堀部イトナとシロ、そして『蟷螂』が消えてしまって呆然としていたカルマ、渚、不破はいったん殺せんせーとともに施設の中に入った。
俺も無理やり連れられて、中に入れられる。
殺せんせー好みの女性が集まるというのはどうやらシロが流した嘘のようで、レッスン場には誰もいない。
広い空間に明かりもなく、俺たちは乱れた息を整えた。
「い、いきなりすぎて頭がついていけないよ」
「ほんと、下着ドロを捕まえにいったはずなのに、シロとイトナが現れるわ、殺せんせーがエネルギー砲を放つわ。それに……國枝も来たし」
カルマがじろりとこっちを向く。
修学旅行の時点でカルマはすでにその答えにたどり着いていた。そして普久間島でのことが答え合わせになり、その後で俺は白状していた。國枝響は『貌なし』であると。
「やっぱり、國枝くんなの?」
渚の、いや周りの目が、俺を『貌なし』ではなく國枝響を見る目になる。
こうなったらもう隠せない。俺はフードを取っ払い、マスクとゴーグルを外した。
「そんな……本当に……」
「國枝くんが『貌なし』……?」
間近で見ても、まだ信じられないといった反応の不破と渚。ただ一人、カルマだけが正解に喜ぶでもなく真顔でこちらを見ていた。
普久間島での戦いは、國枝響=『貌なし』の疑念を強くしたが、面と向かって正体を聞いてきたのは烏間先生とカルマだけだ。
他の二人も俺が『貌なし』だと感づいていただろうが、はっきりとした答えを突きつけられて狼狽している。
「みんなはここにいろ」
「國枝くんは?」
「あいつを止める。誰かが犠牲になる前に俺がやつを倒す」
外へ向かう俺を、不破が袖を掴んで止めた。
「待ってよ。みんなに協力してもらおう? 殺せんせーだっているし、烏間先生だって、ビッチ先生だって手伝ってくれるよ」
「それが嫌なんだ。今回は運がよかったが、お前だって殺される寸前だったんだぞ。みんなにまでその危険を冒してほしくない」
「だったら……だったらほら、警察に通報しようよ。こっちには襲われた傷だってあるんだし、流石に動いて……」
「相手は人体実験までやってのけるシロだぞ。隠されて、もみ消されて終わりだ」
触手に詳しく、暗殺のことも知っている。シロは防衛省とはまた別口で政府に通じているはずだ。
殺せんせーの様々な弱点を理解しているにも関わらず、それが俺たちにも伝達されていないのは、シロとその研究が高度に秘匿されているからだ。
研究経過が表に出せないことは、堀部を見ればわかる。倫理的に良くないことなのだろう。国はそれを公にされたくないはずだ。
「俺が出れば、あいつは姿を現す。俺ならあいつを倒せるんだ」
「みんなを頼ってくれるって言ったじゃん」
「それとこれとは別だ。俺はお前たちに死ねとは言えない」
「じゃあ國枝くんが死ぬかもしれないのを知っておいて、黙って見てろって言うの!?」
不破がヒートアップしてくる。
「それが嫌だから、みんなで國枝くんの力になるって決めたのに……」
だから、下着ドロのことを俺に知らせてこなかったのか。不破だけじゃなく、俺を心配した全員が。
俺は心の中で毒づいた。
普久間島での戦いが、校舎での鷹岡とのやりあいが、『レッドライン』との死闘が、俺を追い詰めて彼女たちを心配させた。
いや、もっと前。俺がE組にいてしまったから、友達になってしまったからこんなことが起きたんだ。
「間違いだった。こんなことになることが分かってたなら、お前たちに何も話してなかった」
「なにそれ」
袖を掴む力が強くなる。その時、俺は不破の顔を見てしまった。
不安と悲しみ、そして怒りが広がっている。
「なにそれ! 全部否定する気!? 私たちに話してくれたことも、私たちが國枝くんを心配して力になろうとするのも、全部全部間違いだったって言うつもり!?」
「間違いだろうが!」
不破以上の怒号を発した俺にびくついて、彼女が手を離す。
「俺がいて、『貌なし』だってことをお前らが知って、だからこんなことになった! ああ、間違いだったよ、全部な!」
俺が『貌なし』だと知ってしまったから、彼女たちは俺を危険から遠ざけた。
その結果がこれだ。不破はもう少しで殺されそうになっていたし、他のみんなも危なかった。
「俺だけが負うべき危険に、お前を巻き込んだ」
引っ込めるでもなく掴むでもない、伸ばしたままの手を払った。
「俺は……独りでいるべきだったんだ」
不破は顔を俯かせる。そのせいで表情は見えなくなったが、おぼつかない足取りと小さく聞こえる嗚咽で、だいたいはわかる。
彼女はすとん、と床にへたりこんで、手で顔を覆った。
「不破……」
「もう知らない。勝手にしてよ……」
涙まじりの声は震えているが、しかしはっきりと拒絶の意を示した。
「行って。もう行ってよ」
追い払うように手をひらひらとさせる。
そうさせたのは俺なのに、ひどい後悔の念が一気に押し寄せてくる。
もういまさら言い繕えないし、その気もない。俺はそれに従ってまた扉へ向かう。
「待ってください、國枝くん」
次に引き留めたのは、殺せんせーだ。
「せめて私を頼りにしてください。あの男……『蟷螂』をすぐ探せますし、普通の人間相手なら遅れをとりません」
「頼りにしてくれ?」
俺はその言葉につっかかった。
「頼りにしてくれだって? あんたを?」
詰め寄って、今まで誤魔化していた言葉を全てぶつけてやる。
「あんたがいながらこの事態が起きた。いや、あんたがいたからこうなった。なあそうだろ。俺たちを守ってくれるって言ったのに」
「殺せんせーはイトナくんの相手で忙しかったし……」
渚がフォローに入る。それが俺の癪に障った。
「合宿のときも夏休み終わりのときも、こいつは誰も守ってくれなかった」
「守ってくれなかったわけじゃなくて……」
「そう思わされた!」
この日一番の声が響いた。
殺せんせーだけじゃなく、あのカルマでさえ目を丸くしている。
「俺との約束を、たった一つだけの約束を、あんたは守ってくれなかった。ずっと近くにいたのに、何もかもができるだけの能力があるのに、お前は何もしなかった」
頭に浮かんだ罵詈雑言を吐き捨ててやりたい気分だった。
だが、思いとどまる。
結局は俺のせいだ。俺が殺せんせーを信じてしまったのが悪い。
世界は理不尽なものだと知っているはずなのに。誰にも期待しちゃいけないって分かっているはずなのに。
自棄気味だったカルマを助けてくれたこいつならと、淡い希望を持ってしまったのだ。
何度同じ馬鹿をやれば気が済むんだ。恥を知れ、國枝響。
「せめて治療を……」
「触るな。俺に触れたら、お前から暴力を受けたと報告するぞ」
俺たち生徒が使える唯一の脅しを、殺せんせーに向ける。
この言葉は効果てきめんだった。触手がわずかに俺から離れる。
それでいい。お前にはお前の目的があるんだろう。それが何かは知らんが、そのためにE組を離れるわけにはいかないはずだ。
ならこんな生徒一人くらい放っておいてくれたらいい。
「お前じゃ無理だよ。俺たちが……」
「断る。俺が、俺だけでやる。誰も邪魔するな」
手を取る代わりに、カルマにスマホを投げつける。
今度こそ、止める者はいなかった。
▲
「ちょっと待ってね、いま紅茶淹れてるから」
E組を捨てて、俺が向かったのは立花の家だ。
立派な一軒家。
彼女は何も訊かずに招き、家に入れてくれる。
玄関に出ている靴は一足だけ。ここには他に誰もいないのだろうか。俺を入れたということは、少なくとも今は一人だということだろう。
細かく詮索する気なんてないが。
着替えろとは言われず、そのままの格好でリビングに通される。
「まーた傷をつくってきたみたいだね。私とやったときよりも鮮明な匂い。血がいっぱい出てるね」
「相変わらず異常な嗅覚だな」
俺はマスクとゴーグルをテーブルに置き、フードを脱いだ。
「まーね、一番の取り柄だから。それで、わざわざ私のところに来たってことは、この鼻が目当て?」
「そうだ、力を貸してほしい」
「……珍しいね、響くんがそう言ってくるの」
立花は対面に座ると、紅茶の入ったカップを差し出してくる。
俺がそれを一気に飲み干すと、彼女はにこりと笑った。
「いいよ、手伝ってあげる。私は何をすればいいの?」
正直、頷いてくれるとは思ってなかったから、俺は内心驚いた。
だが好都合。雨の中でも俺の匂いを嗅いだような奴だ。その能力が今は必要だ。
「匂いを追えるか?」
「警察犬みたいに? 特殊な匂いがして、濃ければいけるよ。響くんのこともそうやって見つけたから」
「特殊な匂い?」
「ようは、他と似たような匂いじゃなければってこと。あと私がそれに興味を持てるか、かな」
どちらもよくわからない。特に、興味の持てる匂いなんてのは彼女のさじ加減だろう。
詳しく訊くことは諦め、俺はナイフを一本放り出した。べっとりと血の付いた、『蟷螂』の武器だ。
「ある男を追ってる。これの持ち主だ」
彼女はそれを持ち上げて、興味深そうに掲げたあと、鼻を近づける。
うんうんと頷いて、ナイフを机の上に戻した。
「条件が一つだけ」
このナイフについてや、ある男についてのことは一切訊いてこず、彼女はそう言った。
「響くんは、なんで『貌なし』になったの?」
「……それを話すことが、交換条件か?」
「だって、私は自分のこと言ったのに、キミはだんまりだなんて不公平でしょ?」
「あの時はお前が勝手に……」
「まあまあ。そんなことは置いといて。言うの、言わないの?」
何も言わなければ、『蟷螂』を当てもなく探すことになる。
それは無理だ。堀部のことだって、まったく探し当てられなかった俺が、手掛かりなく見つけられるわけがない。
仕方なく、俺は口を開いた。