「なあ不破……やっぱり……」
「ダメ。ちゃんとみんなと話すって約束したでしょ」
扉の前で、弱気になってしまう。
長い間学校に来てない生徒が登校するときってこんな気分なのだろうか。俺が来てなかったのは一日だけだったけど。
一日、一日か……濃かったな。
恐る恐る教室に入るなり、空気がざわつく。
みんな、俺が来たことで一瞬だけ明るくなったが、すぐに息を呑んだ。
俺の顔が痣と腫れと傷まみれなのを見て、目を逸らす者もいる。
制服の下はもっと酷い。今も不破に支えられていなければ倒れそうなくらいなのだ。
こんな状態じゃ、次に誰かが襲ってきたときに何もできない。
まあ、こんな身体じゃなくても、今は精神的に助けが欲しい。
「みんなに話すことがある」
そう切り出して、俺は鞄の中身を教卓の上に出す。
「俺が『貌なし』だ」
教室がいっそうざわめく。
話を聞いていたのと、本人の口から語られるのではまったく違う。
机に置かれた『貌なし』一式を見て、もはや疑いようのないことだとみんなが信じる。
「全部……全部お前が……」
「そうだ。俺がやった」
「話も聞いて映像も見たけどよ、なんていうか……現実味がねえよな」
「國枝が強いってのは知ってたけどさ……やっぱり……」
大半は話を信じていながら、まだ受け止めきれていないようだ。
俺は、いきなり外からやってきた殺せんせーや烏間先生、ビッチ先生たちとは違う。
椚ヶ丘中学の生徒。多少のぶれはあっても、それほど変わった経験はないだろうとみんな思っていた。
それがこんな、大きな隔たりがあるとは想像もつかなかっただろう。
「本当だよ。本当に、國枝くんはずっと私たちのことを守ってくれてた」
一人だけ、不破だけがなんの迷いもなくまっすぐにみんなを見ていた。
「ねえ、終わりにはできないの?」
みんなを代表して、渚が声を上げる。
「國枝くんが僕らを守ってくれたように、僕らが國枝くんを守る。だから、『貌なし』になるのはもうやめられない?」
それが理想の形なのだろう。
全員が全員の足りないところを補い合って、誰もが犠牲にならない対等な協力関係。
だが……
「まだ、一つだけやることがある」
「やること?」
「堀部を助ける。堀部はシロに利用されてるだけだ。あいつは俺たちを傷つけたけど、あいつ自身はもっと傷ついてる。このままにしておけない」
困惑した表情を向けられる。
プール爆破事件のこともまだ鮮明に頭に残っている。許せなく思うのも当然だ。
俺だって一発殴ってやりたい。
救うにしても罰を与えるにしても、あいつをここに引っ張ってこなきゃいけないんだ。
「力を貸してほしい。奴の場所を特定するんだ。ここに連れ戻すために」
俺は頭を下げた。
堀部をシロの手から、触手から解放してやらないかぎり、俺は自分を肯定できない。
『蟷螂』の言った『無意味』を否定することができない。
「どうしてそこまでしようとするんだ?」
「お前らだって一緒だろ。あいつは……堀部イトナはE組の一員だからだ」
顔を合わせた回数は少ないけれど、堀部イトナはE組の生徒だ。
俺たちが見捨てるわけにはいかない仲間の一人なんだ。
「いいんじゃない。俺は賛成。せっかく國枝が頭下げてんだからさ」
口角を上げて、カルマがいの一番に挙手する。
「國枝さんは、私がE組の仲間になるのを待ってくれました。私を守ってくれました」
次に声を上げたのは律だ。
「私も賛成です。恩返しというには軽いですが、少しでも國枝さんの力になりたいです」
「俺も」
「私も!」
「僕も」
「もちろん私もですよ、國枝くん」
みんなが賛成してくれる中に、殺せんせーも混じる。
やめようだなんて言うのは一人もいなかった。
さて、全員が協力体制に入ったところで、いくつか机を引っ付けて周りを取り囲む。
「ここまで堀部が見つからなかった原因は、シロの管理下にあったからだ。殺せんせーの前以外で暴れることを許さず、ずっと姿をくらましてきた。だがそれも終わり」
「昨日今日で、イトナ君に襲われたと思われる場所をピックアップしたよ」
律が印刷してくれた地図に、不破が丸を書きこんでいく。
堀部が見捨てられて以降、いくつかの店が滅茶苦茶に荒らされているという情報は、ニュースで流れている。
映像を見る限り、店内もガラスもすっぱりと切られた傷が残っていた。触手による攻撃の特徴だ。
そして、その店とは……
「ケータイショップか」
例外なく、全てがそうだった。
周りにも飲食店やら本屋やら多様な種類があるのに、それらは一切傷つかず。
ただ暴れているわけじゃないことはこれでよくわかった。
堀部にはまだ理性がある。
「場所と時間から見て、そんなに速く移動してるわけじゃなさそうだな」
「苦痛に苛まれながらもこうやってお店を破壊できるのは、ひとえにイトナ君の感情の力が強いからでしょう。ですが、身体的には限界のはずです」
殺せんせーが罠にかけられ、俺が『蟷螂』と初遭遇したあの夜の時点で、堀部はこれ以上ない苦しみを受けているようだった。
「このままいけばどうなる?」
「触手がイトナくんを侵食し……やがては死ぬでしょう」
「リミットは?」
「……今日中になんとかしないとまずいですねえ」
すでにあれから三十六時間以上が経っている。
触手、人体実験……数々の問題があるあいつを、政府が放っておくとも考えづらい。
「だったら、はやいとこ捕まえねえと」
「これだから馬鹿は」
「んだと!?」
立ち上がる寺坂に、カルマがいつも通り言うと、寺坂もいつも通りの反応を返した。
「まだ材料が足りないよ。でしょ、國枝?」
「ああ。捕まえたところで、触手を取り除けなかったら結果は変わらない。それをどうするか……」
「もし、まったくの抵抗もなければ、先生が触手細胞を取り除けます。しかし、少しでもイトナくんが触手に執着していると……」
つまり、堀部を説得しなければならないわけか。そのためには彼の過去を知っておく必要がある。
それはこいつらでもできる。
なら残る問題は、誰がどうやって堀部を捕まえるか。
「……身体が痛む。後は任せていいか?」
「ああ。早く休め。進展あったら教えるからよ」
▲
みんなが考えている中、俺はこっそり抜け出して学校の外に出ていた。
襲われた店は三つ。もうわかっている通り、どちらもケータイショップだ。
数あれど、あまり動けないはずのイトナが狙えるのは限られる。普通に歩くことすら難しいはずだから、範囲はかなり絞られる。
予想範囲の中にある店の一つが滅茶苦茶にされているのを発見して、やはりと思った。
飛散したガラスは、店の外へも飛び出していて、中も外もぐちゃぐちゃに荒れ果てている。
いま破壊されたばかりだ。
その証拠に、店の中で苦しみにあえぐ堀部がいた。
「堀部」
「ぐ……く……」
呼びかけても、まともな返事をしてこない。
青筋が立っている顔と、とめどなく流れる汗、制御できていないような動きの黒い触手が限界を物語っていた。
応答の代わりに触手が鋭くしなるが、かなり弱っていてスピードはがくりと落ちている。初動さえ見切ってしまえば、その単純な攻撃をかわすのは不可能じゃない。
体力がなくなっているのに無茶をしたせいでふらふらとゆらめく触手を掴んだ。堀部はそこらへんの不良よりも弱い力で抵抗するが、俺は離さない。
「今のままじゃ死ぬぞ。E組に戻れば、お前は生きられる」
「それに何の意味がある……っ。俺は強くなくちゃいけないんだ。誰よりも、お前よりも!」
言い返そうとして、言葉が浮かばない。
漫然と生きるより、するべきことをして死のうとするのは、俺も同じじゃないのか。
そんな俺が彼を止められるはずもなく、彼は抵抗の力を増してきた。
話だけで済めば万々歳と思っていたが仕方ない。ここは無理やりにでも拘束して、殺せんせーの前に突き出すか。
そう考えて、拳に力を込めた瞬間……
「強くなるのは立派ですが、そのために死ぬことは、先生は看過できません」
後ろから聞きなれた声がした。
振り向くと、殺せんせーだけじゃなく、E組が全員揃って立っている。
「お前ら……」
「こうなると思ったよ。だから國枝の後を尾けたんだ」
カルマが非難するような目で俺を見る。いや、彼だけじゃなくみんなが怒ったような表情だ。
「ここは俺に……」
言いかけて、口が止まった。
ころんころんと何かが転がってきた。小さく、丸い何か。
それには見おぼえがある。手りゅう弾だ!
伏せる間もなくそれは爆発し、俺たちの視界が真っ白に染められる。
だが不思議と痛みはない。破片手りゅう弾や閃光手りゅう弾でもないみたいだ。
おそるおそる目を開けると、白い粉が宙を舞っていた。
「ぐうぅっ」
この場で堀部だけがのたうち回る。これは……対触手用の粉爆弾か。
見れば、殺せんせーの体表も一部どろどろと溶けている。
こんなのを使ってくる奴なんて……と
銃撃が店の中に降ってきた。
実銃弾じゃない。BB弾だ。これもまた触手生物だけを狙ったもの。
俺は堀部の前に立ってそれを防ごうとしたが……彼はどこからか放たれてきたネットに捕らえられ、店の外へと引きずり込まれる。
粉を振り払って俺も外に出ると、店の前にトラックが止まっていた。
その荷台には三人ほど、シロと同じ対殺せんせー服に全身を包んだ何者かが銃を構えている。中心にはネットランチャーがあって、そこから出ている網が堀部をすっぽりと包んでいた。
トラックが急発進する。それに引きずられて、堀部が攫われていく。
殺せんせーもすぐに飛んで後を追った。
「あんの野郎ォ。また俺らをコケにしやがったな」
「めちゃくちゃにしてやろうよ、あいつの計画。このまんまじゃ、俺収まりつかないし」
寺坂とカルマが、それぞれ怒りを浮かべて拳を鳴らす。他のみんなもやる気満々のようで、目をぎらつかせていた。
「待て。待てよ、お前ら」
「この期に及んで、まだ止める気かよ」
「シロが罠を張ってるに決まってる。プールの時みたいに、全員巻き込まれるかもしれないんだぞ。なんで同じことを繰り返そうとするんだ」
「繰り返そうとしてるのはお前のほうだろ、國枝」
「死ぬ寸前までいって、まだ意地張る気かよ。協力するって言っただろ」
寺坂も村松も吉田も首を振る。
どうしてそこまで危険な目に遭おうとするんだ。
「見つけるのを協力してくれとは言った。だがここから先は無事じゃすまない。ここは俺が……」
「相変わらず、馬鹿は治ってないみたいだね」
「なんだと?」
「馬鹿に馬鹿って言うべき人間が馬鹿に言って何が悪いのさ」
俺とカルマは顔をつきあわせる。
「馬鹿だろうがなんだろうが、ずっとこれでやってきた。これで上手くいってきた」
「それが間違いだった。やっぱお前を置いておくわけにはいかなかったんだ」
修学旅行の、あの誘拐騒ぎの時に言ったセリフと同じようなことを、また言ってくる。
あの時からすでに、カルマは俺の正体を知っていた。
ならそこまでで俺がどれだけ怪我してきたかも知ってるはずだ。
それを追う役目は任せてくれたらいい。その他のことで力になってくれれば、俺はそれでいいんだ。
なのにカルマはどいてくれない。俺が間違っているという意見を覆す気がない。
「よし、聞いてやろう。その聡明な頭で考えてくれよ。誰も死なずにシロを撃退して、堀部を助ける方法を」
「みんなで立ち向かうんだよ」
アホみたいな提案に、俺は鼻を鳴らした。
「それで、みんな仲良く傷ついて大団円か?」
「よくわかってんじゃん」
「それが嫌だって言ってんだろうが。それしか言えないなら、俺は俺だけで行く」
「だぁから、お前の方法が間違ってるからこの方法を提案してるんじゃん」
カルマは俺の肩を掴んで止めてくる。
「みんなで作戦を考えて、みんなで協力して、みんなで実行する。で、みんなで無事に帰る。どこがわかんないのか言ってみてよ」
俺は俯いて唇を噛んだ。
言うだけは簡単だ。問題は、それを遂行するのに必要な力と作戦。
俺はいったん頭を落ち着かせて、冷静になった。
このまま一人でがむしゃらに行って、堀部を助けられる可能性はなくもない。『蟷螂』に比べれば、シロの周りにいる人間程度はなんとかなるだろう。
だが、カルマの言う通りにすれば成功率が飛躍的に上がるのも確かだ。
クラスメイト全員で挑めば戦力は十分。あっちに追いつけば、殺せんせーもいる。
作戦に関しては、すでに実績がある。
俺が言ったプールの時だって、こいつは見事にその場で作戦を決めてみせた。
全てに納得できたわけではないが……ここまで来た以上、みんなはシロを追いかけるだろう。
そこで俺が足並みを揃えなければ、逆に危険にさらしてしまうかもしれない。
「上手くいくと思ってるのか?」
「思ってるよ。ずっとやってきたことだからね」
カルマは即答した。寺坂もずいっと前に出てくる。
「あとは、お前が乗るかどうかだけだぜ」