熱を持った全身が、動くたびに痛みを訴えてくる。
普久間島で切り刻まれたときよりも熱く、重い。まぶたを開けることも苦痛だった。
いつの間にか運ばれたのだろうか。ベッドに横たわってることに驚いた。
律が誰かに連絡してくれたのか? いや、しかしここは……病院じゃなく、誰かの家だ。
窓から差し込む淡い光が部屋を照らす。まだ夜か。それとも一日経ったか。
起き上がろうとして、ズキリと走った痛みに耐えきれず床に転がってしまう。
その音を聞きつけて、足音がどたどたと近づいてくる。
「もー、ダメじゃん。ちゃんと寝てないと」
扉を開けて開口一番、明るい声と顔が入ってくる。
E組の誰かかと思ったが、そいつは予想外の人物だった。
「立花……?」
「はーい、立花風子ちゃんですよ。おはよ、響くん」
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「これは……いったいどういうことだ?」
律に呼び出されてE組の校舎に赴いた烏間は、散乱するガラスとあちこちに吹き飛ばされた机やイスを見て驚愕した。
なにより、血だらけで横たわる鷹岡の大きな体を見た時には、さしもの彼でさえ一瞬こわばったくらいだ。
ここに来る途中で、律からある程度の話は聞いていた。國枝が鷹岡と戦って、いまにも死にそうだと。
すぐさま駆けつけたが、問題の國枝の姿がない。
「烏間先生……國枝さんが、國枝さんが……」
教室の隅から律の声が聞こえる。彼女らしからぬ焦りを含んだ声だ。
「律、これはいったい……」
「鷹岡さんが私を人質にしようとして……國枝さんが助けに来てくれたんですが……國枝さんも倒れてしまって……」
「國枝くんはどこに?」
目を伏せるそぶりをして、律は唇を震わせた。
「『レッドライン』が連れて行ってしまいました」
▲
「ここは?」
「私ん家」
頭がはっきりしていたら理解できただろうか。
俺は校舎で鷹岡と戦い、倒れて……そのあと立花の家で目覚めた。
どう考えても、前と後ろの関係性が見えない。
E組の誰かの家ならわかる。病院のベッドの上でも、あるいはどこか別の施設でもいい。それなら、律が誰かを呼んだのだろうと理解できる。だが、なぜ立花が……
答えを知っている人間が目の前にいるのだ。俺は考えるのをやめ、素直に質問することにした。
「これはお前が?」
俺は自分が寝ているベッドと、身体に巻かれている包帯を指差した。
「そ。E組に行ってみたら、血だらけで倒れてるキミがいたから、頑張って運んだんだ。いやあ、重いこと重いこと」
「なんでお前が……」
上半身を起こそうとすると、ずきりと全身が痛んだ。
「おっと、まだだめだめ。いっぱい怪我してるんだから安静にしてないと」
「鷹岡がどうなったのか確認しないと……」
押しとどめようとする立花に抵抗して、俺はベッドの上に座り直す。
どこもかしこもじんじんと、熱と痛みを訴えてくる。立とうとしても、身体がそれを許してくれない。
「ああ、あれ、鷹岡って言うんだ。隣で倒れてた男の人」
「あいつは?」
「しーらない。興味ないし。誰が倒れてようが死んでようが、それが響くんじゃなければどうでもいいよ」
立花は当たり前のように言った。
中学生が持つにはあまりにも荒廃した倫理観。俺が恐怖を覚えた自分の衝動よりも先の領域。
「なんでE組に来た」
「なんか急いでる響くんを見かけたから、まずいことが起きそうだなーって。で、尾行したの」
「まずいこと?」
「だって、自分を傷つけてみんなを守る『貌なし』でしょ?」
心臓が跳ねる。
唐突な突きつけに、俺は動揺を隠すことができなかった。
こいつはそれを知っているはずがない。
俺が鷹岡と戦った時、『貌なし』の装備を着ている余裕はなかったから、私服のままで行った。げんに、今もそうだ。
なのにこいつは、確信を持った目で俺を見てくる。
「なんで……」
「知ってたよ。キミと殴り合いしたときにね」
いや、お前と殴り合いなんかしたことない。そう言おうとして、口が止まった。
ごくりと喉が鳴る。
今まで戦った中で、一人だけ正体の知れない謎の人物がいる。
そいつの顔を殴った次の日に、口の中を切ったと言ってきた人物。俺と同じように顔を隠し、夜に出歩き、人を殴るそいつは……
「お前が『レッドライン』だったのか」
立花は頷きこそしなかったが、笑みを顔いっぱいに広げた。
「とっくに気が付いてると思ってたよ。だって私は最初からキミが『貌なし』だってわかったからね」
「最初?」
「そ、最初。私とキミが初めて戦った時から」
すんすんと鼻を利かせ、彼女は恍惚の笑みを浮かべた。
「匂いが同じだもん」
「匂い?」
「そ、匂い」
それが全ての答えだというように、立花は頷いた。
「人より嗅覚が鋭いんだ、私。分泌されるものから感情がわかるくらいにはね」
「だから、俺の正体がわかったと?」
その言葉は、にわかには信じがたい。
俺が鼻を利かせても、近くにいる彼女の匂いがかすかに感じられるだけだ。
なのに、初めて会ったあの日、雨が降っていたのにも関わらず、俺の匂いを嗅げたというのか?
しかもその匂いを頼りに、正体を暴いてみせただと?
「実際、そうなんでしょ。信じられなくても、それが答えだよ」
「だけどそんな……」
「否定できるほど、キミは『人間』っていうのを知ってるの?」
彼女は心底不思議そうに首を傾げた。
「キミが1000人の人間の何もかもを余すことなく知ってるとしても、人類の全体の1%にも満たない。0.015%くらいかな。それで『あり得ない』なんて言うのは馬鹿だと思うけどねー」
世の中は馬鹿ばっかり。そう付け加えて、立花は続ける。
「常識とか当たり前とか、そんなんに縛られてるから『貌なし』や『レッドライン』が中学生だってバレないんだよ。可能性がある・ない、確率が高い・低いじゃなくて、人間の考えうる乏しい限界を超えた存在は、
得意げになって、立花は胸を逸らす。
その言葉に少し惑わされそうになる。
殺せんせーや……いや、烏間先生やビッチ先生だって俺の常識外の人間だ。今でこそ見慣れたが、ありえない存在が周りにいることで、俺の常識が広がっているだけにすぎない。
そこまで考えて、俺は首を振る。
そのことは……超人的な人間がいることは、今この場では関係ない。
「どうして俺を助けたんだ。お前は俺をぶっ倒したいんじゃなかったのか」
腑に落ちないところはそこだ。俺と『レッドライン』は敵どうしのはず。
校舎で倒れている俺を見つけて、さらに痛めつけようとは思っても、助ける必要があるのか?
「うーん、違うんだよなぁ。そこのところを誤解してる。響くんもマスコミも」
やれやれ、というふうにため息をついて、立花は俺を見た。
ぐるぐると混沌が渦巻いている、異様な目で。
「私はね。痛みを与えて、痛みを与えられたいの」
は?
急に変なことを言い出す立花に、俺は唖然とすることしかできなかった。
「私のお母さんは、いつもいつも私を殴ってきた。嫌だったよ。なんでこんなことするのって何回も泣いた。けどお母さんはやめてくれなかった」
立花はそっと自分の身体を撫でた。そして、服をたくしあげて身体を見せる。
そこには無数の切り傷や痣、火傷がいっぱいに広がっていた。痛覚に訴えてくるような生々しい痕が残っている。
「でね、私気づいたんだ。お母さんはきっと、私を愛してるからこんなに傷をつけてくるんだって。大切な人に消えない傷を刻み込むことで、至上の愛を示す。自分の存在を刷り込む。痛みが強ければ強いほど、愛も強いんだってわかったの」
その時のことを思い出しているのか、立花の目は底なし沼のように濁りはじめ、口の端は大きく歪む。
「だからね、私もお返しにいっぱいいっぱいお母さんを殴ったんだ。それまでの分も含めて、私の最高の愛情を示したの。そしたらね……そしたら、お母さん動かなくなっちゃった」
ぞくぞく、と立花の身体が震えた。
罪悪感? 後悔? いいや、快感だ。その当時のことを思い出して、こいつは悦に浸っている。
「おかしいよね、私はお母さんの愛をずっと受け止めてきたのに、お母さんは私を受け止めてくれなかった。結局、お母さんはそこまでの器しかなかったんだよ。私に愛を示しても、私からの愛は受け止めきれない。私の愛を受け止めてくれる人はきっといる。絶対いる。絶対見つけだしてやるって何人も何人も襲ったよ」
狂ってる。
話を聞くほどに気分が悪くなって、吐きそうになる。
立花の母は、怪物を作り出した。対処できないほどのケダモノを。
痛みに耐えかねての自己防衛か、それとも本当にそれが真実だと思い込んでいるのか、立花は感情のままに身をねじる。
その狂気の笑みは、俺に向けられた。
「そんなとき、『貌なし』と出会ったんだ。私の愛を受けて、しかもたくさんの痛みを与えてくれる人」
「あれ以降『レッドライン』が姿を見せなくなったのは……」
「運命の人が見つかったから。もう無駄に探す必要もなくなったからだよ」
立花が俺の頬に手を添える。
「キミは私の運命の人。私の足りない部分を埋めてくれる人。キミもそう思うでしょ? 痛みが、痛みこそが生きてる証だと考えてる。つけられた傷のぶんだけ、倒した人の数だけ、自分が何かの役に立ってると思ってる。ね、ここで傷つけあってさ、骨も折って肉も砕いて、立てなくなったら倒れて、そのまま死んでいこうよ」
愛を訴えるように、曲がった主張を真剣に伝えてくる。
「耐えられないくらいの痛みを刻み合って、一緒に死のう?」
その動きに、表情に、目に嘘はなかった。
本当に彼女と俺が望めば、この場に最低でも一体の死体が出来上がることになる。
しかもどちらにしても彼女はこれ以上ない笑顔になるだろう。
だが……
「断る。俺は人を殺す気はない」
俺は彼女の手を弾く。当然の答えだ。
俺は誰を殺す気もないし、今は死ぬ気もない。
越えてしまえば終わりの一線を跨がないくらいの正気は、まだある。ギリギリだけど。
「このままじゃずっと独りだよ? 誰も響くんの本当のことを知らずに、知ったふうな顔で、友達みたいにすり寄ってくるだけだよ?」
立花はむっとした表情を向けて、問答を続ける。
「それは……俺がみんなに話していないからだ」
「言っていようといなかろうと、キミを本当に理解しようと思えば、無理やりにでも手を引っ張ってくれるはずだよ」
その瞬間、腹が裂けたかのような痛みに襲われた。
ほぼノーモーションから、立花が俺の腹を殴りつけたのだ。
俺の身体は、その一撃に耐えきれず床に倒れてしまう。
「ほら、こうやって傷ついても、誰も助けてくれない。誰も本当のことを聞いてくれないし、言わせてくれない。キミの中にある大きな闇を一緒に抱える覚悟がないから。その気がないから。『決心がつくまで無理に聞き出さない』なんて、いま解決するつもりのない人が言う常套句だよ」
彼女は俺の上半身を持ち、無理やり持ち上げて再びベッドに座らせる。
今の攻撃でぐったりとなってしまった俺はなすがまま。せめてもの抵抗として、ぐらつく身体を腕で抑える。
「E組の人たちはね、響くんが独りで戦うのを嫌ってるふりして、結局全部キミに背負わせてる。これはみんなが望んだことなんだよ。響くんが苦しんでいるのを嫌悪しながら、その状況を作り出したのは周りのみんな。みんなが良しとして、キミも受け入れた」
「俺が?」
「とぼけても無駄だよ。やめられないんでしょ。もう戻れないところまで来てるんでしょ。痛みを感じることでしか、生きている実感が味わえなくなってるんでしょ」
なにをふざけたことを言ってるんだ。まるで、まるで俺が暴力衝動を持っているみたいに言うな。
そう思いつつ、俺はそれを強く否定できずにいた。
鷹岡を前にして溢れだした殺意が、未だにこびりついている。
「私と響くんはとっても近くて似ているんだ。私ならキミの暴力を受け止められる。キミを理解してあげられる。キミが傷つくのを否定しないし、傷つけてあげる。罪悪感もなにも感じる必要はないよ。私とキミは愛し合える。キミは『レッドライン』を止めることができて、社会の役に立って、生を感じられる。だから、ねえ、傷つけてよ。心ゆくまで殴って殴って、私のことめちゃくちゃにして。お互いこれが偶然だなんて思ってないでしょ? 傷ついて、傷つけるのことを求めている人間が、自分のほかにもう一人。私たちは互いに互いを求めてる。こんなに、こんなにお互いがかっちりはまった関係なんて他にないよ」
やめろ。
お前の過去には同情するが、俺まで異常な人間だと言うな。
俺は、俺はただE組の助けになれば……
「私たちは歪んでる。お互いが必要なの。私たちしかわかり合えないの。同じ歪んだパーツでしか」
「俺はお前を必要としてない!」
かっとなって怒鳴る。
潰れかけの喉から絞り出した叫びに迫力はないが、否定の意思は十分だ。
認めてはいけない。それだけは認めちゃいけないんだ。
俺の欲望のために、E組のみんなを利用しているだなんて、決して認めたくない。
「頑固だなぁ。じゃあ、少し手伝ってあげるよ。キミが私を殴るのに言い訳できるように」
はあ、とため息をつく彼女は、立ち上がってこきりと首を鳴らす。
「私の事、言ったらいいよ。先生にでも警察にでも。でもキミが誰かに言ったら、もしその気配を少しでも感じたら、E組の誰かを殺しちゃうかも」