展望台から遠くを眺めると、空と海に反射された星が瞬いて、まるで宇宙にいるような感覚になる。
こんな状況でないなら最高の光景なのに。
六階。テラスの手すりにつかまりながら、いてもたってもいられない空白の時間に焦りつつ、それを抑える。
ここよりさらに上階に向かうためには屋内会場、その裏口から通じる階段を上るのが最もばれにくい。だが、もちろんそこには警備員がいる。
通る隙を作るために、女子たち(とすぐそばのプールに放置されていた服を着て女装した渚)が中で行動している。
俺たち男子組は外で待ちつつ、怪しまれないように適当に過ごしている。
中を見れば、俺たちとそう変わらない歳の男女も入り混じって、なにやら怪しいパーティをしているようだった。
女子たちが変なことされてないといいが……
「カルマ、大丈夫か? さっきので怪我は負ってないか?」
「へーきへーき。なんともないよ」
幸いなことに、被害は最小限に抑えられている。烏間先生がガスの影響で動きづらそうにしているくらいだ。
このままいけばみんな無事で帰って、苦しんでるほうも救える希望はある。
大音量の音楽が漏れてきた。
中にいた男が一人だけ外に出てきたのだ。
その男に、なにか違和感を感じた。
夏なのにあんな長袖の黒いジャケットを着るか? 確かに屋内は空調が効いてて肌寒く思うこともあるが、屋外は風がなければ暑い。
気にし過ぎか、と思った瞬間、そいつがこっちに近づいてきていることに気づいた。それどころか、一瞬この場にいる全員をぎらりと睨んだ気がした。
嫌なものを感じて、興味ないふりをしながら横目で注意する。
十メートル、五メートル……男との距離が近づくにつれ、予感は間違いないと確信した。
すれ違いざま、がしっとその男の腕を掴む。ポケットに入れたままの、力が込められた腕を。
「その手に掴んでるもの、放してもらおうか」
腕を引き抜こうとする男の力を抑える。
「そこの男さえ殺せれば、あとは楽に済むと思ったが……」
突然、拳が飛んできた。もう一方の手で、男が攻撃を加えてきたのだ。
肩の動きから予測していた俺は、頬に届くまでに手のひらで受け止める。
ゆったりとした喋り方で油断させるつもりだっただろうが、すでに俺は戦闘態勢に入っている。
「面白い男もいるじゃないか」
しっかりと捕まえていたはずなのに、ぱっとすり抜けるように振りほどかれてしまう。
逃がすか。少し開いてしまった間合いを詰め、顔へ拳を一閃。当たりはしたが、わずかに逸らされて衝撃を逃がされる。
避けた勢いのまま繰り出された首を刈るような上段蹴りをかがんでかわし、軸足を払う……が、空振り。跳躍した男の足の底が目の前まで迫ってきて、とっさに上半身をずらした。
お互いに一瞬で体勢を整え、相手へ攻撃する。俺は拳で、敵は足。両者の攻撃は見事に胸を捉えた。
心臓を射抜かれたような衝撃に、一瞬身体が麻痺する。直後、空気が吐き出されてむせる。男もそれは同じで、距離をとるしかなかった。
「國枝!」
めまぐるしい数秒の攻防が過ぎて、ようやく男子たちが寄ってくる。
「ここにまで配置してやがったか」
寺坂が毒づく。
何者だと聞かずとも、こいつが殺し屋だってことはわかる。
問題はどんな相手か、だ。
すぐそこに警備がいるところで、銃を使ってくるわけもない。あそこまで接近してきてから殺そうとしてくるあたり、下にいた奴のようにガスか素手とも考えられたが、それも無いようだ。
何を使ってくるか……おおよその検討はついていた。
「予定は多少狂ったが、ここで仕留めれば問題はない」
その言葉に気圧されることなく、男子たちが前に出ようとする。俺はそれを手で制した。
「俺がやる」
「は? お前一人で勝てるわけねえだろ」
「いいから。これ、預かっといてくれ」
俺は肩にかけていたポーチを寺坂に投げる。
「國枝くん、ここはいったん落ち着いて、烏間先生やみなさんの協力を……」
「黙れ」
乱暴な口調に、みんなの身体がびくりと止まる。
寺坂と殺せんせーの言うことはごもっとも。
特異なセンスを持っているカルマと比べて、この場で俺だけというのはは荷が重すぎる。だが、俺の感じている引っ掛かりが正しければ、他の人間にバトンタッチはできない。
深呼吸して、男の前に立つ。
「全員でかかってこなくていいのか?」
「俺一人で十分だ」
それを聞いて、男は腰を低く構えた。
動いたのは同時。渾身のキックが宙でぶつかり合う。びりびりと痺れるのを無視して、放たれるパンチを弾き、防御する。
隙を見つけては反撃に出るが、あちらはわずかに身体を逸らすだけで避けてくる。
先生たちを除けば、今まで相手にしてきた中で一番素速い。一瞬でも気を抜けば、五発は飛んでくるだろう。
だが俺も負けずに、弾丸のごとき連撃をかわし、防ぎ、掴む。
「なんだあいつ……あんな動きできたのかよ」
誰が言ったか、息を呑んでいる。
プールでの事件と合わせて、可もなく不可もなくというのはこれで完全に取り除かれただろう。せっかく積み上げたものが、たった一人の襲撃に崩される。
そうしなければならないほどに、俺の嫌な予感は増していく。
集中が削がれた瞬間を狙われ、相手の姿が視界から消える。しゃがんだ相手が拳を振り上げるのを、顔を逸らして届かせない。だが、さらに繰り出された回し蹴りはもろに側頭部を捉えた。
頭が揺れる。地面に手をついて膝で立つも、視界はぐにゃりと歪んでいる。
吐き気を抑え、敵の動きを見据える。
男は掌底を叩きつけようとしてきた。いや、手の形はそうだが、掌底で攻撃しようとしているわけじゃない。ぎらりと黒く光るものが見え、脳の危険信号がうなりを上げる。
しまっ……
攻撃に吹き飛ばされ、地面を転がる。ぐっと立ち上がるが、肩に鋭い痛みが走る。
血が出ていた。腕から手に伝い、地面にぽたりぽたりと落ちるほど、深く刺されている。拳を握れば、当然そのたびに痛む。
身体をねじったからよかったものの、そのまま喉に受けていたら死んでいた。
「暗器か……」
「そのとおり」
男は袖を引っ張って見せた。
そこに仕込んだ隠し刃。手が特定の形をしたときに出る仕組みだろう。寸前まで気づかなかった。
俺が恐れていたのはこれだ。
なにかしらの武器を持っているとは思っていたが、刃物か。
「やっぱり無茶だ。ここは全員で……」
「寺坂、カバンの中身全部よこしてくれ」
烏間先生の言葉を無視して、俺は寺坂に言う。
はっとして、寺坂は俺が渡したバッグの中身を検める。
「これって……」
「早く」
苦虫を噛み潰した顔をしながら、そこに入っていたものを投げてきた。タクティカルグローブと、コンパクトに畳められた迷彩服。それにマスクとゴーグル。
受け取るなり、俺はグローブを手にはめ。いつもよりきつく縛って、意識を戦闘モードに切り替える。
残った装備を見つめて一瞬考える。
ここでみんなに助けを求めれば、まだ引き返せる。ひっそりと練習して、こんなにも身体を動かせるようになったと言えば、無理はあるが決定的な正体ばれは防げる。
しかし相手は暗器使い。全員で向かっていったとして、傷つかない保証はない。最悪、誰かの命が奪われる危険だってある。
そうなるくらいなら……
意を決して、迷彩服を着る。
予想通り、後ろから「あ……」という声が漏れた。
「あれってまるで……」
静かにざわつく後ろを気にしないようにして、俺はマスクとゴーグルをかけて前に集中する。
男が纏う殺気が、先ほどまでとは明らかに違って見えた。
敵はポケットに忍ばせていたナイフを取り出し、逆手で持った。
あの身のこなしで刃物を使われれば、もしかしたら俺は……ここで終わるかもしれない。
それが? それがいったいどれだけの影響をもたらすだろう。たぶん、一時の騒ぎにはなるだろうが、すぐに収まる。
結局は何も変わらない。
すうっと頭が冴えてきた。
フードを被り、わざと視界を狭める。視覚が敵を見透かすために働く。これで惑わされることはない。
ぎりりと音が鳴るほど歯を食いしばり、前に出る。
伸びてきた腕を掴んで、腹に一発。怯んだ男に膝蹴り、さらに顔へパンチを食らわせた。
一瞬よろめいたが、先から小さな刃が出ているブーツで薙ぎ払われるのにギリギリで気づいて、側転でかわした。
「やっぱり、『貌なし』……だよな」
また、誰かが呟いた。
すでにわりと有名になっている『貌なし』。それとそっくりなのが目の前に現れて、みんなは狼狽している。
コスプレをしているにしては中学生離れした俺の動きに、疑う者はいなかった。
「ずっと隠してやがったのか」
「怒るのは違うでしょ」
顔を赤く染める寺坂に、カルマが冷静に返す。
「あいつが『貌なし』だったってのも重要だけど、いま肝心なのはそこじゃない」
「ええ、そのとおり」
誰もが戦いから目を離せないままの中、殺せんせーが同意した。
「今まで正体を隠してきた國枝くんが、マスクを被ってまでみなさんを守ろうとしています。本当は止めたいところですが……」
「じゃあ止めようぜ。暗器持ったやつに一対一はまずいって」
「ここで混じるほうがやばいよ」
前に出ようとした菅谷を、またしてもカルマが止める。
「もし下手に邪魔して、國枝が俺らをかばうことになったら、それこそ最悪の事態になる」
カルマの言う通り。
今だって俺が不利だ。そんななかに他の誰かが混ざってきたら……
「ここは信じて、見守るしかない」
男の動きは恐ろしいほど速く、しなやかだった。速く鋭く、そしてどこからともなく刃が迫る。まるで忍者だ。
手を伸ばそうとしても掴みそこね、反撃をくらう。俺も負けじと両の足をしっかりと地につけ応戦する。
避けることを二の次にして、相手に攻撃を加える。ハイリスクではあるが、ぬらりとした動きをする相手にはこれがいい。
ガードを捨て、何度か裂かれるが、その分パンチを与える。そうして何度か応酬を繰り返していると、敵の動きが鈍ってくる。
俺の中段蹴りを見事に避けて着地した瞬間を狙って、俺は身体を回転させつつ渾身の蹴りを放った。
彼は勢いよく倒れたかと思うと、バウンドするかのように跳びあがって距離をとる。
手ごたえはあったが、まだ立てるのか。
次はどうするか。思案していると、炭酸水が入ったペットボトルの栓を開けたようなプシッという音とともに脇腹が痛んだ。見ると刃が突き刺さっている。
どこから飛んできたのかは明白だった。あいつが手に持っていたナイフは柄だけになっている。あれも仕込みナイフ。
じわり、とシャツが血に染まるのを感じる。だが幸い、戦えなくなるほど深くは刺さっていない。俺はそのまま真っすぐに男を睨んだ。
再び距離を詰め、フックをかます。だが苦痛で鈍った拳はわずかに逸らされるだけで届かず、代わりに反撃の仕込みナイフ掌底を食らった。
悲鳴を抑え、敵の顎を打ち上げてから蹴り飛ばす。
相手はプールサイドまで転がっていったが、こちらのほうが重傷だ。脇腹二か所と肩から血が出ている。
「國枝、もう下がれ! 俺らでそいつをとっ捕まえてやるからよ!」
寺坂が叫んでくる。
あいつは良い奴だ。E組のみんなも、烏間先生も、殺せんせーも。みんな俺のことを心配してくれて、助けようとしてくれる。
俺は誰一人として、大切な仲間を失いたくない。ここで一人で戦うことは、居場所をくれたみんなに、俺ができる唯一の行動だ。
お互いに向き合って構える。二人とも息が上がっていた。肩を激しく上下させつつも、しかし殺気は衰えていない。
膝をつく気はなかった。続行不可能と諦めてしまったら、誰かが加勢に来る。
まだ戦えると態度で示して、戦うしかない。
心臓の早鐘が鳴りやまぬ中、男がまたしてもナイフを取り出し、投げてきた。
ここで上半身をずらし……いや、だめだ。この方向はみんなに当たってしまう。だが、身体はすでに避ける体勢に入っていた。
手を伸ばして、短刀を必死に掴もうとする。。自分でも神経の伝達スピードに驚いた。飛ぶ刀に腕が追いつき、軌道を逸らすことができた。スパリと手のひらに切れ込みが入るが、問題ない。スピードも和らげられた短刀は菅谷の前でからんと音を立てて落ちる。
本来なら、一対一なら避けて終わりのそれに気を取られたのがいけなかった。対処している間、敵は鼻先まで近づいてきて、腕を振るう。とっさに両腕を前に構えて防御の姿勢をとるが、これがいけなかった。
腕に綺麗に切れ筋が入って、血が飛び散る。打撃だと思っていたそれは、ナイフによる薙ぎ払いだった。
鋭く、電気が走ったような衝撃に思わず飛び退く。男も俺を追うようなことはせず、むしろ距離を置いた。そして背中に手を回すと、どこに隠していたのか鎖に繋がれた鎌を取り出す。
掴んだ鎖を支点に回るそれは、ひゅんひゅんと風を裂く音を立てて威嚇する。
ごくり、と生唾を呑んだ。
目では追える。だが身体がついてこれるかは別だ。
音が耳に届き、刃が目の前を通る。
危機を感じてわずかに頭を逸らしていなければ、側頭部に刺さっていたことだろう。
冷や汗がどっと出た。同時に、こらえきれない怒りも。
こいつは、こんなのをみんなに使おうとしていたのか。
これまでの殺し屋もそうだった。こいつもあいつらも誰かを殺そうとした。
急激にそれを感じて、身体が熱くなる。感情が溢れて動き出す。本能の赴くままに、俺は男へ向かっていった。
普通なら刃を恐れて距離を空けるか動けないか。そのどちらでもない動きに敵は焦った。
すぐさま武器を放ったが、狙いは少し外れて飛ぶ。それでも鎌の先が脛を裂く。膝をつかずに堪えたが、痛みが訴えてくる。
さらに男は鎌を手元に戻し、投げる。
「國枝ァ!」
誰かが叫んだ。
切られたほうとは反対の腹に、鎌が深々と刺さっているのがわかった。俺はあえてそれを見ずに、大した傷じゃないと言い聞かせる。
どれだけ傷がつこうが関係ない。こいつを倒せればいい。アドレナリンが全てを誤魔化してくれている間に決着をつける。
ぴんと張っている鎖を掴んで、足で踏む。引っ張られ、男は体勢を崩して前のめりになった。
相手の顎が差し出されるように前に出たのを見て、俺は脚に力を込め、宙がえり。
サマーソルトキックが綺麗に決まった。クリーンヒットした攻撃は脳を揺らし、相手を昏倒へ引きずり込む。
倒れた敵に馬乗りになり、髪を掴んでやる。がくりと気絶した彼へ、まだ足りないとばかりに拳を振り上げた。
「決着はついた。もういいだろう」
腕は下ろされることなく、烏間先生に止められた。抵抗してもびくともしない。
怒りに支えられた戦いだ。頭はすぐに冷えずに、全身の力が入ったままになる。
だがぐっと抑えつける烏間先生には敵わず、やがて怒りは少しずつ冷め、呼吸も落ち着いてくる。
烏間先生に引き上げられて立ち上がるも、出血のせいか身体がふらりと揺れた。
「國枝!」
俺を支えようと、菅谷が手を伸ばしてくる。
「やめろ、血がつく」
烏間先生の手も弾いて、菅谷も押しのけて、なんとか足を地につける。
どこから出たのかわからない血が、足元へ滴る。アドレナリンが切れて、痛みが押し寄せてきた。
「なんで、なんでだよ、國枝。どうして俺らを頼ってくれねえんだよ!」
夜の屋外に、寺坂の声が響く。
「勝った。それだけでいいはずだ」
俺はたったそれだけの言葉を返した。
生きて、勝って、みんなが無事。それで十分なはずだ。
「みんな、早く来て……って……どうしたの?」
先行して中に入っていたうち、不破が裏口を開けて俺たちを呼びに来た。
どうやらそっちは上手くいったみたいで、中からは他の女子たちが手招きしている。
静まり返った空気の中で、俺は肩で息をしながらフードを外した。
「行くぞ」