夜の校舎。
非科学的な存在が出るんじゃないかと思うほど不気味な静けさ。
そのすぐ外に、下卑た笑いを浮かべる大人が一人。
そいつが何かをする前にたどり着けた俺は、すぐさま前に立って妨害をする。
「よう、この間ぶりだなぁ」
「鷹岡ァ……」
その男、鷹岡は突然俺が現れたのにも関わらず、余裕の表情をそのままににやけた。
「そう睨むなよ。丸腰の男相手に」
その通り、鷹岡はカーゴパンツにタンクトップという出で立ち。だが相手は元軍人。身体が武器となりうる。
「お前が俺たちに何をやったのか覚えてないはずはないよな」
「ああ、おかげであのガキの顔が離れねえんだ」
がりがりと、鷹岡は自分の顔を掻き毟る。
普久間島でも見せた、イライラが頂点に達した時の癖だ。
「起きてても寝ててもあのガキの笑った顔が目に焼き付いて襲ってくる。今度こそ、今度こそぶっ潰してやる。賞金なんて二の次だ」
「夏祭りに来てたら会えたぞ」
「それだとあのタコに邪魔されるだろ? 封じるためにはまず人質を取らないとな」
内心舌打ちする。
激情家のくせに、変なところで冷静だ。
標的へ何をすればダメージを与えられるか、そのためには何が必要かを見極めている。
こういうのが一番厄介なんだ。
倫理の回路が切れてるくせに、やることはきっちりしてやがる。
「夜の校舎で遊ぶやつが何人かいるんだってな。ま、いなくてもあの箱に爆弾でも仕掛けりゃ、生徒思いの先生は手出しができなくなっちまう」
律のことか。
最先端技術の結晶を壊してしまえば弁償なんてもので済むわけがないが、そんなことはもう奴には関係ないのだ。
「復讐が終わったら、じわりじわりと一人ずつ殺してやるよ。みんな寂しくないままめでたく卒業だ」
「鷹岡ァ!」
怒りのままに俺は駆け出し、がっしりとした身体へタックルする。正面から受け止めた鷹岡は、一瞬よろめいたものの両足でしっかり立っていた。
鷹岡は強い。
地力と鍛錬、そして経験に裏打ちされた戦闘能力への自信。
渚はそれを、『暗殺』という舞台に上がらせたことで無力化した。だが俺にはそんなことできない。この身ひとつで戦うことしかしてこなかったのだから。
しかし退くわけにはいかない。
強くなると決めた。一人で戦い、全てを薙ぎ倒すと決めたんだ。力量の差があろうが、ここで奴を倒す以外の選択肢はない。
腹部への殴打にも、鷹岡は怯まない。打撃を受ける箇所に力をこめれば、急所へのダメージも著しく軽減される。
対して俺が受ける場合、圧倒的な筋力の差のせいで、防御しきれない。
潰し合うくらいに遠慮のない殴打の応酬のなか、お互いに攻撃を受けた回数はほぼ同じだが、俺が不利なのは明らかだった。
ならばと喉元を狙った突きもかがんで避けられ、そのまま身体を持ち上げられる。じたばたと抵抗しても、鷹岡は意に介さない。
「うおおおおお!」
雄たけびを上げながら、鷹岡は俺をぶん投げる。
E組教室の窓にぶつけられた俺は、派手にガラスを割りながら教室の床に叩きつけられた。
ガラスの破片がいくつも刺さったのがわかる。
よろよろと立ち上がると、鷹岡もガラスを踏みながら入ってきたところだ。
腕を前に構えて、相手の動きを待つ。
俺のふらふらとした状態に油断したのか、次の鷹岡の動きは単純だった。
トドメのつもりだった大きく引いてからのパンチを避けつつ、腕と肩を掴んでから浮いた足を引っかける。
背中から床に衝突した鷹岡もこれでガラスまみれだ。間髪入れず馬乗りになって、何度も顔面にパンチを入れる。
「なめるなよ、ガキが!」
その表情にドス黒い怒りを感じたときにはもう遅かった。
みぞおちに鷹岡の拳がめり込む。胃が逆流する感覚と身体に穴が開いたような痛みに襲われ、嗚咽を漏らす。
続いて容赦ない蹴りが、俺の顔面を潰すように飛んできた。
吹き飛んだ俺の身体は片岡の机だけでなく、その隣の菅谷のも巻き込んで倒れさせる。
暗い教室の中、ちかちかと目の前で星が瞬いた。
横転した菅谷の机に手をつきながら、ようやくのことで立ち上がる。その瞬間、後ろから頭を掴まれ、何か固いものにがつんとぶつけられた。
気絶の一歩手前で、それが俺の机だと理解する。身体どころか、頭も働かなくなってきた。
だが倒れさすことを許さず、鷹岡は俺の肩を掴んで正面を向かせた。
ふっと息を吐いての回し蹴りを、腕を前に出して防ぐ。衝撃で俺の身体は吹き飛び、大きな音をいくつも立てて、机が倒れていく。びりびりと腕が痺れ、全身が熱く感じられる。
反対側まで転がった俺の身体は、寺坂の机の前でようやく止まった。
突き刺さったガラスの破片が、さらに深くめり込んだ。
手放せばいとも簡単に切れてしまいそうな意識の糸を手繰り寄せる。それを許さないように、鷹岡は俺の腹を何度も蹴り上げた。
「おら、おら、おら!」
「やめてください!」
鈍い音だけが響く中、悲痛の叫びがこだました。
教室の隅で光が灯る。律だ。
普段なら静かなはずなのに、異様な音が聞こえるのに反応したのだろう。
「あぁ? そうか、ここにはお前もいたなぁ。お前目当てで来たってのにすっかり忘れてたよ」
がしゃり、と大仰な音がして、律が武器を出す。だが鷹岡はすぐさま俺の頭を掴んで自分の前に持ち上げた。
「所詮BB弾だが、虫の息のこいつに当たればどうなるかな」
「……っ」
俺を盾にされて、律は動けない。
市販で売られているエアーガンでさえ歯を砕き、目を潰し、そうでなくても当たれば内出血を起こさせるほどの威力がある。
それがマッハ20の怪物を捉えるために強化された銃ならなおさら危険だ。
「武器を収めろ。じゃなけりゃこいつを殺す。安心しろ、大人しくすればこいつを病院送りで済ませてやるよ。俺の狙いは、あくまであのタコとクソガキだけだ」
律は数瞬迷ったあと、うめき声を上げるだけの俺を見て武器を収納する。
もし喋るだけの元気が残っていれば撃てと言ってたが、息をするので精一杯だ。
「お前もわかったな? 人質になってくれりゃそれでいい。これ以上痛い目見ずに済むぜ」
ぱっと頭を離され、鷹岡が大きく腕を広げる。
歓迎のつもりか? こいつはまだ家族ごっこをしているつもりなのか?
俺は彼の肩に手を置く。鷹岡はこれを好意的に受け取ったようで、俺を安心させるためか家族ごっこのときの顔に戻った。
そうして隙のできた顔面へ拳を叩き込む。
渾身の一撃は鼻を折り、血を噴き出させる。
俺はさらに椅子を踏み台にして跳躍、つま先を素早く鷹岡の顎に当てる。
攻撃を受けた彼も、限界の身体に無理をさせた俺も派手に床を転がった。
固い床に、受け身も取らず衝突したせいで、肺の中の空気が一気に吐き出される。
咳き込みながら起き上がって膝をつく。
新鮮な空気とはっきりした視界を求めて顔を上げると、何かが迫ってきているのに気が付いた。よける暇も力もなく、ぶつかる。
俺が倒れるのと少し遅れて、その何かが近くに落ちた。
誰かの机だ。投げられたせいで中身が露わになり、教科書などに加え、終わったテストのプリントなどの必要ないものが床に散乱する。
持ち主はかなりずぼらな性格のようだ……と、痛みが過ぎるためか、戦闘とは関係のないところへ意識が向く。
この机は寺坂のだ。教科書やノートに書いてある名前で気づいたんじゃない。彼だけが持っているものを見つけたからだ。
学校にこんなもん持ってくんなよ。心の中で毒づきながら、俺はそれを掴む。
「わかったよ。お望みどおり、痛めつけてやる。死なない程度にな!」
倒れたままの俺に追撃しようと、鷹岡はまた思いきり足を引いた。
ボールを蹴るように俺の顔面を捉え、骨を折り、意識を刈り取る……はずだった。
俺は掴んだ棒状のもので弾き、もう一方の軸となっている足にそれの先端を触れさせ、スイッチを押した。
「うああぁっ!?」
悲鳴を上げ、後ずさったのは鷹岡だった。
俺が拾ったのは、夏休み合宿で寺坂が持ってきていたスタンバトンだ。
そういえば、あのときからまだ殺せんせーに電気を試せていない。隙あらばやってやろうと準備していたのだろう。それがいま役に立った。
倒れた姿勢のままの俺を前にして、不思議と鷹岡は動いていない。
電気のショックよりも他のことに怯えている様子が引っ掛かった。
朦朧とした頭でも、答えはぱっと出た。スタンバトンで電気を流されたことで、あの時の恐怖が蘇ったのだ。
普久間殿のヘリポート、そのときの渚との戦い、いや一方的な暗殺。
今、奴の脳裏には渚の笑顔が張り付いていることだろう。あの時のトラウマが瞬時に鮮明に蘇っているのだ。
勝機が見えたことで、俺の身体は動き出した。
震えている相手の膝裏を叩いて、跪かせる。間髪入れずに喉元へ……と思ったが、寝たままの体勢では届かず、胸に電流を流した。
悲鳴を上げながら痙攣する鷹岡は倒れることすらできず、その場でただ呆けるように天を仰いでいた。
俺は立ち上がって、その視界に入る。
「く、くそが……」
まだ気絶はしていない。それどころか彼の顔は怒り一色に染められている。
「くっっそがぁ! なんでだ! なんでてめえらは揃いも揃って俺の邪魔ばっかするんだ!」
身体は動かず、しかし感情をぶちまける鷹岡。
「俺はただ、お前らに教えて、タコを倒させようとして、烏間より上だってことを証明したかっただけなんだ!」
その言葉を聞いて、俺まで怒りのボルテージが上がる。
こいつの自尊心のために、普久間島でもここでもE組は危険にさらされた。あの時の毒が本物だったら、E組の半分が死んでいたのだ。
勝手だ。どいつもこいつも、どこかの誰かを落としている。
もうたくさんだ。
「何度でも襲ってやるぞ。お前ら全員殺して、烏間も殺してやる。当然あのタコもだ。俺が生きてる限り、どこからでも抜け出してお前らを殺してやる!」
それ以上、鷹岡を喋らせる気はなかった。
スタンバトンで、あるいは拳で何度も何度も暴力を続ける。
合宿のときに俺が与えられなかった痛みをしっかり味わわせるように、一発一発を力の限り振り絞って。
腕を思いきり振り上げ、脳天をかち割る勢いで振り下ろした。
ガツンという鈍い音とともに、鷹岡がどさりと倒れる。
馬鹿が。これくらいで倒れてんじゃねえ。
鷹岡は頭から流血し、だらんと力が抜けている。それで許す気は到底ない。
首を絞めるように掴みながら、顎を、歯を、鼻を、砕けるところは全て砕くつもりで殴る。
意識がない相手を痛めつけていると、修学旅行の時を思い出す。
痛みを受ける覚悟もないのに、他人へは簡単に傷を残そうとする。こういう奴らはいつだってそうだ。
「やめてください。もう気絶しています!」
律の言葉が、俺を止める。
――気絶で済ませていいのか。こいつがどれだけ危険な存在かわかってるだろう。
感情がそう訴えてるけれど、拳を振り下ろせない。
E組を守るため。それを理由に人を殺してしまえば、責任の一端をE組に背負わせることになる。
俺が勝手にやったことだとしても、そう感じてしまえば、俺の中ではそれが真実となる。
だから殺すことは……一線を越えることは意地でもしなかった。それを、こんなくだらない男のために無駄にするのか?
――殺してしまえばいい。特殊な能力のない俺が強くなるにはそれしかない。E組を守るのはそれしかない。倫理観を取っ払って、するべきことをしろ。
「お願いです……」
――生かしてどうなる。これまでの傷と、これから起こりうる被害を考えろ。クソ野郎の命をその手で奪うことに、なんの躊躇いがいる?
「私はそんなことをする國枝さんを見たくありません!」
今までの俺の理性と、今の俺の衝動と、律の言葉。
頭の中がぐちゃぐちゃになって煮え立っている。
――殺せ!
「やめてください!」
「うおおおおおおおおお!」
獣の咆哮をあげ、俺は……鷹岡を離した。
吐きそうなくらい叫び続けて、底から貌を見せる狂気を振り払う。
喉が枯れて酸欠になると、くらくらしつつも落ち着きを取り戻せた。
鷹岡の大きな身体を見下ろして、自分の中の激情が恐ろしくなった。
人を殺すなんて、そんなことしたくない。俺にはそんなこと出来ない……はずだ。しかし、もう少しでやりかけた。
頭がそれをよしとした。殺すことを正当化するようなことさえ考えた。
よかった。本当の本当に危なかったけど、なんとかなった。だが俺はもう……限界だ。
緊張と力がぷつんと切れ、俺は鷹岡の横に倒れてしまう。
「國枝さん。國枝さん!」
律の声が響くが、それに応えることはできなかった。
指一本すら動かせない。痛みは鋭く、あるいは鈍く訴えてくるのに、頭は朦朧として現実が遠ざかっていく。
「國枝さん!」
その声を最後に、俺の意識は途切れた。