観客席まで逃げ回るE組を、A組が追う。
普通の棒倒しでは考えられない異様な光景に、全員の視線が集まっている。全校生徒視線が。
その目の色が期待に染まっていくのを、俺たちは感じていた。
野球大会と同じような奇策。いやそれ以上のダイナミックな演出。
次は何を見せてくれるんだろうかという眼差しが注がれる。
そこにはもう、A組の圧倒的な蹂躙を期待する気持ちは半分未満しかない。
もちろん浅野もそれを察して悔しがる。
みんながE組を見る目が変わったこと、棒倒しの行方が自分の思い通りにいかないこと、この二つは彼にとって特に屈辱だろうからな。
隙を突いて、観客席からA組の棒へ何かが飛び出した。
最初に吹っ飛ばされたはずの、吉田と村松だ。
棒を支えているA組を足場にして、浅野を掴む。
「ぐっ!?」
奇襲に、浅野の顔が一瞬歪む。
あの猛烈なタックルを食らって無事なわけがないと考えていたようだが、派手に吹っ飛んだのは演技だ。
退場したと思わせて、虎視眈々と時を待っていたのだ。
「よし、今だ!」
逃げ回っていた周りのE組も一斉に棒へと突進。そして、あっという間に張り付いた。
より重みが増して、A組が苦し気に表情を歪ませる。
戦局が傾いた。だが……
「だが、君たちじゃ僕には勝てない」
ぐるん、と吉田の身体が回転した。
合気道か。
浅野を引きずり降ろそうとする吉田の力を逆に利用して、引き剥がさせたのだ。
「赤羽や國枝が真正面で一対一で挑んでくるなら多少は時間を稼げただろうが……赤羽は棒を掴むのに必死。國枝は攻撃部隊を足止めするために動けない」
浅野はふわりと跳躍したかと思うと、続いて岡島の顔を蹴り飛ばした。
棒を守る彼には、例外として蹴りが認められている。それを利用したのだ。
そして、棒を軸にし、急襲してきたE組を踏み、その勢いで跳躍、上からの蹴撃を繰り返す。
俺は浅野を指差しつつ、寺坂と竹林のほうへ振り返る。
「すごい、天内流格闘術みたいだな」
「言ってる場合か! 大丈夫か、あれ?」
「とか言ってて、別に心配してないだろ」
これも作戦のうち。
浅野の完璧さを過小評価なんかしたりしない。
磯貝が棒から手を離す。浅野の蹴りを腕でガードしたが、弾かれて地面に転がる。
浅野はにやりと笑った。こうやって一人ひとり剥がしていけば、再びE組潰しに専念できる……とでも思っているのだろうが、甘い。
磯貝が離れたのは、次の作戦の合図だ。
ぱっと起き上がった磯貝の背中を台にして、弾丸のように飛び出していく四つの影。それらが浅野に掴みかかる。
その正体は、渚、菅谷、千葉、三村だ。
「ちょっと待て、あいつら守備部隊だぞ!?」
「ってことは……」
「どうなってんだ、あれ!?」
A組の山に棒を立てかける形にして、寺坂が根本とA組を抑え、竹林が真ん中あたりを肩に乗せている。
棒を使ったとしても、五人を二人で抑えるのは不可能だ。だけど下敷きにされているA組は動けない。動いてしまえば、E組の棒は簡単に倒れてしまって決着が着く。
A組にとって勝つことは結果であって、目的ではない。『E組を潰す』というミッションが達成されていない状況では、指令なしで下手に行動を起こせないのだ。
だがこちらの目的は勝利一点のみ。元から覚悟が違う。
「人数差は大きなハンデになる。それを見せてやろうじゃないか」
「こ、この……」
流石の浅野も、これだけの人数に手足を封じられてはどうしようもない。
振り払おうとしているが……
「無理だ。A組の指示待ち人間ならともかく、一人ひとりが鍛えられた戦士だぞ」
雑魚程度なら何人いようと浅野の敵じゃないが、飛び乗ったのは体格や機動力に優れたメンバー。
力を入れられないように、肩や腿などの動きの始点を停めるように言ってある。
「んで、ここまで来ればあとは詰めだけだ」
他の連中が守備に回ろうとしている間に……
「来い、イトナ!」
棒の近くで磯貝が腰を低くする。膝に手の甲を当て、指を絡ませて皿を作る。
呼ばれた堀部は軽く息を吐いて、磯貝めがけて全力でダッシュし始めた。
ぶつからんばかりの勢いを緩めることなく跳躍。磯貝の手に片足を乗っけた。
磯貝は思いきり力を込めて、堀部を打ち上げる。
小さな身体は浅野より上まで飛び上がり、棒の先を掴んだ。
思いっきり棒を倒そうとする、先端についた肉の塊。もちろん支えられるはずもなく、棒は倒れて……地面に横たわった。
瞬間、音が止む。
決着が着いたことを理解するために、敵も味方も観ているだけの人も、全員が示し合わせたように止まった。
そして……
「すげえええ!」
「なんだ、いまの!? すっげえ飛んだぞ!?」
「E組がやりやがった!」
観客が、困惑と賞賛を送ってくる。拍手まで飛んできた。
この瞬間だけは、E組のことを落ちこぼれを見るような目で見てくる輩はいない。
野球大会、テスト、棒倒しと勝ってきた俺たちの実力から目を逸らせはしない。
下級生からは憧れのまなざしすら感じられる。
「ははっ、やったな、國枝!」
どん、と磯貝に背中を叩かれる。
「ああ、お前のおかげだよ、リーダー」
俺も彼の背中を叩き返す。手加減を間違えたせいで磯貝は咳き込んだが、すぐに笑顔に戻った。
「あんな人数差、マジで覆せるなんてな」
「もしかして、俺らってすごいんじゃね?」
前原や岡島が胸を張る。
実際、過酷な訓練を受けている中学生には、体育が得意レベルじゃ歯が立たないだろう。
チーム戦ならそれが顕著だ。特に、自軍のこともちゃんと見れていない大将が相手なら負けることはない。
負けたA組代表である浅野は歯を噛んで、眉間にしわを寄せる。
その彼が、理事長にちょいちょいと手招きされて後をついていったのを、俺は見逃さなかった。
△
浅野が理事長に呼び出されてから十分ちょっとくらい。彼が校舎から出てくるのと入れ替わりに、救急隊員が中へ入っていく。
元々は俺たち用か、校舎の前には救急車が何台か止まっていた。
「浅野」
声をかけると、彼は俺を見て小さくため息をつく。
負けた時の不機嫌な顔は変わらず、いやもっとしわが深くなっている。
「あの四人は?」
「……」
臨時留学生は浅野とともに呼び出されていたはずだ。なのに、帰ってきたのは浅野一人。
体育祭が終わって、はいさよならなんて関係でもないはずだ。
「理事長がやたら不機嫌だったが、それと関係あるのか?」
「……どうしてそう思う?」
「今のお前と理事長が滅茶苦茶似てたからな。悔しいのとか怒りとか、全部隠そうとして滲み出てる。そうなった時、お前は大体八つ当たりするから」
「だから理事長が何かやってないかと心配したのか?」
「大方、あの臨時留学生をボコしたんだろ」
浅野が怪訝そうにぴくりと眉を動かした。
「あんな、急に担架運ばれていったらわかる」
にしても担架が必要なレベルまで追い込むかね。
普段の理事長ならやらない。いくら彼が切れ者で、訴えられても勝てる人だったとしてもだ。
ま、そこは俺たちとは関係のないところ。
とりあえず、E組としては約束を守ってくれたらそれでいい。
「磯貝のバイトの件、黙ってくれるんだろうな」
「……嘘はつかないさ。約束通り何も言わない。今後口にすることもない」
それだけ言い捨てて、浅野は背中を見せて去っていく。
「相変わらず……」
「相変わらず、無駄なお喋りはしない人だねえ」
びくり、と身体が反応して、声のした方から離れる。
いつの間にかそばまで近寄ってきていた立花に気づかなかった。
『レッドライン』こと立花風子。
『蟷螂』周りのいざこざがあって以降、本校舎とE組校舎の関係もあって姿を見なかった。
少し気になって調べたところ、普通に登校していることは知っていたが……
「そんなに警戒しないでよ。ここで仕掛けようだなんて思ってないからさ」
立花は両手を挙げて、ひらひらとさせる。
以前見た時より絆創膏も包帯もなくなっていた。あれから『レッドライン』として活動はしていないみたいだ。
「そうじゃなくても、いきなり後ろから声をかけるのはやめてくれ。どいつもこいつも心臓に悪い……」
鼓動を落ち着かせながら、彼女を観察する。
敵意とも殺意とも違う、あのぎらついた感情は一切見えない。
まあ、やる気があったとしてもここで拳を交えるほど、俺もこいつも馬鹿じゃない。
「なんか、すっきりしたみたいだね、響くん。切羽詰まった匂いがなくなってる」
「どんな匂いだよ」
「こればっかりは、私と同じ能力を持ってないとわかんないだろうね~」
分泌されているものの匂いから相手の感情がわかるくらいの異常な嗅覚、
本当に超能力者なんて存在がいるんじゃないかと思わせる。
そんなのを痛感するのは、殺せんせー相手だけで十分。
殺し屋も軍人も、『レッドライン』や『蟷螂』のような異常者の相手をするのはもうたくさんだ。
「『貌なし』をやめるよ、俺は」
立花の動きがぴたりと止まった。
「やめるって言って、はいやめた~ってできるものなの?」
「ああ」
『蟷螂』とか堀部とか、実際はやたらと濃い経験をした末での選択だが、わざわざ言う必要もないだろう。
「……」
「疑ってるのか?」
「別にぃ? 言ってることは本当だろうし、響くんのこと疑ったりはしてないけどさ」
立花は大きくため息をつくと、口を尖らせた。
「せっかく色々手伝ったのにこうなるなんて、もったいないなあってね」
「もったいないって、お前なあ……」
「だってだって、あんなに濃い夜を過ごした仲なのにぃ」
「誤解されるような言い方するな」
立花にとっては、あの夜は濃く、熱く、忘れられない時間だろう。俺にとっては悪夢だ。
直前で戦った鷹岡とのこともあるし、その後すぐは『蟷螂』の襲来。
もう二度とあんな思いはしたくない。
「そうそう普通に戻れるとは思わないほうがいいよ。私たちみたいな『異常』を、世界は離してくれない。面倒に巻き込まれる性なんだ」
悟ったような、半ば諦観しているような言い方だ。同時に自信めいた口調でもある。
「あの教師もどきの人に、教室の隅にあった箱。キミが変なことに巻き込まれてるのはわかってる。『貌なし』じゃなくなっても、逃げられるとは限らないよ」
「……どこまで知ってる?」
「全然知らないよ。でも、よくわかる」
立花はくるりと背を向けた。嫌みのない笑みを浮かべながら、彼女は去っていく。
『蟷螂』みたいなこと言いやがって、と俺は眉をひそめた。
一瞬だけ吹いた柔らかな風が、火照った俺の身体を冷ました。