 伸びた男を隅に運び、机や椅子で隠した後、俺の不安感はますます増した。

 

 烏間先生が言うには、普通に歩くフリをするので精いっぱいらしく、戦える状態に戻るには三十分ほどかかるようだ。

 いやいや象すら昏睡させるガスだぞ。歩けるだけでも異常だ。

 ……だが、まずいな。まだ序盤だというのに、二人の先生が戦力外になってしまった。

 

 ここからは本当に、後ろ盾なくE組生徒の力のみでやるしかない。

 果たしてそれは可能なのか。

 

 俺は苦しむみんなの顔を思い出す。

 

 弱音を吐いてどうする。

 俺たちがどうにかしなければ、E組の半分が死んでしまうんだぞ。

 降りるわけにはいかない。全員救うために、命を懸けて進むしかないんだ。

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