意識が覚醒しても、少ししか光を感じられなかった。
目を開けているのによく見えないのは、腫れているからだ。その他にも、いろいろガタがきている。
細胞が、動くことを拒否していた。
「まだ寝てたほうがいい。ひどい傷なんだからな」
声がしたほうを振り向くと、烏間先生がいた。いつもどおりスーツを羽織って、キリっとした顔。
「ここは?」
「病院だ。君が倒れているのを見つけて、すぐに運んでもらった」
そこでようやく、俺は窓から差し込む光に気が付いた。
立花の家から出たところからの記憶がないが、地獄のような夜で二度気絶し、そしてなんとか生還できたみたいだ。
ぼんやりとした頭で、ゆっくりと生きている実感を噛みしめる。
「鷹岡は?」
「処理した。できるだけの罰を与えるつもりだ。誰がやつを脱走させたかも吐かせる」
俺はため息をついた。
「シロですよ」
「なに?」
「夜の校舎で、生徒が遊んでることがあるのを知ってた。鷹岡はそのことを知る間もなくいなくなったから、誰かの入れ知恵」
痛みにあえぎながら身体を起こす。立花の家で目覚めた時より強い感覚が、俺を締めつけた。
「だがその情報を持っていても、殺せんせーを罠にはめるために生徒を巻き添えにする殺し屋がいないのは今までで証明済み。となれば、なんでもやるようなやつを頼るしかないが、殺せんせーの能力を知らないやつには任せられない。渚への復讐に燃える鷹岡はちょうどよかった」
ちゃんと喋れているのか怪しかったが、烏間先生の様子を見るに、言葉がわかる程度には話せているらしい。
「そして、鷹岡を選んだのは、E組が殺せんせーの弱点なこと、かつ教室に律がいること、かつ殺せんせーの能力を知っている、かつ鷹岡を脱走させることのできる力のある者」
そこまで言わずとも、すでに烏間先生にも黒幕が分かっていたことだろう。
シロだ。生徒は先生の弱点だが、同時に計画の妨げでもあると気づいたシロが、生徒を恨む鷹岡を脱走させた。
俺は深く息を吸って、吐き出す。
「あくまで推測ですけど」
とは言いつつ、確信はあった。
なにしろ、鷹岡が校舎を襲ってくることを俺に教えたのは、シロ本人だったからだ。
何の目的か、単なる嫌がらせか。俺と鷹岡を再び出会わせた。
「まあ安心してくれ。どうせ鷹岡は一生出られん」
「どうだか」
合宿時に鷹岡を牢屋にぶち込んだ時にも、そう思ったのだろう。だが結果は見ての通りだ。
俺は先生たちを……周りの大人を信用する気にはなれなかった。
その様子を察してか、烏間先生は話題を変えた。
「律から聞いた。『レッドライン』に連れ去られていったようだな。どうやって抜け出した?」
俺は黙る。
そのことを説明しようとすれば、『レッドライン』が立花風子だということも言わなければならない。
それがバレて、立花が窮地に追い込まれることになれば、彼女が何をしでかすかわからない。
「どうして、俺たちを呼ばなかった?」
沈黙を貫く俺に、昨日のことを訊いても無駄だと悟ったのか、烏間先生は質問を変えた。
「あなたを呼んで待っている間に何か行動されたら嫌だったからです」
「軍人に真っ向から挑むなんて無謀すぎる」
「わかってますよ」
「わかってない!」
何かを叩くことはしないが、怒鳴る烏間先生。
その矛先は俺に向けられているが、なんだか他人事のように感じる。珍しいものが見れた、だなんてことを考えすらした。
「一歩間違ってたら死んでいたかもしれないんだぞ!」
「大げさですよ」
「大げさじゃない。今の身体を見てみろ」
普久間島での傷も癒えないまま鷹岡と戦って、しかもその後すぐに立花と死ぬ直前まで命を張り合った。
身体のあらゆるところが傷つき、ひび割れ、それでも壊れない。自分でも驚くほどタフだと思う。
「違いますよ。怪我したくらいで死ぬかどうか、を大げさって言ってるんじゃないんです。俺が死ぬくらいで、大げさに騒ぎすぎなんですよ」
「君は……みんなの友達だろう。悲しむ人だっている。俺だって、國枝くんのことは大切な生徒だと……」
「駒ですよ。殺せんせーを暗殺するための一つの駒。殺す気はないですから、駒以下でしょうけど」
俺がそう言うと、烏間先生は愕然とした表情を浮かべた。
「ずっとそう思ってたのか。普久間島のときも?」
また沈黙。
今度のそれには肯定を含んでいることに気づき、彼の肩が落ちたように見えた。
先生たちにとって、E組を取り巻く大人たちにとって、所詮俺は捨て駒に過ぎない。
殺せんせーを殺すための、あるいは殺せんせーの教育の成果を見せるための駒。
駒と指揮者の間にあるのは利害関係だけであり、そこに信頼はない。
「君がやってることは、法を超えてる。正義の行いじゃない」
切り口を変えて訴えてくる。だが見当外れだ。
「正義だなんて一度も思ったことはありません。やるべきことをやってるだけだ」
「君がやるべきことじゃないだろう。危ないことは俺たちに任せてくれたらいいじゃないか」
その言葉にかっとなり、立ち上がる。
「だったら、あんたなら救えたか?」
人を諭すくらいなら、お前はどうなんだ。俺に『貌なし』をやめさせるくらいのことをしてくれたのか?
「修学旅行で攫われた茅野や神崎、普久間島でも何人もが殺されそうになった。鷹岡に気付いて、爆弾を仕掛けられる前に律を助けられたか? カツアゲされかけた竹林は? リンチされそうになったカルマは? 本物の銃弾を受けそうになったみんなは!? あんたなら救えたか!?」
見てただけじゃないか。それどころか、知りもしない事件もあった。
それなのに、まるで俺たちを、俺を知ったような口で叱ろうとするのが頭にくる。
堰切れ、溢れる感情は言葉を荒げさせた。
「あんたは、あんたたち先生は、大人は、俺たちを守ると約束した。その度に何度失望させられたと思う。俺は何度裏切られたらいいんだ!」
ずっと信じてた。
真剣な目で、口調で、俺たちのことを心配してくれたから。約束してくれたから。
一歩間違えたら死んでいた? 俺がやるべきことじゃない?
なのに俺が『貌なし』なのは、お前らが……っ。
……言っても無駄だと、すでにわかっていたはずだ。なのに期待を持った俺が馬鹿だった。
「俺はあんたたちとは違う」
法や倫理や、彼の言うような『正義』がやるべきことを邪魔する。誰もが脅威に気付かないふりをして、血を流すのを躊躇う。
俺は違う。
この世に、頼りになるものはないことを知っている。だから、俺が一人でやるしかないのだ。
心が擦り切れるまで。この身が朽ちるまで。
「何が君をそこまで……」
「世界が危機に陥るとして、それを阻止できるならあなたは何を差し出しますか?」
急な俺の問いに、烏間先生はたじろいだ。
「それはいま……」
「関係あります。答えてください。何を差し出せますか?」
答えはすでに浮かんでいるのだろう。俺が何を言いたいのかも。
それを認めてしまうかどうかを悩んで……
「……何でも」
烏間先生は正直に答えた。
「俺にとっての世界は、E組なんです。ここが自分の居場所だと感じる。みんながそう感じさせてくれた。ここを守るなら、俺も何でも差し出せる。あなたはそれを否定できないでしょう」
烏間先生は俯いてしまう。
俺と同じ、沈黙の肯定。
罰せられる行為だったとしても、正義や倫理を飛び越えて、やるべきことがある。
そのことを、烏間先生は熟知していた。
そんな彼は、俺を引き留められずに見送るしかない。
「新学期早々で悪いですが、今日は休みます」
▲
暗い暗い、太陽が沈みきった夜。
E組校舎の奥、森で、サンドバックを叩く音が鳴り響く。傷口が開いても、構わずに殴り続ける。
じっとしていたら、嫌なことばかり思い出されて、止まっていられないのだ。
上半身に巻かれた包帯はいたるところが赤く染まり、汗と混じって気持ち悪さが伝う。
かさり、と音が聞こえた。
振り向くと、竹林がそこにいた。
「どうしてここを?」
「探し回ったんだ。國枝の家も、街も、ここも」
余計にイラついて、再びサンドバックを殴る作業に戻る。そう、これは作業だ。感情を拳に乗せてぶつけるだけの作業。
「E組を抜けたらしいな」
「……そうだよ」
パンチを繰り出し続ける俺に、竹林は答える。
俺が休みなのを心配する何人かが、連絡をくれていた。竹林がE組を離れ、A組になったということを。
「やっとエンドから抜け出せたな」
「君は何も言わないのかい」
「悲願だったんだろ。親に認めてもらうために、ずっと勉強を頑張ってきたんじゃないか」
彼の辛さはわかっている……とは言えないが、苦労は知っている。
両親が医者で、兄弟も超有名大学の医学部に進んでいる。しかし彼自身は落ちこぼれのE組。
竹林の心が折れそうなとき、何度も話を聞いたことがあった。そのときの表情は、中学生にしては苦々しいものだった。
「医者は努力に努力を重ねてもなれるかどうかの厳しい道だ。俺に構ってる暇なんてないだろ」
たとえ竹林がE組のままだったとしても、俺の心配をする時間なんてない。
せっかくA組に戻れたいまは特に、勉学に励むべきだ。暗殺に使っていた時間が、そのまま勉強の時間に充てられるのだから。
俺は動きを止め、一呼吸してから包帯を外していく。
血と汗で重くなったそれを無造作に捨てて、新しいのを巻きなおす。
「話はそれだけか? ならさっさと帰れ」
言っても、竹林は動かなかった。
「君が僕に話しかけてくれた時のことを覚えているかい?」
代わりに、そんなことを言う。
覚えていないはずがない。あれは、E組になってからすぐのことだった。
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「僕の……おすすめのアニメ?」
「最近アニメにはまっててさ。竹林が詳しいって聞いたから、おすすめのやつとか教えてくれないかと思って」
『貌なし』として活動を始めた当初、夜に跋扈しては興奮して眠れない日が続いた。
ふとテレビを点けると、たまたまやっていた深夜アニメが映った。
どうせ布団に入っても寝られない。最初は時間つぶしのために見ていたそれに、俺はいつのまにか興味を引かれていた。
もともと漫画も読んでいた俺がどっぷりと漬かるのにそれほどかからず、めりこんでいった。
しかし最近はどんどんとアニメの数が増えていっている。それらを全てチェックするには余裕と時間、知識が足りない。
誰からだったか、竹林がアニメ好きだと聞いた俺は、その知識を借りるべく彼に話しかけた。
最初は驚いた彼だったが、事情を話すと快く教えてくれた。それだけでなく、古今東西のアニメについて、これは見ておいた方がいいというものをそらで羅列してみせた。
挙げたものについてはDVDも持っているという。
「貸そうか?」
「いいのか?」
「観賞用、保存用、布教用とあるからね。明日にでも持ってくるよ」
「本当か。助かるよ」
たとえ布教用といっても、気に入らない者に貸したくはないだろう。
怪しく眼鏡を光らせる彼の口角が上がったのを見て、俺も微笑んだ。
「普通なら、こういうのはその、引いたりするもんじゃないのかな」
「引く? なんで?」
「オタクというのは増えていっているけど、世間的に見ればまだまだ認められているものじゃないから」
「そんなもんか? だけど俺は気にしたことはないな。オタクってのを実際に調べたわけでもないし、関りをもってきたわけでもないしな。イメージや他人の話で決めつけるのは好きじゃない」
それに、と俺は付け足した。
「実際にこうやって話してる竹林は、悪くは見えない」
ネットやテレビで、害のあるオタクの報道を見かけることがある。
しかしそれは一部の話であり、かなり曲げられ、悪意のある編集によって伝えられているものが多い。
「……僕のおすすめが君に合うとは限らないよ」
「見なけりゃわからないだろ?」
合わなければ最後まで見ずに返すかもしれないが、それもやはり見てから判断するしかない。
「それに、現実と非現実の二つの世界を楽しめている竹林は、単純に俺の二倍以上の見識があるってことだ。そのお前が勧めるものは単純に楽しみだしな」
俺はにっと笑って返した。
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「あの言葉で僕は救われた。勉強もできなくてオタクだった僕が、自分を出せるようになったんだ。A組に行ってわかったよ。いまの僕はE組を心地よく思ってるし、勉強ができるようになったのもE組のおかげだ。そしてそこに君がいるから、今日までやってこれた。その君が、学校にも行かずになにやってるんだ」
俺は彼の目も見ずに、包帯を巻き終えた。
「僕はE組に戻る。だから君も……」
「俺のことを、お前がE組に帰る理由にするな」
A組にいたければそのままいればいい。戻りたければそうすればいい。その葛藤に、俺が介在する余地はない。
将来を決める大事な選択に、俺を巻き込んでくれるな。
俺はまたサンドバックを殴り続ける。新品の包帯が赤く滲むのにも関わらず、むしろそれが目的かのようにひたすらに打ち込んだ。
「将来の医者として、これ以上は見過ごせない」
「お前が見過ごせなかろうが、俺には関係ない」
「僕がE組じゃなくなったから?」
「お前が何であろうと、やめる気はない」
これが俺だ。これまでも、これからも。
「認められなくても、裏切られようとも、俺はこれをやめるつもりはない」
これしかないんだ。
立花の言うことは、一部当たっていた。
この生き方しかできず、このまま生き続けるしかない。だからといって彼女と同類なわけでは、決してないが。
「E組に戻るのは勝手にしろ。俺も戻る。文句はないだろ」
説き伏せるのは無理だ。
俺は立花とは違う人間だが、お前とも違う人間なんだから。
サンドバックを叩く音だけが夜の空気を震わせる。
いつの間にか、竹林はいなくなっていた。