二学期になって初となる登校はきつい。坂道を上るだけでも身体に鞭打つようなものだった。
まだ暑い気温ではあるが、全身に巻いた包帯をなるべく見せないようにして長袖を着てきたため、じっとりと汗をかいている。
それでもなんとか教室の前までたどり着き、一呼吸。なんでもない顔を作って、扉を開ける。
「遅いじゃん、國枝。もう昼だよ」
すぐにカルマが声をかけてくる。
その通り、時刻は正午を少し過ぎたところで、今は昼休みだ。
「ああ、休みボケが治らなくてな。生活リズム戻さないと」
わざとらしくあくびをしながら、流れるように嘘をつく。
鷹岡との戦いでめちゃくちゃになった机も窓ガラスも元通りになっている。
やったのは烏間先生か殺せんせーか……どちらでもいいか。
「って、その顔なんだよ。そんな怪我、昨日してなかっただろ」
「寝ぼけてたせいで打っちゃってさ。いやあ、痛いのなんのって」
カルマ以下、クラスの半分はこのことを信じていなかった。
とはいえ追及してくる輩はいない。みんな口をつぐむだけだ。
「國枝くん、少しいいですか?」
納得していないカルマが言葉を発する前に、いつの間にか後ろに立っていた殺せんせーが声を発する。
触手で扉の外を指差し、自ら先導しだす。
俺は抵抗せずについていくことにした。
「なんだ。なんかやらかしたのか?」
「始業式に出なかったお説教かな。あーあ、怒られてくるよ」
寺坂に軽い調子で返して、俺は殺せんせーの後ろを歩く。
連れられた先、職員室には他に誰もいなかった。
「三日前のことを聞きました。ずいぶん無茶をしたようですねえ」
俺が烏間先生の席に座ると、彼は単刀直入に話題を切り出した。
「沖縄から戻ってきてから話し合いをする約束でしたが、遅れてしまい、こんな事態になったのは先生の責任です」
こいつは、俺があんたたちをどう思ってるか烏間先生から聞いてないのか?
聞いてないんだろうな。知っていたら、こんな上っ面なだけの言葉をかけてくるはずがない。
おそらく烏間先生は、地球を破壊しようとする超生物に相談することをためらったのだろう
俺はあえてそこを利用することにした。
「すみません。偶然、鷹岡がここを襲撃してくる情報を掴んだもので、いてもたってもいられず……」
「君の行動は素晴らしかったです。おかげで、律さんは無事でした。ですが、君も自分の身体を大切にしてください」
「あはは、はい。肝に銘じておきますよ。本当に馬鹿なことをしました」
思ってもないことを言う。
ここであーだこーだ言っても、何も変わらない。正体がばれたとしても、今まで通り普通の振りをするだけだ。
反省しているとみて、殺せんせーはそれ以上謝りも叱りもしない。
「滅茶苦茶痛いですが……大丈夫ですよ。さすがに体育はできませんが」
頷く殺せんせー。
昼休みが終わるまでは、他愛ない話で間を埋めることが出来た。
所詮はこの程度。
ずっとやってきたこと。ずっと、やってきたことだ。
▲
「フリーランニング?」
「國枝くんは見学だ」
俺が何か言う前から、烏間先生は釘を刺してきた。
二学期に入って最初の体育は、岩場や木を利用して追走・逃走を行う訓練。
これをこなせれば、障害物なんてなんのその、むしろ足場の一つとして使える。
「フリーランニングは全身を使う必要がある。そうでなくとも、今の君に体育をさせる気はないがな」
「異存はありませんよ。見学に甘んじます」
ずたぼろで、顔にも痣がある状態のまま体育を受ける気はない。
俺は大人しく腰を下ろした。
烏間先生が身体の動かし方を一通り教えたあと、殺せんせーがゲームを提案した。
ケイドロである。
逃げる者と捕まえる者の二チームに分かれ……という説明はいいか。
捕まえる方は烏間先生と殺せんせー。逃げる方はビッチ先生含めたそれ以外。
殺せんせーがいるのは卑怯だ……と思ったが、彼が動くのは終了前一分間のみ。それでも全員捕まえるのは容易だろうが。
捕まった人用のサークルの中で、俺は渡された計算ドリルを解くだけの作業に入った。
本来は捕まった者の『刑務作業』だが、ずっとここにいなきゃいけない俺にとってはただの課題だ。
開始してから二分くらい経ったころ、岡島、千葉、不破、速水がとぼとぼとこちらに向かってきた。遅れて、菅谷も来る。
早速捕まったみたいだ。
「はやいな」
「いや、烏間先生めちゃめちゃすげえよ。あっという間にタッチされてさ」
「まあ、あの人もの凄く鍛えてるだろうからな……」
何も考えずに逃げれば、音や地面に残る痕跡から、すぐに追いつかれるだろう。
俺はビルの屋上から屋上へ飛び移る技術を持っているが、こういった自然の中での立ち振る舞い方はあまり経験がない。
E組の中で多少優位に立てても、教えられることはない。
「あんた、他の人となにかあったの?」
烏間先生に捕まった生徒たちが続々と集まり、ドリルを解かされるなか、狭間が俺に話しかけてきた。
「なんで?」
「闇が充満してんのよ、今のE組は。とくにあんたからモクモクとね」
場の空気というやつだろうか。
たしかに二学期始まって以降、E組の空気は一部混濁としている。
竹林が戻ってきて喜んでいる一方で、俺の姿を見て不安そうな顔をのぞかせてくる。
仲の良かった俺と竹林が全く喋らなくなり、烏間先生ともぎくしゃくしている状況に、おろおろとうろたえる者も少なくない。
特に、事情をほとんど知らないビッチ先生からは目つきが悪いと何度も言われた。
知るか。もともとこんな顔だ。
「それについて文句があるのか」
「暗い感情を育てるのは悪くないわ。飼いならして利用できるならね。問題は、あんたのそれはただ抑えつけて、必要のないところで放ってるってこと。感情が爆発して乗っ取られれば、それは人間から遠ざかることと同じよ。あんたはそうなりたいの?」
なりたい、なりたくないの問題ではない。その怒りこそ俺だ。乗っ取られているのではなく、俺そのものだ。
狭間に言わせれば、いまの俺は人間ではないのだろう。存外、それは間違っていないのかもしれない。
どう答えようかと悩んでいると、岡島が殺せんせーに何か渡しているのが見えた。
写真。おそらく沖縄で撮った、彼秘蔵の巨乳女性の写真だ。それを受け取って、殺せんせーがひょいひょいと触手を回す。『行け』の合図だ。
草木に隠れていた杉野と渚が急いで飛び出してくる。
殺せんせーが見張っている限りはどうしようもないが、こうなればいないも同然。
捕まっていた者たちはタッチされて解放されていく。
「ほら狭間、お仲間が来たぞ」
さすがにずーっと見張りの役目を放棄するわけでもないだろう。烏間先生が戻ってこないとも限らない。こうやって無駄話できるのも一瞬。
狭間は俺をちらりと見て、戦場に戻った。
「殺せんせー……」
「あ、國枝くんもドリルを解いていてください。先生ちょっと忙しいので」
「うっわぁ、わざとらしい無表情」
目と口を文字通り点にして、まったく読めない表情を作り出す彼に、俺は笑った。
これでいい。いつもどおり、変わらない様子を見せれば殺せんせーは何も疑ってこないだろう。
ちなみに勝敗は逃げる側の作戦勝ちでした。