貌なし【完結】   作:ジマリス

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52 無意味の証明

 ひどく頭が痛い、空腹感に、倦怠感もある。

 そもそも俺は、一体どこにいるんだ?

 

 今いる場所がわからないのは、目を閉じているせいだと気づく。

 疲労感たっぷりの身体に鞭打ち、瞼を開ける。これだけでも重労働だった。

 

「目覚めたか」

 

 その男の声で、意識が急に覚醒する。

 『蟷螂』だ。

 

 そこで思い出した。俺は彼に後から殴られて気絶したんだ。

 ここはどこだ?

 地下室……だろうか。窓がない。殺風景な部屋。

 時間の感覚がなくなっているせいで、午前か午後かもわからない。

 

 部屋の中にはほとんど何もなく、彼がどっかりと腰かけてる机。そして俺が座らされている椅子しかない。

 その椅子に、俺は後ろ手で縛られている。感触からして、鎖とかではない。縄だ。

 

「俺を殺す気か?」

「そうしたいが、お前だけは殺すなと言われているんでな」

 

 殺すな?

 不破を殺そうとしたのに、なぜ俺を生かす必要があるんだ?

 そこまでの利用価値が俺にあるとは思えん。

 

「大人しくしていれば何もしない。だが抵抗するようなら容赦はしない」

 

 『蟷螂』は机にナイフをずらりと並べて、そう言った。

 

 

 日中ではあるが、烏間が止めるのも聞かず、それぞれがあらゆる方法で國枝を探している。

 不破と千葉、そして速水と原はとある製薬会社の一階ロビーにて、とある人物を待っていた。

 ()()はとても忙しいらしく、わずか十分だけ、話す時間を与えられた。

 

 待つこと十分ほど。

 スーツ姿が似合う綺麗な女性が現れた。

 四十代半ばほどだろうか。長い髪は後ろでまとめられていて、いかにも仕事ができるといった威厳のある佇まいの中に、芯の通った強さとしなやかさが見える。

 

「あなたたちが私を呼んだ子たち?」

「はい。不破と申します。えっと……國枝……響くんのお母さんですよね?」

 

 ええ、と彼女は頷いた。

 自分たちは彼のことを知らない。だけど、親ならきっとわかっているだろうと踏んだのだ。

 

「國枝くんが……響くんがいなくなったんです。どこかいそうな場所に思い当たりはありませんか?」

 

 挨拶もそこそこに、不破は國枝のことを聞く。

 

「あの子のことなら……私が一番よく知らないわ」

 

 返ってきたのは、そんな非情な言葉だった。

 

「私は……あの子を置いていってしまったから」

 

 置いていく、という表現がひっかかった。

 それはつまり、放置しているということだろうか。親は家に帰らず、息子は家に居続けることもなく。

 家は國枝響が安心を得られる場所ではなく、また目の前の女性と交流できる場でもないのだ。

 

「あの子がまだ小学生だったとき、料理を作ってくれたことがあったの。いっぱい練習したんでしょうね。指には絆創膏が貼ってあったし、盛り付けもちゃんと綺麗だった。たぶん味も美味しく出来てたんでしょうね」

 

 そんなことを話し出す彼女の言葉には、何か重く暗いものが滲み出ていた。

 

「たぶん?」

 

 不破が聞き返すと、國枝の母親は力なく頷いた。

 

「私は疲れてて、冷たく言ってしまったの、『いらない』って。明日の朝にでも食べればいいって、そう思ってた。次の日の朝、ご飯はどこにもなかったわ。響が使ったはずの皿や器具は洗われて、片づけられてた」

 

 当時のことを思い出して、彼女は落ち込んだ顔を見せた。

 

「私と夫と響のぶん、小学生が食べるには多すぎる量を、響は一人で食べたの」

 

 一人で、を強調して呟くように言う。

 

「それから響は私たちに何か言ってくることはなくなったわ。テストのことも友達のことも、響自身のことすら、何もね」

 

 干渉し、干渉されることが当然の小学生時代を、國枝はたった一人で過ごした。反抗期に入るタイミングすらなかった。

 そのことに彼が何を感じ、彼をどれだけ歪めたか、誰にもわからない。

 

『なあ……』

 

 沖縄の海で何か言いたげだった國枝の表情を、千葉は思い出す。心情を吐露する國枝の母親とそっくりだったからだ。 

 

「学校の先生から何度か聞いたことがあるわ。響は一人で何でもできる、しっかりした子だって。そうじゃないの。あの子は、響は裏切られることが怖くて、誰にも頼ることのできない一人の男の子なの」

 

 思い返せば、國枝はいつも一人だった。

 修学旅行の時も、プール爆破事件の時も、率先して動き、自分からは助けを求めなかった。

 もし國枝に頼られても拒否なんてしないと、もちろん全員そう思っているが、國枝にこびりついた恐怖は剥がれることなく、手を伸ばすことを躊躇させた。

 殺せんせーすらも突き放したのは、そういうことなのだ。

 だったら、安心させるために手を握るべきだった。それなのに掴まなかったことの大きさに、不破は改めて愕然とする。

 

「でもきっと、私はあの子にとって必要ない存在になってしまった。私はそれを言い訳に……響を独りにしてしまったの。そうしてしまった私が言えた義理じゃないけど、どうかお願いします。響の力になってあげて」

 

 頭を下げる國枝母に、応えられる者はいなかった。

 

 

「お前のことは知ってるぞ、『蟷螂』。殺人鬼だろ。なぜ人を殺す」

 

 ナイフの並んだ机に座り、俺を監視しながら得物を研いでいる『蟷螂』に問いを発した。

 

「世の中にはお前の理解できない人間もいる。子を捨てる親もいれば、人を殺すことに快楽を覚える人も。そういう連中にとって、『なぜ』という質問は的が外れてる」

 

 面白くなさげに、彼は言った。

 

「お前も同じ種類の人間だからわかるだろう」

「違う」

「人を殺してないからか? 悪さをした人間に罰を与えているからか? それは反論材料にならない」

 

 彼は嘲笑する。

 見透かしたような言い方に、俺は苛ついた。

 

「お前がそんな人間だからって、殺していいことにはならない」

「殺さない理由にもならん。俺はそういう心をもって生まれた人間だ。本能に従うだけ」

「だけど人間として、倫理や理性が働くだろ。『なんてことだ。人を殺してしまった』って、少しは思ったことがないのか?」

「ない。それに、お前がまともな倫理観を持ち合わせてるとも到底思えん」

 

 話は平行線だ。こいつは俺とは違う人種なんだと、それだけでわかる。

 だからこいつの話をまともに聞く必要はない。ないのに、なぜか耳に入って心にこびりつく。

 

「ただ悪人を痛めつけて何になる。お前がやってきたことは全部、無駄のまま終わる。罪を犯した人間はまた同じことを繰り返す。善良とはいえなくても、罪のない普通の人間が犠牲になる。お前は問題の解決を先延ばしにしているに過ぎない。お前がやっていることは何の意味もない」

「意味はある。少なくともE組の何人かを危ない目から助けてきた」

「他の人間を傷つけてな。大義名分があって許されるなら、お前は俺を否定できない」

 

 研ぎ終えたナイフを机に置き、彼は次のに手を出した。

 

「この世には殺す必要のある人間がいる。世間はそれを知っていて、願ってるんだ。倫理に邪魔されずに事を済ませられる人間の登場を待っている。表では理解できないふりをしながらな」

「だからお前がやってるってのか、人殺しを」

「俺にはそれができるからだ。できる能力があり、できる精神がある。それを行使することを世界が望んだ」

 

 『蟷螂』がいきなり机から飛び降り、俺の目の前までやってくる。

 ナイフをちらつかせているが、威嚇ではなく、ただの彼の癖だ。

 

「お前もそうだろうが。E組とお前が『貌なし』を戦わせることを望んでる。驚異の排除を一人で背負わせることを黙認してる」

 

 俺は頭を振った。

 

「俺が勝手にやってることだ。みんなは何も知らない」

「今は違うだろう? お前が『貌なし』だってことはあのクラスの何人かは気づいてる。それでもお前がこうやって一人で来て、ぼろぼろになっているのは、お前を含めた全員がそれを望んでいるからだ」

「やめろ」

 

 わかったような口をきくな。

 あいつらは俺とは違う。だから俺があっちに歩み寄らないとどうもできないんだ。

 E組のみんなは待ってくれている。だけど俺が拒否した。みんなはまったく悪くない。

 他の誰も傷つかずに俺だけが傷ついてるのは、俺が、俺だけがそう望んだからだ。

 

「お前のことを心配してる人間なんて一人もいない。俺やお前のような人間は、誰にも認められずに利用され、捨てられるだけだ」

「やめろ」

「『普通の人間』の枠から外れた俺たちは、理解を求めずにやることをやるしかない!」

「やめろ!」

「大切な仲間に隠し事をして嘘をついているお前のことを、誰が好きになってくれるってんだ!」

 

 俺の中で、何かがぶつんと切れた。

 咆哮を上げ、全身に力を込める。

 みしりみしりと縄が鳴るが、切れはしない。だが諦めない。こいつの口を閉じられるなら、俺の手が千切れてでも吹き飛ばしてやる。

 縄が悲鳴をあげ始めた。ぶつり、と繊維が弾ける音がする。だが、そこまでだ。

 黙ってくれ。誰かこいつを黙らせてくれ。みんなが悪いだなんて、誰の口からも聞きたくない!

 

「理解されないなんてわかってる! 誰も俺を好きになってくれないことも! それでも、これは俺がやるしかないんだ!」

 

 居場所が欲しかった。

 ずっと家にも居場所が無くて、どこか安心できる場所が欲しかった。

 それをくれたみんなを守りたかった。俺がいてもいいと思えるように力になりたかった。

 それだけだ。それだけなんだ。

 

 方法が間違っていたらどれだけよかったか。

 けれど『貌なし』は危険を摘み取り、脅威を防いだ。だからこれが正しい事なのだと思った。

 そしてそれが出来るのは、俺しかいない。

 

「そう、やるべきことをやるしかない。だがその先には何もない。俺たちは望まれつつ、罵られて蔑まれて足蹴にされ……最後には捨てられる」

 

 俺がやるべきことだから、当然のことだから、誰も何も思わないということか。

 当たり前のことを当たり前にこなしている人間には賞賛もない。だって、当たり前なんだから。

 そういうことなのか?

 結局俺のやってきたことは全部無駄だってことなのか?

 

 ああ、考えてみれば俺という人間は無茶苦茶じゃないか。

 一緒にいたいくせに……居場所が欲しいくせに傷つけて、隠して、遠ざけて。守りたいくせに弱い。

 

 力が抜ける。

 じゃあ、俺が生きてきた理由はなんだ? 戦った理由は? 目的は? 意味は?

 考えれば考えるほど突きつけられてくる『無意味』に吐き気がする。

 

 いいや、待て、待て。

 確かに認めてほしくはあった。だが、一番はみんなが無事でいることだろ。

 それでいいんだ。なのに……そのはずなのに、胸が苦しくなる。

 

 口からものが出そうになるのをこらえて、床が歪む錯覚に酔っていると、『蟷螂』の足先がこちらに向いていないのに気が付いた。

 顔を上げると、彼は扉のほうを見ていた。

 

「何人か近づいてきてる……六人だ」

「お迎えか。くそ」

 

 俺を殺さないでおくように言ったのは、シロ以外にいないだろう。

 回収部隊が来たのだ。

 

 シロは医者に命令して、何かを注射しようともしていた。

 俺は実験体にされるのだろう。イトナのように。

 

「いや……おかしい」

 

 『蟷螂』の纏う雰囲気に緊張が混じり、彼はナイフをホルスターに差し始めた。

 

「銃を持ってる」

 

 そう言うと、彼は部屋の明かりを消した。

 瞬く間に暗闇となり、『蟷螂』は扉の陰に隠れる。

 

 数秒後、どたどたとせわしない足音が聞こえてきた。大勢だ。

 音が一瞬止むと、勢いよく扉が開いた。

 

「なんだ、『貌なし』だけか」

 

 光がドアの外から差し込み、さらに男たちの持っているライフルのライトが眩しくて目を細める。

 白い対殺せんせー用の服を纏った男たちが三人入ってきた。

 部屋が狭いため、他は待機しているようだ。

 

「『蟷螂』はどこ行った?」

「どうだっていい。こいつさえ手に入れば、奴は用済みだ」

 

 部隊のうち二人が、俺の腕を縛っている縄を解こうとする。

 その瞬間、生暖かい液体が俺の身体にかかった。

 

「あ……?」

 

 その言葉を発した後ろの男は、目を見開いたまま首を抑える。

 同時に溺れるような声にならない声。噴き出した喉の血のせいだと気づいたのは、そいつらが足元に倒れてからだった。

 『蟷螂』の流れるような動きで、二人の首は裂かれ、一瞬にして死体となってしまったのだ。

 

 続いて、『蟷螂』は呆気に取られている三人目に手をかけようとしていた。

 

 だめだ。やめろ。

 

 縄が緩んでいるような気がする。

 さっき、完全に解かれはしなかったが、隙間ができていたのだ。

 その隙間を利用して、手を動かす。結び目に指が引っ掛かった。よし、いける。

 

 状況は、『蟷螂』が三人目を殺し、部屋に四~六人目が入ってきたところだった。

 惨劇を理解し、男たちは慄きながらも『蟷螂』に銃を向ける。それと、俺が縄を解いたのは同時だった。

 

 すぐさま先頭の男の銃身を掴み、上に逸らす。直後、マズルフラッシュが部屋を一瞬照らした。薬莢と銃弾が床に落ちる。 

 男がこちらに手を伸ばすが、身体をねじって蹴り飛ばす。壁に激突したそいつの頭を掴んで、顎を打ち抜いた。

 脳を揺らされ、昏倒する男の手から銃をもぎとり、投げる。それは『蟷螂』を狙っていた男の頭に当たり、隙を作る。

 

 俺はもう一人の足を引っかけ、転ばせた。不運なことに頭を打って、そいつは気絶した。

 その俺の目の前に、頭にナイフの刺さった一人が倒れる。俺が投げた銃が当たった方だ。

 

 絶望感に足が竦む。

 目の前で四人も殺された。その事実に、胃から何かがこみ上げる。昏倒している男の上に吐いてしまった。

 

 思えば、死体を見るのはこれが初めてだ。

 そりゃそうだろう。死体なんて、普通に過ごしていれば葬式以外で見ることは滅多にない。

 それが暗殺の意が渦巻くE組の生徒であろうとも、だ。 

 

「……捨てられたな」

「そうみたいだな。あいつは、俺よりもお前を選んだらしい。殺人鬼を飼うのはリスクが高いからな」

 

 どういうわけか、シロは俺を捕らえて、『蟷螂』を殺そうとした。

 真意はわからんが、そのどちらも失敗した。今度はどんな手を出してくるかわからない。

 

「言っただろう。俺たちは捨てられるだけだと」

 

 はあ、とため息をつき、『蟷螂』はナイフをしまう。

 俺に興味を失ったかのように、背中を向けて去ろうとする。

 

「待て、どこに行く」

「シロを殺す」

 

 裏切られたからか、それとも単純にイラついたからか。ただそれだけで殺せるのだ、こいつは。

 それは明らかに、俺の中にある常識の範疇を越えていた。

 

「もういいだろう。これだけ殺して、まだやるってのか」

 

 お前には理解できない、と言うように、『蟷螂』は鼻を鳴らした。

 

「助けてくれたことには礼を言う。今回だけは、殺さずにいてやる」

「待て……待て!」

 

 殺人鬼を逃がすわけにはいかない。放っておいたら、もっと屍が積まれることになる。

 だけど身体は俺の言うことを聞いてくれず、膝をついてしまう。意思とは逆に、身体が休めと訴えてくる。 

 力が入らない。

 失意の底で、死体に囲まれながら嘆く。

 消えていく『蟷螂』のあとを、追うことが出来なかった。

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