ウイルスの解毒剤が入ったケースを、鷹岡が爆発させた。
爆炎と煙が舞い、地面に破片が落ちてくる。
希望が残骸になっていくのを見て、心が折れたのを感じた。
俺は無力だ。
正体をばらして血を流して戦って、銃弾を見切る無茶をやっても、何の意味もなかった。
押し寄せる絶望に足の力が抜ける。膝が落ちてしまい、糸が切れたかのように力が入らない。
その場にへたり込み、呆然と寺坂を見ることしかできなかった。
終わりだ。全部終わった。助けられなかった。
心が冷え、身体の感覚がなくなる。ばらばらになっていく錯覚を覚えたが、それを止める気力はない。
ごめん。俺が弱いせいでみんなを救えなかった。
問答無用で全てを奪い取れる力があれば、全部解決したのに。
消えていく俺の熱。それとは逆に、どす黒い怒りが渚に生まれていた。
彼は落ちているナイフを握って、目を見開く。
「殺す……殺してやる……」
混じりっ気なしの憎悪と殺意が、渚の全身から漂う。
手は震えているが、刃先は鷹岡を狙っていた。
「そうだ。そうでなくちゃな」
鷹岡はにやにやと笑っている。
純粋なタイマンなら万が一にも負けない。ここで鬱憤を晴らしてやるとでも思っているのだろう。
思惑にはまってたまるか。渚はお前の玩具じゃない。
「待て、渚。殺したい気持ちは死ぬほどわかる。だが殺すな」
「なんで!? みんなが弄ばれて、國枝くんもこんな目に遭って……なんでここで我慢しなくちゃいけないの!?」
視線は鷹岡から外さず、渚は叫んだ。
「殺すってのは、それくらい馬鹿なことなんだよ。一時の感情で、その後の人生が滅茶苦茶になってしまう。そのクズに、お前の人生を賭ける価値はない」
「でも!」
渚の反論は、急な衝撃で遮られた。
寺坂が投げた警棒が当たったのだ。
「渚ァ! テメーここに何しに来たんだよ! そいつを殺しに来たんじゃねえ、全員を助けに来たんだろうが。だったら、そいつにはもう用はねえ。適当にぶっ飛ばして戻って来い!」
俺の言葉の先を、寺坂が紡ぐ。
そうだ。わざわざ相手の有利なフィールドに立たなくていい。
無意味に殺害しなくていい。
奴を無力化して、渚がこっちに戻ってくればそれでとりえずこの場は収まるんだ。
「その通りです、渚くん。その男にはウイルスの知識はない。下の毒物使いに聞きましょう。間違いたくなければ、スタンガンを拾いなさい」
渚は少しの間考え、警棒を拾ってベルトに挟んだ。
手に持っているのは相変わらずナイフだけだ。
「ナイフ使う気満々だな。安心したぜ。スタンガンは、お友達を立てて拾ったってところか」
鷹岡はそんなことを言うが、俺の見解は違った。
先ほどよりも、渚の表情が変わっている。殺意はそのままに、しかし激情はごっそり消えていた。いいや、隠してるんだ。
冷静と憤怒の間、最も能力が出せるところに心を落ち着かせている。
全員が固唾をのんで見守る。
この闘いにゴングなんてない。勝負でもない。やるかやられるかの潰し合い。
潰す側は、もちろん鷹岡だ。
渚もナイフを振るが、油断のない軍人相手に素人のそれが届くわけもなく、いなされて攻撃を受ける。
顔だろうがどこだろうが、構わずに蹴る、殴る、叩く。鷹岡の重い一撃が何度も繰り返され、渚を弱らせていく。
直視に耐えない。だが目を逸らすのは許されない。
あそこで命を張ってるのは、他の誰でもない、E組の潮田渚だからだ。
「烏間先生! もう撃ってください!」
茅野が耐えきれずに懇願するが、烏間先生は首を横に振った。
「……できない」
「どうして!?」
「撃てない。鷹岡と渚くんが近すぎる」
お互いが触れる距離。風も吹いてる。そうでなくても、鷹岡がこちらに気づいて渚を盾にする可能性も大いにある。
鷹岡にとって渚は復讐の対象であり、同時に人質。この闘いの場面では、銃は使えない。
だが……
「へっ。見たかよ、國枝。渚のやつ、やるみたいだぜ」
「ああ。成功しても失敗しても、次で決まる」
寺坂と俺は確信めいたことを口にする。カルマが怪訝な顔で見てきた。
「なに、もしかして毒って幻覚も見せるの?」
「ちげーよ馬鹿。てめーは特訓サボってばっかだったから知らねーんだよ、あいつの技」
渚がよろよろと立ち上がる。不思議なことに、その顔は笑っていた。
「俺ぁ散々練習台にさせられたぜ」
風が止んだ。
それと同時に、渚の纏う感情も凪ぐ。それまであったはずの滲み出る怒りや憎しみが感じられない。
ただ、恐ろしいまでの純粋な殺意が鷹岡に向けられていた。
正面に立っていれば身が竦んでしまうほどの殺意は、銃を撃とうとした烏間先生の指も固める。
アレが出る。あの技が。
渚はゆっくり、ゆっくりと鷹岡との距離を詰める。武器を見せ、殺意を増しながら。
それまで意気揚々と虐めていた鷹岡が、反射的に防御の態勢を取った。
渚が近づくにつれ、鷹岡の視界は狭まっていく。渚の手にあるナイフに意識が向く。
無理もない。一度は自分を死の直前まで追いつめた男の、本気の刃物だ。
前回負けた時の、目隠しされたせいで視界が封じられた時の闇と、同時に突きつけられたナイフの冷たい感触がよみがえっていることだろう。
その恐怖が、目を刃に釘付けにさせる。
本来、刃物を持った相手と戦う時に、その切っ先を注視するのはよくない。
力を込める瞬間の表情、あるいは初動で動く肩、軌道を見せる腕……そこらに注意すれば、リーチの短いナイフくらい、慌てて引いて避けるくらいはできる。最悪でも、少し切られるくらいだ。
だが先端が動いてから避けようとすると、どうしても後手に回った動きになってしまう。
反射的に身が危険を感じても、かわせるわけがない。
だが鷹岡はそれをしてしまった。
せざるを得ないほど、渚に追い込まれてしまった。
それこそ、渚の必殺技の発動条件。
相手が恐怖しているところ、その間合いのわずか外側……この瞬間、殺意のこもった武器を捨て去る!
恐怖、困惑、脅威、狼狽、警戒、混乱……感情が混じり、頭がぐちゃぐちゃになったこの隙に、渚が両手の掌を、鷹岡の目の前で勢いよく合わせる。
パンッ!
空気が震えた。
ここから見れば、ただの猫だまし。
しかし、食らった本人からすれば、眼前で爆発が起きたのと同じくらいの衝撃。
そんな衝撃に煽られるように、遅れて避けるように上半身を逸らすが、頭の中は真っ白で、今なにをされたのかも理解できていないだろう。
これはもはや闘いでも殺し合いでもない。
『戦闘』から『暗殺』へ。渚が闇の中へ鷹岡を引きずり込んだ。
致命的な数秒の隙。
見逃さずに、渚はもう一つの武器であるスタンガンを抜く。
第二の刃は、果たして鷹岡の脇腹に命中した。電撃が身体を襲って、麻痺痙攣をおこす。
膝をついた鷹岡は、命乞いをするように渚を見上げる。
当の渚は爽やかに笑って、鷹岡の首に警棒を押し当てた。
その間も、渚はずっと笑顔のままだった。
必殺技を試せたからか、思い通りに大人を倒せたからか、なににせよ鷹岡の目にその顔が張り付く。きっと、それが剥がれることはないのだろう。
「鷹岡先生、ありがとうございました」
言うと同時、むき出しの首へ電流を流す。
鷹岡は何秒か痙攣して……倒れた。
「よっしゃあ!
みんなが、わっと活気を取り戻す。
近くにあった予備のはしごをかけて、烏間先生がいの一番に渚のもとへ駆け寄る。
鼻から血が出ていたり口の中が切れていたりしているが、どうやら骨は折れていないようだ。
全ての元凶が気絶してほっとしたいところだが、治療法は失われてしまった。
勝利を手に入れられたのか、それとも負けたのか。そんなことわかりきってる。
俺たちの負けだ。
「いまヘリを呼んだ。君たちはここで待機していろ。俺があの毒使いを連れてくる。必ず解毒薬を作らせよう」
「その必要はないぜ」
烏間先生に返したのは、俺たちじゃない。その声に、E組は一斉に振り返った。
いつの間にか、下で倒した暗殺者たちがやってきていた。
来るにしてももっと時間がかかると思ってたのに……全員この場に揃ってやがる。
まずい。一人ひとりが相手だったからなんとかなったものの、勢揃いだと分が悪い。
回復した烏間先生が一人を倒せても、その間にこっちの五人が殺されてしまうだろう。
「この……野郎……」
まだやるってなら、やってやる。
俺は拳を構えて、みんなの前に出た。
「『影』」
『影』と呼ばれた暗器使いは、俺の手を捕まえて肩を掴み……抵抗の暇も与えずに俺を座らせた。
あっけにとられた俺は立ち上がろうとするが、身体に限界が来てしまったようで、少しも動かない。
「落ちつけって、安心しろ。お前たちは死なねーよ。言っただろ、『その必要はねえ』って」
毒使い『スモッグ』が俺の肩をぽんと叩いた。
「お前たちに飲ませたのはこっち、食中毒菌を改良したものだ。命に害はねえ」
液体の入った瓶をこれ見よがしに振る。さらに、それとは違う、錠剤の入ったのを俺に手渡してきた。
「こいつを飲ましてやれ。前より元気になるぜ」
「どうして……」
暗殺者たちの変わりように、俺たちは驚いた。
「もともとボスは、解毒剤を渡す気なんてなかった」
「たかだが数時間の交渉……なら、中学生を殺さなくてもできる」
唖然とする俺たちに、暗殺者たちは続けた。
「俺たちにもプロのプライドってのがあるんだよ。ターゲットはあくまで超生物。カタギの中学生は俺らが殺す相手じゃねえ。他の暗殺者たちと多少なり縁があるなら、お前らにもわかるだろ?」
「だから信じろってか?」
「信じようが信じまいが、これが事実だ。明日には全員ケロっとしてるぜ」
『スモッグ』はにやりとしているが、その目は真剣そのものだ。彼だけじゃない。『グリップ』も『ガストロ』も『影』も。
俺はため息をついた。
単純に信じてしまうわけにもいかないが、嘘を言っているようには見えないし、ここでこんな嘘をつく理由もない。
「……信用するかどうかは生徒たちが回復してからだ。それまでは拘束させてもらうぞ」
「ちっ、しゃーねーな」
烏間先生が呼んだタンデムローター機が近づいてくる。羽音が近づいてくるにつれて、終幕を感じる。
なんだかんだで、全部終わった……ってことでいいんだよな?
ヘリが突風を引き連れて到着したころには、俺たちの間に殺気はなく、安堵の空気が流れていた。
俺もその場に座り込んだまま、なるように場の流れを任せる。
暗器使いは俺を見下ろす姿勢のまま、髪をぐしゃぐしゃと崩してきた。
「お前は強い。俺が手加減できなくなるほどにな。すまない。ここまで傷つけるつもりはなかった。なんにせよ、お前には完敗だ」
そう言うと、彼は俺に手を伸ばしてきた。俺は掴んで立ち上がる。
「死ぬなよ少年。人間、身体も心も折れる時は一瞬だ。悔いを感じる暇もなく、本当に一瞬だ。だから生き抜け。そこにいる奴らと共に生きたいと願うならな……なんて、俺が言えたことじゃないか」
暗殺者として、死に行く人間を見てきたからの言葉か。
それとも……大人としての忠告か。
「さらばだ、少年。二度と会うことはないだろう」
「俺もそう願うよ」
唸りを上げ、暗殺者たちを乗せたヘリが飛び、遠ざかっていく。
その機影が見えなくなってもしばらく、俺は動けなかった。