貌なし【完結】   作:ジマリス

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49 血染めの手は月に届くか

 がさり。

 草をかき分ける小さな音だけ残して、不破、渚、カルマの三人が芝生の上に降り立つ。

 

「よし、侵入成功」

「フリーランニング悪用しちゃったなあ」

 

 ここはとある芸能プロダクションの合宿施設。

 最近は巨乳アイドルたちが練習をしており、今も洗濯物が施設のすぐそばに干されている。

 その合宿は明日で終わる予定だ。

 犯人が本当の下着泥棒だったとしても、殺せんせーに濡れ衣を着せようとしている輩でも、これを狙わない手はないだろう。

 

 不破と律はそれを調べ上げ、カルマに相談して、この三人で侵入することにしたのだ。

 あまり大所帯だと、真犯人に見つかって逃げられるかもしれない。少数なら、こうやって塀を乗り越えてもばれづらい。

 

「國枝くんに隠し事するっていうのは、気が引けるけどね」

「いいじゃん。國枝も俺たちに何も言わなかったんだしさ。それとも、あいつがこれ以上無茶するのを見たいわけ?」

「そうじゃないけどさ」

 

 もやもやを抱える渚に、カルマが返す。

 

「まあまあもうやっちゃってるんだ。みんなには國枝に何も教えないようにしてるし、大丈夫だよ。ね、不破さん」

「うん。國枝くんには休んでもらって、私たちだってやればできるってところを見せないと!」

 

 國枝は一人で無理をしすぎている。

 

 普久間島では、血だらけになりながらも独りで戦った。

 そして、夏休み最後の日。何があったのかはわからないが、それまで以上の大けがをして現れた。

 

 彼を問い詰めても何も言わなかったが、事故ではないことだけは間違いない。

 何かしら、ひどく厳しい戦いを独りでこなしたのだ。

 なぜそこまで独りでやることにこだわるのかはわからないが、ここで頼りになるところを見せれば少しは相談してくれるようになるだろう。

 不破はそう考えて、E組の全員の口を閉じさせて國枝を休ませることにした。

 

 泥棒を捕まえるだけなら、殺し屋と軍人に勝ったカルマと渚がいる。

 そしてその相手は、不破の予測通りに現れてくれた。

 

 よく観察すれば、闇にまぎれている誰かがいる。

 建物の外に吊るされた洗濯物を狙う、黄色いヘルメットを被った黒ずくめの男。

 

 やった! と不破は喜んだ。

 とっ捕まえれば、私たちが守られるだけの存在じゃないと証明できる、と。

 

 三人が動こうとした前に、どこからともなく現れた殺せんせーが先に不審者の背中に乗り、その身を拘束した。

 

「殺せんせーも来てたんだ」

「まあ、濡れ衣被ったままいるわけないと思ったけどね」

 

 じたばたと逃げようとする犯人だが、殺せんせーの触手から逃げられるわけもない。

 あっさり事件解決かと、三人は焦らずに近づいた。

 

「さあ、顔を見せなさい、偽物め!」

 

 殺せんせーが犯人のヘルメットを取る。

 

「え……」

 

 そこにいたのは、E組がよく知る人物だった。

 

「この人……」

鶴田(つるた)さんだね。烏間先生の部下の」

 

 そう。普段はサポートに徹していて目立たないが、烏間が信頼をおく三人の部下がいる。

 そのうちの一人である、鶴田博和(ひろかず)が殺せんせーの下敷きになっていた。

 

「なんであなたがこんな……」

 

 呆然とする殺せんせー。

 

 その視界が、突如として白に染まった。

 

 一瞬のうちに殺せんせーの周囲に布が張られる。四角に囲まれた彼は、驚きのあまり鶴田を逃してしまった。

 その刹那、高速で動く物体が空いている檻の上から入っていった。

 

「ふふふ、まんまと囮にかかってくれたね」

 

 ぶつかったくらいでは破れない強化繊維の檻に閉じ込められたのを見て、暗がりから出てきた男が含み笑いをする。

 E組にとっても因縁の相手、シロだ。

 

 だとすれば、あの布の中に入っていったのは……

 

「あれは……イトナくん?」

「前よりも身体能力をアップさせて、対触手生物の物質を練り込んだ武器も装着させている。高速戦闘に耐えられるようにしてあるために、君たちが持っているようなナイフより威力は落ちるが……それでも十分だ」

 

 シロは誇らしげに、抑えきれない笑いを漏らした。

 

「周りは対先生物質の布、上からはイトナ。流石の殺せんせーもここで終わりだね」

「そのために、あんなことして殺せんせーをおびき出したってわけ?」

「まあね。君たちの先生は、生徒に嫌われるのをひどく恐れてるみたいだから、利用させてもらったよ」

「その『なんでもお見通しです』って雰囲気が気に入らないんだよね」

 

 カルマの額に青筋が浮かぶ。

 

「殺せんせーを取られるのは癪だし……あんたにはプールでの借りも返してない。ここでちょっとお灸をすえさせてもらおうかな」

 

 溢れそうな怒りをなんとか抑えて、彼は拳を固めた。

 E組のほぼ全員を殺しかけたことは忘れられない。シロは謝罪も釈明もなく、あの場を去っていっただけだ。

 最低三十発は殴らないと気が晴れないカルマは目を光らせた。

 

「おっと、君たちの相手は彼だ」

 

 シロがぱんぱんと手を鳴らすと、どこからともなく人が現れた。

 頭からつま先までを覆う特注の黒い戦闘服はところどころが堅そうで、なおかつ動きを阻害しないように軽く薄く、しなやかだ。

 この男はシロの新しい兵器だろうか。彼は首だけシロのほうを振り返る。

 

「あの超生物を殺せれば、どんなことだって説明はできる。特に暗殺を妨害した輩なら、殺しても納得させられるだろう。さ、存分にやりなさい、『蟷螂(かまきり)』」

 

 『蟷螂』と呼ばれた男は頷きこそしなかったが、腰に何本も差さっているホルスターから一本だけナイフを取り出した。

 そいつがもつ異様な雰囲気は、何度か覚えがある。本物の殺気。本当に中学生を殺す気だ。

 三人の額に冷や汗がたらりと垂れる。一瞬気圧され、動きが止まってしまう。

 

 一番最初に動いたのはカルマだ。

 戦闘のセオリーとして、まずは相手の動きを見極めることが肝要。

 少しでも観察できるように、距離を取るために後ろへ飛び退く。

 

 二番目は渚。

 鷹岡を倒したことで、相手の隙をつくことに多少の自信を覚えた彼は、カルマのサポートとして戦うつもりだった。

 相手の出方を見るために彼もまた下がる。

 

 『蟷螂』の殺気は息を呑むほどだったが、二人が動けたのは殺意を正面から受けたことがあるのが大きい。

 

 だが、不破は……そんな純粋な一対一の殺意を向けられたことがない。

 本能は危険を知らせてくるが、足が竦んでしまう。

 

 その隙を『蟷螂』は逃さなかった。

 

 容赦なく、手加減なく、命を切り取るためにナイフを投げる。

 鋭く速く、直線的に飛ぶ刃は真っすぐ不破へ飛んでいき、その頭を貫く……はずだった。

 

 恐怖のあまり目をつぶっていた不破は、いつまでも衝撃が来ないことを疑問に思い、恐る恐る目を開ける。

 

 その瞬間、不破はぎょっとした。目の前に刃があったからだ。

 しかしそれは額を貫くことはなく、空中で静止している。

 横から伸びた誰かの手が、刃を掴んで止めていた。

 

「あ……」

 

 黒いグローブ、フード付きの灰色の迷彩服、堅いマスクにゴーグル。

 不破を助けた男は、連日ニュースで見る男の特徴とそっくりだ。

 そしてその目は不破が、E組がよく知る男のものだった。

 

 マスクの男と『蟷螂』が睨み合い、無言が続く。

 そこでようやく不破たちの身体が動き、一歩下がった。危険を察知しての販社的な動作。対して、マスクの男はその場から動かずに対峙する。

 

「お前は誰だ」

「『貌なし』」

 

 『蟷螂』の問いに、男は即答する。それ以上会話は続かなかった。

 

 『貌なし』はナイフを地面に落とす。

 それを合図に、『貌なし』も『蟷螂』も一歩前に出る。

 一瞬にして間合いが詰まった。お互いの拳が、闇の中で閃いた。

 

 

 間一髪で間に合った。

 

 律から教えられた場所に赴くと、すでに白い布で作られた巨大な長方形の檻が出現していて、その中で争う音が聞こえていた。

 その前に憎きシロがいることから、あの中には殺せんせーと堀部が戦っているに違いない。

 

 それよりも気になるのが、シロの前に出てきた黒い戦闘服の男。

 『蟷螂』と呼ばれたそいつは、なんの躊躇もなくナイフを取り出し、不破に投げた。

 すんでのところで掴んで止める。

 

 あと一瞬でも遅れていれば、不破は……いや、いまはそれはいい。この男を倒すことが重要だ。

 目の前の男はシロの手下、クラスメイトを殺そうとした敵。容赦をする理由はない。

 掴んだままのナイフを離すと、ふつふつと怒りが湧いてくる。それを捨てて、足を踏み出す。敵も同じく、前に出てきた。

 

 拳を固め、相手の顔へ向ける。相手も同じことをしてきた。

 俺はわずかに身を逸らして避けると同時に、相手の顎に拳を当てる。

 続けて脇腹、胸に一発ずつ。

 反撃をかけてきた相手の肘をブロックして、さっきは浅かった顎への一撃。

 『蟷螂』は後ずさる。

 

 俺は息を整えながら、相手を観察する。

 着込んでいる特製服のせいでわかりづらいが、察するに俺とそう歳は変わらない。

 同年代……一つか二つほど上だろうか。少なくとも、わずかに見える肌は、大人のものとは違う。

 

 『蟷螂』の噂は俺の耳にも届いていた。

 数か月前に少し世間を賑わせた殺人鬼。判明しているだけでも六人を殺して逃亡しているとんでもない奴だ。

 シロはこんな奴を殺人鬼として育てたのか。いや、もともと殺人鬼だったのをスカウトしたのかもしれない。俺たちを殺すために。

 どちらにせよ、『蟷螂』が人を殺すことになんの抵抗もない、歪みきった男であるのは間違いない。

 

 距離を保ったままなのはまずい。

 先ほどのようにナイフを投げられれば、後ろの誰かが刺される。投げる暇を与えないように、近づいて殴るしかない。

 普久間島と似たような状況。またしても俺は刃物を持つ相手に接近戦を強いられる。

 

 唯一救いなのは、接近戦での殴り合いは、俺のほうに分があるということだ。

 それは向こうもわかっているだろう。ゆっくりと腰に手を回し、片手に一つずつナイフを持つ。

 そしてナイフを逆手に持った両拳を顔の前にもっていき、攻撃にも防御にも素早くシフトできる構えをとった。

 一見祈っているようにも見えるその姿勢に、下に突き出た刃。『蟷螂』の由来はこれか。

 

 息を整えて近づく。

 刃に触れないようにして相手の動きを止めつつ、拳をめり込ませる。

 しかし全てをかわせるわけもなく、頭突きを食らってしまった。

 

 目がぐるんと回り、地面に手をつく、

 『蟷螂』の目が不破たちに向いたのがわかった。

 

 その間に無理やり割り込む。そのせいで遅れた防御を予測して、『蟷螂』が刃を振るった。

 身体の前に構えた腕が裂かれ、スッパリと切り傷が生まれる。

 痛みをこらえて、相手の腕を掴んで頭を額にぶつける。目の前に星がちらついたが、相手はそれよりもダメージを受けたみたいで一歩下がった。

 勢いにまかせて飛び蹴りを食らわし、相手を転ばさせる。

 

 すぐ近づいて、両手の刃を蹴り落とした。そして追撃を……と力を入れた瞬間、ずきりと全身に衝撃が走る。

 今まで受けた傷が開き、もう限界だと身体が訴えてくる。

 いたるところがひび割れたような錯覚に陥るが、歯を食いしばってこらえた。

 

 その隙に『蟷螂』は立ち上がり、構え直す。

 武器を持ってる相手に対して、俺は素手。明らかに不利な状況に、死が近づいてくる感覚を思い出す。

 だがここで逃げるわけにはいかない。

 不破たちが唖然としている間に、こいつを倒さなければいけない。

 

 ここまでで三十秒と経っていない。

 急な命のやり取りに、カルマと渚はフリーズしてしまったが、もうすぐで動けるくらいに心を持ち直すだろう。

 

 時間が経つほどにリスクは増していく。

 次の数秒で決めてやる。

 

 お互いに拳を握り、相手を叩き潰すための攻撃一辺倒の構え。

 防御を捨てて、一歩踏み出す。

 

 その瞬間、地面が揺れ、大気が歪んだ。

 強大なエネルギーの余波を受けて、俺たちはその場にしゃがむ。

 

 見れば、殺せんせーが捕らわれている箱から、空へ向かってビームが伸びていた。

 それしか表現しようがない。

 漫画で見るような光線が空へと放たれ、堀部を外へと追い出す。

 

「先生も日々進化しているんです。こんなことが出来るくらいには……って、國枝くん!?」

 

 ぱっと外に出てきた殺せんせーが俺に気づく。

 堀部は触手をうまく使って地面衝突の衝撃を和らげた。

 

「やれやれ、だね。ここまでお膳立てしたのに負けるとは……」

 

 大きなため息を吐きながら、シロは苦しみ呻くイトナを見下ろした。

 

「イトナ、やっぱり君は失敗作だ。この生物を殺せないのに、これ以上君に構っていられる時間はない。その触手を維持するには、膨大なエネルギーと手間暇と金がかかるんだ。だけどもう知らないよ。勝手に野垂れ死ぬといい」

 

 心底興味を失ったような口調で、シロは吐き捨てた。

 

「帰るよ『蟷螂』。そいつとは、また会うチャンスを作ってあげるから」

 

 シロの言葉に、『蟷螂』はナイフを握る手の力を強め……

 

「お前は必ず殺す」

 

 そう言って、武器を収めた。

 

 その姿が一瞬にして闇に溶け、消えてしまう。

 俺はまたしても奴を逃してしまった。新しく現れた危険人物とともに。

 

「あれ? イ、イトナくんは……?」

 

 渚の気づきに、俺はあたりを見回す。

 さっきまで悶えていた堀部が、もうどこにもいなくなっていた。

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