貌なし【完結】   作:ジマリス

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45 私の赤

 立花が『レッドライン』であること。それを誰かにばらせば、彼女はE組の誰かを傷つけるかもしれない。

 そんなことを言われて、俺は冷静ではいられなくなる。

 

「お前……」

 

 挑発に乗ってはいけないとわかっている。

 だが、ここで無視もできない。

 立花は俺と戦うためなら、俺と傷つけあうためなら、E組を襲うことに躊躇がないのだ。

 

「さ、どうする? 大切なE組のみんなを殺すなんて言われたら、放っておくわけにはいかないよねぇ」

 

 ずたずたの身体を引きずるように立ち上がる。

 ぐらりと上半身が揺れ、倒れそうになるが、なけなしの力を足に込める。

 

「E組に手を出すな」

「私に命令しても無駄ってことはわかるでしょ? キミがその手で止めない限り、私は止まらない」

 

 にやりと笑って、彼女は俺から一歩遠ざかる。

 

「さあ、『貌なし』こと國枝響はどうするべきでしょーか?」

 

 俺はぎりりと歯を噛んで、拳を固める。

 どうするべきか。それは一つしかない。

 俺が動くしかないのだ。たとえそれが彼女の願う通りだとしても。

 

「そう、それしかないんだよ、響くん。私たちにはそれしかないんだ」

 

 

 律が烏間見せた映像には、確かに『レッドライン』という名で有名になった何者かが、國枝を担ぎ上げて去っていくところが映っていた。

 その名の由来の通り、赤い線の入ったレインスーツ。それだけでは『レッドライン』が誰かを特定することはできない。つまり、國枝がどこにいるかがわからないのだ。

 彼がスマホを持っていれば話は違ったが、鷹岡との戦いで教室の床に落とされていた。

 『レッドライン』に助けられたにせよ、拉致されたにせよ、危険な状況には変わりないのだが、烏間は固まったまま頭を悩ませた。

 

「どうしたらいいんでしょう……みなさんに協力を仰いだ方が……」

「いいや、それはよくない」

 

 烏間は焦りつつも、冷静に返した。

 

「國枝くんの近くには『レッドライン』がいる。生徒たちを巻き込むのは危険すぎる」

 

 『レッドライン』がどこにいるか探すのは、大人の仕事だ。

 とはいえ、単純に人手が足りない。仕方なく、烏間は律の手を借りることにした。

 

「俺はあいつにこのことを伝えてくる。律はSNSやニュースで情報がないか探ってくれ。俺の部下にも連絡を頼む」

「はいっ」

 

 

 狭い部屋は、戦うのには好都合でありつつ、不都合だった。

 避けるスペースがないぶん、俺の攻撃は当たりやすい。だが同時に相手の攻撃も受けやすい。心身ともに傷だらけで疲れ切った俺を、立花は容赦なく叩く。

 意地と気力だけで俺も食らいつき、殴る、蹴る。

 お互いに潰し合うだけのそれは、戦いと呼べるのだろうか。

 べとべととまとわりつく汗と血が気持ち悪い。それでもやめられない。

 

 ここで、ここで立花を止めて……止めて……止めてからどうする?

 こいつを倒して、その後はどうすればいい? 俺はどうしたいんだ?

 誰にも認められずに、俺は……

 

 こんがらがった俺に、彼女はタックルをかましてくる。踏ん張って、ぶつかってくる勢いをそのままに、ベッドに叩きつけた。

 大げさな音が鳴って、それが壊れる。ひしゃげたベッドの上で、抵抗なく倒される立花。その横に俺も勢いついて横たわってしまった。

 このまま眠りに落ちてしまいそうだったが、気を奮って立花の顔を思いきり殴りつける。

 

「えへぇ、やっぱり響くんが一番私のことを考えて殴ってくれる。こんなに、こんなに嬉しいの初めてだよ。こんなに満たされてるの初めて」

 

 お互いの荒い息が静寂にこだまする。暗い闇の中でも、彼女の目は怪しく光っていた。

 

「あのときも思わずくらくらしたもん。まさかこんなに早く埋め合える人に会えるなんて」

「こんなことを続けてたら死ぬぞ」

「わかってないなあ、響くん。私にとって、これが生きるってことなんだよ。キミに殺されることが、キミを殺すことが、生きてるってことなんだよ」

 

 床に手をついて立ち上がろうとする立花の顔に、もう一発拳を入れる。

 素直に殴られるままではいてくれず、彼女は反動で蹴り返してきた。二人とも受け身をとれず、床に転がる。

 息切れに混じるうめき声と笑い声。どちらに余裕があるのかは、一目瞭然だ。

 なんとしても起き上がろうとする俺を抑え、立花は俺に馬乗りになった。

 

「それに、響くんもそうでしょ。こんなこと続けてたら死んじゃうよ。だけど続けてるのはなんでなの?」

 

 俺は黙った。

 体力が底をついたからではない。体調が万全だったとしても答えられなかっただろう。

 自分自身でも、もうよくわからなくなってきた。

 ただ、ぼんやりと、悪を野放しにすればE組が危険に晒されることに危機を感じて動いているだけだ。

 

 彼女は俺に覆い被さった。

 頭が割れたように痛み、どくどくと波打つ。血が出ていてそうなっているのか、それともただの脈動か。区別がつかないほどにぐちゃぐちゃになってしまっている。

 

 立花は俺の頭や口から出ている血を手で拭って、自分の顔に塗り付け、俺の頬にも擦り付けてきた。

 両者の顔に、身体に、赤い線が刻まれる。

 

「ね、すごい鼓動でしょ、どれがどっちの血かわからないでしょ。これがすっごく気持ちいいよね。ね、いま、私とキミに境界線なんてないんだよ。おんなじ。融けて、混ざり合ってる。この感覚、わかるよね?」

 

 わかるか。わかってたまるか。

 俺はお前とは違うんだ。違うはずなんだ。違っていてくれ、頼むから。

 

「ね、殺して。殺してよ。めっちゃくちゃに掻き乱して、ありえないくらい痛めつけてから殺して」

 

 立花の目はいっそうぎらついて、俺を捉えた。固く握りしめられた拳が振り上げられる。

 それを受ければ、俺は再び意識を失うだろう。

 そして俺が眠りこけている間に……こいつはどうする? 俺を殺すか、他の誰かを襲いに行くか。

 

 なんだっていい。頼む、動いてくれ。

 

 願いが通じ、動いた身体が振り下ろされるパンチを受け止めた。

 それを握ったまま引っ張って、彼女を床に落とす。うつぶせに倒れた彼女の首に腕を回し、そのままホールドした。

 

「ひびきく……」

 

 乱されないように、言葉を発させないようにぎりぎりと締め上げる。

 タップをするでもなく、じたばたと暴れるでもなく、しかしぞくぞくと快感に身を震わせているのがわかった。

 

「あ……がっ……これ、これっ……」

 

 立花の手が俺の腕を掴む。がっちりと爪が食い込んで、裂けそうなほど痛い。

 それは腕をはがすための手ではなかった。抵抗の力じゃない。

 この期に及んでも痛みを与えるためだけの、彼女なりの最大の愛情表現だ。そう理解してしまって、少し染まってしまったような恐怖を振り払うために集中する。

 びくびくと身体が痙攣する立花に、俺は容赦なく力を強める。

 

「すごい、いいっ……これぇっ」

 

 潰れそうな声を発しながらも、喉から漏れる声は恍惚に満ちていた。

 

「ひびき……く……もっと、もっ……」

 

 がくん。

 糸が切れたように、立花の身体から急に力が抜けた。

 ぐったりとした彼女からは、先ほどまでの生き生きとした熱は微塵も感じられない。

 俺は力を緩め、急いで彼女の息と脈を確かめる。

 ……よかった。生きている。

 

 俺は壊れたベッドを背に、呼吸を繰り返した。喉が収縮して、むせこんでしまう。

 このまま眠りについてしまいたかった。だけど、ここで休み、また目を覚ませば同じことが繰り返される。

 汚れた身体をどうにか引き上げて、力なく立つ。一歩一歩、小さく前へ進む。

 意識は途切れ途切れで、目を開けているのか閉じているのかわからなかった。今歩いていることさえ夢なのではないかと思ってしまう。

 

 いつの間に部屋を出て、立花の家を出たのだろうか。辺りはすっかり暗くて、どこを進んでいるのかも検討がつかない。

 不意に、何かに躓いてしまった。小石か、あるいは何もないのに転んだのかも。そんなことはどうでもよかった。

 うつぶせに倒れた身体は言うことを聞かず、一切の活動を停止してしまった。

 這いつくばってでも前に進もうという意思すらも、熱と痛みと暑さに削り取られていく。

 じわりじわりと暗闇が俺の視界を支配していき……俺の意識はその中へ落ちていった。

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