――結局、見つけられなかった。
俯いて、とぼとぼと帰路につく不破の心は沈んでいた。
みんなが協力しても、國枝は見つからなかった。
どこにいるのか、何をしているのか、無事なのか。時間が経つごとに不安が増す。
暗くなる前になって一時解散となったが、彼女は諦めきれずに思いつく限りの場所を探した。
結果は、疲れた表情で一人歩く彼女を見ればわかる。
もう少しで家に着く。ご飯を食べてからまた探しにいこうか、みんなと連絡を取ろうか、明日はどうしようか……
そんなことを考えていると、視界の端に何かが映る。
いつの間にか人とぶつかりそうになっていた。間一髪のところで衝突を避ける。
――危ない。ぼうっとしてたら、國枝くんを見つけられないよ。
と、気合を入れ直したところで、不破に違和感が走る。
――さっきの人……なんだか様子が変だったような?
不破は振り向いた。
「國枝くん……?」
腕を抑え、ずりずりと摺るように歩を進めるフードの男を見て、不破は驚いた。
着ている灰色の迷彩服は、昨晩に見たものと同じだ。ただし、いたるところが裂かれて千切られている。破れた箇所から見える肌が血に染まっているのが、激動を物語っていた。
「國枝くん……だよね?」
彼女の言葉に、その男は足を止める。
「もう遅い。早く帰れ」
こちらを振り向きもしなかったが、その声は間違いなく國枝のものだった。
――やっと見つけられた。なぜこんなところで? 怪我は大丈夫? そもそもどこまで行ってたの? 『蟷螂』は?
山のように疑問が重なる。
その問いを発する暇も与えてくれず、そしてあんなにも傷ついているにも関わらず、國枝はそれだけ言ってまた進みはじめた。今にも倒れそうに足を摺りながら。
「待ってよ」
「『もう知らない』んだろ」
吐き捨てるように言いながら、國枝は遠ざかろうとする。
「待って。お願いだから待って!」
「行けと言ったり、待てと言ったり……」
「我儘なのはわかってる。だけど、お願い、今は待って」
これ以上距離が空いてしまうと、もう二度と会えないような気がして、離れるたびに近づく。
だけども触れるのが怖かった。昨日のように、手を払われるのが怖かった。
なにより、ギリギリで生を保っている彼に触れて、壊してしまうのではないかと恐れてしまう。
「行くことを選んだのは俺だ。お前は何も考えず、『知らない』で済ませればいい」
誰かが傷つくくらいなら、独りになって自分が傷つく。國枝響とはそういう男なのだ。
たとえその『誰か』が彼を見捨てた人だとしても、E組のためならなんだってしてしまう。
E組のことが好きな彼が、E組があるから壊れてしまう。
でも、それが彼のやりたいことなのだろうか。
傷つき傷つけ傷つけられて、その後に何を望んでいるのだろう。
何が國枝をそこまで捻じ曲げてしまったのか、不破にはわからない。
親か殺せんせーか、それとも自分たちか。
しかし心の中で思うことは一緒だと信じたい。
同じ人間で、同じ中学の大切なクラスメイトなのだから。
「これが私たちなの? 國枝くんは、私たちとこんな関係でいいの? こんな……お互いに勝手な関係で?」
涙が溢れそうになる。だけど、駄目だ。涙を流してしまえば、言いたいことも、言うべきことも言えなくなる。
安心できるまで、國枝が戻ってきてくれるまで、不破はこらえた。
彼は立ち止まって……首を縦にも横にも振らない。
不破はその背中へ、言葉を向けた。
「謝る、謝るから、ねえ、お願い……やだよ。こんなことで、國枝くんと一緒にいられなくなるなんて」
本当は今すぐ引き連れて、休ませてあげたい。不破はその衝動をぐっとこらえる。
止まって、悩んでくれているなら、彼が自主的に頼ってくれることもあり得るのだ。
強硬手段に出るのは、彼が去ろうとした時でいい。どちらにせよ、不破は國枝を取り戻す気でいた。過去の自分から、そして國枝自身から。
「何度だって謝るから……國枝くんが少しでも私と同じ気持ちなら……それ以上行かないで」
▲
『蟷螂』が去ったあと、何時間か経ったところで俺の身体はようやく意志に沿ってくれた。
幾分か体力の回復した俺は、いまだ死体が転がるあの凄惨な地下室から抜け出し、外に出た。
幸いなことに、ずたぼろの服を着て足を引きずる姿を見られることはほとんどなかった。あっても、見て見ぬふりをしてすれ違っていく。
危険には近寄るべきではない。特に『貌なし』『レッドライン』『蟷螂』がいる夜の外では、外に出ないことが自衛となる。
人々の反応は薄情ではなく、いたって正常なものだ。
まさかそこで、不破に会うとは思わなかったが。
連れられて入ったのは彼女の家の、彼女の部屋。壁に沿う大きな本棚には、みっちりと漫画が詰められている。部屋の真ん中には壁のように漫画雑誌が積まれていて、向こう側は不破兄の領域らしい。
落ち着かない匂いと雰囲気に、そわそわしている余裕はない。
苦労して脱いだシャツは血を吸って、重さが増している。それを、不破が持ってきたビニール袋に入れた。
幸いにも、どこの骨も折れていないようだ。運が良い。
しかし無事というわけではない。血は流れ、意識は途切れそうで、感情は落ちている。
不破は、ずたずたになった俺の身体をタオルで拭いたあと、消毒液を傷口に沁みこませた。失いそうな意識が、痛みで覚醒させられる。
身体が跳ねるたびに、不破はびくりとするがやめることはなかった。
「上手いな」
傷口にガーゼを貼り付けて、包帯を巻く彼女の腕はなかなか器用だった。
「お母さんが看護師だから、応急処置の仕方習ったの」
「習った?」
「國枝くんをちょっとでも助けられるかな、って思って……」
俺が『貌なし』であるという姿を見た最初の女子は不破だった。たぶんその時から、彼女はこういうことも覚え始めたのだろう。
あの時から、俺の身体はずっとぼろぼろのままだったから。
「そのお母さんは?」
「今日は夜勤だって。お母さんが夜に病院から呼ばれるのは珍しいんだけどね」
「そうか」
「うん。はい、終わり」
上半身はほとんど包帯状態になってしまった。それだけ、いろんな場所に怪我が出来ている。
不破は俺の腹、胸、肩、腕となぞるように手を這わせる。最後に俺の手をそっと取って、固まってしまった。
「不破……」
「ごめんね。でも離したら、國枝くんがどこかに行っちゃいそうな気がして……」
彼女はそう言って、内出血で赤と青に塗れた手をじっと眺める。
「ずっと、ずっと守ってくれてたんだよね。こんな……こんなぼろぼろになってまで……なのに私……っ」
彼女はよくできた子どもの頭を撫でるように、指で手をさする。そうすると同時に、不破の目から涙が溢れ出た。
ぽたりぽたりと流れ、手に落ちるそれが温かく感じて……温かすぎて、俺の心が揺さぶられる。
「よかった……國枝くんが無事で……」
まだぼろぼろと泣き続ける彼女に、俺は安堵する。
俺の心配をするくらいだ。他のみんなも無事だろう。
どうやら立花は脅してきつつも積極的に手を出してくる気はないらしい。少なくとも今のところは。
ひとしきりしゃくりあげたあと、不破は腫らした目をこすった。
「何か飲む? オレンジジュースかお茶か……」
「いや、いい。口が切れてるし、それに……気分じゃない」
床に座ると小さいうめき声が漏れた。傷が開かないように慎重に動いても、肌が悲鳴をあげている。
「お父さんにはなんて?」
「気にしないでって言っておいた。騒ぎになっちゃうから」
娘がぼろぼろの服を着た男を連れ込むなんて、簡単には了承してくれないだろう。
だが彼女は言いくるめたみたいだ。血だらけなのを見たら、そう上手く言い込められなかっただろうが。
手持無沙汰な不破は俺の真横に座る。
何か喋ろうと思ったが、頭の整理がついてないせいで軽口すら叩けない。
床に体重を預け、痛みに耐える。
鷹岡と立花と『蟷螂』。その三人から与えられた傷のせいで、どれだけ死線を彷徨っただろうか。
「立花さんにね、色々言われた」
ぼそりと、不破が独り言のように呟く。
「立花に?」
「こんなことになったのは、私たちのせいだって。みんなが國枝くんを待つだけだったから、こうなったんだって」
あいつはいったい、何をどこまで、何の目的で言ったんだ。E組のみんなに変なことを吹き込んだのか。俺に言ったみたいに。
「みんな否定できなかった。あのカルマくんでもね。私も」
「あの女の言うことを真に受けるな。かなり……複雑な奴だから」
「でも否定できなかった」
不破は俯く。
立花が『レッドライン』だと知れば、彼女が言っていることは聞くに値しないとわかるだろう。
首を絞められて、喜んだまま気絶するような奴だ。
だが俺がそれを言うことは憚られる。
正体を知られれば、立花は真っ先に不破を標的にする。俺と戦う口実にするだろう。
今のところ、大人しくなっているあいつを刺激するのは得策じゃない。
「私の家の近くにいたのは偶然? 家までの通り道だった?」
「わからない。自然とここに足が向かった」
正直に言って、こうやって家に入れてくれるとも思ってなかった。
ただ、安心できる場所を彷徨ってたどり着いた場所がここだった。
「國枝くんのこと、見捨てたのに……」
「……」
肯定も否定もできなかった。
この前の問答の結果、俺は不破たちを置いて一人で戦いに行った。そして、同時に俺は不破に置いていかれた。
その事実は、俺たちの中に傷をつけた。こんな身体の痛みなんてどうでもよくなるくらいの深い傷を。
力になれないと言うつもりだろうか。その先を聞きたくなくて立ち上がる。
すると不破も立ち上がって、俺が去るのを止めた。
「國枝くんのそんな顔、初めて見る」
そう言われても、俺は自分の顔がわからない。ずっと隠してきて、見ないようにしてきたのだから。
『そんな顔』どころか、普段の顔も怒った顔も、笑った顔ですら俺はわからない。俺が自分のことについて知っていることは、殴り殴られることに慣れているということだけ。
そのほかのことは、何もわからない。何も……
「ねえ、話したい事があって来たんじゃないの? だからついてきてくれたんじゃないの?」
話したい事はたくさんあった。あったけど、それを話すことは正しいことなのだろうか。
俺はここに来てまで悩んでいる。
俺が身の上話をしたことで、不破は俺を頼ろうとしなくなり、そしてシロの罠にはまり、『蟷螂』に殺される寸前までいってしまった。
その危険をまた冒せというのか。
「待つって言ったけど、ごめん、國枝くんのこんな姿を見せられて……そんなこと言えないよ」
彼女がぎゅっと俺の腕を掴む。傷を負っていなかったとしても痛いほど強くて……震えていた。
「悩んでるなら聞くから、話して」
掴んだ腕はそのままに、不破は頭を胸に預けてくる。
俺には二つの選択肢がある。
不破を払いのけてこの家を出ていくか、それとも……
「誰にも理解されなくていいと思ってた。俺だけが自分のことをわかっていて、するべきことをすれば、それだけでいいと」
不思議と、口が勝手に動いた。
「実際、今日まではそれでやってこれた。ずっとそれでやっていけると思ってた」
放っておかれて、一人だと思わされて、一人でやって、なんとかできた。俺の人生はその繰り返しだった。
捨てられるくらいなら、こんな苦しい思いをするくらいなら、元から一人でやってしまおうと思った。そう思わされた。
誰か守りたい人ができてしまったなら、俺が守れるくらい強くなればいい。その人に危険が及ばないように、俺が走ればいい。
捨てられないように、深い関係は持たないまま、ひっそりこっそり。たった一人で。
「けど、けどな、不破。もう無理だ。もう無理なんだ」
そこでようやく、自分の声が震えていることに気づいた。
感情の蓋が外れてしまい、溢れて止まらなくなる。
際限のない怒りを感じたことは幾度とあれど、これだけの悲しみを感じたことは久しぶりだった。
頭がぐちゃぐちゃになって、足から溶けてしまいそうなくらい、力の感覚がなくなる。
「國枝くん、何があったの?」
「たいていのことは一人でできると思ってた。今までいろんなことを言われてきたし、やられたこともあった。死にそうになったこともある。けど最後にはいつも一人で解決してきた。それでいいんだと、それが俺の道なんだと納得したつもりでいた」
人は一人では生きていけない。そんなことを何回も聞いた。
しかし俺は違う。一人でいられるだけの心の強さと経験を積んできたはずだ……そう思っていた。
「けど、だけど……」
「國枝くん……」
「やってきたことが全部間違いだと、そう思わされた。自分の無力さをありありと見せつけられたよ」
生きてきた道が外れたものだと言われた。進んできた十五年間が意味のないものだと言われた。俺の歪んだ精神は、誰にも責任を押しつけることのできない罪だと。そして、そこまでして出来上がったものに力がないことを証明させられた。死体を目の前に転がされることで。
アイデンティティが否定され、積み上げてきた『國枝響』が音を立てて崩壊していく。
世界が俺を拒絶して、存在自体が間違いだったと言われたような気分だ。
「最悪の気分だよ。何が正しいのかわからなくなった。俺はもう、自分のことすら一人じゃ抱えきれない」
我慢できなくなって、留めていた涙が流れる。
「もう……一人じゃ……」
俺は弱い。あまりにも脆く、醜い。
強いと思っていた俺の心はばらばらになる寸前で、繋ぎ留めておくだけで精一杯。
いま立っていられるのも、不破が支えになって寄り添ってくれているからだ。
「教えてくれ。俺はどうすればいいんだ」
いまの俺にはなにもわからない。
小難しい途中式や論理なんかすっ飛ばして、答えが、答えだけが欲しい。俺が安心するに足るような明確な答えが。
「助けてくれ、不破」
不破がそっと動いた。
拒否されるだろうか。それが嫌で、ぎゅっと目を瞑る。
だが、反して彼女は俺を抱きしめてきた。そっと優しく。
「ごめんね。不謹慎かもしれないけど、いま、ちょっと嬉しい」
俺の胸に顔をうずめて、深く吐息を漏らす。
「國枝くんがやっと『助けて』って言ってくれた」
彼女は俺の背中に遠慮なく手を回して抱きしめる。
強く、だけど暖かい。そこに不破優月がいることを伝えてくる。
暗殺のために鍛えていても、柔らかく細い。そんな彼女の身体を、折ってしまいそうなくらい強く抱きしめた。
突き飛ばされるのが怖くて、拒絶されるのが怖くて、逃げられないように必死で力をこめる。
不破はむしろ密着した身体をもっと近づけるように、顔を擦り付けてくる。
「助ける、助けるよ、國枝くん。私はここにいるから」
ぼやけた視界の中で、不破が笑ったのがわかった。