「ふう……」
登校途中の坂を上り終わり、一息つく。
本当なら安静にしていなきゃいけない身体だが、暗器使いからもらった塗り薬のおかげで回復が早まっている。
あの薬、何にでも効くんだが成分はなんなんだろう。単純に怖い。
そんなわけで勉強するには差し支えない状態になったが、まだ残暑の中でこの登校路はきついものがある。
「國枝くん、おはようございます。調子はどうですか?」
殺せんせーがさっと現れた。
「どうも。今日も暑いですが、まあ健全に過ごせてますよ」
「夏休みを終えて休みボケになることなく、勉強にフリーランニングに二学期も順調ですねえ。國枝くんのケガも治ってきているみたいですし。みなさんの成長が嬉しいです」
心底嬉しそうににやにやとする彼と一緒に教室の前まで肩を並べる。
俺の身体を気遣ってか、彼は一歩前に出て扉を開けた。
「こうやって月日を重ねて、先生も尊敬される大人になって……って、汚物を見るような目!」
殺せんせーが後ずさる。
すでに登校してきている生徒全員が、じとっとした嫌な目をしていた。
その手には新聞紙やら雑誌やらが広げられていて、どうやら一つの事件について注目しているらしかった。
「なんだ、どうしたんだ」
「これ、見てみろよ」
吉田が渡してきた今日の朝刊を受け取る。
そこに大々的に書かれているのは、椚ヶ丘市で多発している下着泥棒事件について。
犯人の特徴は、黄色い頭の大男で、『ヌルフフフ』と笑う素早い人物だそうで。
「なるほどな……」
「ちょちょちょ、これが先生の仕業だと思ってるんですか!?」
「そんなことは言ってないだろう。ただ……悪いことしたら早めに謝ったほうが傷は浅いらしいぞ?」
「確実に疑っていますよね!?」
つってもなあ。犯人は粘液まで出すらしいじゃないか。そんな生物、周りを見渡してもそんなに多くは……
「先生は潔白ですよ! なんなら、先生の理性の強さを証明するために今から机のグラビア雑誌全部捨てます!」
殺せんせーはむきになって、職員室に向かう。
いやまずグラビアを常備してる時点で理性が強いとはいえないんじゃ……という呆れは置いておいて、俺たちは仕方なく彼についていった。
「ほら、見てなさい!」
「机の中パンパンパンパンにグラビア雑誌はいってるじゃねえか」
「まだパンパンパンくらいですよ!」
いや、そんな謎な言い訳されてもな……
「これもこれも全部捨て……」
と、次々に雑誌を取り出す殺せんせーの触手に、あるものが引っ掛かった。
思わず、みんなドン引きしてしまう。
ブラジャーだ。それも二つ。
「お、おい……殺せんせー……」
「マジかよ……」
だらだらと汗やら粘液やらを流す殺せんせー。
「ちょっとみんな! これ見て、クラスの出席簿!」
それに追い打ちをかけるように、岡野がやってくる。
彼女が開いた出席簿、その女子の名前の横にアルファベットが書かれている。いや、茅野だけ『永遠の0』と書かれてあった。
「こ、これは……間違いない。女子のカップ数だ」
岡島が戦慄する。
いや、お前が『間違いない』っていうのはおかしくない?
▲
出そろった証拠を前にして言い訳のできなくなった殺せんせーを、E組は軽蔑の眼で見た。
もちろんそんな状況で授業が円滑に進むわけもなく、暗い雰囲気のまま放課後になった。
「完全に罠だね」
殺せんせーが出ていった後で、カルマがけろりと言う。
俺もカルマと同意見。今さらになって、こんな証拠がばんばん出てくるのはおかしい。
マッハ20で動ける奴の目撃情報が複数あるのも不自然だ。
まあ、普段が普段だから、疑う者が半分、信じる者が半分ってところだが。
休み時間に一心不乱にグラビア見漁ったりしてるし……だらしないところは、夏休み暗殺で見せた動画で全員に知れ渡ってるしな。
「問題なのは、犯人が俺たちのことをよく知る人物だってことだな」
岡島が、生徒の名簿帳を見てうんうんと頷く。
「ほら、この名簿の横のカップ数。一人も間違えてねえ。茅野の『永遠のゼロ』含めてな」
「せいっ!」
「ぐはあ!」
茅野にみぞおちを突かれた岡島は放っておいて、俺は腕を組んだ。
「ってことは、相手は俺たちとある程度近しい存在か、ものすごく調べ上げてきてる奴か」
「かなーり手ごわいかもね。國枝は安静にしておいてよ。必要なときは呼ぶからさ」
「信用ならない」
「え~、ひどいな~。傷ついちゃった」
んなこと思ってないくせに……
夏休みを終えてからのカルマたちは、必要以上に俺に構ってこようとする。
登下校も誰かが一緒にいるし、トイレにもついてくる。
心配してるというのもあるだろうが、『貌なし』になるのを止めようとしているみたいだ。
おかげでここ最近は、派手に動けていない。
こいつらも夜に外を出まわるのは避けてるみたいだし。
「ここで殺せんせーに恩を売っておけば便利だしね。それに、こんなやり方は気にくわないよ」
「そう! 犯人に、私には将来性があるって言ってやらなきゃ!」
「……それはともかくとして、十分に警戒しながら追い詰めないとな。こっちに危害を加えてこないとは限らん」
ぷんすこ怒る茅野をなだめつつ、俺は慎重になるように伝える。
綿密にこちらの情報を調べてきた奴は、どいつもこいつも危険なのばっかりだった。
今回もその可能性がある。
今日は情報を集めて、明日みんなで作戦を立てようという不破の号令を受けて、俺たちは解散した。
▲
家に帰るなり、新聞紙や雑誌を机の上に広げ、めくる。
どの記事にも、まだ大きな事件として取り扱われておらず、三面や四面でほとんど同じことが書いてあった。
黄色くて丸い頭に、黒い服、そして奇妙な笑い声。たしかにどれもが殺せんせーの特徴と一致する。
それだけ読んでも、罠だということはすぐ理解できる。
まずおかしいと思うのは、黄色い頭だ。
顔を塗っているのか、それともなにか被り物をしているのか。どちらにせよ、目立つ色にしているのは理に合わない。
もう一つは、笑い声。
ヌルフフフ、という声は殺せんせー以外では聞いたことがない。
殺せんせーを知る何者かが、殺せんせーを真似ているのは確かだ。その狙いは一つ。おびき出すためだ。
あるかどうかはともかく、威厳を大事にしている先生は必ずや犯人を捕まえようとする。そこが犯人にとってのチャンス。
それだけならよかったが、カルマが先に犯人を捕まえようとしているのが問題だ。
下着泥棒が殺せんせーを引っかけようとしているなら、それ相応のモノを仕込んでいるに違いない。
今まで策を弄してきた奴らは、危険な手ばかりを使ってきた。そこに突っ込もうというなら、それを止めなければいけない。
言い合いではらちが明かない。俺が先に止めないと……
おかしいと思ったのは、考えをまとめながら包帯を巻きなおしている時だった。
静かすぎる。
いつもなら、他愛もない話だったり、または暗殺の話だったりで何度かメッセージが飛んでくるはずだ。
今日はそれがない。
スマホを確認してみると、やはり通知設定の間違いでもないようだ。
まあそんな日もあるか……と納得しようとして、いやいやと首を振る。
こうやって油断しきったところに、悪はやってくる。修学旅行の時だって、夏休み合宿の時だって、夏祭りの時だって。
「律」
「はい、どうしました、國枝さん?」
モバイル律に話しかけると、即座に返事が返ってきた。
「カルマに連絡したい。電話をかけてくれ」
「……どんな用件ですか?」
「それはあいつに言うから、電話を」
「出られないようです」
コールする素振りすら見せない律に、俺は違和感を覚えた。
「だったら、カルマの場所はわかるか?」
「……」
「なんで黙ってるんだ」
「言えません」
「どうして」
「私には言えません」
わからない、ではなく、言えない。
その言い回しと頑固な様子に疑念が生まれ……そして意図を理解した。
「律、お前……みんなに連絡させないようにしてるのか」
「……はい」
画面に映る律は目を逸らした。
「みなさんからのお願いです。國枝さんに何も教えないように、と」
その返答に、俺は疑問を持った。
なぜそんなことを? 俺をのけ者にして、なんのメリットがあるんだ?
「もしかして、もう犯人を見つけたのか? いや、それよりも俺に何も言ってこないつもりか?」
「わかってください、國枝さん。みなさんはあなたの身体を心配して……」
そう聞いて、俺は焦りを感じた。
「わかってないのはお前だ。相手は殺せんせーをおびき出そうとしてるんだぞ。殺し屋なら、カルマたちが巻き込まれることになる。いい加減理解しろ。殺し屋は容赦なくみんなの命を奪うことが出来るんだぞ! それをお前らはどうして……」
ここで言い争っても無意味だと気づいて、俺は一度落ち着こうとした。
だけどじわじわと嫌な予感が迫ってくる。
「カルマの場所を教えろ」
「……嫌です」
「律!」
「嫌です! みなさんも……私もあなたにこれ以上傷ついてほしくないんです。お願いですから、ここはカルマさんたちに任せてください」
本気で心配してる声だ。だが俺は首を横に振る。
「國枝さん……」
「お前は、鷹岡に潰されかけた。そんな危険に、他の奴らは飛び込もうとしてるんだ」
俺一人と他のみんな。天秤にかけるまでもないはずだ。
だがこれだけ危険を説いても、彼女は口を紡いだ。
「そうか。ならこの身体で夜通し動くしかないな。行き先がわかってればそこに移動するだけで済むが」
「この件が終わるまで休まず走り回る。それでいいなら、黙ってろ」